第五話
「う……そ……」
「おおおおおおお!!」
地に膝を付いたオークを、真宙が着実に追い詰めていく。
先ほどまでの一方的な戦闘と同様に、しかし立ち位置は逆に戦意を失ったオークはもはや、力に目覚めた真宙の敵ではなかった。
振るわれる一撃ごとにオークから体のパーツが削がれ、地面に落ちていくのをアーシェルは呆気に取られて見ている。
「これでっ!! とどめだぁ!!」
「ダメよ真宙!! 首だけは残しといて!!」
絶命させるべく放った一撃。
しかしアーシェルの言葉を受けて、真宙の剣は瞬時に軌道を変えた。
「グブ……」
オークの首が胴から離れ、ボロ雑巾の様になった胴体が地面に倒れ伏す。
遅れて首が地面に転がり、胴体から鮮血が吹き出していた。
「あんた……一体何なのよ」
「いや……わかんね。何か気づいたらこうなってたっていうか……」
強大な敵を自らの手で撃破した、という安堵感からその場に真宙は座り込み、剣を鞘に納める。
異世界転移もののお約束として、異世界からきた人間は最強か最弱かのどちらかになることが多い。
その事を知っている真宙は、恐らく前者であることを悟った。
だとしたら、誰が一体、何のために?
そんな疑問が頭に浮かぶが、二人ともが大した怪我もせずに生きていられている。
その事実がとりあえずは嬉しかった。
そして自身の力はきっと、アーシェルの助けになりえる。
そう考えると真宙の中でワクワクとしたものが、湧き上がってくるのを感じた。
「とりあえず……帰りましょ、宿に。あと、オークの首持ってきて」
「えっ」
「いや、えって……あんたが倒したんだから、あんたが持っていくのよ」
「な、何で?」
真宙は昔から生き物に触ることが苦手で、犬猫はもちろん道端で車に轢かれた死体なんかを見ても弔ってやりたい、という気持ちにこそなっても、手を出したことがなかった。
理由として明確なものは真宙の中にないが、苦手というよりは恐怖に近いのかもしれない。
そんなこともあって、触ることを躊躇っていた。
「そのオークね、多分手配書の回ってたやつよ」
「手配書?」
「そ。村にあったでしょ、掲示板。注意喚起と共に、討伐したら賞金が出るって書いてあったわ」
「マジかよ……」
真宙が討伐したも同然だから、首を持っていくのは真宙の役目。
頭では理解しているが、やはりどうしても手が出ない。
この世界では賞金首を討伐したらその手柄は、討伐した者のものとなるが、それを示す為に本人が首を持ち帰る必要がある。
もちろん例外として真宙の様に触れない、と訴える者もいる為、他の者が持ち帰って報告をする、ということも認められてはいるが、アーシェルにはその感覚が理解できなかった。
「どうしたのよ?」
「……いや」
「あ、もしかして」
「…………」
何となくの事情を察したアーシェルが、オークの首が転がっている辺りまで歩いてその首を抱え上げる。
そして真宙を見てニコリと微笑んだ。
「…………」
「ほれ!!」
「うっわあああああああああああああああ!!」
アーシェルが真宙に向かって首を投げる素振りを見せると、真宙は座っていた位置から飛び上がり、十メートルほどの距離を一瞬で離れて見せた。
「ぶっ!! 何よあんた、女の子みたいな声出しちゃって!」
「う、うるせぇ!! 誰だって苦手なもんくらいあんだろが!」
「さっきの化け物染みた強さはどうしちゃったわけ? 全く、しょうがないんだから」
そう言ってアーシェルは首を一旦地面に置くと、他に持ち帰れそうなものがないかと動かなくなったオークの胴体を漁り始める。
(よくあんなに躊躇なく触りまくれるな、あいつ……)
冒険者として生きてきたからなのか、アーシェルの挙動には一切の躊躇いがなく、金目のものを見つけては嬉しそうにしている。
「ほら、喜びなさいよ。賞金も入るだろうし、しばらくは安泰よ」
「そ、そう……ならお前ひとり占めしていいぞ」
「はぁ? バカ言ってんじゃないわよ。あんたの手柄なんだから、もっと胸張りなさい。っぶ……でも死体が怖くて触れない、なんて可愛いこと言うなんて……」
「その話まだすんのかよ……いいから帰ろうぜ。本当、疲れちまったよ俺……」
アーシェルから首以外の戦利品を受け取り、村へ戻る道すがら、喜んでばかりもいられない、と真宙は考える。
こっちに来てしまっているということは、真宙が現実の世界から消失しているということ。
二人の妹、二人の幼馴染が今頃心配しているかもしれない。
「何て顔してんのよ。あ、もしかして元の世界に帰りたくなった?」
疲れ果てた、という顔とは別に真宙の表情が黄昏ていることに、アーシェルは目ざとく気づく。
寂寥感にも似たその表情を見て、アーシェルは真宙の生い立ちをある程度察した様だった。
「そりゃ、帰れるならな。けど、今のところそんな手がかりなんて欠片も見つかっちゃいねぇからな」
「あんた……元の世界じゃかなり愛されてたんじゃない?」
「は?」
アーシェルの発言に、真宙は違和感しか覚えない。
確かに好意を向けてくれる相手はいたかもしれない。
妹の凜乃にしても、幼馴染の瑠衣にしても、あれが好意でなければ何なのか、と真宙は確かに思っていた。
