014 その老人、ボケてます!②
塔の扉の向かいに回ってみると白髪のおじさんが腰を伸ばして染料を塗っていた。年齢は七十くらいだろうか。踏み台にしている木製の机がおじいさんの振動で一緒に揺れていた。正直見ているこっちが怖い。
おじさんが塗っているところを見てみる。本来白いはずの灯台だが、その部分だけが黒く染まっていた。その黒い範囲が結構あり、おそらくバケツか何かで塔の壁めがけてぶちまけたのだろう。形はいびつだったが、範囲は上から下で五メートルほどもあった。
「こんにちはおじいさん。なにをしているんですか?」
「ああん? なんじゃお前! 聞こえんぞ! どうせガランゾ商会のものだろう! 帰らんとペンキぶちまけるぞがきぃ!」
「いや、なんのことだよおじいさん。なに言ってるかさっぱりなんだけど。よければお手伝いしますよ」
「儂の塔にふれんじゃない!!」
塗っていることはわかる。なのでそこらに転がっている缶を広って俺も手伝おうと塔に近づく。
なにを血迷ったかこのじいさん。俺に白いペンキをぶっかけやがった。白い液体を。頭からびっしゃりいき、なんともいえないぬめぬめが嫌悪感をあおる。
「がああああああ! くそじいいっ、てめっ! またパンツまでびっしゃりじゃねーか! この調子だとあそこまで白いぞこれ! 落ちるのかこれ! かぶれたりしないよね!?」
「その声……、グラッソか!」
「ちげーし!」
俺の否定などまったく聞こえていないようで、近づいてきて俺の頬をぺちぺち叩いてくる。
「おお、おお、よくきた。……えらく白くなってしまったのう。なんかの病気か?」
「あんたのせいだけどな!」
タオルなどないので、そこらの葉をむしって顔から腕から足までふき取る。吸収性もなにもない葉なので応急処置の域を出ないが。まあ、ぬめぬめはなくなっただけよしとしよう。ペンキの成分とかしらないけど、人体に無害だよね? 頼むよほんと。
「積もる話もあるだろう。どうじゃ、中に入っていかんか? グラッソ」
「……」
グラッソではないのだが。しかし否定しても話は進みそうにない。そのグラッソとやらには悪いが騙らせてもらうことにした。
腰が八十度ほど曲がっているおじいさんの後をついていき、扉から中に入った。中は宿屋と同じ質素だった。白い壁と机、椅子、キッチン、寝具。そしてカーペット。割と広い部屋なのだが、家具が少ないせいで余計に広く感じられた。奥の方に上階に通じる階段も見られた。
「まっとれ。今茶をいれてこよう」
「お、おいおい。いいよおじいさん。俺やるから。座ってな」
椅子まで誘導しようと小さい肩をつかむ。おじさんが違和感に気付いたように振り返った。
急に別人格でも宿ったかのように、かっと目を見開くと言った。
「お前! だれじゃ!? どうやってこの中に入った!」
「……」
おーいおいおい。勘弁してくれ。はなしがすすまないよー。つかれたよー。
ふうと溜息をつく。こらえるんだ、俺。根気よく行こう。
「いいか、おじいちゃん。俺の名前はよいよいつうんだ。よいでもよいよいでもどっちでもいい。よろしくな」
「よいよい……、あー覚えているぞい」
「なわけあるかい」
「お主あれじゃろ。儂の妻を奪い合った中の。あの日は嵐じゃったのう。儂とお主でつまに告白するために崖に呼び出したんじゃ」
「火サスかよ。立ってるのもままならないよ」
「そんでお主が先に告白したんじゃったな。振られていたなあふぉっふぉっふぉ! 愉快愉快」
「そこは慰めてやれよ……。それで、俺はどうなったんだっけ?」
「崖から転落じゃ」
「大丈夫なのそれ!?」
嵐の日を選ぶから、ほら!
