風味絶佳
バレンタインの夜、怜司は紙袋を抱えて帰宅した――
閑話休題的な、思いつきバレンタインエピソード。全くの俺得。
またしてもエッセンス程度ですがBLっぽい要素を含みますので、苦手な方はご注意ください。
「あ、怜司おかえりー。って何、その荷物」」
同居人、藤村怜司が、朝は持っていなかったはずの大きな紙袋を下げているのに気づいた彼――犀川陽人は首をかしげて尋ねた。
「……カレンダーを見ろ」
「カレンダー? 今日は二月十四日だけど、それがどうかした?」
陽人の返事を聞いて、怜司が深い深いため息をつき、世捨て人生活をしているとそんなことも忘れるのか、と嫌味を言ってきた。
「世捨て人って! ちゃんと仕事してます家賃も食費も入れてますー」
「そういうことじゃない……もう一度よく見ろ。今日が何の日か書いてあるだろう全く」
そう言って、怜司はまたため息をつくと、紙袋を共有スペースの居間のテーブルに置き、自室へ着替えに行ってしまった。
それを見て、陽人はふふふ、とほくそ笑む。当然だ。今日が何の日か、知らない訳がないじゃないか。そのために結構、準備もしたんだから。しかし、怜司があんなにチョコレートをもらっているところは見たことがない。一体どういう風の吹き回しだろう。
まもなく、部屋着に着替えた怜司が自室からふらりと出てきた。
「怜司、飯できてるから早く食べよーぜ。冷めるし」
「……僕の帰宅に合わせて夕飯ができあがっているとは……珍しいな」
陽人の言葉に、怜司は純粋に驚きの言葉を返しながら台所へ行き――立ち止まった。
食卓の上に並んでいたのは、怜司の好物ばかりだった。おまけに、台所全体に、菓子を焼いた後特有の甘い香りがただよっている。
「じゃーん。俺えらくない? トマトスープのロールキャベツでしょ、三つ葉のおひたしでしょ、鯖味噌でしょ、あと、ジャガイモとタマネギのポタージュね。食後にガトーショコラまで焼いちゃった。俺ちょー頑張った!」
「……和洋がめちゃくちゃだが……確かに、僕の好物ばかりだな。ただ……サイ、僕の誕生日は今日じゃないし、正直なところ、誕生日は祝われてももう嬉しくない」
怜司はそう言って食卓につく。突っ立ったままの陽人に、なんだサイ、食べないのか、と言った怜司に対して、陽人はむすっとした顔をして、何の日かわかってないのお前じゃん、と抗弁した。
「せっかくさぁ、人が珍しく張り切って夕飯作ったってのに、なんで誕生日と誤解するかな。バレンタインですよ、怜司さん」
陽人の言葉に、怜司は怪訝な表情で、バレンタインはおかしいだろう、と言った。
「バレンタインは、女性が意中の男性にチョコレートを渡して告白する日じゃないのか? そりゃあまあ近年は、女性同士でチョコを交換する文化もあるようだが……」
「あれって、本来は男女どっちでもいいらしいぜ。あと、プレゼントするものもチョコレートに限らなかったって聞いたことあるよ俺は。つまり、バレンタインってのは大事な人に想いを伝える日なの。俺はそう解釈して、今日はお前の好物ばっかり作ったの! なんでみなまで言わないとわかんないかなあ……」
怜司の鈍感、と陽人が小さな声でぼそっとつぶやく。それを見て、怜司は彼にしては珍しく少々しょげた顔になり、すまん、と一言謝った。
「確かに鈍感だな。悪かった」
「それ以外に言うことは? ありますよねちゃんと」
陽人に迫られて、怜司はふ、と笑うと、ありがとう、と言った。その顔が心底嬉しそうだったので、陽人は図らずもドキドキさせられてしまった。
「わ、わかりゃあいいの、わかりゃあ……んじゃあ、冷める前に食おうぜ。お前の好物って、基本冷めるとおいしくないんだよなぁ」
「それは作り方の問題だ。今度冷めてもまずくならないレシピを教えてやる」
そんなことを言い、二人はいただきますと手を合わせてから、陽人の自信作たちに箸をつけた。どれも、怜司好みの味付けで作られており、彼の料理の腕が、自分と暮らし始めてから格段に上がっていることを、怜司はひしひしと感じた。
