第十話
「ひとまず場所を変えるわよ。今日は野宿になるかもしれないけど」
「あ、ああ」
彼女の中で思い当るもの。
それが村を襲撃し、二人の不在時に壊滅させたのだとしたら、残党がいたとしてもおかしくはない。
そしてその残党とまともにかち合ったとしたら、今の二人で相手になるか。
アーシェルの中での不安要素が、まずこの場から離れようという提案をさせた。
「近くには街も村もないから、もしかしたら明日も野宿よ。覚悟しときなさいよね」
「まぁ……それは仕方ねぇんだけどさ。事情を……」
「いいから。とりあえず落ち着いてから話す。できる限り自然に離れるわよ」
辺りに人の気配はしない。
しかしアーシェルの思う相手なのだとしたら、気配を消すことくらいは当たり前にやってのけるはずだ。
だからこそアーシェルは、危険因子を出来る限り排除しておこうと考えた。
戸惑う真宙の手を取り、真宙は言われるままにアーシェルに半ば引きずられる形でついていく。
村の人たちを死なせてしまった、という思いはもちろんあるが、同時に死んでしまった人間はもう戻ってこない、という思いもある。
だから、自分たちは生き残ったのだから為すべきことを為さねばと村を離れることにした。
「……今度、余裕が出来たらあの村にはまた来ましょ。多少とは言っても世話になったし」
「お、おう……」
立ち込める煙の、焦げ臭さが段々薄れて行き、すっかりとその臭いから解放された辺りまで来てアーシェルは森へと足を踏み入れた。
「とりあえず、ここまできたら大丈夫……と思うけど、油断しないでね」
「えっと……何に気を付ければいいんだよ、俺」
「簡単に言っちゃうと、あの村を襲ったのは、恐らく帝国軍よ」
「てい……こく?」
野営の準備をしながら、アーシェルは厳しい顔をしている。
アーシェルの出身である村が襲われたわけではない。
しかし、アーシェルが小さい頃に近隣の村や集落と言った場所が襲われ、壊滅させられたという話はよく聞いた。
「え、何で……帝国ってことは、治めてる人間がいるんだよな?」
「そうよ。帝国領からあの村は外れた場所にある。厳密には、隣国の扱いになると思うんだけど」
簡易的なテントを設置したアーシェルが、荷物をその中へ入れる様指で示し、腰に剣を携えたままで話を続ける。
「そんな……だって、自分の国じゃねぇところの村襲うなんて、それこそ戦争になったりするんじゃねぇのかよ」
「帝国の狙いはそこなのよ」
「……は?」
アーシェルが五歳になった頃。
今から十三年前に、帝国の長は病死した。
当時まだ幼かった、長の娘が国を引き継ぐこととなったわけだが、娘は当時十二歳。
国を治めるなどと言う経験があるわけもなく、政治関連に関してまともな指示を出すことなど出来るはずもなかった。
しかしそこに目をつけたのが、大臣夫婦。
娘の教育係も兼ねていた二人は娘を陰で操り、完全な傀儡政権が出来上がった。
「するとその娘ってのは今……」
「生きてるなら二十五歳……くらいかしらね。当然分別のつく年齢のはずだけど、それだけに大臣たちの考えにも違和感を覚えたんでしょうね」
二十歳を過ぎてその娘が大臣たちの考える政策に異を唱えた。
きっかけとなったのは、自身が城下町へ出た時の事だった。
その娘が女王であることを知った街の民が自身を見るその目の冷たさ。
『これで民は幸せに暮らしていけるはずです』
大臣が政策を打ち出すごとに、口癖の様に、呪詛の様に口にしていた言葉を思い出す。
具体的に行ったことと言えば、兵力の強化と税金の徴収頻度の縮小。
前国王が課していたのは半年に一度の納税のみで、それ故に前国王は良き王であると言われていた。
ある日それが突然病死し、程なくして課せられた実質的な増税。
半年に一度で良かったものが一気に月に一度になったことで、民は一気に疲弊した。
その一方で国は潤っていく。
潤っていく国しか見えていなかった女王は、疲弊している民を見て自分の選択が間違っていたのかもしれない、と考えたのだ。
『月に一度の徴収は、厳しすぎるのではないか』
彼女は城に戻るなり大臣を問い詰めた。
