第2話 ―尻尾を捕まえに―
――「…強く…あらねば?」――
あの言葉…形としては残ってしまっているのか…?
そうミケルは頭を抱えた。
事態は思わぬ方向に進んでいる。
「…何故…何故消えていないんだ?
あれは…此世から永遠に抹消されたのではないのか?」
この世界において、「魔術」は絶対的なものである。
「火炎」「大地」「流水」「疾風」「緑葉」
そして「明星」、「夜空」の七属性から成る多種多様な魔法たちはろうそくに火を灯すような小さいものから、
消したいものを消すことができる強大なものもある。
能力には個人差があるが、ある程度の鍛錬をすれば扱えるようにはなるものだという。
特にミケルは国技である剣技と、王国に形だけ残る魔術のどちらをとっても卓越していた。
剣技に関しては最強と讃えられたほどである。
しかし当時の女王はそれを疎んでいたようだった。
いつか、戦火が王国を襲った際にミケルは女王に扱き使われることになった。
火の海と化した王国で、敵兵を一人残らず掃討という鬼畜な命令だった。
ミケルは強くあろうとした。
女王は敵国の王によって処刑され、国民は大混乱した。その時、ふらりと現れたミケルがこぼした言葉、それが…
「…強くあらねば。」
…だったのである。
月日は流れ、王国が復活した頃にはもう、ミケルの言葉は国での記憶となってしまっていた。
姿を消したかったミケルはその魔術の能力で、国民それから猫たちの、「ミケルの記憶」を消したのだった。
一時的にミケルの存在もが人々と猫たちの記憶から消去されたようにも見えたが、文献や言葉といった、人々に根付いた文化には抗えなかったようだ。
その言葉を発した者がミケルであることを知らぬとも、言葉で、文字で残ってしまい、人々はそれを国規模での格言とした。
あぁ、俺はなんて馬鹿な事をしたんだ…
「…これじゃあまさに…猫に小判じゃにゃいか…」
今更消す気力が湧かない。
そう、強くあらねば。あえて俺は消さない…ミケルはそう自己暗示する。
はああぁああー…と長く深い溜息が、ミケルの口から漏れ出した。
「…お嬢さん…あんた何者だ…?」
「…ミケルさんって…何者…??」
一方のカロナも、ミケルと同じく頭を抱えていた。
カロナは鍛冶屋に剣を預けた後にここ、王国図書館に訪れていた。
彼…ミケルの事を調べに訪れたのだった。
しかし彼に関する文献どころか、獣人に関する書物さえ見つかず手こずっている状況。
やはり獣人という種族は見聞きした事の無い種族だ、世間一般でも知られてはいないのだろう。というより実際、この国に人間以外の種族はいないとされているのだ、文献なんざあるほうがおかしい。
「…ミケ猫…そうだ、ミケ猫…!」
そう、獣人で出てこないならば猫…ミケ猫を調べれば良いじゃない。
あぁ、今日はやる事を忘れなかったし、頭が冴えてるみたい!と、カロナは笑みを浮かべた。
「猫…猫…」
「猫?」
「え?はい…って、リッツァさん…」
「お嬢さん、ここで何してるんだ?」
「えと、少し調べものをしていて…」
「猫を?」
「えっと…それは…その…」
「うん?」
「…ううん、こっちの話なのでお気になさらず」
「ほう、お嬢さん、まぁだミケルの奴を猫だと思い込んでるんだろ?」
「思い込んでるんじゃなくて、彼が猫って…」
「なんだお嬢さん、知ってたのか」
「え?」
「そ、そのっ、リッツァさんは…」
「知ってるさ。あいつガキの頃から猫丸出しだったからな」
「どういう意味ですかそれ?」
「路地のネズミ捕まえてきたり、野兎捕まえたり。」
「そういえばあの時…」
――振り返りざまに剣を振るった途端、血が飛沫を上げた。
まずい、切っちゃった!?と背後を見れば、物干し竿に吊るされた野兎の腹が裂けて肉が見えていた。
しかも兎は足で固定されてしまっているために重力に耐えられず、裂け目から肉がちぎれて落ちてしまった。血が滝のように流れ出る。
「それは俺の野兎だな?」と彼はこちらを振り返り笑って――
「ってことがあって…」
「あぁ…実際兎の肉は美味いしな。しかもあいつ、捕まえてくる兎はいつも肥えた兎だったな。よく焼いて頬張ったもんだ」
