第一話 デンジャラス・タッグ(上)
深い森の中を歩く、ふたりの人間がいた。
一人は男だ。髪の色は黒に近い茶で、濃緑色の丈夫そうな布地の服を着ている。金糸で縁取られたその布地は、同じく金糸で何らかの魔術的効果を思わせる複雑な文様の刺繍がされており、若い外見ながらも熟達した魔術師なのであろうことがうかがえた。
腰には太身で寸の短い剣が吊るされている。魔術師然とした服装に見合わない武骨な剣は、使い込まれた柄の放つ鈍い輝きによって、不思議と馴染んでいた。
隣を行くもう一人は女だ。
白を基調とした裾の長い服を着ている。髪は色素の薄い金髪のようで、日の当たり具合によっては白にも金にも見える。
腰に巻かれた太いベルトには、その華奢な体つきには似合わない、白銀に輝く重厚な戦鎚が吊るされている。一見未使用にも見えるほどきれいに磨かれたその戦鎚のヘッドは、よく見れば微細な傷が多数刻まれており、長いグリップも使い込まれて色味の出た革が巻かれているのがわかる。
着ている服の各所には教会のシンボルである聖印──丸の中に向かい合わせの三角が収まったもの──が入っており、聖職者の身分にあるようだった。
「……この辺りなんですか?その遺跡があるのって」
女──リルカ=コール=ラドールはあたりを見回しながら聞く。
男、ロンク=ファーバンは手元の紙を広げながら頷いた。
「この辺りのはずだな」
手元の紙には、手書き感溢れる雑な地図と、中央にでかでかと刻まれたバツの印。その上には「遺跡のある洞窟」という文字が躍っている。
遺跡を探すために、森の手前の村で描いてもらった代物だった。
彼らがその村に着いたのは二日ほど前のこと。
謎の追跡者から逃げるため、逃亡生活を送る彼らは、冒険者として日銭を稼ぎながら町を渡り歩いて生活していた。
その村を訪れたのも、冒険者としての仕事の一環だ。内容は村周囲の異変の調査だった。
奇形の魔物が増えているから調べて欲しい、というその依頼は、その村があまりにも山奥過ぎたことと、内容が不明瞭で危険度が推し測りがたいことからしばらく放置されていたが、もとより旅の身空の彼らには距離の問題などあまり関係ない。
そうして村を訪れた彼らだったが、奇怪な姿形の魔物自体は確かに居たものの、原因探しはなかなか捗っていなかった。
仕方なく、ふたりは村の古老が言い出した「昔、山のどこかに遺跡のある洞窟があって……」という与太話を元に地図を作製し、その遺跡の発見及び調査へと乗り出したのだった。
「んー、それっぽいものは見当たりませんね」
リルカは目を細めて木々の間に何かが見えていないか確認している。
ロンクは地図を元通りに巻いてポーチに押し込んだ。
「まあ、爺さんのあやふやな記憶頼りでピッタリの場所に出るわけもないさ。あとは足で探そう」
「それしかないですねぇ」
リルカはめんどくさそうに言う。
つまりは通常営業だ。ロンクは特に意に掛けず、森の中を進んでいった。
「……お、崖だな」
しばらく行くと、ふたりの前に切り立った崖の側面が見えてきた。
地層のラインが波打つようにして流れ、各所に突き出た岩の上には苔が生えている。
「となると、これに沿って行けば洞窟も見つかるでしょうか」
「だろうな。近そうだぞ」
「じゃ、行きますかぁ」
「おう」
「……思ったよりすぐ見つかったな」
「ですね。おじいさんの記憶も捨てたものではなかったと」
数分後。二人は崖の横っ腹にぽっかり空いた洞窟の前に立っていた。
不気味に広がる暗闇の中からは生ぬるい風がやんわりと吹き出してきている。風に乗って微かに漂う臭いはどことなく生臭く、遺跡があるだけにしては異質だった。
「こりゃあ当たりかもしれんな」
「そうだといいんですが」
ふたりは腰の武器に手を添えた。
リルカはそのまま手を掲げ、呪文を唱える。
『──聖なる者よ。【聖光】の奇蹟もて、彼の地の先触れたる影を打ち払いたまえ』
すると、彼女の掲げた手から空間に滲み出した魔力が陣を結び──宙に浮かぶ光の球体となる。
「さ、行きますよ」
「いつも助かるよ」
せかされたロンクはそう言って肩をすくめ、洞窟に入っていった。
光を肩の上ほどの高さに浮かべたリルカはその背を追い、文句を言う。
「ロンクも少しくらいはまともな魔法を覚えてくださいよ。禁呪使いとか言って、変な魔法しか覚えてないだけじゃないですか……」
「しかたねえだろう、そういう家に生まれたんだから」
「だとしてもあとから覚えるくらいできるはずじゃないですか……」
「いくつかは使えるんだぞ、免許にだって書いてある」
「じゃあなんで汎用性の高い光源作成の魔法を覚えてないんですか……?」
「暗視の魔法使えれば要らんからな。自分だけで行動するならだが。……それに、いくら教会の人間だからって使える魔法全部教会式で揃えてる人間には言われたくねえぞ、汎用性云々は」
「……まあそれを言われると私もそうなんですが。ロンクと違って他人に見せられない魔法ばっかりではないですけど」
