プロローグまがいの総集編的第一話
ああ、わたしは死ぬのか、と少女は呟いた。
学校からそう遠くないビルの路地裏、いち女子高校生がどうして踏み入ったのか疑問に思うほどの暗闇の中、血が海を作り上げていた。孤島が如くそこには一人の少女が倒れている。無論、血海の周囲には人っ子一人いない、結界が張られているかのように。
そこでぼくは彼女に手を差し伸べる――実際は、抱きかかえたのだが。
「残念、ぼくは君の遺言を聞きにきたわけじゃない。確かに、人の散り際の懺悔を聞く職に就いた、歩く死神という設定も悪くはないけれど」
少女には左腕が欠けていた。それは先天的なものでも事故後の手術によるものでもなくて、そこから溢れ出る大量の血の滝を見れば今し方切断されたのだろうという推測は容易にできた。とりあえず止血をする。そして作業の合間に返答の続きとして呟く。
「また不幸になれなかった」
逸材が集う高校、私立桜麗学園の保健室にて、養護教諭が自身の左腕を必死に押さえてぼくに向かって文句を言っている。
「天之川くん、何回言えば気が済むのですか、大怪我の患者を運び込むんだったら、事前に連絡してって」
「申し訳ありません、ぼくは普段携帯電話は携帯しない人間ですから。それにその子、ぼくの想定の中ではとっくに死亡しているはずだったんですよ――当の本人の前で不謹慎極まりないことは承知ですが」
「不謹慎だと思うのならやめなさい。それと君が想像した死亡状況とか絶対に口にしないで下さいね。痛みとは幼馴染ですが、死とはほぼ無縁なので大怪我は今でも身が持たないんです」
良い年の大人が頬を膨らませて高校生であるぼくに本気で説教した。
彼女は名を深見亜利沙といい、前述の通り我が学校の養護教諭を勤めており、「絶対安心のアリサさん」として有名な人物である。なんでも、他者の痛みを共感できる能力に長けているため、どんな病気も怪我も治せてしまうという。その上、人間とは本来痛みを嫌うもので、彼女も例にこぼれないため、彼女が手当てをするときは怪我人に痛みを与えないように――すなわち彼女自身を痛くしないよう行うので、怪我人はぼおっと待っているだけで何の苦痛も感じずに全てが終わるらしい。ゆえの絶対安心。
「いい年とはなんですか、失礼な。まだわたしは二十五ですよ」
「だからちゃんと漢字で〝良い〟年、と表記したではありませんか」
「……。ほほう、では君は紫姫さんのような女性が好みだと?」
いや、それはないですね、絶対にありえません。とぼくは答えなかった。例え会話を聞かれていなかったとしても口に出しただけでボロが出ているようで不安になるからである。あの『万能』にとっては過去のぼくの心情を見透かすことすら造作もないだろうが。
「ボロが出ている、ね。それって犯罪者が完璧に犯行したとしてもいずればれて逮捕されるのではないかと過剰妄想してしまうあの現象と同じことでしょうか。あと、君も万能でしょう? 人のこと言えませんからね」
「ぼくは万能じゃないですよ。万能のパラドックスをご存知ですか? あなたでも壊せない水晶を作ってください、みたいな逆説です。ぼくにはその答えが出せません。あの『万能』ならきっと答えを出してしまうのでしょうが、『天才』であるところのぼくには、そんな偉業は成せないですし、それこそ偉業ならぬ異形にはなれませんよ」
「自分自身を『天才』と言ってしまうのはいかがでしょう……」
設定ですから、開き直りますよ、と返答する。どうせぼくがずっと主人公を務めるわけでもないし、いちいち天才天才と揶揄されるのもナンだ(言葉の遣い方を間違えたのに意図が変わらないとは)。
ここで保健室のドアが開いた。数人の女生徒が入室する。ある者は相変わらずの無表情で残る二名ほどをこちらへ促し、ある者は目の下を赤く染め、ある者は狼狽したように戦いている。どうやら二人は現状を完璧に理解できているわけではないようだ。
「誘導お疲れ、結理。後は任せてくれ」
無表情の新瀬結理は頷いて近くの椅子に腰掛けた。それに倣って残る二人の女生徒も近くの椅子に座った。さて、説明会開会である。かいかいかい。
「初めまして、三年S組の天之川人良です。あなたから名前だけで構わないので自己紹介をお願いします」全員の自己紹介を手短に終わらせる。
「海未と同じクラスの米澤京菜です」
「同じく、都宮希咲です」
「そこの結理から話を聞いたとは思いますが、改めて説明します。あなたのご友人である足立海未さんが何者かに腹部を刺された上に左手を切断され、前日の放課後この保健室へ搬送されました。現在、ぼくたち執行部が犯人を捜索中ですので、まずは彼女のプロフィールを知るためにお二人を呼びました」
