01プロローグ
ふれてみたら、柔らかくて。
雪のように溶けてしまいそうで。
想いは、形には残らないから。
人はふれられない、その温かみを求めて生きているかもしれない。
世界の裏側にあるその仕組みのことを、誰が、いつ、そう呼んだのかは分からない。でも、明らかに人為の混じったそれを動かせるのは、やはり想いをもった『人』だけなのだ。
その日常の中にある非日常を、魔法工芸品という。
道具に命の息吹と、意図が与えられた――〝呪い仕掛けの怪異〟が。
一章 『彼の者は(~His name is……~)』
1
七月七日は、一年で最も星空を愛することができる日だ。
夜空を見上げるとミルキーウェイの星々が輝き、子供から大人まで笑顔になれる特別が待っている。だからなのか分からないが、今日という日は、昼間っからやけに近所のお子様の声が騒がしかった。
せっかくの、心地よい午後のまどろみが台無しだ。
「………………ふぁっ」
うだるような蒸し暑さの中。
とある少年は、そんな一室で頭の洋書をずらした。
いかに素晴らしい詩の書でも、参考になる人生訓が書かれた著書でも――。心地よい昼寝のひとときを前にしては、単なるアイマスクにしかならない。
本をどけた彼が外を見やると、まあ、それはそれは楽しそうに――住宅地の子供たちが、七夕の笹を持って走っているのが見えた。
みるみる、彼は渋い顔をつくる。
……ふざけるな。
午後のまどろみを邪魔されて、彼が浮かべた思考はそれだった。
とても、今年で高校一年生になるフレッシュな青春男子の顔とは思えない。
同時。彼のいるリビングで、けたたましいベルの音が鳴った。
黒電話だ。
今どき、もう時代遅れを通り越して骨董品という新たな地位を見いだしつつあるこの機種は、まだ己を現役とばかりに音を鳴らしまくっていた。正直、家主からしても、音はうるさくてたまらない。
「…………」
生あくび。彼はふらつきながら歩いていく。
時代遅れといえば、このリビングからしても古くさい。明治の華族がダンスでもしていたのかというほど、磨き込まれたフローリングとアンティーク家具の光景は。そのまま、ここがただの家ではなく、街でも最も古い建物にカウントされる洋館であることを示していた。
彼は、手を泳がせるように受話器を取って――。
そのまま。ガチャン。
キレイに完封するように腕を振り下ろして、『切る』という動作を完遂してみせた。
「…………。ウルサイ」
その行動による主張は、それだけだった。
理由も、それだけ。
それから寝直すつもりなのか、ふらつく足でリビングのソファーに戻っていくと――。途中、その足が何かに躓き。転びそうになった。
見る。
すると、それは膝にも届かないくらいの小さな『ホウキ』だった。
『…………』
「あ。いや、こちらこそ。スマン」
ぺこぺこと。まるで生きているかのように頭を下げるホウキに、彼もまたすまなさそうに謝る。
そのまま、ついーっと。
ホウキは、床を滑るように自分の『掃除』を再開する。よく見ると、この部屋の光景には、ところどころ同じように『おかしな』部分があった。勝手に『モノ』が動いているのだ。
葉を揺らしている観葉植物。本棚をパタパタと掃除する、ハタキ。風鈴のように窓辺に揺れるモービルは、風とは逆の方向に動いていた。とどめに、本棚を移動する本は、蝶のように羽ばたきながら洋館のすみとすみを渡っている。
どれも、『外の世界の常識』とは違った道具たち。
これらを――ある人物は『魔法工芸品』と呼び、保護を与えるために洋館に集めていた。その結果、今のこのようなカオスな光景がある。
家族からも。
親戚からも、見放された家。
彼は、その光景にすっかり慣れていた。
「……ふぁっ。さって。と。ヘンに目覚めちゃったし……どうしようか」
あくびを一つ。それから考える。
夏休みの課題……………………は、すさまじく面倒すぎた。
