第1話 ―猫と金貨―
自分の家
「寒うぅ…こんなに寒いのは久しぶりだなあ…」
……
返事はない。
家に帰れば、私は独りぼっちだ。
父親はおらず、母親は私を産んですぐ亡くなった。
12になるまでは孤児院でのびのびと暮らしていたが、生きるために王国剣士になった。
…周りの子供達とは仲良くやっていた。
周りから見れば、幸せそうな子だったかもしれない。
でも、孤独だった。
「はぁ…」
寒い室内の暖炉に、マッチで火を点ける。
「…彼の家は…暖かかったな」
まだあまり暖かくない暖炉に手をかざす。
あぁ、彼は今頃何をしているのだろうか。
さっきのように、猫になって気の向くままに町を歩いているのだろうか?
「…もしかしたら、いるかも?」
ちょっと期待して窓の外を覗いてみるが、外は土砂降りになっていた。彼の言った通りだ。
当たり前だけれど、彼の姿はない。
「うわあ!本当に雨が降ってる…彼、本当に猫なんだ…」
「はああぁぁ…」
風呂場に聞こえてくる雨音に、私は溜息を吐く。
この雨はいつ止むのだろうか…
ようやく得た2ヶ月の休暇なのに、初日から大雨。
…ツイてないなぁ…
「……休暇…何しようかな…」
折角2ヶ月も休暇が取れたんだもの、楽しむべきよね。
そう思考を巡らせてみるも、ショッピングぐらいしか思い浮かばなかった。
「…彼…明日もいるかなぁ?」
翌朝 「カジノタウン」こと第三通り
昨日の午後から降り出した大雨も朝には止んで、空には虹が架かっている。
「わあ、綺麗な虹!」
「おお、晴れたなぁ」
頭上で、呑気な声が聞こえた。見上げると、あの青年…ミケルがいる。
「うわぁあ!!」
「おぉおお?!何だ何だ!?」
私が叫び声を上げると、彼も動揺した。
「ミケルさん…!?」
「あぁ、お嬢さん…驚かさないでくれよ」
「こ、こっちの台詞です!音も無く隣まで…!」
「ははは、まぁ猫だからな」
「もう…それで…ミケルさんはどうして此処に?」
「少しばかり気になることがあってな。調査さ」
彼は手に持っていた金貨をコイントスする。金貨はその光る身を煌めかせ宙に浮き、もう一度瞬いて彼の手の内に消えた。
「…それで、朝からカジノタウンへ?」
「俺が賭博をすると?」
「ええ、聞き込み…みたいな」
「ほう、お嬢さんもついて来るかい?」
「え?」
「気になるならついて来な、お嬢さん」
「それじゃあ」
賭博場
「賭博場とは言うものの、馬鹿みたいに金を使う奴は昼間っからいやしない」
「まあ、勤務時間ですしね」
「そう。だからまあ、職の無い奴かそれとも…」
「職が特殊な方、という事ですね」
「ご名答。んで、俺はそれを探してる訳さ」
「コイントスで聞き込みを?」
「うんにゃ」
彼は頷いた。
「もっとカジノとかポーカーとかやるのかと…」
「だーかーら、昼間っから賭博に金を貢ぐ馬鹿が何処にいるってんだよ?!」
「あっ…」
賭博場が静まり返る。元から昼間の客は少なく静かだったのだが、静まり返る原因が自身にあると気付いたミケルは半歩下がった。
「…お、おっと、入る店を間違えちまった。…行くぞお嬢さん、こうなるとまずい」
ミケルはバレバレな演技を咄嗟に始め、私に小声で逃げようと言った。しかしその作戦は水の泡と化す。
「お前」
「あーはい、なんでしょう?」
ミケルを呼び止めたのは背の高いミケルよりも更に背の高い男。体格が良く、夜の酒場によくいる剣士のよう。
背にはブレード。剣の身は太くて厚く、剣自体大きい。遠心力を使って敵を叩き潰す剣だったっけ。
私から見れば鬼のようにさえ見えてしまう…同じ剣士なのだけれど。
「お前…ミケルだよな?」
「…おぉお、リッツァ!」
「…え?」
待って、状況が飲み込めない。
このガタイの良い剣士はリッツァという人で、ミケルの知り合い…しかもかなり仲が良いみたい。
「あぁ、紹介しようリッツァ。
このお嬢さんはカロナだ。昨日知り合った」
「おぉ、可愛いお嬢さんだな。俺はリッツァ。雇われ剣士さ」
「あ、あ…雇われ剣士さんなんですね」
「ああ!お嬢さんも剣を持っているのか?」
「はい。今は長期休暇が取れて故郷に戻って来ているのですが――」
「おい待て、長期休暇?故郷に戻って来ている?
