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Black Sheep in the Cage  作者: 神谷アユム
8/18

その神の名は 三章 見えない檻と強欲の咎

だから、サイ、お前は今すぐ、僕の前から消えてくれ――


本編1話の三章です。これまでの章を読了していることを前提で話が進みますので、「その神の名は」の序章~二章を読了後の閲覧をお願いします。

 あの事件――怜司が「神」と邂逅した行方不明事件から数日後。怜司は陽人を自宅に呼び出した。やたら広いのに、もはや怜司しか帰る人間のいなくなった家――父親は都内にマンションを借りており、ここにはほとんど寄りつかない――まるで自分のようだ。使われないまま、ただ、朽ちていくだけの存在。

 事件後、上司から何をどうしたのかいろいろと問われたが、怜司はすべて覚えていないで通した。ただ、あそこに潜入したところ、行方不明になっていた人間を見つけた、とだけ答えた。怜司のかたくなさに、上もそれを信じるしかなくなったようで、怜司は行方不明者を発見した功績により、昇進を告げられた。すぐにでも出勤しないとまずい状況ではあったが、怜司は事件以来、体調不良を理由に家にこもり続けていた。出勤すれば、陽人と出会ってしまう。警察署内で同期を噛み殺すことだけは避けたかった。もちろん、この家の中でもだが。

 自分だけの問題だと思っていた。まさか自分が、陽人を「噛みたい」と願うことなど夢にも思わなかった。このままでは、巻き込んでしまう。なんの罪もない、彼を。それを思うと、怜司は自分が怖くなる。

 ずっと、一人だと思ってきた。祖父が死んだあの日から、ずっと。一人で悪意にさらされ、無聊を託ちながら、死んでいくものだと。それなのに、自分は今心から、陽人を「噛みたい」と願っている。彼を思い出すだけで、じりじりと喉の奥が干上がる気がする。

 誰も好きになってはいけない。それは必ず奪われる。わかっていたはずだった。だから誰も、好きになっていないはずだったのに。しかし、怜司は同時に、自分のどこかから、甘く邪な声を聞いていた。噛んでしまえば、絶対に奪われないじゃないか、と。そんなことは許されない。絶対に、だ。怜司は自分の、思いもしなかった欲望をかみ砕いて飲み込もうとする。しかしそれは喉の奥に引っかかり、さらなる渇きを生むだけだった。

「こんちはー。怜司ー?」

 普段通り間の抜けた声。いつもなら舌打ちの一つもして、そんな間の抜けた呼び方をするなと言うところだが、今日はそれどころではなかった。別れなければならない。この幼なじみと。認めなければならない。自分は、このしつこい幼なじみが好きなのだ。もっと早く気づいていれば、こんなことにはならなかったかもしれないな、と、怜司は泣きたい気持ちになった。

「こっちだ、サイ。話がある。申し訳ないが、ふすま越しで話させてくれ」

 もう、こんな風に呼ぶこともない。自分は永遠に、彼の前から姿を消さなければならない。彼を視界にとらえることさえ、多分もう許されない。

 ふすまの向こうに人の気配を感じた。このときほど、『死』を奪われたことが悔しかったことはない、と怜司は後々回想している。あの時舌でも噛んで死ねれば、こんなことには。

「今から言うことは、多分信じられない話だと思う。ただ……黙って聞いてもらえるとありがたい」

 怜司はそう断ってから、事件の真相を話した。確かに「神」の言ったことは本当だったようで、今現在「眷属」候補である陽人には、すべてを話すことができた。

「……だから、消えろ、サイ」

 ふすまの向こうから、え、という困惑の声が聞こえた。まあ、そうだろうなと怜司は嘆息する。認めざるを得なかった。今まで、なぜついてくる、邪魔だ放っておいてくれと言ったことはあっても、「いなくなれ」と言ったことはなかった。裏を返せば、彼にはいてほしかったということなのだ。

「サイ……お前は、僕の目の前から、今すぐいなくなれ。今日以降、絶対に姿を見せるな。お前が警察を続けたいなら僕が警察をやめる。二度と……僕に関わらないでくれ」

 ふすまの向こうはしばらく沈黙していたが、やがてすぱん、と音がするほど勢いよくふすまが開けられ、思わず振り返って目を合わせてしまった怜司に、陽人はつかみかからんばかりの勢いで、そこまでウザくて嫌いなんだったらなんで今まで、と言いかけて、ふっと黙り込んだ。よみがえる渇き。手を伸ばせばそこにある、それを癒やす手段。また、甘ったるく邪な声がささやく。眷属にしてしまえばいい。こいつは言ったじゃないか、お前が好きだって。ずっと一緒のつもりだって。なら、約束を、守ってもらえばいい。