自分が見てきた、疲弊しきった民の表情。
そう言ったものを目の当たりにした彼女は、珍しく感情的になった。
『兵力の強化に、何の意味がある? 我が国は戦争をしないと決めて久しいはずだが』
一つ問いただすと、次々彼女の中に浮かぶ疑問。
そしてその疑問を口にした時、大臣は豹変した。
『女王。あなたは私たちの唱えてきた政策に不満がおありですか』
『……当然だ。お前たちは、現政策によって民が幸せになると言った。しかしあの惨状は何だ? 兵を強化して何をしようとしている?』
普段物腰柔らかく、温和な雰囲気を漂わせていた大臣とは思えぬほどに、冷たく突き刺さる様な物言いに、女王は一瞬怯みかけたが引き下がることはしなかった。
自分が国を治めるにはまだ幼かったが故に、後ろ盾となってくれたことそのものには感謝している。
しかし、その結果が今の惨状を生んでいるというのであれば、女王は黙っていることなど出来なかったと言っていい。
『今更、以前の国に戻すことなど出来ませぬ。それに……我が国が戦争をしないと決めていようと、周りから攻めてくることだって十分に考えられるのです。迎え撃つ準備や、必要とあらば打って出る準備のために必要な出費なのですよ』
父である前国王が戦争はしないと決め、そこで既に民からしてみれば恵まれた国だったはずの帝国。
その帝国は、城下町に関して見る影もなくなっている、ということは近隣諸国へ噂として知り渡っていた。
更に言えば、大臣が秘密裏に兵を動かして近隣の国の領土の村を襲撃し、見込みのある人材を攫ってくると言った暴挙に出ている。
その事実を、事もあろうに大臣本人から聞かされて女王は怒り狂った。
「それで、その女王ってのは……」
「死んだ、と聞いてるわ。大臣を解任しようとしてたみたいだけど、その後ですぐに抹殺されたって。今はその大臣が国を治めているみたい」
「……何だそりゃ。滅茶苦茶じゃねぇかよ」
アーシェルの話を聞き、真宙は先ほどの村の惨状を思い出す。
自分が子どもの頃から、既にそんな凶行が罷り通っていたとは。
もちろん真宙の暮らす世界から見たら、創作の中の設定でしかない。
しかしそんな話は作中で出てきた記憶がない。
だとすればまたも自分の登場によって、展開が大きく変わってしまったのだ、と真宙は後悔していた。
そもそもアーシェルの旅に帝国が関わってきたことなどなかったはずだし、立ち寄った村が無残に滅ぼされるとか、そんなエピソードだってなかった。
「……どうしたの、変な顔してる」
「悪かったな、この顔は生まれつきだよ。ちょっとな、考え事」
「元の世界のこと?」
「…………」
関連がないわけではないが、真宙はどうして自分がこの世界へ召喚されたのか。
また、この世界へと召喚したのは誰なのか。
今考えても答えの出ようはずがない自問自答に明け暮れていた。
「まぁいいわ。とりあえず、薪集めないと。今日はここで明かすことになるけど……あんた、夜更かしとか慣れてなさそうね」
「そうでもねぇよ。さっきも気を失ってたんだし。交代で見張り立てるってことなら、もちろんやらせてもらう」
自分にできることをやるしか、今はない。
そうしなければただのお荷物になってしまう。
そう考えて真宙は、率先して乾いた薪を探して辺りを見回す。
真宙の中の変化に、全てではないにしろ気づいたアーシェルはそんな真宙を見て、先ほどまでの浮かれた気持ちが薄れていくのを感じる。
代わりに、何処か危なっかしく見える少年を、自分が守らなければと固く心に誓うのだった。
「いいわ、あんた先に寝なさいよ。今は治ってるかもしれないけど、致命傷負ったってことに変わりはないわ。半分ずつくらいで交代すればいいし、夜が明けるくらいに出立できる様にできればいいから」
そう言いながら茂みの方へと小柄を鋭く投げ込み、茂みから短く上がった悲鳴に手ごたえを感じる。
すっと立ち上がって彼女は茂みに足を踏み入れ、先ほど投げた小柄と共に仕留めたウサギを真宙にも見える様に掲げた。
二日目の夜は野宿でやや肌寒くとも、魔物の襲撃に遭うこともなく更けていった。