第一話
「アーシェル!! とにかく離れてろ!!」
「ふざけないで! 私には使命があるのよ!!」
互いに背中を合わせ、戦火の中で剣を握る男女。
一般的に見て多勢に無勢であることは明らか。
敵の数は凡そ600ほど。
対する少年、少女。
既に周りを取り囲まれて逃げ場はない。
しかし少年の目に諦観の念は見えず、少女の目に少年を見捨てようという意志は見えない。
「お前まで巻き込んじまったら夢見が悪いだろうが。合図すっから、ちゃんと離れてくれよ。それが今、お前のやるべきことだ。じゃなかったら、お前にこの世界を救わせてやることもできないんだからよ」
「あんたの力なんか借りなくても……」
「んなクソみてーな意地、犬にでも食わせとけっての。約束したから、俺はお前に世界を救わせるんだってな」
「…………」
少年はこの場を切り抜けるだけの自信を持ち、そして少女もそれを微塵も疑ってなどいない。
しかし少女に課せられた使命、そしてプライドが少年の言うことを素直に聞くという行動に枷をはめている。
少年の力を疑ってはいなくとも、それを認めてしまうことが自身の心を折る結果に繋がってしまわないか。
そして、彼に甘えてしまうことがこれから先当たり前になってしまうことが、少女には恐ろしく感じられた。
「お前の使命は何だ? ここで意地を通すことなのか? それともこの場を切り抜けて魔王を討伐することか?」
「…………」
「もうあんま時間がねぇ。準備してくれよ」
じりじりとにじりよってくる魔物の群れ。
スライムからドラゴンまで、様々な種族が二人を追い詰めるべくその距離を詰めてくる。
対する少年は辺りを見回し、自らの力の有効範囲を確認している。
至近距離にいる少女への影響がどの程度のものになるのか。
詰め寄ってくる魔物を一網打尽に出来るだけの力を持った少年がその実力を開放した時、少年の発言が冗談では済まなくなることを、少女は既に知っている。
何度も自らの目で見て、肌で感じてきている力。
勇者として旅をしてきた自分であっても、足元にすら及ばないであろうことを少女は自覚していたのだ。
「……わかったわよ。その代わり、一撃で決めなさいよね。一応この辺で暮らす人だっているだから」
「わかってるっつの。お前はお前の保身だけ考えてりゃいい。三つ数えたら、速攻で離れろよ?」
額を伝う汗を指先で軽く拭い、引きつった笑みを浮かべた少女は少年同様に意識を集中させる。
ただし少年と違って殲滅する為ではなく、少年の力が及ばない様に退避するその為に。
「三……」
「…………」
少年がカウントする間も、猛火の中魔物たちはにじり寄ってくる。
勝利を確信し、二人を嬲る為だけに歩を進めるその足が、次のカウントでピタリと止まる。
「二……」
「…………」
少年の体から吹き出した力が、魔物たちを徐々に圧倒していくのを、少女はその目で見る。
もう何度目になるかわからない、少年の絶大な力の行使。
この力に何度救われてきたのか。
その度に味わう安堵感と焦燥感。
自分はこのままでいいのか、という気持ちとこの人がいてくれてよかった、という複雑な感情。
「一……!」
少年の最後のカウントに合わせて、少女は跳ねる。
目の前にいる敵の群れに渾身の切り上げを見舞い、怯んだ隙を突いて少女は剣を構えたまま駆けた。
「今よ!!」
「こっち見ろォ!! 化け物どもォ!!」
魔物を蹴散らしながら駆け去った少女の合図に合わせ、少年が吠える。
剣を地面に突き立てると同時に、地面から溢れる闘気がその場にいる魔物を取り囲み、包んだ。
「……っ!!」
「爆ぜろオオオオオオオォォォッ!!」
突き立てられた剣を引き抜き、天にかざすと同時に上空へと吸い上げられ、まとめられた無数の魔物。
少年の闘気に、光に包まれてその光の中で苦悶に表情を歪めて行く。
チン、という少年が剣を鞘に納める音とほぼ同時に、纏められた無数の魔物が内部から爆発し、飛散した。
「……相変わらずグロいわよね」
「こっちでもそんな言葉あんだな。まぁ向こうの人間の書いてる話だし当然か」
「その話はやめてって言ったでしょ」
血の一滴までも蒸発して果てた、魔物がいた場所を見回しながら少女は少年の元へと戻ってくる。
少年の言葉を受けた少女が不快感をあらわにし、少年は気まずそうに少女から目を逸らした。