私立の高校に通っている、学生である。ちょうど夏休みに突入していた彼は、まだまだ普通の学生だったら海だ、海水浴だ、バーベキューだと盛り上がる今のシーズンを必死に勉強なんかに費やしたくなかった。
かといって。
他にやることも、ないのだが。
「また、寝直すかな」
怠慢なあくびとともに、そう思ったとき。
――ピンポーン。
洋館特有の、慎ましやかなチャイムが鳴った。
「…………?」
来客だろうか。
振り返った彼は。しかし、出ることはしない。
今時分。セールスか、新聞勧誘か。訪問販売なども考えられた。ピザなどの宅配なんて頼んでないし、ご近所さんとは交流がない。学校のクラスメイトにしても、この洋館に遊びに来ることなんて考えられなかった。
そうなると、残る可能性は限られているのだが。
「……、まさか。な」
浮かんだ思考を、打ち消す。
チャイムは、まだ鳴っていた。
「寝直すか」
春眠、暁を覚えず。
春だけに限った言葉ではない。夏はうだるような熱気で動く気がなくなるし、食欲の秋も、食ったら眠くなる。冬なんてコタツ布団の誘惑がたまらないし、人はオールシーズン眠く、また、眠るべきなのだ。彼はチャイムの音なんか聞こえない。
――ピンポピンポピンポーン。ピンポーン。
玄関では、まだやっていた。
「…………」
――ピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポピンポーン。
「……………………」
ピンポーン。ピ、ピピ、ピピピ。ピンピン、ピンポーン。
「…………だああ。うるせえええ!」
最後のほう、なんかDJみたいになっているのが最高にうっとうしかった。
誰だ。いったい、どこの近所のクソガキだ!?
玄関のドアを開けると、
「あら。いたの」
メモ切れを片手に。
悪びれることもなく。どこか、深い青の色をのぞかせる少女が立っていた。スミレの花のような、涼しげな瞳が――とても印象的だった。まぶしい光に洗われるような白い少女の出現に、彼は一瞬だが息を呑んでしまう。
お嬢様な雰囲気も、ある。
白いワンピース。黒い縁取りのカンカン帽が、夏の空を背景に涼しげ映る。昼の日差しの中で、日焼けしていない白い肌がまぶしかった。
「ここに、浅霧惣一郎――という方が住んでいる。って聞いたのだけど」
「……惣一郎なら、祖父です」
なんだ、こいつ。
一瞬、きれいな子だ。と思ったが、そのぶしつけな口調に、彼は再び口元をへの字に曲げた。
「ご在宅かしら?」
「あいにくと。今は。不在ですが」
「……そう」
ちょっと残念そうに、そして考えるように、彼女は目を落とした。
なんだろう。この子は。祖父に何か用事があるのか。一瞬だけ頭に浮かんだのは『何かご用件でも?』という先回りの問いかけだが、ここでは言葉にしなかった。
――祖父に、用事ということは。
――もしかして?
心の中で、そんな疑念が湧いたのだ。
「いつごろ戻られるかしら?」
「さあ。それじゃ」
「あ。……ちょっと!?」
なんの脈略もなく、逃げるようにドアを閉じようとした彼を、少女の手が阻んだ。焦った彼女の顔に「こっちには戻りません」とだけ言葉をそえて、彼は再び玄関のドアを閉じる。
外では、まだ何か言っていた。
――危なかった。
玄関に背中をつけて、彼は息をつく。
じっとりとした汗。夏のそれとは違う湿りは、冷たかった。
祖父に来客。嫌な予感がしていた。こういう客は関わらないほうがいい。彼は自分の経験がそう感じるままに、分厚い玄関の扉を閉めてしまっていた。
こんな日は、何もかも忘れて、寝てしまうにかぎる。来客なんてなかった。自分はまだ寝ぼけていて、夢の続きでも見ていたのだ。
リビングに戻る。それから、心地のいいソファーにダイビングしようとしたとき、
――バゴッ!! と。
何か。重たい木枠のものが、外から『吹っ飛ばされた』音がした。
「…………は?」
停止する。
……吹っ飛ばされた……?
