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卑屈な雨  作者: tonby
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追章「干渉」

本編より鬱なので注意。

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。


先程まで辺りに満ちていた瘴気は外から流れ込む風が既に吹き飛ばしている。しかし、現場はその凄惨さを手放してはいない。足元に転がっている2つの生々しい塊を、蛍子けいこはただ見つめていた。今の彼女に肉体は無い。いや、もともとそんなものは無かったのだろうか。


漸く拘束から解放されたというのに、蛍子の心は晴れない。ただ、悲しみに深く沈むだけであった。外のけたたましい雨音は、そんな彼女を励ますようにひたすらに鳴り響く。


 どうして、いつもこううまくいかないんだろう。




それまで恋愛などというものには縁遠かった蛍子に、初めて想い人が出来た。それはもう、一目惚れであった。初めてその目で彼を見た瞬間から、蛍子はその全てを独占された。いつでも、どこでも、どんなときでも、彼女はそれ以外のことを考えられなかった。彼に会うこと、それだけが彼女の楽しみであり生き甲斐だった。


…彼に既に相手がいることを知るまでは。彼のその相手との生活は実に楽しそうで、彼は不満1つ無いような表情でその生活を謳歌していた。


自分のその想いが望まれないものであると悟ったとき、彼女は諦めることを決心した。というよりは、それ以上彼を求めることが出来なかった。彼から差し出される手を期待することが、彼から満ち溢れるその幸福を奪い取ることに繫がりそうな、そんな気がして。


しかし、彼女にとって彼を忘れることなんて不可能な話だった。いくら自分に言い聞かせても、そう簡単に抑えられるほどその想いは弱くなかった。気付けば蛍子は凄腕の物術師がいると噂に聞く古びたビルの前にいた。彼女はその歩みを止めることが、出来なかった。


そして、蛍子は封印された。物術の強大なエネルギーによって劣化複製された新たな人格は、もといた人格を拘束してその身体を乗っ取ったのだ。ただ、その狂人に直接拘束されていたので、記憶だけは共有された。


狂人は自分を生み出した物術者、つまり志月への殺意のみで動いていた。彼女は逃走ののち徹底的に志月について調べ上げた。そして志月があの事故を起こした理由がその境遇にあることを知ったとき、狂人は彼女を精神的に締め殺すことを決めた。蛍子は抵抗することも出来ずにただ人殺しと化しつつある自分を見届けるしかなかった。


しかし、狂人の企みはあえなく失敗した。志月を追いつめるはずだった悟知は逆に彼女の心の拠り所となった。それとともに狂人の姿はどこかへ消え、蛍子はその身体を少しづつ取り戻していった。


変わり果てた自分の姿を見た瞬間から既に、かつての想い人に会いたいなどという願望は諦めていた。そして記憶は共有されていたから、狂人の調べた志月の情報はすべて知っていた。こうなったらもう、自分が叶えられなかった夢を志月に叶えてもらうしかなかった。だから、物術を教わり、彼女を少しでも手伝えればと思ったのだ。それが狂人の思うツボだとも知らずに。




 ただ彼を見ていたかっただけなのになぁ……


蛍子は自分の行動がただただ裏目に出る現実を恨む。が、涙を流せる目は無い。狂人に拘束されていたときと同じく、突き付けられた現実を受け入れるしかなかった。


この場所に未練がある訳じゃない。でも、もう動きたくなかった。ここを去れば成仏できるのだろう。生まれ変わって全く新しい自分をやり直すことができるのかもしれない。しかしもう蛍子に行動を起こす勇気も気力もなかった。蛍子は永遠に行動を拒絶することを決め込んだ。




「やっぱりここで合ってるよね?」


志月は何度も辺りを見回すが、目の前以外の風景は記憶の中のそれとほとんど変わらない。しかし、悟知の家があったはずのその場所には、さも初めからそこにいたかのようにビルが立っていた。志月はそのビルにどこか懐かしい感じがした。よく見てみると、自分が物術師をやっていたあのビルに少しだけ似ている気がする。


眩しい夏の日差しを受けながら、志月はビルの前に立ち止まる。ビルの窓ガラスは白い雲が浮かぶ真っ青な青空を映し出している。


「あれからもう半年も経つのね……」


志月は大切な人を失ったあの時を思い出す。彼は天国でも元気にしているだろうか。


ビルの中は暗い。寂れた様子を見ると暫く使われていないらしい。ガラスのドアを引いてみると、それは素直にその道を開けた。志月はビルの中へと歩みを進めた。


ビルの中は静寂に支配されていた。窓から日差しがほのかにコンクリート壁の室内を照らしている。志月はカバンの中から箱を取り出し、そのフタを開けた。中には親指大のガラス玉が入っている。先程まで白く濁っていたそれは、自己の使命を察知して澄んだ透明に姿を変えている。


「やっぱりまだここにいたのね、蛍子さん。」


部屋の中に返事は無い。しかし志月は続ける。


「謝って許してもらえるなんては思っていないけど、本当にごめんなさい。自分勝手な理由であなたを巻き込んでしまったのはどう詫びていいか分からないわ。罪滅ぼしにはならなくても、せめてもの償いをしたくて、今日はこれを持ってきたの。」


志月は箱の中のガラス玉を床に置いた。ガラス玉は音もなく床へと着地すると、転がることなくその場に留まった。


「狂人の使った術を応用したものよ。ここに入っていれば、成仏せずに、誰にも邪魔されずに眠ることができるわ。あの後狂人の使ったリングをよく調べたら、あなたの術とは微妙に違うことが分かったの。今度はあなたに復讐するために罠を仕掛けてる、なんてことはないから安心して欲しい。」


少しの間の後、ガラス玉は淡い光を帯び始めた。志月はこれで良かったと安心する反面、何か心に残るものがあった。


「準備しておいてこんなことを言うのも変だけど、本当にそれでいいの?あなたは自分に正直に行動した。それに結果が付いて来なかっただけ。何も間違ったことをした訳じゃない。もし生まれ変わってやり直せるなら、もう一度頑張ってみてもいいんじゃないの?」


ガラス玉の放つ光は一段と強くなり、弱まる気配は無い。


 ーー君には人を変える力がある。


悟知の声が蘇る。


 ああ、どうして気付かなかったんだろう。


彼女が必要としているのは、心理カウンセリングでも、ましてやこのガラス玉でもない。彼女に何が必要かなんて、悟知がとっくの昔に教えてくれていたじゃないか。


「蛍子さん。私はあなたに幸せになって欲しい。あなたは私のために物術師になろうとしてくれた。それが本当に嬉しかった。悟知君に物術を否定されたと勘違いして、それでもなんとか耐えられたのはあなたのおかげだった。そんなあなたが、自分の行動がすべて無駄だったなんて言わないで欲しい。あなたは私を救ってくれた。だから、あなたには頑張ってあなた自身の幸福を掴みとって欲しいの。お願い、もう一度だけ歩き出して!」


目の前の小さなガラス玉は眩しく輝き続けている。が、次第にそれは優しい光へと変化し、そしてその明るさは完全に消えた。部屋には再び薄暗さが戻っている。ガラス玉を床から拾い上げると、ふっ、と一瞬で気化して無くなった。ありがとう、と蛍子の声が聞こえた気がした。

依頼人が完全に悪者なのが気になって仕方なかったので書いてしまいました。最後の最後まで読んでいただき本当にありがとうございます!

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