振られたあげく転落とかかわいそうすぎる。今はなにをしているのだろうか。幸せになっていてほしいなあ。
「波にさらわれて違う町に流れ着いたとかなんとか……。まあ、そんな奴の消息なぞ知らん。それからわしは妻ときゃっきゃうふふな生活じゃ。うらやましかろ」
「やっべーちょーうらやましいっす」
悪いけど老婆に色っぽい気持ちは抱かない。適当に流す。
おじいさんに落ち着いてもらうために冷水でお茶を作って、それをテーブルの上に置く。
「はいよ。まあ、飲んで落ち着こう」
「ふぉっふぉっふぉ。他人がいれた茶を飲むなぞ何年ぶりかのう……」
「……奥さんは?」
「二年前かのう……。今となってはよく覚えておらん。気付いたらいなくなっていた」
亡くなったのか。
重い空気があたりに流れる。ずずず、と二人して茶をすする音が場を占めた。お茶は出がらしのような味の薄さだ。部屋だけではなく、飲み物も質素らしい。しかしこんなよぼよぼのじいさん一人に灯台を任せるとか町の連中はなにを考えているのか。
「それで、お主はここになにをしにきた。おいぼれになんかのようか?」
「じいさんあんた……」
「悪いのう。ここ最近特にボケがひどくてな。旅立つ日もそう遠くないのかのう」
「あれだけ元気ならまだまだいけるさ。そう、じいさんが困ってるって噂を聞いてさ」
「ガランゾ商会がらみのことかの?」
「ガランゾ商会?」
じいさんの話によるとここ、シーリュスの町から二日ほど馬を走らせるとグラッセという大きな町があるらしい。その町の中に商いを一手にになうガランゾ商会という大きな商会があるということだ。その商会からここ最近この灯台を新しくする話がある。じいさんは断固反対。ふざけんなと唾を吐き替えて追い払っているそうだ。俺にペンキをぶちまけたあたり誇張でもなんでもないんだろう。いかにもやりそうだ。それからというものの、白い塔に黒いペンキで嫌がらせが続いている。要約するとこんなところだった。
話を聞くに俺はペンキを塗るのをやめさせればいいのだろうか。
「灯台を新しくするなんて多大な金が動きそうだな」
「それで嫌がらせをしてるんじゃろ。まったく肝っ玉が小さいやつらよ」
「でもそんな金誰が払うんだ? じいさん、ってことはねえよな」
悪いけどそんな大金を持っているようには思えない。
「儂じゃよ。もっとも金ではないがな」
「ほんとに!? どこにそんな金が……」
室内を見回してみても価値のありそうなものは皆無だ。貴重品を入れて置けるような物もない。二階にあるのかもしれないが、金があるのならもうちょっといい暮らしをしても罰は当たるまい。
「なんじゃお前、お前も儂の金目当てか?」
「いらないって言ったら嘘になるけど、それより誘引激派っつう流派を教えてもらいたいんだ」
マーに教えてもらっていた流派の名前を出す。
じいさんは顔を歪めた。
「なんじゃお主もかい……」
「俺もって、その商会も連中もその流派を欲しがってるのか」
「ああ。みたいじゃのう。なんでも冒険者ギルドの連中に習得させるみたいじゃぞ」
冒険者ギルドの底力アップを狙っているのだろう。無手の流派を習得させるあたり、なかなか侮れない奴らだ。万が一を警戒する考え方は嫌いじゃない。
「でも渋る理由がよくわからないな。こういっちゃなんだけど、減るものでもないだろ」
「若い連中を連れて儂を脅しに来たり嫌がらせしに来る連中に教えるつもりはないわい! どんな使い方をされるかわかったものじゃない!」
「……もっともだ」
「それにな、この塔は代々儂の家系――ルーシュバルツ家が灯台の守り人として守ってきたものなんじゃ。儂の代でおいそれと取り壊せるわけもなかろう! まだまだ数十年行けるわい」
「なるほどね。じゃあ、とりあえずそのしつこいガランゾ商会の連中を黙らせれば誘引激派を教えてくれるか?」
「ああ、よいぞ。お主の言葉を借りるなら減るものじゃないしの。もっとも、この老体にはいささかこたえるがのう」
契約成立だな、とじいさんと握手したとき宙にポップアップウィンドウが表示された。クエスト、岬の先の白塔が開始されました。と出た。どうやらこれでクエストを受注できたみたいだ。じいさんがまた外に出て塗るというので俺も手伝うことにした。一時間くらいかけて塗り直し、やっと俺は自由の身になった。
「さて、これからどうしようか」




