第三話
「すると……ここはヴェルアース……」
「……そうね」
場所は変わり、森を抜けた先にあった村。
休めるところを、と三時間弱ほど歩いて辿り着いた場所だ。
小用を見られた美女は、あの後悲鳴を上げながらひたすら真宙の顔面を殴りつけ、水浴びに戻っていった。
そして、もう殴る場所も無いほどに殴りつけられ、顔を腫らした真宙にこちらを見ない様に言い、衣服を身に着けた少女は、真宙の奇妙な身なりに違和感を覚えながらも置いていくことはしなかった。
自らの旅が危険なものであることは重々承知していたが、ここで武器の一つも所持していない少年を置いていくことが憚られたのだ。
少女が水浴びをしていた辺りはまだ安全な場所ではあったが、少し移動すれば魔物も出現する。
丸腰の少年が一人で切り抜け、近隣の村まで到達できるとも思えず、放っておくわけにもいかないという正義感の様なものもあり、少女はモヤモヤとした感覚を覚えながらも真宙についてくる様に言った。
「まだブーたれてんのかよ。事故だ、事故。あれは不幸な事故だったと思って……」
「……呑気なもんね。乙女の全裸を見ての反応とは思えないわ」
そう言った少女としては、二次性徴を迎えてから異性に裸体を見られた経験など当然なく、更に小用の現場までも目撃されたということもあって、複雑な心境だった。
にも関わらず飄々とした態度を崩さない真宙へ、納得いかないという感情が沸き立つ。
「だってお前、水浴びしてたんだろ? 泉の中でションベンとかマナー悪いって、立派な心掛けじゃねぇの」
無神経とも言える真宙の発言に、少女の中で何かが切れそうになるのを懸命に堪える。
見た目からして人間であることは明白で、少女としては救う対象でもあることから、ここで真宙を殺害してしまうことは少女の旅の目的と合致しない。
しかしながら、ある意味で少女にとっての傷にもなり得る様な出来事でもあった為に少女は思わず殺気を漲らせて腰の剣に手をかけた。
「……いい加減黙らないと、殺すわよ」
まさか自分の人生にあんな場面が訪れるとは思っていなかっただけに、真宙からしても衝撃的だったことは間違いない。
女性の裸体など、いいところインターネットや青年向け雑誌などで見るのがせいぜいだろう、などと考えていた真宙からしてみれば、未だにわからないことだらけとは言っても僥倖だったと言えよう。
とは言え見られた少女からしてみれば恥ずかしいことに違いないということは理解している真宙は、真宙なりに考えた結果、一つの提案を持ち掛けた。
「だ、だから事故だし忘れようぜって」
「加害者がする提案とは思えないって言ってんのよ! 何で被害者が泣き寝入りしなきゃならないの!?」
「いや、お、お互いの為って思って……」
「異界人だか何だか知らないけど、あんたの世界って言うのはそんな非常識が罷り通ってたわけ?」
「……まぁ、割と理不尽なことは多いかもな」
あの衝撃的な出会を経てから一定の距離を保ちながら歩き、真宙はここが自分の暮らしていた世界とは違う世界であることを知った。
何度か魔物と思われるものにも遭遇し、襲われもしたが、被害者であるはずの少女は懸命に真宙を庇いながら戦い、この村へと到着した。
健気なものだ、と思いながらも何処かで見た覚えのある女だ、とも思っていた真宙は、村へ到着する寸前になって、少女に名前を聞いてみることにしたのだった。
『変態に名乗る名なんてないわ』
とてつもなくトゲのある、そして軽蔑した眼差しで見られて真宙は苦笑いを浮かべる。
変態であることを否定する気はないが、このままじゃ話が進まない。
ここは男である自分から歩み寄っておくべきだ、と真宙は考えた。
『そう言うなよ……俺は真宙。秀全真宙って言うんだ』
『……あんたが名乗ってるのに、私だけ名乗らないって何か違うわよね。卑怯なやつ』
