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Black Sheep in the Cage  作者: 神谷アユム
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人形少女と化け物男

彼は、湿ったバスルームに立つ――


バスルームの彼女と、外からやってきた彼のお話。

文フリ京都に向けてのBSCサンプルとして書きました。

「君はいつまでも、こんな所にいるべきじゃない」

 薄暗いバスルームに向かって、彼はそう言い放った。返事はない。空間は沈黙している。

 彼はバスルームに踏み込んだ。湿った床が、彼の素足でぴちゃりと音を立てる。一歩、二歩。ぴちゃり、ぴちゃり。

「いつまでもこの場所に執着したところで、どうしようもない。君は決断し、行動した。全ては終わったことだ。過去は還らないし、変えられない」

 彼はバスルームの空間を睨んだ。彼が口を閉じると、バスルームの沈黙は耳が痛くなるほど深い。 彼がまた一歩、バスルームの奥へと向かう。割れた鏡のかけらが彼のつま先に当たり、からん、と音を立てた。無残にたたき割られた壁の鏡に、彼の影がいくつも映る。

「ただ……君の境遇には、同情しないわけじゃない」

「同情なんかいらない……偉そうにしないで」

 ふいに、空間が揺らいだ。彼は眉根をぎゅっと寄せる。次の瞬間、ぼんやりとした少女の影が、鏡の前にうずくまっていた。

「……生まれた時から、父親は姿を消していた」

 少女がぐるり、と振り返った。幼さの残るかんばせに、じわり、じわりとあかが浮かび上がる。

「母親はどうしようもないクズで、男を連れ込んでは君を部屋から追い出した」

「……やめて」

 消え入るような声で彼女が言う。だらりと下げられた左腕には、いくつもの切り傷。そして、その傷を断ち切るように、縦の大きな傷がぱっくりと口を開けていた。

「そんな君が行き着く先は……言うまでもない」

「やめてよ!」

 彼女はいやいやをするようにかぶりを振る。かんばせに浮かび上がった紅は、いつか彼女の顔に、返り血の痕を作り出す。小さく薄暗いバスルームの床は、いつしかそれと同じ紅で染まっていた。

「そんな日々の中、君は彼と出会った。君は彼を、運命だと信じた」

「……何がいけないの? 何がいけなかったって言うのよ! 信じたいって思うことが、信じることがいけないことなら、誰も生きてなんかいけないじゃない!」

「……生きられなかった結果が、これだろう」

 少女の目が静かに見開かれた。彼女のかんばせは完全に返り血を浴び、左腕からはごぽりと血があふれ出した。バスタブには――男の死体が転がっている。

「しかし、彼にとって君は運命ではなかった。彼には……家族がいた」

 彼女の口から、悲鳴にもならない叫び声が上がる。男の死体から、彼女の左腕と同じ紅があふれ、バスタブをひたしていく。

「それを聞かされ、君は彼に詰め寄った。彼は君を突き放し、こう罵った」


俺は遊んでやったんだ。お前みたいなくたびれた人形、それだけで感謝しろ。


 少女が立ち上がった。男の死体が声を上げる。耳を、空気を、全てを引き裂くような断末魔の悲鳴。少女は男の胸にいつのまにか生えていた包丁を引き抜き、振り上げてもう一度突き立てた。

「そう、そうよ。こいつ私のこと、そう言ったの。だから殺した、刺したのこれで! どうしろって言うのよ? 許せば良かったの? いなかった父親を許して、育てなかった母親を許して、私を利用した、このクズを許して? 私一人が奪われる側でいればよかったの? 許して永久に搾取されてれば、世界はそれで満足だったって言うの!」

 彼女は激昂する。時はあの日に還り、彼女に走馬燈を見せる。自分をあれほど慈しんだ彼の、蔑んだ瞳。目の前が真っ白になり、気がつけば包丁を握っていた。そんなもんどうする気だ、と叫ぶ声。今まで自分を道具にしてきた男達と同じ顔。邪魔なものを見る母親の目。そんな目で私を見るな、来るな、やめろ、やめて、嫌だ、怖い怖い怖い怖い怖い!