「へえ…」
「俺で良ければ話してやるよ」
「良いんですか?」
「まあ。俺の知ってる範囲だがな」
「ありがとうございます、じゃあまず…ミケルさんって本名ですか?」
「おう、そうだぜ?苗字は…ファニ…なんだっけな、苗字までは覚えてない」
「そうですか。ミケルさんの出身って何処なんでしょう?」
「さあ?恐らくここだと思うぜ。俺も自分の出身がどこか分かっていないんだ」
「そうなんですね…じゃあ…ミケルさんって?」
「うむ…そうだな、あいつは好かれてる。この間偶然あいつが猫を愛でているのを見かけたんだが…本人に聞いたら、寄ってくる猫は皆雌らしくてな」
「人の時にも猫に好かれるんですか?」
「ああ。また面白い事に女性にも好かれるんだ」
「要するに、ミケルさんは…」
「良い男って訳さ。羨ましいぜ、人からも猫からも好かれるなんてな」
「良いなあ、きっと人生薔薇色ですよ」
「まあ、あいつもあいつなりに苦労ってのはあるんだろうがな」
「んー…」
私にはそうも見えないけどなぁ、と言いそうになったのを、カロナはぐっと堪えた。
危ない危ない。なるべく発言には気を付けるよう姫様に言われているのに…
「まあ、ミケルはそんな奴。他に何か?」
「…ミケルさんって…お菓子好きですかね?」
「菓子か…要するに甘味だよな」
「ええ」
「食べるとは思うが…好きかは分からん」
リッツァは栗色の髪をわしゃわしゃと掻き、灰色の瞳をよそへ向けた。
「そうなんですか…」
「おう。…他には?」
「…あ!ミケルさんってどうしてお茶を好んで飲むんでしょうか?」
「それに関してはちゃんと調査済みだ。
マタタビ、猫草…猫は草も摂取するんだぜ。
だから無意識の内に茶を飲んでいるんだろうな」
「へえ…」
「他に何かあるか?」
「うーん、今のところはこれで全部です。
ありがとうございました!」
「礼には及ばないさ、お嬢さん…あぁ、あと…
この事はあいつに言うなよ、あいつが可哀想だからな」
「わ、分かりましたっ」
なんだろう、知らない方が良かった…かもしれない。
リッツァさんもどうしてミケルさんが猫って知ってるんだろう?
幼馴染なのに、互いに嘘を吐きあってる…へんなの。
「んじゃ、また会おうぜお嬢さん。あの呑気な外界研究者によろしくな」
「は、はいっ、それでは…」
リッツァはふっと笑い、ひょいと片手を上げて私に挨拶すると、奥へ行ってしまった。
「…うーん…曖昧だなぁ」
リッツァが全て答えを濁したので、かえってカロナのミケルに対する疑問が深まってしまった。
うん、やっぱり自分で調べなくちゃ…と、ひとりカロナは合点した。
猫に関する文献をありったけ抱いて、近くのテーブルに運んだ。
「ふう…こんな厚くて字ばかりの本は読んだことなかったなぁ。読めるかな?」
「私ばかだから…」とぼそりと付け足すカロナ。
実を言うと、現在王国の教養はまずまずである。良くも悪くも簡単なのだ。
計算であったり、言葉を学ぶことはできても、「普段使いが可能であれば良し」という規定だ。
よって、単刀直入に言えば「馬鹿が多い国」、「頭が常春の国」なのである。
「そう考えると…ミケルさんのような人は珍しいんじゃ?リッツァさん…は違うか。あの人正直だしなぁ、脳みそまで筋肉でできてそう。私が言えたことじゃないか…」
そう独り言をぼやきつつ、カロナは一番古そうな本を手に取った。表紙は薄汚れていて、ざらざらしている…ぱたぱたと表紙を軽く叩くと、灰色の煙が広がった。
「!けほけほっ!砂だ…どうして?」
古い本で、しかも手入れが行き届いていないって、この図書館大丈夫なの?とカロナはきょろきょろと辺りを見回す。
「表紙の文字分かんない…どこの言葉?うーん、せめて解読するための表とかあれば良いのにぃ」
そう声を上げた途端、古い本から畳まれた紙切れがぱさり、と軽い音を立てて落ちた。
「んん?これ…はさまってたのかな?まだ新しい紙だけど――!!」
解読表だ。
「やったぁあ!」
「あのー、うるさいんですけど」
「はっ、あ!すいません…」
とりあえず読もうと表に目を通すと、妙な文章があった。