ぶつぶつ言いながら、しかし悪いやつにも見えない、などと呟きを交えて少女は一瞬考えて立ち止まり、真宙の方を見た。
『はぁ……アーシェルよ。アーシェル・ルールベリア。一応この旅の目的は魔王の討伐だけど』
少女の名を聞いて、真宙はここが自身の愛読書である「寵愛を受けた精霊騎士」の舞台であることを理解した。
アーシェルはその作品の主人公で、既刊時点で魔王との決戦直前だった。
ヴェルアースを滅ぼさんと画策する魔王、シュヴァンを討伐する為にアーシェルは生まれ故郷を一人出て、旅を続けていたのだ。
「で、真宙。あんた何であんなとこに現れたの? あんな堂々とした覗き、さすがに経験がなくて今でも信じられないんだけど」
「俺が知りたいくらいなんだけどな。っていうか、俺の分まで宿代出してもらっていいのかよ?」
「ますます訳が分からないわね……宿に関してはここで放り出したら、夢見が悪いでしょ。でもあんたの部屋はあっちだから。夜はちゃんと自分の部屋に戻りなさいよね」
そう言いながらもアーシェルは今すぐ真宙を部屋に戻す気はないらしい。
時刻は昼過ぎになり、そろそろ腹も減り始めてくる頃合いだ。
食料も調達する必要があり、真宙を飲まず食わずにするわけには行かないとアーシェルは考えていた。
「なぁ……お前飯はどうしてるんだ?」
そんな折、アーシェルの考えを見透かしていたかの様なタイミングで真宙から質問が飛んでくる。
アーシェルとしても丁度その話題に切り替えようと考えていた矢先ではあったが、真宙からこの世界が真宙の世界における創作物の世界であることを聞かされた少女としては、小用どころか全てを覗かれていたかの様な恥ずかしさを覚える。
「……全部見てたんだったら、ある程度わかってるんじゃないの?」
「そこまで詳しい描写なかったからなぁ、この時点だと。お前の全部を知ってる、ってわけじゃないんだよ、俺も」
真宙の読んでいた創作物の中で、アーシェルが食事をする描写が全くないわけではないが、細部に触れている事は少なく、作品の傾向として戦闘や人との関わりに重きを置かれた作品でもあったことから、当然のことではあるが小用なども描写はないし、入浴シーンがあったとしても文字のみの情報である為、アーシェルが思う様な覗きの現場とは違う。
ここで二人の思考に齟齬があるであろうことは真宙も理解していたが、説明したところでアーシェルが素直に信じられるとは考えられなかった為に、真宙は言及することを避けた。
「だとしても、よ。あんたの世界で私が知らぬ間に有名人って、あんまりいい気分じゃないわね」
真宙は宿に着いてすぐに、アーシェルへ自分の知る限りの話を聞かせた。
どういう経緯があって村を出たとか、本人以外が知りえないエピソードなどなど。
これから起こるはずの展開については、話してしまうことで流れが大きく変わることを懸念して、伏せておいたが。
「お前のファンは多いぞ。俺も割と好感持ってたし。まぁ、モンスターから助けてもらったり裸見せてもらったりもしたし、俺に出来ることなら手伝おうかと思ったわ……けで……」
そこまで言った時、目の前からただならぬ殺気を感じて真宙は口を噤む。
つい口を滑らせた。
そう思いアーシェルを見ると、真っ赤な顔をしてアーシェルは拳を握りしめていた。
「ま、待て。待ってくれ。今のは確かに俺が悪かった。うん、それは間違いないな。だからもう殴るのは……」
「……次はないわよ。気を付けることね」
そう言ってアーシェルは立ち上がり、剣を手に部屋を出る。
一瞬振り返って、ついてきなさいとだけ言い、ずんずんと宿から出て行った。
「えっと……」
「あんたもできることをしてくれるんでしょ。だったら必要な出費だわ。これ、持ってなさい」
村にあった小さな武器屋で、少々割高だと思いながらも一振りの長剣を購入。
もう少し大きな、それなりに物資が豊かな町であれば安く買えそうな剣を、真宙に手渡す。
