その神の名は 終章 その代償
そして、二人の「化け物」としての人生が始まる――
本編1話の終章となります。「その神の名は」の他章をすべて読了の上での閲覧をお願いします。
怜司が陽人を、自らの「眷属」としてしまったその日から、半年ほどの時が流れた。その日の直後、陽人は一身上の都合ということで某県警を退職し、家族にやいのやいの言われながらしばらく無職のまま過ごしたようだ。それから彼は唐突に、探偵をやろうと思うんだけど、と連絡してきた。
「で、思い切って家出ようかと思って。家族には悪いけど……来年も二十七歳の誕生日を目の前で祝われると思うと、ちょっとな」
怜司はこんなところでも、自分が負った「咎」を思い知らされる。陽人の家庭はごく普通の四人家族――両親と、妹が一人――で、今まで何の問題も無く、円満に暮らしてきたはずだった。それを、自分がそんな風に引き離してしまったのだ。
どうやらその思考は読まれていたらしく、気にするなよお前、と陽人は電話越しに笑った。
「だいたい、三十も目前にいつまでも結婚もせずに実家に住まわせてもらってんのも、ちょっと悪いなと思ってたところだし。住むとこも決めてきた。んで、相談なんだけど」
陽人が言った住所は、二人が警官になったばかりの頃に担当した殺人事件の現場だった。家賃は物件の規模や条件から考えると破格の安さだったが、それでも探偵などといううさんくさい職業の、しかも新米に毎月払えそうな額ではなかった。
「怜司さ、一緒に住んでくれない? ていうか、オーナーにお前と一緒に住むって言っちゃったんだけど、どうしよ?」
怜司は一瞬声を失った。何を言ってるんだこいつは。なんで相談も一切なしに一緒に住む気になっている? ただ――悪くない話ではあった。家の管理はハウスキーパーにでも任せておけばいい。だいたい、父親もそろそろこの家に、怜司が住んでいるという自覚をなくしかけているようで、ハウスキーパーには家の管理しか頼んでいないようだった。定期的に陽人に会わねばならない手間も省ける。ただ、あっさり頷くのは喜んでいるようで嫌だったので、怜司はわざと思いっきりため息をついた。
「あのな、そういうことはちゃんと相談してからにしろ。三十も手前の男が二人でファミリー物件に住むだと? どう考えてもおかしいだろうが。オーナーもよくそれでオーケーしたな」
「あの物件、あの事件以来誰も住んでないらしくて、もう家賃がとれてきれいに住んでくれるなら誰でもいいってさ。お前なら間違いなく部屋は荒らさないだろうし。俺の事務所使用も認めてくれるって。まあ、確かにお前今まで家賃ゼロ生活だったから、どうしても嫌ならいいけど……」
もう一度、ため息。こいつのこういうところは、実を言うと嫌いだ。譲歩すると見せかけて、実はもう引っ張り込まれている。強引なのだ。僕の気も知らないで、ともう少し文句を言ってやろうかと思ったが――やめた。結論が変わらないなら、文句は後から倍になって返ってくるだけだ。
「……わかった。乗りかかった船だ。もうどうせ沈むまでお前と一緒なら、その方が便利だろう。で、家賃はちゃんと半分払うんだろうな?」
もちろん、と答えた陽人の声はあきらかに浮かれていて、怜司は少しだけむっとする。なんでそんなに、暢気にしていられるだ、こいつは。というより。
「……お前、一体僕の何がいいんだ?」
ぽろっと言ってしまって怜司は途端後悔する。なぜなら。
「えー、なんだろ。なんだかんだ俺の話聞いてくれてるとことか、一言余計だけど絶対助けてくれるとことか、俺にだけみょーに優しいとこ? あとは……」
「ああもういい、わかった。契約に関してはいろいろあるだろうし、そうなれば僕も父さんに連絡しなきゃいけなくなるだろうから後で来い。じゃあな」
なんでそんなすらすら出てくるんだ恥ずかしい。怜司はそう思いながら通話を終了する。こいつはいつだってそうだ。ひどく屈折した自分とは正反対の、ストレートさ。時々まぶしくなる。忘れそうになる。自分たちの関係が本当は、親友でも、恋人でも――もちろん家族でも――ないこと。
