05怪奇語りと、目的地
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「ほう」
車のパワーウィンドウを開けたら、夕日の潮風が髪にふれる。
壮観が、目の前に広がっていた。
「別荘、別荘、って言ってたけど。あんなに立派なモノなのか……。なんか、昔文献で見た西洋の古城を思い出した」
「文献?」
「ルーマニアのヴラド伯の城。鑑定師は、工芸品についてだけじゃなくて、あらゆる国の歴史、特に土着の風俗や文化を頭に入れておく必要があるんだ。洋館には、そういう資料ばっかり集められてる」
「ああ。そういえば、あの城の雰囲気に似てるわね」
凉下は、知っているらしい。オカルトのフリークの間では有名な建物なのかもしれない。
タマゴ型の太陽の沈む海に向かって、つきだした岸壁。その上に西洋の古城さながらの館が建っていた。
――あれを、戦前に建てたのか。
浅霧には感嘆しか出なかった。もしかすると、明治維新後に日本中に建てられた『和製洋館』の一つなのかもしれない。戦火を逃れて今でも立っているところを見るに、あの屋敷は人の手で大切に守られてきたのか。
と。同じく、リムジンの後部席に座る一ノ瀬茜が、
「……? あの。なんでしょうか? その、ヴラド伯のお城というのは」
「あら。茜には前に教えなかったっけ。中世の昔にね、人ならざる吸血鬼のご領主がおさめていた国があって。そこの伯爵が、夜な夜な人の生き血をすすりにくる――っていう、その筋のマニアが大好きな伝説があるの」
……その内容はね? と。
とびっきりの怪談話でもしているつもりか、凉下は趣味の悪い顔をしていた。
怪談を聞き、「ひぃ」と。一ノ瀬茜は着物の袖で口を隠しながら、真っ青な顔で震えていた。
「…………おい。趣味が悪いぞ」
「あら。ごめんなさい。なんだか、怯える茜が可愛くってつい」
「なんというか……あのな? その話は実は迷信で、伯爵様は立派なルーマニアのご領主だったんだぞ? あの時代の国はとにかく人さらいとか犯罪が多くて、治安が悪い暗黒の時代だ。城下での出来事を結びつけるためにヴラド伯がモデルになっただけだ」
「へえ」
怪奇談、ホラーの噂は、詳しく探って行くとこんなものだ。何人も人を殺した鬼の正体が、驚くほどひ弱な小男だったりする。
ただ、火のないところに煙は立たない。
噂や怪談には必ず原因があり、それを探っていくと思わぬ事実が出てきたりするのだ。
「ヴラド伯の話で、むしろ問題なのは」
「……?」
と。そこで浅霧は停止する。
この先は、得意げに話していいような内容ではない。凉下のことを言えた義理ではなかった。
「…………? 問題なのは、なによ?」
「いや。何でもない」
反省しつつ、窓辺から海を見る。
海が、オレンジの夕日が照り返していた。
――ルーマニアに伝わる、もう一つの吸血鬼伝説。
その正体は、夜な夜な人を喰い歩く――『拷問器具』の魔法工芸品だった。
極めて危険なカテゴリに位置する工芸品。災厄と呼んでも過言ではない、そのシロモノの等級分けは、むろんダントツの『最上位』――。いや、後世の鑑定士たちの評価では、稀にその上の『災禍級』と呼ばれることがある。大昔の鑑定師の集団が、その『城の地下から逃げ出してきた処刑用具』を発見し、始末した。
人の形をした拷問器具。
鋼鉄の処女という。
全体に血と、呪いと、悲鳴を吸い込んだそれの内側には、ビッシリと『針』が埋め込まれ――。
人が、人でなくなる『骸』の処刑を、道具が統べていた。
「…………………………嫌なことを思い出した」
「なんなのよ、一体?」
凉下は凉下で、不思議そうにしていた。浅霧が、途中で説明をやめたからだ。
と。
「でも、えっと。その……さすがです。浅霧様。物知りで、とっても頼もしいです。ご高名から察するに、さぞかしお歳を召された『鑑定師』様だと想像しておりましたが」
「へ?」
「お若いのですね。ずいぶんと」
キラキラと。
着物の少女は、尊敬のこもった瞳で見つめてくる。
熱っぽい眼差し。というか、顔が近い。
「ま、まあ」
…………まだ、自分が開業して『一年』だもの。
そりゃ、若いよ。あんた。
そう思った浅霧だったが、凉下が肘でつついてきたため、
「あ。あは。そう! 実は、そうなんだよ! 若いってよくいわれるよ。けど、ほら。鑑定師としての仕事に、年齢とか関係ないから。ただ、実力だけが大事っていうか」
「分かります! そして頼もしいです」
「……はは、は……」
…………はぁ。何やってんだろ、俺……?
笑う浅霧は、ふと、悲しくなってくる自分を発見した。いや、これも依頼のため。鑑定師としての初仕事のためなのだが。
「……えっと。で? 今回の依頼の件は?」
「あ。は、はい。それが、ですね……。えっと。まず、何からお話ししてよいものか」
「魔法工芸品が、関わってるのか? 俺はそっちが専門だけど」
「え、っと。はい。たぶん。そうだと……思います」
「……? たぶん?」
なんだ?
着物の袖で口を隠す少女。表情も、困惑していた。
奇妙なことが、屋敷で起きた。それだけ語る彼女だったが、しかし、それ以上はうまく口にできないようだった。
なんだろう。この感じは。
説明できない。というより、――しづらい?
そして。崖沿いに走った車が、その別荘に入ってから。浅霧は見た。
屋敷の正面から入った、ロビーの奥。白い壁に広がる、その『血文字』を。