「防御はとりあえず考えなくていいわ。私が何とかしてあげるから」
アーシェルとしては真宙に鎧を着せたりということは考えていない。
防御に関して考えなくていい、というのはアーシェルが身を挺して戦うことで真宙の護衛は十分に務められるという自信があった。
もちろん路銀が心もとないということもあり、節約を優先した、という事情もあったのだが。
「……もしかして、割とお金カツカツだったりする?」
普段鈍感なくせにこういう時には鋭い、というよくある現象に、またもアーシェルは見透かされた、という思いを拭いきれない。
しかしここで腹を立てたからとてお金が空から降ってくるわけでもない為、アーシェルは財布をカバンへしまった。
「黙りなさい。その剣の分の出費くらいは、今日中に稼いでもらう。それからのことはその後考えたらいい話よ」
「そ、そっか。何だか悪いな」
一瞬だけちらりと真宙を見て、アーシェルは村の外へと足を運ぶ。
村の衛兵に外へ出たいという旨を伝え、二人は外に出た。
夕方を過ぎるくらいになると、大型の魔物が出ることもあるから気を付ける様に言われ、真宙は衛兵からじろじろと見られていることに気付いた。
「ああ、服装か。こんな服、確かに着てるやついねぇよな」
「何処か遠い国からきたのかい? 面白い作りだ」
「……まぁ、遠いっちゃ遠いな。帰れるかもわからねぇし」
真宙は学校へ行く為に家の外へ出た直後に転移させられた。
その為学校指定のブレザーにシャツ、スラックスといういで立ち。
ヴェルアースでその様な格好をしているのは上級の貴族くらいな上、ブレザーとスラックスが色違いという服装は貴族の中でも珍しい。
一瞬真宙の脳裏に二人の妹と幼馴染の顔が浮かぶが、今すぐに帰って会うことが出来ないのだということを改めて思い知り、今は目の前の現実に目を向けることにする。
そんな会話を経て、二人は村から現実世界の距離に換算しておよそ3キロほど離れた場所へとやってきた。
「お金の稼ぎ方は、知ってるわね?」
そう言われて思いつくのは、ゲームなどでもおなじみ魔物との戦いで戦利品を獲たり、お金が直接ドロップする様なイメージ。
実際「寵愛を受けた精霊騎士」の中でもアーシェルが戦闘の後に魔物の死骸から戦利品を獲ている描写は何度かあった。
「まぁ、大体は。けど、俺戦闘なんて……」
「私に続きなさい。最初は見様見真似でいいわ。刃の立て方とか踏み込みについては細かいところだけ教える。あとは体で覚えた方が早いから」
「マジかよ、案外スパルタだな……」
アーシェルの言う金策とは、ひたすらに魔物を討伐することだった。
魔物自身が通貨を持っていることもあれば、魔物の体液や肉、皮、牙と言ったものがそれなりの金になる。
そういったものを収集して、まとめて雑貨屋に売るのだ。
アーシェルはただの荷物を背負って旅を続けるよりも、真宙をある程度鍛えて戦闘要員にしてしまえば、自身の負担を減らすことが出来ると考えた。
異世界からきたという人間がどの程度モノになるのか、可能性としては未知数だがやらないよりはやってみるべきだと考え、まずは自身が手本を見せることにした。
「その剣は腰に携えておくといいわ。さっき背中に回そうとしてたみたいだけど、腰につけてる方が挙動はスムーズなはずだわ。好みでもあるけど、よほど自信があるかカッコつけてるやつくらいよ、この世界じゃ」
「なるほど……」
そう言ったアーシェルも確かに剣は腰に携えていて、侍の様な抜刀をしているのを何度か目撃していた。
剣をアーシェルから習うのであれば、真似できるところは真似した方が成長が早いかもしれない、と真宙は考えて剣を腰に回す。
「……ぶっ。まぁ、全然様になってないけどそのうち慣れると思うわ」
「笑うことねぇだろ……。俺の世界で剣なんて、扱う機会ねぇんだから」
佇まいもそうだが、所々にぎこちなさの残る真宙の挙動にたまらずアーシェルは笑みをこぼす。