いや、いやいや。オカシイ。だって。このタイミングで。しかも、あの場所で破られる『モノ』なんて、一つしかない。
――ギシ。廊下を歩く音。それが『来客拒否』をした彼を怒るように、ずんずんと近づいてくる足音。
洋館の軋みが、彼を威圧するように迫ってくる。
冷や汗が、どっと出た。同時に、彼はリビングの『動く道具たち』を見やって、
「っっっ! み、みんな! 緊急事態宣言! 隠れろ!」
采を振る。
大慌ての声。
司令官の号令が響いた直後。わー。と。クモの子を散らすように散乱していた自由な道具たちや、掃除用具たちが。思い思いの場所に消えていく。
悲惨な状況だった。もつれ合って倒れるホウキすら見える。
と。
「――あっ。ここにいた! ちょっと、どうして話を聞いてくれないのよ!?」
ドアをけたたましく開けて、さっきの少女が現れた。
現れた、というか、その印象は先ほどとだいぶ違う。怒りで目を吊り上げる様子は『女仁王像』だし、頬をぶすっと膨らませる様子は、先ほどまでの清楚で物静かそうなイメージなどどこにも残っていない。
自分が腹を立てているということを言外にアピールしていた。
「なっ、なんだお前は! 人の家にどうやって入ってきた!?」
「玄関を蹴破ったわ!」
「げっ――」
――ゲンカン!? と。素っ頓狂な声を出しそうになった。
だって、そうだろう。
彼女のすらっとした。ワンピースの裾から伸びる白い足が、どうやってあの堅牢な洋館の扉をぶち抜いたのか。
彼女は、自分の胸に手をやって、
「私は、今井っていいます。玄関の扉を破ったことは謝るわ。でも、それよりも重要な用件があったのよ」
「じゅ、重要……って。うちの玄関がぶっ壊れたことのほうが俺にとっては重要なことなんだけど!?」
「いいのよ、そんな些細なこと」
「いくない! 些細じゃない! 大問題だ!」
「なによ。弁償くらい、いくらでもするわよ」
いくらでも――。言葉の意味を分かっているのだろうか。それとも、怒りにまかせていっているのだろうか。彼女は見た目は同い年。つまり高校一年生くらいだろう。認識ができていない、なんてことはないはずなのだが。
その彼女の手から、分厚い小型の紙が出てくる。メモ用紙のようだ。
ごく何気ない所作で取り出されたそれには、金額が記入できる欄があり。どこからどう見ても『小切手』と呼んでもいいシロモノだった。しかも、だ。そこには金額なんてものは書かれておらず、署名と印鑑だけが、はっきり。くっきり押されている。
「…………………………、なに、この危険なシロモノ?」
「弁償くらいなら、いくらでもお好きにどうぞ? って意味よ」
彼女は、それを渡してきた。
信じられなかった。
実際、彼はそれを顔に出した。
いったい、どこのどいつが、こんな無責任で豪快な『小切手』を振りだしてくるのだろう。重要さを、きちんと分かっているのだろうか。
しかも、招き入れた覚えがないのに、彼女は勝手に部屋のソファーに腰掛けてしまった。さっきまで自分が使っていた快眠スペース。黒い縁取りの帽子をとると、滝のような髪がこぼれた。
「改めて。私の名前は、今井凉下っていいます。ここにきたのは、ある問題を解決してほしくて、『鑑定師』である浅霧惣一郎さんを訪ねてきたの。分かる? 浅霧、惣一郎さんよ」
「……爺さんを?」
思わず、返事した。
関わってはいけない。とは思いつつ、逆らえないものを感じたからだ。
「そ。オカルト界の〝マニアック〟な部門からは。極めて大きな支持を受けている、あの人を探してね」
まるで辞書に載っていない『常識』を教えてやる。みたいな顔だった。
「あの方も、なかなか忙しい人らしいから。本当は、駅に着いた時点でお断りの連絡くらい入れたかったんだけど……どういうわけか、電話が切れちゃったのよね」
「さっきの電話、お前か!」
こんなファンキーな訪問者が訪れるのなら、素直に出ておけばよかった。
そして、きっちり断っておけばよかった。
「……あいにくと。うちの爺さん、いないんだ」
「だから。どこに行ったら会えるの?」
「会えない。どこにいっても」