お嬢さん、どういった剣士なんだ?」
「…えっと、外でお話しましょう」
ミケルの書斎
「え、えっと…」
「座ってくれ、茶を出そう」
「此処は狭いな…」
この書斎は天井が低いのか、リッツァでは少し屈まないと頭が天井にぶつかってしまう。
そんなリッツァを見て、ミケルは軽く笑った。
「悪いなリッツァ、お前がデカいだけだ。とりあえず座ってくれ」
「おう…んで、お嬢さん、周りに言えないような職なのか?その…密偵とか」
「あ、いえ!そんな職ではないのですが、その…私は王国騎士なんです」
「王国騎士だって!?そりゃあ凄い!何処に勤務しているんだ?」
「勿論王都で、今は姫様の近衛を」
「近衛!?」
ミケルが目を丸くしてそう言った。
ちょっと、うるさいってば。
「しー!あまり人に言うなと姫様に言われているんです」
「す、済まない…まあ、どうりで珍しい剣だと思った」
「そうだな、近衛とは…羨ましいぜ」
「えへへ…ありがとうございます。…で、ミケルさん、あの…」
「あぁ、リッツァに一つ聞きたいことがあってな」
「外か?」
「そうそう、外。今どうだ?」
「それを伝えに来たんだ、ミケル!俺を今度雇う旅団が開拓の視察に行くらしくてな、友人も連れて行くかも、と伝えてあるんだ。旅団は来週末には出るらしいから、準備には時間をかけられるぞ!」
「本当か!?是非同行させてもらおう!」
「え?ちょちょちょ、ちょっとミケルさん、外に行くって?」
「旅団についてって外を見て回るのさ。これでも俺は外界研究者の端くれだからな」
「外界…研究者?」
聞き慣れない言葉だ。つい最近まで魔物の居所、怨念の地として立ち入りをあまり許可していなかった外界の研究者…となると、やはり知識はあるのだろうか。
「ああ、ミケルはガキの頃から外界について詳しくてな、その知識を活かして後世に残る事をしている。」
「え?え?幼馴染なんですか?」
「まあ」
「???」
「…えっと、まあこいつとは長い付き合いだ!」
「そうなんですね…でも、ミケルさん。猫が外界に行くって大丈夫なんですか?」
「え?」「!?」
リッツァは首を傾げ、ミケルは目を見開いた。
あれ、何この反応?私何か…マズいこと言った?