そんな少年を見て、ため息を漏らしながら少女は少年の肩に手を置く。
「もう何度もしてる話ではあるから、私としてはもう慣れたつもりだけど、やっぱり聞かされていい気分にはならない。それだけは理解して」
「悪かったって。とりあえずこの先の村で、仲間に会える……はずだからとっとと行こうぜ」
降参、と両手を上げて少年は少女に視線を戻す。
本当にわかっているのかしら、と呟きながら少女は少年の肩から手を離した。
先ほどの大規模な……ほぼ一方的な蹂躙と言えなくもない戦闘を陰から見ていた魔物たちは、二人を恐れて物陰から出てくることはない。
出て行けば自分も同じ目に遭わされる。
本能でそう悟っているからだ。
そのおかげもあって、二人の次の目的地までの道のりは、今までよりも遥かに楽なものになった。
「もうじき三か月になるかしらね」
「ん? ……ああ、それな。元の世界でも時間の流れってやっぱ同じなのかな。だとしたら……まぁ、今のところ戻れる手段なんか欠片も見つかっちゃいないけどよ」
少女の言葉に、少年がこの世界に降り立った日の記憶に思いを馳せる。
自分には何もないと思っていたあの頃と、今とでは大分心構えにも違いが出てきたと少年は思っている。
「別に元の世界になんか戻らなくてもいいじゃない」
「はぁ!? 何言い出すんだよお前……俺には可愛い妹が二人も待っていてだなぁ……」
「何よ、私よりも大事なの、その妹。私に世界を救わせるって言ったじゃない」
じっとりとした視線を向けられ、少年は横を歩く少女から一歩距離を取る。
少年と少女の出会いは唐突で、かつ衝撃的なものだった。
それだけに少女の中の少年の存在は大きく、そしてかけがえのないものとなった。
一方少年から見た少女は当初、可憐の一言に尽きた。
何処かで見たはずの少女だったが、その正体に気付いたのは少女と会話を交わしてからのこと。
「大事とかそういう話は今してねぇんだけどな……まぁ、あれだ。ベクトルの違いってやつ? お前もあいつらも、それぞれ違う方向に大事に思ってるって言うかさ」
「ごめん、何言ってるかわからないわ」
「…………」
割と勇気を振り絞って言ったはずなのに。
そう思うと気持ちのやり場に困る少年だったが、少女の目がほんの少し、歓喜の色を帯びていたことには気づいていない。
少年はそう、鈍感だった。
元居た世界……現実の世界にあっても、思いを寄せてくる女子の視線に気づかず、アプローチも風の中の柳の葉のごとく流してきてしまった。
「ヴェルアースを救ったら、何か変わるのかしら」
「さてな。どっちにしても救わねぇことには前に進まない。なら目の前の問題から片づけて行こうぜ。つっても今日はクタクタだから宿を探してさっさと休みたいとこだけどな」
ヴェルアース。
それは少女が元々住んでいる世界の名前。
精霊が愛した世界でもあり、その精霊から寵愛を受けた騎士と言われているのがこの少女、アーシェル・ルールベリア。
「だらしないわね、あの程度で。私はまだまだ戦えるわよ。大体ね、真宙……あんた私より年下のはずでしょ」
「たった二つ違う程度で何言ってんだお前。ジジババになったら二つの差なんかあってない様なもんだろ」
「な……! わ、私が! あんたとそんな老後まで一緒に……っ!?」
「はぁ……? バカじゃねぇのかお前。物の例えだろうが。んな年寄りになってまで冒険してられっかよ」
真宙と呼ばれた少年の言葉を真に受けたアーシェルが、顔を真っ赤にするのを見られてかつ冷ややかな言葉を浴びせられ、先ほどとは違う意味合いで顔を真っ赤にする。
その顔色の正体が怒りであることを悟った真宙が慌てて弁解しようとするが、怒り心頭のアーシェルに追いかけられる形で二人は予定よりも随分と早く、目的地の村へと到着した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ほう、600もの軍勢を一瞬で……か」
「はい。あの様な力を人間が持つなど、聞いたことがありません」
「いかがいたしましょうか、主。あれはやがて我々の脅威となりえる可能性を秘めているかと」
同時刻。
薄暗い城の広間で四体の魔物が一人の男を囲んで、先ほどの一件についての報告をしていた。