こんな顔で笑うやつだったのか、という感想を持ちながらも一定の恥ずかしさを覚えた真宙は反論するが、それでも助けてもらっているという恩を返さねばという思いから心の底からの憤りを覚えているわけではない様だ。
「あんた、いいところのお坊ちゃんなの? 男の割に綺麗な手してるし」
「ごくごく普通の一般家庭だよ。ただあっちの生活水準やら文化レベルは、こっちの世界と比べたらかなり高いんだろうなと思う。こっちじゃ使えねぇけど、便利なものもあったりするしよ」
そう言ってポケットの中の携帯を一瞬握りしめ、先ほど完全に圏外だったことを思い出す。
完全に違う世界に来てしまったのだ、ということを改めて自覚して、真宙は複雑な思いを顔に出した。
それを見たアーシェルが、何だか気の毒そうな顔をして話題を転換させた。
「なるほどね……話を戻すわよ。お金を稼ぐ為に魔物を狩るわけだけど……食事はまた別よ。肉が食べたいなら、この辺にもウサギはいるはずだから、まずはそれを探しましょ。宿に戻って渡せば料理してくれるはずよ」
「ウサギ……俺の世界でも昔はよく食ってたって聞いてるけど……旨いのか?」
真宙の想定よりも本格的なサバイバル的な食生活。
食べる為に気力や体力を使う、という発想が今までの生活でなかった真宙には、現実味がない。
「美味しいわよ? あとは適当に野草を集めて……」
「徹底した自給自足だな。宿の飯を食おうって話には……」
元の世界じゃ何か食べたければ買ってくる、店に入るという事が一般的でもあることから、自然とそうした提案が出てくるわけだが、アーシェルはそんな真宙の提案を聞いて眉をひそめた。
「ならないわね。村の物価は流通が盛んじゃない関係もあるからか、割高なのよ。物資がもっとある町ならともかく、今の真宙を連れて遠くまで、っていうのはさすがに難しいし。何日か滞在することになるかも、って考えてるから出費は最低限にしないと。贅沢がしたいなら稼ぎなさい」
どうやら真宙を、金持ちのボンボンか何かと勘違いしているアーシェルは、いたずらっぽく笑って剣を抜く。
稼げ、か。
アーシェルの目的が魔王の討伐だとして、そこに至るまでの経費だとか必要なものをそろえたりだとか、そういう資金も必要になるだろう。
なのであれば、真宙が自在に剣を操ることが出来る様になって、アーシェルの負担を減らしてやることで少しずつでも資金を増やしていくことが出来るのではないか。
そう考えた真宙の中で、この世界で出来るかもしれないことを一つ、発見した。
「確かにそうだな。ならさアーシェル、俺がお前を楽させてやる。だから今だけ、悪いけど足手まといのお荷物をよろしく頼む」
そう言って深々と頭を下げる真宙を見たアーシェルは、思わず動転して顔を赤くした。
意図している部分を掴みかねているということもあるのだろうが、年頃の女子特有の勘違いもはらんでいる様だ。
「な……な、何言ってんのよあんた。わ、私を楽させる、って」
「ん? いや、今まで一人で全部背負ってた部分が二人になれば分担できるだろ? 効率的になって、資金も貯めやすくなるんじゃねぇかなって」
「…………」
簡単に言えばアーシェル的には、真宙の言葉は俺の嫁になれよ! というニュアンスに聞こえていた。
一方真宙としては二人で分担して旅を少しでも楽しもうぜ、という様なものだった。
こうした二人の意識のズレが、アーシェルを怒らせるに至ったと言っていい。
「何赤い顔してんだよ。よくわかんねぇけど、とりあえずその辺の魔物……をっ!?」
「……何でもないわよ、朴念仁。言っとくけど私の裸は安くないからね」
そう言って剣の切っ先を真宙の鼻先三寸のところでピタリと止め、アーシェルは真宙を睨む。
訳もわからないままで睨まれて、真宙は混乱しながらも一歩下がって剣の柄に手をかけた。
こうして二人の冒険は幕を開けたのだった。