 先に口を開いたのは陽人だった。彼にしては珍しく、かなり険しい顔で怜司をにらみつけていた。

「……怜司、お前なんか隠してるだろ。でなきゃ、お前はそんな目しない。全部話せ。じゃないと俺は、お前の言うことなんか聞かない」

 どうしてここでごねるんだ、と怜司は怒鳴りたくなる。それを押さえ込んで、できるだけ目を合わせないようにしながら、聞き分けてくれ、と頼んだ。

「僕は……僕は、お前を巻き込みたくない。こんな形で気づかされるとは思っていなかったが……僕は、お前に僕と同じ枷をはめるわけにはいかない」

 僕をひとりぼっちにしなかったお前を、このままじゃ僕はひとりぼっちにしてしまう。そうはっきり声に出した途端、想いは渇きとなって猛烈に喉を焼いた。指先が震える。まだ化け物には――本当の化け物にはなりたくなかった。

「だからサイ、行け。いなくなってくれ。そうすれば僕一人で済む。こうなってしまったのは『神』と取引することの危険さに対する警戒が足りなかった僕の甘さが原因だ。お前が巻き込まれる必要はない。だから……」

 早く行ってくれ、という言葉は、陽人の非常に端的な、やだ、という言葉に遮られた。

「怜司お前、今自分がどんな顔してるかわかってる? お前のじーちゃんが亡くなった時と、一緒の顔だぞ……そんなお前ほっといて、自分一人だけ助かるぐらいなら、何だって巻き込まれた方がマシだよ怜司。巻き込めよ、行っただろ、お前のこと好きだって! ずっと一緒のつもりだって!」

 そんな顔をしていたか、自分は――怜司は深く嘆息し、一つ覚悟を決めて陽人を見据えた。この男の前で、一度だけ泣いたことがあった。祖父に死なれ、本当に世界でひとりぼっちだと思っていた時――こいつだけが、ひょっこり訪ねてきた。父親さえ、葬儀が終わってしまえば見向きもしなかった自分のところにだ。しがみついた背中は、温かかった。忘れていない。やはり、自分は。

「……お前は、お前が僕と同じ存在になると言われても、同じことが言えるか?」

 自分でもぞっとするほど、低い声が出た。陽人が一瞬おびえた表情をする。片方で誰かが言う。そうだ、ここへ来てはいけない。立ち去れ。一方でまた誰かがささやく。ずっと一緒だって、言ってるじゃないか。なら、巻き込めばいい、そうすればお前は一生――永遠に一人じゃなくなるんだ。

「取引がすべて済んだ後に、『神』は言った……僕は『ヴァンパイア』だから、他人の……大切な人の、生き血を欲すると」

 そうでないと、いずれ狂って相手を噛み殺してしまうことまで伝えた。それでも陽人は動かなかったので、結局怜司は、すべてを白状することになってしまった。

「『ヴァンパイア』に生き血を吸われた者は、血を求めないこと以外は『ヴァンパイア』と等しい存在になる……『眷属』だそうだ。正直な話、僕は今……お前に対して猛烈な渇きを覚えている。このまま僕と関わり続ければ、僕はお前を殺すか……僕と同じ、化け物にしてしまう。お前まで『死』と『老』を差し出す必要がどこにある? そんなのは僕一人でいい。お前さえいなくなってくれれば、僕は、一人で……」

 平気だ、と言い切れなかった。怜司は自分の弱さに歯がみした。甘く邪な声がまた誘惑する。本当は、一人は嫌なんだろう? ずっと孤独を気取ってきたくせに、こんなにも陽人に一緒にいてほしいと思っているじゃないか。耳につくその声を、怜司は振り払おうとする。そんなことは許されない。そんなのは、僕のエゴだ。自分のエゴに他人を巻き込むことなど、許されない、と。