「? なにそれ?」
謎かけ? と、ソファーで勝手にくつろぎ始めた少女が首を傾げる。
いや、違う。
彼の祖父が置かれている状況は、そんなものじゃない。
会えない。おそらく、一生。その状況を彼女に話すかどうか、一瞬だけ考え。決めた。どのみち納得してくれるまで、帰りはしないだろう。
それから彼はテーブルに指をつけて、彼女にも見えるように動かした。
――『鬼』と。
「……おに? どういうこと?」
「鬼籍、って意味だ。うちの爺さんは、つまり。そっちに行っている」
――『鬼籍』。
それは、閻魔の名簿に刻まれたという暗喩だった。
「……! それって。つまり。お亡くなりに……?」
彼女の表情が変わった。
「五年前に、な。事故で。山の中だった」
彼も頷く。
詳しいことは伝わっていない。でも、それは大災害だった。
五年前。その山中では、大雨による土砂災害が起こった。黄土色の濁流は、森どころか、途中の山村すらも巻き込んだ。
どうして祖父が、そこにいたのかは分からない。
古ぼけた記憶だった。遺体も残らないほどの規模の災害に見舞われ、遺族の確認として、彼も家族とともに現場にかけつけた。雨の日で、地面に残った黄色の土が、色の変わった血のように残酷に感じられたものだった。
「…………」
「……アンタみたいに、爺さんを訪ねてくる人は多いよ。なにせ、『変わり者』で有名だったからな。でも、今は残念ながら、この家には俺以外の人間はいない。……一人で住んでる」
「……う。そ」
彼女は、それがやっと。という顔だった。
ショックを受けている。あの『変わり者』の祖父に、これほど落胆される人がいるなんて珍しいと思った。
訪ねてくる人は多いが、みんな基本的には『頼み』をしたいだけの連中だった。
「あの人に。なにか、用事でもあったのか?」
「……」
黙っている。
よほど、ショックだったのか。何かの気持ちを整理しているのか。
それから彼女は、ぽつりと、
「……『魔法工芸品』……って言っても、あなたには分からないでしょうけど」
口を動かしていた。独り言に近い。
だが、――ギクリ。と。
彼女の言葉に、彼の肩が動いていた。
「ほ……ほう」
「常識では考えられない仕組みで動く、古くからあるアンティークの道具。それが魔法工芸品。呪いの道具であるそれに関して、話があったのよ。あの方の呼び方では――そう、魔法工芸品、だったわね」
「…………」
「私が、まだ六歳だったころの昔よ。うちの屋敷に、『呪い』と呼ばれるおかしな道具が現れたの。夜な夜な暴れて、家具を壊す怪異の正体は――実は、私が持っていた、お父様の海外のお土産の『人形』だったの。その怪奇現象の原因を探るため、遠くから呼ばれたのが――日本に少数しかいない怪奇専門の『鑑定師』。浅霧惣一郎さん」
それは、彼女の思い出だった。
屋敷を騒がせる怪奇現象。その現象と、祖父は真っ向から対峙した。鋭い観察眼と、魔を帯びた道具を見つける手腕は――まるで、古い小説から飛び出してきたシャロックホームズのようだったという。
すばやく屋敷を調査した祖父は、父親の土産としてもぐり込んでいた――彼女の『人形』を発見した。
呪いが仕込まれた自律するアンティーク。――『魔法工芸品』の西洋人形を。
「……信じられないでしょう? いいのよ、笑ってくれても。私がこんな話をしても、みんな信じてくれなかったんだから」
「…………」
「でも、惣一郎さんはそれを見事に解決してくれた。しかも、壊すのではなく――私の『お友達』として、丁寧に扱ってくれた。あの子の中にあった、魔の性質。人への憎しみだけ、払ってくれたのよ。毒を吸い出すみたいに。こんな花も実もある鑑定師、他にいないでしょう?」
彼女も、事件後に初めて『鑑定師』を知ったという。
とても大切な記憶のように、そのことを語っていた。まるで、子供の頃の、大事なアルバムを見せるような声で。
ぎゅっ。と。
握りしめた彼女の手に、透明な粒が落ちる。泣いていることが分かって、彼は驚いた。
「……その人が、もう。いないなんて」
「…………」