「ん、三つ葉うまいな」
「でしょ? ちゃんと出汁とったもん俺。ゆでただけじゃないんだぜ」
今夜のメニューについて嬉しそうに講釈し始める陽人を見ながら、怜司は、これも彼にしては珍しく、ひどくなごんだ、優しい気持ちになった。誰かが自分のために、こんなに一生懸命になってくれる、それも案外悪くはない、という気がした。
「あ、それでさあ怜司。お前いつの間にあんなにチョコレートもらうようになったの? やっぱ警部様ともなれば狙われちゃうわけ? 妬けるなあほん……ひっ」
陽人が発言の途中で息を呑む。というのも、その話題を口にした途端、まがまがしい瘴気が怜司から立ち上ったように見えたのだ。怜司はその瘴気をまとったまま、お前、忘れたか、と言った。
「へ?」
「お前は警察官だった間に、僕が事務のおばちゃんの義理チョコ以外のチョコをもらっているのを見たことがあるかと聞いている」
立ち上る瘴気におののきながら、陽人は、ありません、となぜか敬語で答えた。それを聞いて怜司が、にやあ、と笑う。地獄の神、ハーデスだとか、プルートだとかが笑ったらこんな感じなのではないかと、陽人は一瞬そう思ってすぐに打ち消した。それどころではない、視線だけで殺されそうだ。
「なら、あの紙袋の意味は自ずと理解できると思っていたが……僕は少々お前を買いかぶりすぎていたようだな」
怜司はそう言って立ち上がり、紙袋をダイニングに持ってきた。そして、その一番上から小さな包みを一つだけ抜いて、残りを紙袋ごと陽人に差し出した。
「え、何……」
「全部お前宛だ。一体どこの誰から漏れたんだか知らないが、一緒に住んでるなら渡しておいてくれとさんざん頼まれた……全く、僕は伝書鳩じゃないぞ」
ああ、それで、と陽人は納得して紙袋を受け取った。のぞいてみると、確かに警察官時代なじみだった同期や、後輩の名前の入ったチョコレートがたくさん入っている。もちろん、事務のおばちゃんの分も。
「退職してそこそこ経つし、忘れられてるもんだとばっかり思ってた」
「お前みたいな屈折してないタイプは、捜査一課には珍しいからな……辞めたやつが一番もらうなんて嘆かわしいとかなんとか、上に嫌味まで言われたぞ。いいか、お返しは自分で持って行け。伝書鳩はもうこりごりだ」
そんな怖い顔の鳩見たことないけどな、という軽口は言わないでおくことにした。その代わり、紙袋をいすの上に置いて、怜司の背後に回る。
「なんだ? 何かよ……!」
返事の代わりに、後ろからがばっと抱きつく。こういうことに慣れていない怜司が、明らかに動揺して箸を取り落とした。あーあ、まあいいや、後で洗ってやれば文句は言わないだろう。
「な、何をしてる!」
「おばちゃんだけとか寂しいこというなよ。今年は、お、れ、も! だろ?」
にしし、と笑った陽人に、怜司は小さくため息をついて、そうだな、とその事実を認める。まったく、かなわない。どこまで行っても、結局世界に二人だけなのだ、自分たちの「関係」は。
「わかったから離れろ。飯が冷める。せっかくだから冷める前に食べたいという僕の気遣いを無碍にしないでもらえるかな?」
「はーい。あ、ガトーショコラは後でコーヒーでも入れてあっちで食べようぜ。俺映画借りてきたの。泣けるやつ」
はいはい、と返事をして、そういえばいつもはいは一回だと怒るのは自分の方だと気づき、怜司は苦笑する。なんだかんだと油断させられてしまう。この幼なじみには。
陽人の自信作に囲まれて、二人のバレンタインは静かに、更けていった。
いやー、俺得でしかない。
陽人はこういう時頑張っちゃうタイプなんだけど、自分がもらう自覚はありません。
怜司は今からお返しをどうしていいか悩んでると思いますw
怜司はほら、怖いから、女の子はビビって渡せないんでしょうね。おばちゃんはほら、怖いものとかないから(