それからはどたばたした。思えば、ここに来た時はまだ幼く、自分自身は身一つで来たわけなのだが、今度は身一つで引っ越す訳にはいかなかったし、生活するために必要なものは思ったより多かった。就職してからの貯金を少しばかり取り崩すことになったが、まあその辺は気にしていない。驚いたのは、あの父親が少しだけ文句を言ったことだった。自分に興味など、無いのだと思っていた。
「お前、出て行くのか……お前はどんどん、俺の手の届かないところへ行くんだな。母さんと同じだ。父さん……お前のじいさんとも。でもまあそもそも……最初から、間違えたのは俺だな。すまない、怜司。俺にケチをつける権利はない。好きにしろ」
今頃になって、と怜司は思う。今頃になってそんなことを言われても、もう、遅い。チャンスは何度でもあった。母親を亡くした時に。その後の、どうでもいい同情がいくつも滑っていった時の中に。祖父を亡くした時に。そのすべてを捨て、自分から目をそらし続けてきたあの人を、今更父親と扱うことはできなかった。ただ――少しだけ、同情した。彼も、どうしていいかわからなかったのかもしれない、と思った。だから、心配するなとだけ言っておいた。彼は笑って、そうだなと言った。
「まあ、犀川君が一緒なら平気だろう。困ったことがあれば連絡してこい」
「その台詞は……もう遅いですよ、父さん。でも、ありがとう」
怜司はそう言って電話を切った。少しだけ、本当に少しだけだったが、彼を父親と思っていいのかもしれないと思った。化け物に成り果ててから、親子の情を知るとは。皮肉なもんだなと、笑ったつもりだったがため息になってしまった。それを完全に認めるには、堆積した時間があまりにも――重すぎた。
そんなわけで、怜司は陽人と一緒に住むこととなった。最初のうちは陽人のちょくちょく見せるだらしなさに腹を立てたりしたが――靴下を裏返しのまま洗濯機に入れるところは未だに許していない――日々は案外、平和に過ぎた。家に帰ると誰かいる、というのも、存外悪くないということもわかった。なぜか陽人が提示してきた、「晩飯は必ず一緒に食う」という約束も、最初はちょっとうっとうしく思っていたが、慣れてしまえばなんのことはない。むしろ――心地よかった。
陽人の探偵業もそれなりのようで、毎月家賃はきちんと半分支払われていた。しかし――そのうち、怜司は妙なことに気づいた。陽人が拾ってくる依頼の中に、たまに――いや、結構な頻度で「人外のにおい」がするものが混じっているのだ。どうも自らが人外になってしまうと、「寄せ」るものらしい。そして、そういう依頼の場合彼は必ず、怜司に意見を求めてくる。
そのたびに、思い出さざるを得ないこと。自分がもう「完全な」人ではないこと。陽人を巻き込んでしまったこと。目をそらそうとしても、彼が自分をつかんでそちらを向かせる。そっとしておいてほしかった。それでも、彼を巻き込んだのが自分であるなら――巻き込まれるしかないと思った。
さらに時が過ぎ、怜司がいずれ、それがわざとであること――陽人が、自分たちが「白い羊」に戻る可能性を探しているのだということに気づくのは、もっとずっと、先のことになる。ただ彼は、自分が陽人を「黒い羊」としてしまった代償として――そして、同じ「黒い羊」として身を寄せ合うために、何より、世界でただ一人だけ、好きだと思えた人間と一緒にいるために、陽人との同居を続けることとなった。
こうして、死ねない「ヴァンパイア」とその「眷属」の、長い長い化け物としての人生が――始まった。
やーっと本編出せました! 長かった!
いままで外伝のエグゾディアで何度も「死ねない化け物」とかいうフレーズを使ってた気がするんですが、実はこんな感じで、彼らは「化け物」になったんですよね、というお話。
ちなみに、四月の新刊では、これに序章で陽人が持ってきた「事件」の話が加わり、「怜司の章」「陽人の章」と交互に話が進む形になります。
だからこの話、裏タイトルは「The first incident 怜司の章」です。でもそれじゃ味も素っ気もないので、こういう形になりました。