奇しくも――といっては不謹慎なのか――ぼくに命を救われてしまった少女、足立海未。左腕のない女子高生。そして、その友人である二人。
「彼女は、とても優しい人です。人当たりが良くて、とても明るくて、男子にモテて……これで彼女から笑顔が失ったら……絶対に犯人を許しません」と、きっと昨晩不安で泣いたのだろう目の下を赤く染めている米澤さん。
「無邪気な性格です。わたしたち三人の中でも中心人物でした……。決して襲われるような人ではないと思います……」と今にも泣き崩れそうな、不安定な表情の都宮さん。
この後幾らかご友人から情報を貰ったが、情報聴取の結果は芳しくなかった。試しにぼくを越える『神童』であり『異形』であるところの結理のメモに目を通して見たが、〝大胆不敵な性格。恨みや妬みを買う可能性は大。〟という恐ろしく冷酷な評価がされていた。きっと当の足立さんが呼んだら真っ白になるだろうな。
「天之川さん。現場は、どんな感じだったんですか」と、最後の質疑応答で米澤さんが問うた。勇敢な少女である。
「先生、耳を塞いで下さい。現場の状況を説明すると、まず足立さんが血の海に倒れている。場所は路地裏で、どうして彼女が通ろうとしたのか不思議なほど人気のない場所」
「犯行声明とかは、なかったんですか」
「なかった。しかし、犯人が逃亡したと思しき血痕の道ができていた。こう、滴り落ちる血液が犯人の行く先を示していた。そしてその痕跡は途中で消え失せる」
探偵役はぼくたちだから、気にしなくて良い、とぼくは最後に付け足した。
その直後、ベッドから音がした。どうやら足立さんが起きたようだ。
「海未ちゃん!」二人が揃って彼女の傍に駆け寄る。
「え、ここは? 保健室?」状況を把握していないのはこちらも想定済みだ。
「足立さん。三年S組の天之川です――」
「ああ! あのときの死神さん! っていうことは、わたし生きているんだね。……ということは、左腕はないんだね」
自分の左腕を確認してテンションを奈落に落とす。しかし、意を決していたようで、そこまで反動は大きくなかった。
しかし死神さんってなあ……ぼくはそんな大層なものにはなれないんだよ。
事情聴取のために覚醒して早々の彼女に事件の概要を伝えた。
「刺される瞬間のことって……よく憶えてないけど、キーンって耳鳴りがして、疲れてるのかなって感じた瞬間に、どすって背中を。今になって思えば一回も通ったことのない道なんて行くもんじゃないね」
その理論が正しいことを証明してしまうと、君はもうこの街から離れられないことになるぞ、と心の中で揚げ足取り。しかし、通ったことのない人生の道を行くのは十分注意すべきである。人の道は常に歩いている方が良いのだ。
「左手のことは死神さんが起こしてくれたときに初めて気がついたから、よくわからない」
「そうか。わかった。情報をありがとう。犯人は必ず突き止めるよ。報告は必要かな?」
「いや、気にしないでいいよ。けれど、今更だけど、左腕がないのは結構やばいことだよね。漫画みたいに再生しないんだよね。流石に親が絶叫しちゃうよ」
「安心して。再生はしないけれど現代の技術を持ってすれば〝再現〟程度ならできますから。少し後遺症が残りますが、日常生活に大した支障はでません」と先生。
「そうですか。では偽装できるまではここに泊まりますね。……ん? ああ、大丈夫ですよ、わたし、嘘をつくことだけは得意ですから」
それは自慢できる才能なのだろうか。
「そういえば警察は呼ばないんですか? ここ、学校ですよね、病院じゃなくて」
「ああ、警察は呼ばない。学校は教育施設であり、営利団体でもあるんだ。警察は邪険にするさ、それも今回のような事件は特にね。だからわざわざぼくたち執行部がある」
これにて事情聴取が終了した。二人は教室に戻し下校を促す。保健室には静寂が流れていた。足立さんは顔を伏せ、深見先生は犯人像を必死に想像し、結理は文庫本を読書中。この場で静寂を裂くことができるのはぼくだけだろう。ぼくは結理に話しかける。
「今回の事件、どう思う」
「あなたの考えている通りよ。それ以上も、それ以下もない」
読書を続行した状態で彼女は答えた。相変わらずの人形のような無表情で、無感情で。あの『万能』と渡り合える人形ならぬ『異形』は、やはり不幸な人間だ。ぼく同様に、幸運にも不幸で不幸にも幸運な人間。どんなに冷酷なことを言っても、どんなに冷酷な態度を取っても、どんなに冷酷な行動をしても、絶対にそれを〝悪〟として評価されない。