「え、えっ?ミケルさんは猫なんじゃ…」
「は?お前が?それは本当か?」
「いいや?お嬢さんの言っている事が全っ然分からないな」
「…あ、名前がミケに似てるからカン違いしたんだろうな、お嬢さんは」
「あぁああ、なるほどな!確かに似てるが…俺はれっきとした人間だからな」
「でも…」
「あーはいはい、俺の事なら後で好きなだけ話してやるから、そう焦るなって」
そう言い、彼は私の言葉を遮った。うーん、何でだろ?まあいっか。
私はあまり頭が良くないから…と心の中で言ってはみるけれど、やっぱり何かが引っ掛かる。
「…強く…あらねば?」
「それをどこで?」
「え?」
「その言葉…どこで?」
「王国に古くから伝わる格言、というか…」
「…ふーん…面白いな」
「そうですかね?私は格好良いと思いますよ」
「そうかい…それは良い心構えだな」
「え、あっ…ありがとうございます」
「うんにゃ」
なんだろう、まるで彼が私の大先輩みたいな…そんな感じだ。
どうしてだろう、親しいような、遠いような。
違和感…私と彼はこんな関係じゃないというか。ハッキリしないけれど、変に苦しい。
「…ん、もうこんな時間か。そろそろ出なくちゃな」
「どうした?」
「いつも使ってる大剣が刃こぼれしちまってよ、鍛冶屋に預けてるから取りに行かなくちゃいけねえんだ」
「おお、そうか。じゃあまたな」
「おうよっ。また会おうぜ、相棒」
リッツァはそう言い、去っていった。
カタリ、とドアの閉まる音で静寂が訪れた。
「……お前ぇえええええ!!!」
「うわああああ!」
唐突に彼は私の肩を掴み、かなり激しく揺らす。
「どうして!どうして言ったんだよ!馬鹿かぁ!!」
「頭がぐわんぐわんしますぅう!!」
「リッツァには言ってねえんだよ…」
「あ、あ…そうなんですか?じゃあ言ってくれれば…」
「まさかお前が来るとは思わなかったんだよ!」
「は、はあ…」
「…で?まだいるのか?」
「は?」
「だから、まだいるか?って」
「…もう少し良いですか?」
「おう、良いぞ。」
「ありがとうございます。…あの、ミケルさんは剣って…扱えるんですか?」
「唐突だな…勿論扱えるとも。あの時は…最強とまで称えられたが。
どうだろうな、お嬢さんから見てうまいかどうか…」
「私と…お手合わせお願い申し上げます」
「え」
「こちらを」
腰に差しておいた木刀を彼に手渡す。
彼は木刀を受け取るなり、馴れた手付きで素振りをした。そして一言、
「何年ぶりだろうな?剣を持ったのは」
と呟いた。
「その様子…かなり長く剣を持たずにいたんですね?」
「あぁ。…懐かしい。」
「では…外に出ましょうか」
「…で、どうする?頭打てば勝ちか?」
「それでいきましょう」
「おう」
「では」
彼は無言でこくりと頷き、木刀を軽く振り、構え…ずに突っ込んで来た。
「えええ、ちょっとぉ!」
慌てて横に剣を振るがふっと彼は視界から消えてしまう…と思いきや!
「っ!?」
背後に異様な気配を感じ、振り返りざま剣を振った。
血が飛沫を上げる。
「!!今…!」
「それは野兎だな?」
「!」
背後で声がし、はっと振り返る。振り返ると彼が私に背を向けて立っている。
「うわ!瞬間移動!」
「俺は元からここにいたけどな?」
「知りませんよっそんなの!」
慌てて剣を振るが、彼は一歩も動かすにのらりくらりとかわしてしまう。
この回避…どうなってるの?!
「ちょ、当たらないんですけど?!」
「当てようと思うから当たらないのさ」
「じゃあっ!当たらないじゃっ!ないですかぁっ!!」
もう面倒になって放った薙ぎ払いに手応えがあった。
「わっとっと!…中々上手じゃにゃいか、お嬢さん?」
しかし木刀で受け止められてしまった。
嘘、快進の一撃をこの木刀一つで受け止めた…!?
