死者の眠る方角
北向きに寝転がると、いつも祖父に叱られた――
藤村怜司、昼下がりの掌編です。
ヘキは「おじいちゃん子」「北枕に対する禁忌」「泣く青年」でしょうか。
というか、怜司自身が私の好みの塊みたいな子なので、この子が出てくるだけで私のヘキが丸出しに!
いつもどおり、うっすらBLなのでご注意ください。
昔から、北向きに寝転がると祖父にひどく叱られた。何も知らなかった自分はただその剣幕におののき、ともかく北向きに眠ることはいけないことなのだと覚えた。少し大きくなって、祖父になぜ北向きに寝るとあんなに大きな声を出すのかと尋ねると、祖父は困ったような顔をして、そりゃあお前、と言った。
「北に頭を向けるっつうのは、仏さんの寝かせ方だからよ。縁起がわりぃんだ。生きてる人間は、その向きに眠っちゃいけねえ」
今ならわかる気がする。ただ不吉、というだけでなく、彼は北枕に眠りもう永久に目覚めぬ妻を、嫁を、見てきたからかもしれない。だから、北枕に寝ているだけで、孫まで奪われるような――そんな気がしたのかもしれない。
担当していた強殺事件がひとまず犯人逮捕によって解決し、家で休むことを命じられた午後。藤村怜司はそんなことを考えながら、居間のソファの上に横たわっていた。今のソファの置き方から言えば、今自分の頭は北向き――北枕だ。
残念だね、じいちゃん、と彼は心の中でつぶやく。あれほど気にしていたのに、自分の方が先に死んじゃって。おまけに孫はとある「事情」から死ねなくなった。彼がこの世から失われるのは、人間にとっては永久に思われる時間――数百年、数千年の後となる。輪廻転生の考え方から言えば、祖父はもうとっくに生まれ変わって、ひょっとするともう一回ぐらい死んでいるかもしれない。きっと見つけられはしないだろう。祖父だけではない。母も、祖母もだ。そして、ほとんど自分の視界に入ってこず、また自分を視界に入れようとしなかった父も、自分よりも遙かに早く年を取り、死んでいくことだろう。葬式を出してやらないほど憎んでいるわけではない。ただ――きっと泣けはしない。淡々と喪主をつとめて、それでおしまいだろう。やってくる弔問客は、父親の年齢に対して、息子が若すぎることにきっと気づかない。「そう」なっている。だから。
すべての失われるものに対して怜司は鈍感になっていた。自分が「神」と取引し、死ねない化け物、「ヴァンパイア」になってから五年。ごくたまに会う父親はだんだんと老け、出会うごとに縮んでいくようだった。一方の自分は――変わっていない。五年前から何も。最初の二、三年は、鏡を見るとたまに叫びたいような恐怖が襲った。年を取らず、死なないということがいかなることか。それはひとえに恐怖だ。自分が明らかなる異分子、異常な「化け物」だという恐怖。周りの時は流れていくのに、自分だけが時を止めてしまっているという違和感に対する恐怖。同居人の犀川陽人の持ってくる不思議な事件をいくつか解決しながら、怜司はだんだんと、その恐怖に対応するすべを覚えた。つまり、鈍感になること。失われるものに対して、自分とは違うのだとあきらめること。
北向きに寝転がったまま、目を閉じる。もう祖父は自分を叱ってはくれない。だから誰に邪魔をされることなく、怜司はそのまま眠りに落ちる。昼下がりのうたた寝。どこかから祖父の声がした気がした。怜司、お前はもうそっちに寝たって、仏さんにはなれやしないんだ。確かに縁起はわりぃが、さて怜司、お前は生きている「人間」と言えるのか? え? 俺は「化け物」を育てた覚えはないぞ。
「じい……ちゃん」
自分を、クズみたいなじじい、と言っていた。妻を、嫁を、守れなかったことは不可抗力にも関わらず、ずっとその咎を負い、自分を育ててくれた。三歳で母を亡くし、同時に仕事ばかりの父にほとんど「捨て」られた怜司にとって、彼こそが唯一「親」と呼べる存在だった。
北向きに眠れば、せめて夢の中で会えないだろうか。自分を死者と勘違いして、また語りかけてくれないだろうか。じいちゃんは全然クズじゃない。僕をちゃんと育ててくれた。むしろ、クズは僕の方だ。だって、僕は――
「……じ、怜司! お前起きろ! このソファそっち向きに寝たら北枕になるだろもー。縁起わりいわ!」
騒々しい同居人の声によって、怜司の意識は現実へと浮上する。目を開けると、ぼやけた視界の中に、いつもの陽人の姿があった。
「……サイ、帰ってたのか」
「浮気調査で夜まで尾行の予定だったんだけどさ。気づかれて巻かれたの! 俺としたことが! ほんっと、女の人って勘するどいよなー。依頼人に報告したら依頼料払わないって言われちった。まあミスったししゃあないわな……って、お前どうしたの?」
何がだ、と問い返して起き上がると、何かが頬の上を滑った。それを陽人が指先ですくい上げ、ぬぐう。
「なんか嫌な夢でも見たか? なんで寝ながら泣いてんの」
「へ? あ……」
気づいていなかった。どうやら祖父の夢を見たせいで、寝ながら泣いてしまったらしかった。気づいてしまえば、もう涙は止まらない。一筋、二筋。クズは僕の方だ。だって僕は「化け物」になってしまったから。じいちゃん以外にただ一人、自分を好きだと言ってくれた人を「化け物」に「してしまった」から。
「お前……真顔で泣いてるの怖いからちょっとこっちおいで」
そう言って、抱き寄せられる。いつもの肩の上、いくら鈍感になってもゼロにはならない澱のような苦しみの手はここなら追ってこないので、怜司は幼なじみの好意におとなしく甘えておくことにした。顔を埋めると、冷えた肩口からは冬の乾いたにおいがした。
「サイ……冷たいぞ」
「外で尾行してたんだから当たり前でしょ。お前はぬくいわ。寒かったから丁度いい」
そういえばさっき、こいつ北枕だから縁起悪い、とか言ってたな、と、怜司はまた祖父を思い出した。
昔から、北向きに寝転がると祖父にひどく叱られた。それは死者の眠る方角だからと。叱ってくれた祖父はいつしかいなくなり、そして自分は「死者」にはなれなくなった。それでも、相変わらず北枕を叱ってくる人間がそばにいるということに、怜司は少しだけ、安堵する。そしてその人が、「失われないこと」に安堵している自分を、嫌悪する。
「……嫌いだ」
「俺は好きだよお前のこと。一言多いしひねくれてるけど、結局なんだかんだ助けてくれるし、料理うまいし、湯たんぽにもなるし」
「言ってろ」
怜司は静かに目を閉じる。また、緩やかに眠りの帳が下りてくる。今度は夢も見ずに。大好きな人の、腕の中で。
北枕で滅茶苦茶叱られたのは実体験ですが、自分じゃなくて赤ちゃんだった従妹を北向きに寝かせてしまったもんですから、ほんとめっちゃ怒られましたw 以来、自身も北向きには絶対寝ないようにしています。