「そう……本質は恐怖だったはずだ。世界がどうあったかなんて、関係が無い」

 彼の声が、闇を祓う鈴の音のように、凜と響いた。

「君は……怖かったんだ。また邪魔者になる、また要らない子に、生まなきゃ良かった子に、戻される。その恐怖が、この男を殺させた。そしてその罪が……君を殺した」

「うるさい! 違う! そんなんじゃない! 私は……私はもうこんな世界、付き合ってやる必要ないって思って……」

 だから死んだのよ、違う、と繰り返す彼女に、彼はそっと手を延べた。彼女は驚いたように口を閉じる。

「ごめん、別に責めてるわけじゃないんだ。君がそう思ったのも無理ないし……俺が生きてる君と知り合えたとして、何かできたとは全然思えない。だけど……君が死んでもなお、君を侮辱した男と、こんな薄暗くて狭い場所に、未来永劫閉じ込められるのはちょっと、ひどすぎる話だなと思って」

 彼女はまるで、生まれて初めて見た奇妙な生き物を見るような目で、彼の目を見つめた。彼はかなしい顔で彼女を見、行こう、と言った。

「もうこんな世界、付き合ってやる必要ないんだろ? じゃあ行かなきゃ。もうここに、君がすがるべきものは何もない」

「そんなの……だって私は……この人を殺して……この人の家族から……なんにもしてないのに、旦那もパパも奪って……私は、私は汚い、独りよがりのお人形なの。ママが言ってた通り、私は……」

「違う。君は人として怒って、人として復讐をして……人として死んだ。お人形なんかじゃないし……化け物とは違う」

 彼女が目を見開いて、彼を見た。彼はちいさく笑って、だからもういいんだよ、と言った。

「少なくとも俺は、君はこんなところにいなくていいと思う。君自身が……許されていいんだ」

 彼女の目から、紅でないものがあふれ、流れ落ちた。それは彼女の頬を洗い、あごの先からバスルームの床へ落ちる。

 彼女が一歩、前に踏み出した。素足はもう音を立てない。彼女は伸べられた彼の手を、かすかに震える自らの手で握った。

 彼は無言で、バスルームの扉へ向かう。一つだけの足音が、ぴちゃり、ぴちゃりと鳴った。彼がバスルームの外へ出、彼女の手を引いたその時。 彼女の姿はふわりとかき消えた。バスルームは陰鬱に薄暗い。ただ、床は乾いており、バスタブは空だ。鏡は脱衣所の明かりの中に立つ彼――犀川陽人の姿を、ただ一つだけ、静かに映していた。

「ごめんなぁ、面倒な仕事頼んでしもて」

「面倒っつか……疲れたよ。俺はこういうの苦手なんだ……てか銀猫、なんで自分でやんなかったの? それに、俺たちだったらどっちかってと怜司に頼む案件じゃんこれ」

 こういうのはあいつのが得意だろ、と、陽人はため息をついた。京都二寧坂、骨董屋「銀猫」は今日も静かだ。

 そもそもは銀猫――あやかし専門の拝み屋である、嘉神氷雨に持ち込まれた話だった。依頼主はとある不動産屋の神棚に住み着いているあやかしだ。彼は半分神のようなものであり、神棚に祀られる代わりに、その不動産屋の、いわゆる「いわくつき物件」に住む幽霊と話をつけ、出て行ってもらう役割を担っていた。

 いわく。とある「いわくつき物件」に住み着いている幽霊が、風呂場から全く出てこない。なだめてもすかしてもまるで聞こえていないように、ただただバスタブを見つめるばかり。これでは仕事が成り立たない、どうにかして欲しい、という依頼だったそうだ。その依頼を持ち込まれた氷雨が、探偵業を営んでいる陽人に電話をして「依頼を解決する」という依頼をしたのだ。

「いや、僕どうもあかんねん、こういう陰気な相手。途中でイラっときてもうて、最終的に藍玉で無理矢理消す方向になるんよ。でもそんなんした後ってめっちゃヘコむし、なんかしらんけど蒼端にめっちゃ怒られんねん……あと、そもそも心霊探偵は陽人はんなんやから、幽霊の話を『藤村警部』に持ち込むんはおかしいし、そもそも怜司はんはこういうの、全然向いてないで」

 なんで、と問いかけた陽人に、氷雨は、あの人割と色んなことに無自覚やから、と答えてため息をついた。

「陽人はんも怜司はんの事に関しては見境ないとこあるけど……怜司はんは、見境とかの問題やのうて無自覚やねん。陽人はんかて、自分がほしいてほしいてたまらんもんを、無自覚に享受してるやつから説教されたら倍ぐらいムカつくやろ?」 まあ確かに、と言いながら、陽人は氷雨の言葉の意味を考える。怜司が無自覚なもの。