あの卒業式でしか、ぼくたちは不幸になれなかった。あるいは幸運になれなかった。
そんな似た者同士のぼくたちだから、言えることがある。
「結理、これからぼくは犯人の元へ行くのだが、死神さんであるところのぼくが言うよ。無事に帰ってこれたら結婚してくれ」
「嫌だ」
即答であった。
さて、今回の事件とは一切関係のない戯言を終えて、ぼくは学校を出、少し寄り道をしてから警察署へ向かった。結理の言う通り、もう答えは出ている。誰が犯人か、考えるまでもない。無駄な尺稼ぎは終わりだ。本題に入ろう。謎解きタイムである。
警察署の木陰に隠れていたぼくは、ある足音を聞いてその主の前に現れる。待ち伏せとは我ながら姑息な手だが、誰も咎めないだろう。そうでなければ、ぼくたち執行部は潰れて、続けて学校が潰れかねない。それは避けなければなるまい。
「こんにちは」署への行く手を阻まれた犯人は思わず後退する。
「見透かされているようで、気持ち悪いです。そこをどいて下さい」
「そうは行かない。話を聞いていなかったのかい? 警察は学校としてもまずい存在なんだ。なるべく関係を持ちたくはない。だからぼくたち執行部があるんだと言ったよな? それともそれでも尚、ぼくたちに歯向かうつもりなのかい? 都宮さん」
犯人、都宮希咲は奥歯を噛み締める。
「考えるまでもなく君が犯人であることはわかっていた。きっと君は幸運に見舞われることに長けているらしい。こうして自首という人生のどん底を味わずに済むのだから」
「どうしてわたしが犯人だと」明瞭な憎悪をぼくに向ける彼女に答える。
「なんだあの挙動不審さは、あれで騙せているつもりだったか。君は情報聴取のときにまったく事件について触れようとしなかったね、それは君が事件の犯人であり、犯行を反省しているからだ。反省、というか後悔だね。だから、後悔していたから、君は〝彼女は襲われるような人ではなかった〟と言った」
現在、事件の話題はタブーであるはずなのだ、犯人ならば。
「君が犯人である理由はきりがないが、他を挙げれば、君が足立さんに対して嫉妬できるほどの友人関係にあったからだ。足立さんは男子にモテたようだね。色恋沙汰に発展したのではないか? それゆえの犯行ではなかったか? とにかく、色恋においても性格においても、君は足立海未に嫉妬していた。憎悪を抱いていた」
結理のメモ通りに、足立さんは人の憎悪を買っていた。
「さて、事件の謎を明かそう。前提として、足立さんが刺された場所はあの路地裏ではない。他の場所で刺され、あの場所に放棄された。それゆえの〝どうしていち女子高生が通ろうとしたのか疑問を抱く道〟である。君は足立さんを刺し、その行いを後悔し、死体を暗闇の奥に遺棄した。しかし血でできた足跡という証拠が残ってしまった。だから、大量の血で覆い隠すために足立さんの左腕を切断して利用した。狂気的だ」
ぼくは普段なら携帯しない――つまり特異な状況なら携帯する携帯電話で一枚の写真を見せた。ある外れ道である。
「証拠の写真だ。この道にも血痕があった。そして足立さんの証言がある。〝キーンという音〟だ。あの路地裏にはそんな音はなかった。しかし、この道には若者になら誰にでも平等に聞こえる音が流れている。ブラウン管だ。隣の家がブラウン管を起動していたから、そんな音が聞こえた。刺された場所は、あの路地裏ではない。つまり、ぼくの主張は正しいことになる。間違いはないかい、犯人」
「ないです、とにかくそこをどいて自首させて下さい、探偵」
嫌だ。と、結理のように即答した。
「何回も言っているだろう、警察は駄目だ。君は冒頭のぼくと深見先生の会話で出てきた現象に陥って、自首して楽になろうとでも考えたのだろうが、そうはさせない」
全ての謎が解き明かされたことだし、話を完結させよう。
「自首はさせない。が、その代わりに君の得する条件を出してやる。ちなみに拒否は認めない」と横暴にぼくは都宮さんを警察署から引っぺがした。
「わたしは、どうすれば良いんですか。後悔したって懺悔したって、もう彼女と、海未ちゃんとは一緒にいられないよ……」
「一緒にいられないなら離れれば良い。けれど、嫉妬しているなら、君も彼女のようになれば良いだけの話だ。だから、まずは彼女ご自慢の〝嘘をつく〟ことから始めてみろ」
彼女を騙しながら生きてみろ。それだけだ。
かくして、事件の幕は閉じた。
そして捨て台詞が如くぼくは呟く。
