第4話 ―七つの忌は雨音に潜み待つ―
外はいつしか豪雨となり、風も吹き荒れていた。
「…なかなか止まないな」
「そうですね…土砂降りです」
「ここ最近は雨続きだな…不吉の予兆か…?」
「不吉の予兆って…!私達死んじゃうんですか?」
「死にはしないだろうが…嫌な予感はするよな…」
「そうですかね?私には不吉の予兆どころか何かが起こるという気配さえしませんが」
「…繰りの術…古文書…誰かが探りを入れているのかもしれない」
「何について…ですか?」
「旧常春王国についてさ」
「あぁ…それを知られてなにか問題があるのでしょうか?」
「全てだ。世の均衡が崩れ…」
ふっと暖炉の火が消えて闇に沈み、雷がピシャンと遠くで鳴いた。
「…国が滅ぶ」
「どうして国が滅びるんですか?旧常春王国の滅亡の悲劇は…伝えていくべきではないのですか?」
「お嬢さんは旧常春王国の歴史を知っているのか?」
「…いえ…滅亡の原因は北風の国としか…」
「…国もこぞって歴史をもみ消そうとしているのか…奴らの目的はなんだ?」
ポケットをまさぐり見つけたマッチに火を点け、暖炉に放り投げる。
「ミケルさんは何を知っていて…何を知らないんですか?」
「あん?全てさ。全てを知っていて、全てを知らない。」
「…意地でも話さないって訳ですね?」
今日の彼女はやけに冴えているようだ。俺がチラつかせた本音をさっと拾い上げ口にすると、俺に目をやった。
「まあ、そうなるっちゃあそうだな」
「教えてください」
「遠慮しておこう」
「遠慮はいりません、教えてください」
彼女は俺の喉元に剣を突き付け、ふっと笑った。
「!…お嬢さんは何かを勘違いしているみたいだな。
俺がニコニコしながら紅茶飲んでる馬鹿だとは思うなよ?」
「へえ、そういうミケルさんも勘違いしていますね。
私は王国の剣士であり歴代最強を誇るのですがね?」
「ふむ、じゃあ首でも刎ねてみるがいいさ。…後で後悔するがな」
「っ…!」
彼女は何故か怯えたように、剣を降ろした。
「…じゃあツイてるお嬢さんに一つ教えてやろう。七忌って…知ってるか?」
「ナナツキ…七つの厄を動物にしたものですよね?イタチ、カラス、キツネ、サル…あとはなんでしたっけ…」
「ヘビ、タヌキそれから猛禽類…まあ、その七忌が出てきたんだ」
「?それってどういうことですか?」
「それぞれの忌を司る動物たちが現れ始めた」
「それは…」
「繰りの術、あの件は七忌の一つ、陰謀を司るイタチによるものだ。何の陰謀かは知らないがな」
「そっ、そのイタチってどうしたんですか?」
恐る恐る彼女は俺と目を合わせ、訊いた。彼女の声は少し上ずり気味で、震えていた。
きっとある程度の予想はついているのだろう。
「殺した」
「は?」
「繰りの術を完全に打ち消す方法は唯一つだ。術使用者の息の根を止める…つまり殺すことだ」
「そこまでしなくても…」
「本人でさえも止めることができない術だとしたら?」
「…うーん…」
「また恐ろしいのは近い奴だった事だな。…危機感を覚えないとな…」
勢いを増し始めた炎を見ていると、雨が屋根に当たる音と暖炉のパチパチとした音に紛れて、彼女がすうっと息を吸う音が聞こえた。
そして彼女は言葉を紡ぐ。
「あの、国が隠そうとしている事って…」
「旧常春の記録全てだな」
「それをミケルさんはご存知なんですか?」
「外界研究者だしな」
「他に外界研究者さんっていらっしゃるんですか?」
「いや?皆怖がって外界に出ようとしない。ずっと瞼を閉じているのと同じさ。見ようとしないから、見えるものも見えやしない」
「…」
「外界には他の国がある。民が見た事のない生物もたくさんいる。燃えるように暑い夏や凍るように寒い冬という季節もある。
…国民や国王は頭の中も常春らしいな。
束の間の平和を手に入れて、そこに籠もって出ようとしない。そしてそれを常春と呼ぶ。
…馬鹿にも程がある。…昔もそうだったんだ」
「昔も…ですか?」
「旧常春王国…正式名称ファニエラーレ。輪状の山岳オルニシアの内に創られた古の王国で、だだっ広い国だったと書物に書かれている。当時には猫信仰は存在しなかったが、代わりに女神信仰があったようだな」
「女神信仰…?女神って、何の…」
「春を司る女神様だ。降臨した地には女神様を中心に輪状の山々が生まれ、地にサクラを生やし、暖かい風を吹かせ…と、長いから要約すると『王国は女神様に創られましたーわーすごいねー女神様バンザーイ』ってこった」
「ふうん…それと猫に何の関係が…?」
「ファニエラーレの女王が殺された時にふと現れたミケ猫が…政権を握る人物に託される宝を咥えて現れたとの記録があるな」
民が書き残した書物を抜き出した紙切れを見てそうぼやくと、彼女はそれを覗き込んだ。
そして首を傾げると声を上げた。
「その紙…何語ですか?ってか読めるんですか?」
「ああ。研究の一環として旧常春語で書いている」
「わあ、凄いですね!」
「古文書を読み解くには自身がその書き手になってみないと分からないと思うのさ」
「ほうほう…今の文字とは全然違いますね。全部丸みたいな感じで…」
「良い着眼点だ、お嬢さん。文字も歴史を語る上で非常に重要な要素だぞ。旧字と呼ばれるこの字は丸をベースに50音で構成されている事が分かっている。しかし似た文字が多く解読が困難でな。今度の旅団の付き添いの目的だって、遺跡だったり住居跡から研究資料を拾う為だ。
…国民という幼児は栄養を欲しているんだ」
俺の言葉を聞くなり、彼女は目を細めて考え事に耽りだした。
…文字だけでそんなに考えることってあるか…?それとも何だ、俺の発言に問題があったのか?どこかで国への忠誠を裏切った点があったとか?
しかし彼女が放った言葉は異様なものだった。
「…また来ます」
「おう、そうか――え、は?どこ行くんだ?」
俺がそう聞くが、彼女の謎発言は止まらない。
「…リッツァさんのお宅って何処ですかね?」
「アイツかぁ?第六通りの鍛冶屋の隣にある青い屋根の家だが…遠いぞ」
「…行ってきます」
「え、え?何で今?行く意味がどこにあるんだ?」
「行く意味なんて分かりません、でも行かなくちゃ、今じゃなくちゃ駄目なんです」
彼女は本気だった。…これが現に言う「女の勘」だろうか、確実でなくとも妙な信憑性がある。
…ここは1つ、彼女に頼ってみるとしよう。
「…そうか。気を付けるんだぞ」
「はい」
「傘、そこにあるから持って行きな」
「…ありがとうございます。お邪魔しました」
「んにゃ」
彼女が行ってしまうと部屋は雑多な音で満たされ、耳を塞ぎたくなるほどに騒がしくなった。