「まだ。もっと。もっと、いっぱいお話ししたかったのに……。お礼だって、まだちゃんといってないのに」
手には、バックがあった。
女の子の外出ようとしては、やや大きい。洋館に入ってきてからも、彼女はそれを一度も手放そうとはしなかった。
「もしかして……。今、持ってるのか? その『魔法工芸品』を……?」
「え、ええ。一応。あるけど……」
赤い目を上げてくる。
実は、思わないでもなかった。
彼女のような非力な女の子が、玄関のドアを『破る』ような力を発揮したことについて。
それは、もしかすると強力なお供がいるから。なのではないかと。
「是非。見せてくれないか?」
「えっ?」
彼の、そんな変化に少女は驚く。
「ど、どうして……?」
「俺は、祖父と同じで魔法工芸品を昔から見てきた。だから、どういう種類のものがあるのかは知っているし――自分の知らないアンティークには、正直興味がある」
それに。
祖父が扱った魔法工芸品を。見てみたい。
もちろん、強要するつもりはなかった。
彼女の渋る表情を見るに、どうやら人には見せたくないものらしい。動く人形という話から察するに、もしかしたら過去に、周囲から気味悪がられでもしたのか。
よくあることだった。
魔法工芸品という、特殊すぎるアンティークに関わる人間には。
「……お、驚かない……? あなたが思ってるよりも、不気味かもしれないわよ……?」
「驚かない」
「約束する?」
「する」
「あなたが、惣一郎さんの孫だから見せるんだから……ね?」
最後まで渋ってから、彼女はバッグの口を広げる。
同時。まるで、天の光に導かれるように。すう――とひとつの体が浮遊した。
重力に逆らう動き。
天使のように髪がなびき、碧眼の瞳をもつ。人形。
「――これが私の魔法工芸品。『フランチェスカ』よ」
紅のドレスを波のように揺らす、人工の守護霊がこちらを見つめていた。まるで、聖書の天使が舞い降りたような姿だった。
間違いない。
「……美しい。しかも、これは本物だ」
「え? え?」
「俺も、さ。爺さんの影響で『魔法工芸品』を見極める目は養ってるつもりだけど……。偽物もけっこう多いんだよ。それこそ、マニアたちの間でも噂の域を出なかったり。悪質なほど忠実なレプリカなんかも出回ったりして」
でも。
彼は、ごくりとつばを飲んだ。
この人形だけは、本物だ。
「――おそらくは、一六世紀の職人の作。ルネサンス期の特徴を色濃く感じる。造形に、深みもある。一級品だ。どうりで……。うちの『玄関』が負けるわけだ」
「……? 負ける? ど、どういうこと?」
「あれも、魔法工芸品なんだよ」
彼は振り返っていた。
同時。ギィィ。と。
音がしたほうに振り返ると、リビングのドアからこっそりと室内をのぞきこむ――もう一つの『ドア』がいた。
「……! ど、ドアが動いてる!?」
「だけじゃない。この屋敷の、あらゆるものが魔法工芸品として動いている。魂が宿り、意志を持ち――この世の、ありとあらゆる奇蹟がこの部屋に詰まっている。爺さんが事件を解決して、集めてきた『身内』が」
彼は、リビングの光景に振り返った。
そこには、まるで珊瑚礁の海にカラフルな魚が戻ってきたように。
蝶のように動く本。
勝手に掃除してくれる箒。
それらが一斉に動き出していた。
「……っ!」
「そして、この屋敷自体が――巨大な『要塞』でもあるんだ。ドロボウとか、不意の侵入者には、屋敷が一つの魔法工芸品として機能してくれる」
だから、普通はここまで入ってこられないのだと。
彼は、さっきまでの『普通の少年』ではなく。魔法工芸品を『よく知る人間』としての顔で言った。
「……あ、あなた……何者?」
だから、彼女は言った。
今まで自分の世界では『珍しい』はずだった存在――それを、こんなにまで身近に。それこそ、囲まれながら生活する人間がいるなんて。
「えっと。一応、『二代目』……になるのかな?」
「にだいめ?」
ポリポリと。少年は、頬をかきながら、
「俺の名前は、浅霧循。この洋館と――そして、魔法工芸品のもろもろを受け継いだ。二代目の『鑑定師』だ」