しかし、明確に好きだとか言ってくるのは凜乃くらいで、瑠衣にしてみたらもしかすると、仕方のない幼馴染、くらいの認識で世話を焼いてくれているのかもしれない、という朴念仁特有の思考が始まる。
そう考えてアーシェルの発言がまるでバカみたいなものに感じられてしまい、真宙はつい鼻で笑ってしまった。
「……何、何で私今鼻で笑われたわけ?」
「いや……大事にされてたかもしれねぇけどな。愛されてたのか、っていうとわかんねぇや、って思ってな」
気づいていないフリ、とかそういう次元の話ではなく、本気で言っている。
それがアーシェルにもわかり、何となく贅沢な男だ、という感想を持つ。
しかしそれを指摘したところでおそらく真宙は理解を示さない。
そもそも言ってわかる人間であれば、こんなにも鈍感に育つわけがなく、瑠衣や凜乃の気持ちにもとっくに気づいているはずなのだ。
だからアーシェルは話題を切り替え、的を自分に向けることにした。
「あんたがホームシックにかかってるのはわかったけど、今は手段がない、って言うなら諦めて私と一緒に来なさいよ。私の事、守ってくれるんでしょ?」
「……それもそうだな、今日からの旅のパートナーは、お前なんだし。お前が魔王を討伐できるまで、付き合ってやるよ。それまでに帰る手段とか見つかったり、しなければだけど」
「はいはい、頼りにしてるわ。だけど、これからはもう少し魔物の死骸くらい漁れる様になってくれると、私の負担も減っていいんだけどね」
そう言って意地悪く笑いかけ、オークの首を真宙の目の前にかざしてやると、真宙はまたも後ずさってアーシェルを睨んだ。
真宙の知るヴェルアースのアーシェルとは大分印象が変わってしまっている気がするが、本来であればアーシェルだって年齢相応の女性らしさなどを持っていてもおかしくない。
ただ一人ストイックに旅をし、仲間と知り合っていく中で紡がれた絆のみで結ばれた関係しか知らない原作内のアーシェルと、今目の前で真宙に意地悪くちょっかいをかけてくるアーシェルとが真宙の中で結びついて行かなかった。
「お前、そんな風に笑える女だったんだな」
「どういう意味よ? あんたの知ってる私ってそんな、人形みたいなやつだったの?」
「…………」
人形……というのとは少し違う。
だが、作品を読む中で培われて行った先入観やイメージと言ったものが、真宙の中に根付いていたからこその違和感。
そしてその違和感は決して嫌なものではなく、寧ろ……。
「お前は、そうやって笑ってる方が魅力的だよ。戦ってるところもカッコいいけどさ」
「み、みりょ……? 何言ってんのよ、本当!」
照れ臭くなったのかずんずんと村へ向かう足取りを早め、アーシェルは歩いていく。
真宙自身も、こんなこと言うキャラだったか、なんて考えて、しかし置いて行かれてはたまらないと慌てて後を追った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「これは……あなた方二人だけで?」
「ええ、まぁ……というか倒したのはこの人なんですけど」
「お前の手柄でいいって言っただろ……」
村の衛兵にオーク討伐の報告をすると、たちまち村中の人間が集まってきた。
賞金はもちろん受け取ることが出来、その後村を挙げて二人はもてなされた。
「お前、勇者だって名乗ってなかったのか?」
「当たり前でしょ。勇者なんて言ってるのは私の村の人間くらいよ。ただ私は精霊に……ん? 精霊?」
「ん? どうかしたのか?」
先ほどアーシェルの頭の中に流れ込んできた声。
あれはもしかしたら精霊だったのではないか、と思い至った。
それならば、あの場で覚醒した理由についても、多少合点がいく部分が出てくる。
「いえ、何でもないわ。それより、やっぱりこの辺で恐れられてたのはあのオークだったみたいね。あんた、もうこの村の英雄よ」
「なるほど。つっても俺だけじゃどうにもならなかったと思うし、やっぱアーシェルの力もあってこそだったんじゃねぇかと思うんだよ」
「謙遜しなくてもいいじゃない。あれだけ堂々とオークを切り刻んだんだから、もっと胸張ってもいいのよ」
村を挙げて、この辺りを支配する魔物が討伐されたことを祝う祭りが催されている中、騒動の渦中の二人は片隅でいくつかの料理と飲み物を手に、話し込んでいた。
賑やかなのがどうにも苦手だ、という部分に二人は意見の一致を見たのだ。
だから挨拶もそこそこに、離れたところで喜び合う村人たちを尻目に二人でよろしくやっている、というわけだ。
「あ、こんなところにいたんですね、真宙さん。それにアーシェルさんも。さ、もっと飲んで食ってください。今日はもう、朝までみんなで騒ぐと決めたんですから」
しかし村人の一人が二人をめざとく発見して、二人は再び村の中心へと連行されて行く。
騒ぎの中心人物である二人はこの日、朝まで飲まされ、これまでの旅についてそしてこれからの動向についての話をさせられた。
とは言っても真宙は話すことがほとんどなかったので、やや社交的な部分で勝るアーシェルにその役目を押し付けて、一人異世界の料理に舌鼓を打っていたのみだが。
こうして真宙が転移してきた、初日の夜は波乱の内に更けていった。