「また、不幸になれなかった」
後日談。
下校中、突然自分の真横にバイクが停まったかと思いきや、直後ぼくはくずおれた。膝から崩れ落ちた。
「ああ、悪い悪い、なにもそんな跪くほどの挨拶をしようとしたわけじゃあねえんだ」
「某『人類最強』さんみたいに振舞わないで下さい」
眉目秀麗、文武両道、才色兼備な『万能』がわざわざぼくを訪れたらしい。全力でぶん殴るというご挨拶だったが。これは珍しいこともあるものだ。そう心の中で驚いただけで彼女はその感情に応えた。
「いんや、別におまえに会いに来たわけじゃねえ。ただドライブ、じゃねえな、ライディングしていたらおまえを見かけたから、つい暇潰しにと挨拶しただけだ」
「挨拶が暴力的過ぎるんですよ、毎回」
「はははは、違いねえ。次回から気をつけるよう自戒として受け取っておくよ」
『万能』こと鏡原紫姫は笑う。
「それでそれでヒトラーくん」
「その呼び方はやめろ」
「うわっ、天之川くんがタメ口を超えて命令してきた。――それでヒトラーくん」
「…………」
「そう睨むなよ、会話文が多い上に三点リーダーだけの台詞も登場して、まるでライトノベルみたいになっているぞ。――気を取り直して、天之川くん、おおよその話は結理ちゃんから聞いたけれど、立場上ここで話を聞かざるを得ないから、後日談を語ってくれ」
まったく、ぶっきらぼうでいつまでもマイペースな『万能』である。
「後日談。下校中、突然自分の真横にバイクが停まったかと思いきや、直後ぼくはくずおれた。膝から崩れ落ちた」
「いやそうじゃなくてさ」
「後日談。結局ぼくが都宮さんの自首を防ぐにあたって提供した条件である〝君が持っているはずの足立さんの腕をぼくに渡して欲しい〟がクリアされたことによって、その腕を使った足立海未の左腕の再現がわずか一日で終了し、彼女ら三人は今でも仲良く騙し合いながら日常生活を満喫している」
バッドエンド風に語るな、と鏡原さんはぼくを叩いた。
「それで?」と、続けた。ぼくではなく鏡原さんが。
「それで、とは?」
「おいおい、おいおいおいおい、貴様まさか全ての謎が解き明かされたとか本当に思っているわけではあるまいな?」
なんのことでせう、ととぼけてみたところで、ただもう一度叩かれるだけだった。
「おまえら〝執行部〟ってのはなんなんだ? そして、どうやっておまえは足立海未の遺体もどきを発見したんだ? そもそもどうしておまえらが、事件が起きたことを知っているんだ、目撃者は一人もいなかったはずだろう?」
さあ、ミステリーものというのは、話の最後にちょっとした謎を残したままにするのが定石なのではないでしょうか。
そう答えるぼくを『万能』は、自惚れるなと三度叩いた。
初めまして、雪斎拓馬です。
一話完結もの、特にオムニバス作品として毎話後書きが書ければいいなと思う所存です。
自己紹介が長引くのもアレなので早速裏話に。
まず、この小説はミステリーものの練習も兼ねた作品です。
一週間に一本連載する予定です。(次回は明日に投稿する予定ですが)
今回のテーマは「嘘つき」と「プロローグ」でした。
第一話からガンガンキャラを出すのも読みにくいので、必要な人物しか登場させませんでしたが、今後名前だけ登場するキャラが多く出ると思います。
この作品のジャンルがいまいちミステリー以外になにも思い浮かばないので、一応純文学にしました(推理してないですもの)。まったく純文学らしくはありませんがね。
ではキャラの話を少し。
天之川くんは基本的に人の努力を理解できる、心の優しい天才キャラです。天才といっても、満遍なく天才なだけであって、他者に劣ることもありますので、最強キャラではありません。
結理さんは体力以外はほぼ無敵の神童です。体力以外とはいっても合気道を極めており、過激に動かない限りは天之川くんより殴り合いは強いです(殴り合いというか暴力の振るわれる喧嘩)。
紫姫さんは異名の通り万能です。よほど気違い的な強さのキャラが登場しない限りは全てにおいて最強キャラです。
裏話。
キャラの由来ですが、主要人物は特に意味ありません。モブの方が比較的に由来が考えられます。
足立海未は、あだ〝ちうみ〟、で血海。
米澤京菜はありません。
都宮希咲は〝罪〟ですね。
最後に次回予告。
次回のテーマは「らしさ」です。シンプルな話となっておりますので、今回のようなグダグダ感はなくなっていると思います。
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