それなりに広い洞窟の中を、ふたりはいつも通りの軽い言い合いをしながらずんずん進んでいく。
「──ん、止まれ」
ロンクは手でリルカを制しつつ、立ち止まった。
前方から、なにやら硬質な音が連続して聞こえる。足音のようだ。
ロンクはそっと剣の掛金を外す。後ろからもリルカが戦鎚を吊るすベルトの留め金を外す音がかすかに聞こえた。
「……やはりだな、β35号系列の戦闘能力は捨てがたいと……」
「……お前は戦闘能力志向すぎる、あの型の寿命の短さは運用上の大欠点に……」
話し声が近づいてくる。
男性の二人組のようだ。
ロンクはリルカを制した手を下ろし、自然体で歩きながら彼らの前に姿をさらした。
「……な、なんだお前らっ!ここをどうして……!!」
「ど、どこの手のものだっ!?」
ひどく狼狽した様子の男二人──得体の知れない汚れのついた揃いの白いローブを着た連中に、ロンクはとぼけたふりをして頭を掻いて見せた。
「……この辺に遺跡があるって聞いて調査に来たんですが、おたくらも同じですか?」
「このようなところで調査者とお会いできるとは奇遇ですねえ」
リルカはことさらに柔らかな声を出して同調した。
「あ、ああ遺跡はこの奥だが……」
「た、大したものはないぞ、よくわからん壁画くらいがせいぜいだ」
男たちはどうにか取り繕おうとロンクの言葉に乗りつつ、追い返そうとする。
ロンクはひそかに笑いをこらえつつ、一歩踏み出した。
「ほう、壁画ですか!それは面白い!どうです、年代の推定などは?このような僻地ですし、きれいに残っていることかと思いますが!」
学園を追い出されたとはいえ元は学生。加えて、禁呪調査のためにある程度古代文明に関しての知識も付けているロンクは、べらべらと専門用語をまくしたてながら男たちに近づいて行った。
不幸にもそういった知識は持ち合わせていないらしい男たちは、生返事を返しながら後退るしかない。
しかし、彼らもただ騙されていたわけではなかった。
「ま、待て!」
「そうだ!騙そうたってそうはいかんぞ!」
二人組はそう叫んで飛びのいた。
「おおかたどこかのスパイだろうが……我々の研究成果は貴様らごときには渡せん!」
「そうだ!我らセルガン国生物兵器研究部隊は決して機密を漏らさんのだ!」
「……いや、今でかい機密漏らしただろ」
ロンクは呆れた顔で言った。
「……この馬鹿野郎!どうしてお前はいつもいつも口を滑らせるんだ!この間だってそれで予算減らされただろうが!」
「すまねえ、すまねえ!でもあれはお前だって悪いだろうが!」
「なんだとこの野郎!」
「文句あるのかこの野郎!」
「……いや、あんたらで喧嘩すんなよ」
ロンクはもっと呆れた顔になった。
リルカは暇そうに小石を蹴っている。
男たちは我に返ったように口論をやめた。
「そ、そうだ。確かに言い争ってる場合じゃねえ……」
「ああそうだ、まずはそいつらを消すしかないな……!」
「おう、悪いが聞いちまったからには生かしておけねえ……!」
男たちは腰を落として戦闘態勢だ。
ロンクは頷いて、右手を掲げた。
「そうそう、そういうのを待ってたんだよ。どうせあんたらも後ろ暗いことの多い身だろうし、遠慮は要らんな」
「やっちゃいましょうかー」
待ちくたびれたという顔でリルカも戦鎚を抜く。
対する男たちはローブの内側から引っ張り出した短杖を構えている。
『──鏃は群なす礫なり!撃ちて穿たん、削岩の飛石よ──』
『──編み綴らるる虚空の蔓よ、あまねき自由は汝が裡に失われ──』
一方の男は使い勝手の良さで知られる、石の飛礫を飛ばす魔法を。
もう片方はこれもよく知られた、魔力の縄で相手を拘束する魔法を。
各々、唱え始めた。
それを確認して、ロンクは口を開く。
『──汝、列なる魔素は寄る辺なき孤腕に乱されよ──』
ロンクの右手に固まった魔力が拡散し、存在感を失う。
しかしじんわりと、かつ迅速に空間に浸透し──
『──【散響無界】』
──呪文の完成と共に、男たちの前に浮かんだ魔法陣を激しく揺らし、千々に刻んで無へと帰した。
「なっ……!そんな魔法、聞いたことも……!」
男たちは狼狽した様子だ。が、ロンクはこともなげに答える。
「そりゃ知らんだろうさ、世に出てねぇんだから」
「なんだと!?それはつまりッ……!!」
男たちの顔が歪む。そして片方が吼えた。
「貴様、禁呪使いかッ!」
「おうよ、そうだとも。だがまあ、お互い世に出せねえ魔法を使う身だろう?お前らに文句を言われる筋合いはねえよなあ?」
ロンクはニヤニヤ笑いながら右手を下ろす。
しかし男たちは動けない。手の内の読めない相手は、世を忍んだ闇のものとは言え単なる研究者にすぎない彼たちの衰えた戦闘勘では荷が重い。
「クソッ、アレを出すぞ!!」
「あ、おい!置いていくなよ!」
男がそう言い捨てて奥へと逃げ込んでいく。
もう片方も慌ててそれを追っていった。
「……追うか?」
「それしかないでしょう。万が一にでも入り口崩されたら生き埋めですよ」
「そうだな。行こう」
「はい」