「………えっと、『古の王国ファニエラーレ、黄金の輪の内に建国す。
花は咲き、民は踊る美しき国、常春の国なり。
永久の平和手にし国なり。』…なにこれ?ファニエラーレってどこ?イニシエってなに?」
「そりゃあ古文書だな、お嬢さん」
「ひゃあ!もう、なんなんですか!?」
現れたのはミケル。何故か眼鏡を身に着けており、白衣を羽織っている。
傍から見れば医者だ。
彼は騒ぐカロナを横目で見るなり、古い本を手に取った。
「しっ、静かに。…古文書とその解読表だ。…ほう、これは興味深い。外界に関する…否、王国の歴史に関する重要な文献だ。」
「どのくらい重要ですか?」
「うむ…そうだにゃ、国王猫様と同じくらい。要するに…」
「国を揺るがす超重要な文献なんですね!?」
「うるさいぞお嬢さん」
「あっ、すいません」
「…この文章…ファニエラーレ…旧常春王国か」
「きゅう…とこはるおうこく?それって…常春の国じゃない頃の常春の国って事ですかね?」
「まあ、あながち間違えではない」
「わあ、すごい、これなら正体暴け――」
「それ誰の話だ?」
「は!い、いえ!なんでもな――」
「カロナ」
「!」
唐突に名前を、しかも静かに怒気の混ざった低い声で呼ばれ、カロナはびくりとする。
「余計な詮索はよせ、もしこれ以上俺の事を知ろうとするならば…言わずとも分かるだろう?カロナ・ミツルギ」
「うわあ!ごめんなさい、別に悪気は無いんです!」
「…ふうん、そうかい」
ミケルは眼鏡越しに、朱色の瞳を底光りさせぼやいた。
口元に笑みが見える。じとりとした瞳がこちらを見据える。
そして彼は舌なめずりをした。
カロナの背を、冷たい汗が伝う。
カロナは初めて彼に対して恐怖心が湧いた。
「…(怖っ…下手に図書館に立ち寄るの見られたりでもしたら…殺される気がする…)」
「…で?図書館に来た理由は俺の正体を暴くためかい?」
「えっ…あ、はい」
いきなり声のトーンが普段に戻り、見れば彼はにっこりと笑っている。
そのコロコロと変わる表情にまた、カロナは異様なものを感じた。
「へえ、知ってどうするんだ?」
「えっ?」
「うん?知って何になるんだ?」
「特に…気になっただけで…」
「リッツァには話してないな?」
「あっ、はい。その辺りは多分…大丈夫です」
「…多分?」
「あーいえ!ミケルさんの話どころかミケルさんのミの字も話していません!…多分?」
「なら良いんだ。また会おうぜ、お嬢さん」
「は、はい…さようなら」
彼はカロナに手を振ると、図書館の奥へ行ってしまった。
「…ふうぅ…あの怒り方は怖いなぁ…まあ…私が悪かったとしか言えない…」
本の山に目をやり、カロナは自身が犯した過ちを呪った。どうして彼の事を調べようとしていたのか、調べてどうしたかったのか…
彼に言われるまで気付かなかった。
…いや、考えることさえなかった。
「…やめよう、彼をこれ以上知るのはやめなくちゃ…
うぅ…頭が痛い…どうして急に…?
駄目だ…おかしい。医者にかかろう…いや、その前に本を片付けないと…」
カロナは立ち上がろうとする。が、思うように身体が動かない。目眩がする。視界が回る。耳鳴りもした。激しい頭痛と悪寒。…これは酷い風邪だ、とカロナは確信を得るも、倒れてしまった。
「…誰か…」
「誰だ?そんな風に本を扱ったら――お嬢さん?
床に寝るなよ、家に帰って寝台に寝ような、ん?」
ミケルが、カロナの近くにしゃがんだ。
どうやら彼はカロナが居眠りしていると勘違いしているらしい。
カロナは持てる力を振り絞り、声を上げた。
「ミケル…さん…助け…て…下さい」
「え、は?寝てるんじゃないのかい?」
「いえ…頭が…酷く痛いです…身体が…動きません…」
「操りの魔法か…!お嬢さん、意識を保てよ!」
「…努めます…」
彼はカロナを軽々抱き上げると、帰途につく。
「っと…くれぐれも持ってかれるなよ!
操りの魔法は厄介だ、なんせ人の心を操る魔法だからな!」
「…はい…」
でも結局、この人のような猫はいないなぁ、とカロナは朦朧とした意識の中思うのだった。
外は、この間のような黒雲が空を覆っていた。