「っく!強っ…!」
「へへ…お嬢さんも中々だぞ」
「そのニヤニヤ…どうにかならないんですか…!?」
「え?」
「力抜けちゃうんですよ…それ!」
「!」
ギギ…と音を立てて剣が擦れる。次第に力が入らなくなってくる。
そう、その原因こそ彼の、このニヤニヤと妙な笑み。
目を細め、歯をむき出しにして笑うのだけど…
おかしいな、力が抜けちゃうんだよね…
そう油断していた隙を突かれて、思いっきり力を入れられた。
「嘘…!無理無理無理!無理です!!」
「そうかい?試して見る価値は…」
木刀の向きが変わり、空に刃が向いた。
なんか…嫌な予感がする。
「あったのにな?」
ニタ、と不敵な笑みを浮かべ、彼は剣の先端の方をかなり勢い良く叩いた。
すると、握っていた手から剣の柄がスルリと抜け、剣は宙にすっ飛んでいく。
「ああっ!私の剣があんなに高く…!」
「残念、お嬢さんの負けだ」
こん、と軽く木刀で頭を叩かれてしまった。これじゃあ負けだ。
「うーあー!卑怯ですよそれ!剣を弾き飛ばすって!」
「んん、そうか?」
彼はヒュン、と風切り音を上げて落ちてきた剣を難なく捕まえると、私に返した。
「あ、ありがとうございます…」
「まあ、戦がなければ腕も落ちるよなあ…」
「じゃあ凄いミケルさんに頼み事を…」
「ん?」
「王国騎士団の教官を募集しているんですけど…どうです?」
「教官…か。俺は他人に教えるの下手だからなあ」
「それか…王国魔導士団の教官を…」
王国騎士団と王国魔導士団の教官募集のチラシを彼に渡すと、彼は眉をひそめた。
「…魔導士?どうして?」
「いや…なんとなくですけど…使えそうじゃないですか」
「なんとなくって…面白いな、お嬢さん。
まあ…使えないことはない…だろうがな…
この件については考えておくよ」
「はい、よろしくおねがいします!」
「おうよっ」
「……」
あの動き…懐かしいと思うほどに昔であっても体が鈍ってないような?
しかも相手の剣を弾き飛ばすなんて教本にも書かれていない…それに加えて手を斬る事なく落下してきた剣を捕まえる技術…一体どこで…?
「お嬢さん?」
「あ、はい?なんでしょうか?」
「どうしたんだ?難しそうな顔して」
「いえ…確かに最強だな、と」
「そうかい?お嬢さんならすぐにでもできるぜ」
「そんなに単純なんでしょうか…」
「ああ」
駄目だ…考えるとますます分かんない。
彼に対する疑問全てが「彼は何者?」という疑念に終着しちゃうんだもん。
「……今日のところはお暇します」
「そうか。登れるかい?」
「多分…」
塀によじ登り片足をかけて体重を乗せた途端、生した苔に足が滑り、ズルリと踏み外した。
「きゃあ!!」
「!」
落ちる。咄嗟に目を閉じそう思った刹那、誰かに受け止められた。
「全く…危にゃいところだったな。怪我は無いか?」
「あ、はい、大丈夫…だと思います」
「良かった。次からここに階段でも付けておくよ」
「ありがとうございます。
…まさか貴方に二度も助けられるなんて…
私もまだまだですね」
「別に良いじゃないか、周りに助けられても。
人って生物は、他人に助けられて生きるものだからな。
助けられて生きて、生きていく時間の中で今度は自分が助けて。
今は不公平感があったとしても…どこかでちゃーんと、世界は公平になってるはずだ。
だから気を落とさんな、お嬢さんらしく明るくいろ」
「は、はいっ!それでは!」
「あー、待てお嬢さん」
「はい?」
「さっきので刃こぼれしてないか?」
「えっと…」
「音がおかしかったから鍛冶屋に行ってくれ。
もし刃こぼれしていたら…これでなんとかしてくれ」
彼がポケットをまさぐり差し出したのは、金貨二枚だった。
「え、こんなに良いんですか?」
「これくらい掛かるからな、鍛冶屋は」
「な…なにからなにまでありがとうございますっ」
「なにもしてねえよ」
「それじゃあっ!失礼しましたっ」
「じゃあな」
今日はまだ時間があるみたい。
後で図書館にでも寄って…彼のこと調べよっと。
ショッピングは…また今度でいいや。
だってまだ休暇の四分の一も過ごしてないもん、もっと楽しむべきよね。
…さて、何しよう?――って!図書館…じゃない!鍛冶屋さんだ!