「それに、怜司はんは聞き分けの悪いだだっ子泣かすんは得意やけど、あの子みたいに罪の意識と自尊心の低さにどぶどぶに溺れてるタイプにぶつけたら、成仏させる前に壊しかねん。あの人多分同族嫌悪もすごいやろからなー……」

 氷雨が遠い目をし、陽人はなんとなく納得する。確かに、怜司は自分の境遇に溺れ、悲劇のヒロインを気取る相手には容赦が無い。ただ。

「でも、今回作戦立てたの怜司なんだけど……」

「聞いてる。電話来たわ。また駄犬とか言うてたであの人。あんたもええ加減物好きやなぁ。腹立たへんの?」

 慣れた、とあっさり答えられた自分に、陽人は頭を抱えたくなる。実際、駄犬と言われて仕方ないエピソードもたくさんあるだけに。

 陽人は昨日のことを思い出す。依頼の話を聞いてしばらく考え込んだ後、急に無表情に戻って自分を見た、怜司の顔。

「いいかサイ、最初は相手を追い詰めろ。事実を並べて、自分が何をしたかを自覚させるんだ。その時は動揺するな。僕になったつもりにでもなれ」

「俺はどう頑張ってもお前にはなれないと思うんだけど……」

「なれとは言ってない。あくまでつもりだ。相手はおそらく動揺し、激昂する。そうしたら……あとは好きにしろ」

 はあ、と声を上げた陽人に、怜司は、それが一番うまくいく、と言った。

「お前が相手に対して思うことを、思うように言えばいい。多分それで解決する」

「なんか雑だな……まあ、お前が言うなら大丈夫なんだろうけど」

 そう言った陽人に、怜司はぽそりと一言、よくわからないことを言った。

「その子には、お前がいなかったんだ……ってなんだったんだろ」

「え、それ怜司はんが言うとったん?」

 思わず口に出してしまった言葉に氷雨が反応して、陽人は現実に引き戻される。

「そう。今回の話聞いた後にそう言ってたよあいつ」

「……なんや、無自覚ってわけでもないんかあっちも」

 何の話、と尋ねた陽人に、氷雨が半眼を向ける。「な、なんだよ」

「むしろ無自覚なんはこっちって話か……まあええねんけどな、僕は。依頼が解決すればなんでも」

 ほな、報酬出すわ、と言って氷雨は立ち上がった。

「報酬?」

「無賃労働とか僕はブラック企業ちゃうねんから。一杯おごったるって言うてんねん。桐悟ー行くー?」

 奥に向かって声をかける氷雨を、陽人は慌てて追いかける。氷雨の言葉のことは、もう考えていなかった。

 その頃、彼――藤村怜司は、自宅で小さくくしゃみをして、顔をしかめた。大方、今頃京都でろくでもないことを言われているのだ。

 此度の依頼の主人公である、あの少女。死んだ場所がはっきり解っていたので、調べるのに手間は要らなかった。父親不明の家庭で、母親に疎まれながら育った彼女と、早くに母親に死なれ、父親に放り出された自分は、遠からずの存在だった。怜司は男だったし、追い出されはしなかったため彼女と行き着く先は違ったが、孤独は重なるような気がした。

 あの時ぽつりと言ってしまったこと。自分の「ヴァンパイア」としての永すぎる人生において、陽人という存在がどうあるかということ。もし陽人が、彼女にとっての恋人のように、自分を利用するために近づいてきた人間だとしたら。最終的に、自分は彼女になったのかもしれない、と怜司は思った。陽人の脳天気な笑顔を思い出して、怜司はため息をついた。その感情を言葉で形作ることは、彼にはまだできなかった。

 怜司は立ち上がり、コートを羽織る。今日は陽人のために、お気に入りのプリンを買っておいてやっても、バチは当たらない気がした。

皆さん、途中まで怜司だと思ったでしょ?(


実は本人も途中まで怜司のつもりで書いてたんですけど、収拾の付け方がわからなくなって陽人に代わってもらったら叙述トリックみたいになりましたええ。

氷雨が言うように、怜司こんなん向いてないんですよ……


1/21(日) みやこめっせで行われます、文学フリーマーケット京都に「青猫のすみか」として出店します。私が属しているサークル「なからぎ庵」のサークル誌「なからぎ」も委託しますので、BSCと併せてよろしくお願いいたします!

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