 煩悶を破ったのは、陽人のはっきりした、嫌だ、と言う声だった。再び目を合わすと、彼は先ほどより据わった目をして、こちらをにらみつけていた。

「痛いのはあんま好きじゃないけど、首でも腕でも、とりあえず一発で死なないとこならどこでもいいから噛めよ。なってやろうじゃん、『眷属』。さっきも言ったけど、俺はお前のこと好きで、ずっと一緒のつもりなの。ここで見捨てるつもりなら、誰がお前みたいな根暗で目つきも口の悪さも最悪で難しいやつ好きだなんて言うか馬鹿。あのなあ! お前が俺を巻き込みたくないって思ってるのと同じくらい、俺はお前を一人にしたくないの!」

 どこまで馬鹿なんだ、こいつは。怜司はあきらめ――泣きそうになる。ここまで言われてしまっては、もう逆らえない。こいつを追い払うことは不可能だ。ここから先何を言おうと、どう説得しようと、こいつはうんと言わないだろう。なら、噛み殺してしまう前に――言い訳だ。全部言い訳だ、と怜司は思った。邪な甘い声が――ひとりぼっちの自分が、狂喜しているのがわかる。もう、ひとりぼっちじゃない。こいつはずっと、一緒にいてくれる。奪われない「大好きな人」。お互いが消滅してしまうまで、一緒にいられる人。あるいは、こちらを望んでいたのかもしれない。自分の死よりも、強く。あの「女のようなもの」は、自分は二十年以上死に場所を探していると言ったが、それは半分正解で、半分間違いだ。二度と奪われたくなかったから――誰も好きじゃないつもりでいた。気づく前に、死にたかったのだ、きっと。気づいてしまえばまた、奪われるから。でも、今度は――

 逃げられて傷を深くしないように、陽人の背中に腕を回す。シャツに穴を開けてしまうが、それは後で謝ることにしよう。怜司はそんなことを考えながら、陽人の肩口に文字通り、噛みついた。鋭くなった犬歯が皮膚を突き破り、血管に達する。抱きしめ返されて、怜司は自分が震えていることに初めて気づいた。頬を濡らしているのは、もう何年も忘れていた――涙だ。苦い錆に似た味が口の中に広がって、次第に渇きが癒えていく。それでも、震えも涙も止まらなかった。おぞましい。自分は化け物になってしまった。他人を、化け物にしてしまった。それなのに、心の奥底では喜んでいる。もう二度と失われない、大切な人。あの「神」に化け物にされなければ、こんなおぞましい自分を見なくて済んだ。いや、それはレトリックでしかなく――自分は最初から、化け物だったのだ。陽人を何者にも――「死」にさえ奪われたくないと思う、強欲な化け物。それが、自分の本性だった。

 不意に頭を撫でられた。小さな子どもにするような撫で方だった。陽人の腕の中で、怜司は彼の、優しい慰めの声を聞いた。

「お前はなんにも悪くないよ、怜司。これは俺が望んだことだから。俺が、お前とずっと一緒にいることを選んだんだ。俺がお前と、ずっと一緒にいたかったの。お前はひとりぼっちじゃないよ。俺が、いる。ずっとだ。あー……正直言ってさ、ちょっと喜んでるかも。だってさ、俺さえいなくなればってそれ、お前俺のこと大好きじゃん」

 見透かされていた。本気か慰めかはわからないが、その言葉が嬉しかった。しかし、喜んだ自分が嫌だったので、怜司は陽人の背中を、思いっきりつねっておいた。いってぇ何してんの、という抗議の声は無視した。たとえ陽人がそう言っても――彼自身が選んだと、望んだと、そう言っても。自分は許されないことをしたと、怜司はそう思った。やがて渇きは完全に癒え、肩口から犬歯を抜くと、傷はあっという間にふさがった。それを見た瞬間、怜司は自分のしたことを思い知らされた。この世の中で、ただ一人だけ、好きな人。その人を、自分と同じおぞましい化け物にしてしまったことを。

「サイ……すまない」

 そんな言葉で許されるはずはない。さっきまで「白い羊」だった人間を、自分の手で「黒く」染めた。自分と同じ、出られない「檻」に閉じ込めた。その事実によって、心のたがが外れてしまったようだった。怜司は子どものように、泣きじゃくった。陽人はそんな怜司を許すかのように、怜司が泣き疲れて泣き止むまでずっと、頭を撫でてくれていた。

 幼なじみの腐れ縁で、しかも自分のようなイカれた人間に関わり続ける馬鹿だと思っていた。しかし、怜司はその日、あの『神』が言っていたように――自分の方が、よほど愚かであることを思い知らされたのだった。

すべての始まりの「二つ目」のお話です。こうして二人は、化け物に、なった。

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