筋骨隆々とした者が主と呼んだその男が、報告を受けて薄く笑みを浮かべる。
よもや人間にそこまでの力を持つ者がいようとは。
復讐とは言え、一方的であっては面白くない。
そう考えていたその男にしてみれば、真宙とアーシェルの存在は脅威でもあり、同時に喜ばしくもあった。
「嬉しそうですね、主」
四体の魔物の紅一点とも言える女性型の魔物がその男の顔を見て、同じく喜びに似た表情を浮かべる。
「そう見えるか、フレイダ。ならばそうなのかもしれぬ。余は、脅威になりえる存在を嬉しく思っているのやもしれぬな」
「我らが、討ち取って参りましょうか?」
「放っておけ、ブランドー。今は泳がせておくが良い。いずれここへとたどり着くと言うのであれば、それは宿命というものなのだろう。今は万一にもお前たちを失うわけには行かぬのだ」
「それほどに、強大な相手なのでしょうか」
納得いかない、と言った様子の魔物。
ブランドーと呼ばれたその男性型の魔物は、自分ですら及ばないと言われた気がして気分が沈んでいる様だ。
「想像してみるがいい、ブランドー。お前なら、有象無象とは言え魔物を600も相手にして、一瞬で殲滅できるか?」
「それは、我を愚弄しているのか、エヴァルス。並みの魔物であれば我の敵では……」
「よせ。仲間内で争うなどと、醜いことを余の前でしてくれるな。お前たちは世界に放った魔物たちとはわけが違う。余が魔力を注ぎ、そうあるべきだと宿命づけた四冥血であることを忘れるな。……それはそれとして、奴らは次の拠点へと向かったのだったな?」
主と呼ばれた男が男性型同士の諍いを言葉のみで止め、全員を見回して問いかける。
寵愛を受けた騎士が……勇者が旅立って既に三か月。
成長速度としては、想定よりも大分早い。
彼の中にあったプランとはかけ離れた結果だった。
「少年がいた、と言ったな」
「男女で一人ずつの様です。あの勇者よりも力に関しては強大ではないかという報告もあります」
先ほどブランドーを諫めた男、エヴァルスが淡々と状況を報告していくのを、ブランドーが忌々しげに見つめる。
そしてフレイダがやめろバカ、とそのブランドーの背中を叩いた。
「お前たちは余の大事な分身でもある。いずれ奴らを迎え撃つべく動いてもらうことになるだろうが、その前に兄妹喧嘩で怪我……最悪死んでしまう、などという事があってはならぬ。ブランドー。お前も余にとっては大事なのだ。飲み込んでくれるか?」
「…………」
「早ければあと半年もせぬうちに連中はここへとたどり着くだろう。そうなった時、お前の力は必ず余の役に立ってくれると信じているのだ」
「……申し訳ありませんでした。我をそこまで思ってくれる主に、我ごときが何を言えるでしょうか」
主と呼ばれた男の言葉に、ブランドーが私憤を納めて目を伏せる。
そしてその場に跪き、自らの非礼を詫びた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「君たちが、勇者?」
優しげな眼差しとは対照的に、強い疑惑を孕んだ語調。
ブルーのショートヘアの前髪をかき上げてその人物は二人を見た。
背中に背負っている珍しい形の杖と、腰からぶら下がっている書物。
「俺は勇者なんて大それたもんじゃねぇけど。こっちの女は勇者だよ、一応な」
「一言余計よ。私は精霊の寵愛を受けた騎士……出身の村で勝手にみんなが勇者って呼んでるのを、こいつが勘違いしてるだけよ」
「こいつって……」
「……まぁそれはいいとして。君たちが言うことが本当なのであれば、私も同行したいところではあるが……」
一見して魔術の類を操る者であることがわかる若者。
二人が到着して、真宙が真っ先に探した人物でもある。
「何故君は、名乗ってもいない私の名前を知っているんだい? その辺のことから詳しく聞かせてもらいたいんだが」
この若者が言う通り、真宙は若者の名を呼んだ。
そう、真宙はこの人物がここにいるということを知っていたし、アーシェルとこの若者の出会いが必然であることを知っていた。
真宙の知る流れとはやや違ってしまっている世界ではあるが、ここで語れなければ恐らくこの若者は同行を拒む。
そう考えた真宙は、事の顛末を目の前の訝しげに見つめてくる若者へと、語って聞かせることにした。