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卑屈な雨  作者: tonby
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五章「崩壊」

強風が吹き荒れ、雨粒をそこかしこに打ち付けている。そんな中、傘を抱えるように差して志月が向かう先、それは悟知の家だ。


 家に来て欲しい。


初めて悟知から届いたメールには、その一言の本文だけがあった。志月は胸の高鳴りと不安を同時に感じる。何しろあんなことがあったばかりなのだ。


 ーーもう関わらないでくれ。


そう、あのとき彼はきっぱりと否定した。志月の頭の中に自然と悟知との記憶が思い出される。




今思うと随分と子供じみた理由だ。ただ分かったような口を利かれたのに腹が立った。ほんのそれだけの理由で、半ば強引に彼に付いていった。彼のいいえと言えない性格につけこんで、何から何まで明らかにしてやろう。復讐というよりはただの嫌がらせに近いそれが、いつの間にか楽しみになっていた。


 そう、いつの間にか彼を好きになっていた。


理由は今でも分からないし、きっとそんなものはないのだろう。ただ、彼があのとき言った言葉。


 ーー僕はあなたの幸福を祈っています。


それが嘘でないということがほぼ確信できたとき、彼の一番近くで、その祈りを返してあげたいと思った。


だからこそ、こんな自分でも彼に受け入れて欲しかった。




志月の両親は双方とも歴史のある物術師の家系だ。その間に生まれた志月は、幼い頃から物術の知識を叩き込まれた。


 それは、他の生き方などない、と洗脳するように。


彼らの思惑通り、志月はめきめきとその物術の腕を上げていった。それは、彼女の物術師としての素晴らしい人生を確かなものとしつつあった。しかし、その代償は大きかった。周りの大人の物術師が自分の地位を危ぶむ存在を見る目は冷たく、その嫌がらせは酷いものだった。それに耐えられなかった。


だから、わざと物術で失敗した。恋愛成就を願う依頼人。明らかに調整の外れた物術を施したカードは、手にした彼女を一瞬にして狂人に変えた。金切り声を上げながらその場でもがき喘ぐ依頼人。それを志月は冷たい眼差しで見届けた。


しかし、志月の望みは儚く散った。両親の力を以ってすれば、そんな事実の抹消など造作もないことだった。志月が物術と生きることを受け入れざるを得ないことを理解した瞬間だった。




風雨は収まる気配を見せない。そのままやっとの思いで悟知の家に到着する。畳んだ傘を傘立てに差し込み、インターホンを鳴らす。すると返事も無く中から足音が聞こえ、その扉が開かれる。扉の向こうにいた者、それは無表情で虚ろな目の悟知だった。生気を失ったその姿は、別人とすら錯覚させる。


「悟知…君?」


彼に返事は無い。代わりに差し出された手は彼女の胸倉を掴み、床にねじ伏せる。


「きゃぁぁあああ!!やめて!!!」


抵抗する志月を左手で抑え、悟知は右手でポケットの中から液体が入った小さな瓶を取り出した。そのフタを開け、内容物を志月の口に流し込む。


「んぐ……ぶはっ!」


抵抗も虚しくそれを飲み込んでしまった彼女は、その瓶のラベルを目で捉える。それが示していたものは、彼が否定したはずの物術の薬品の一つだった。確か弱いながら麻酔作用が……


「どう…して……。」




視界がはっきりしない。前方に誰かが立っている。


 誰だろう。


ぼやける目をなんとか凝らす。するとそこには悟知がいた。


「ぐう……ぐふふ……」


いや、違う。その雰囲気は明らかに彼のものではない。虚ろな目、歪む口許、謎の唸り声。


 これはもしかして……


悟知が志月の首に手を掛けようとしたそのとき、志月は力の限り叫んだ。


「悟知君を返せ!!!」




……またあの感覚だ。どこまでも、暗い。広大な闇の砂漠の中、悟知の身体は浮いていた。その場でもがこうとするが、今度は身体が一切動かない。全身がその一切のコントロールを失っている。


徐々に視界が開ける。その前方にいたのは……手足を縛られた志月だった。その周りには、誰もいない。見慣れた自分の部屋の中、悟知と志月の2人だけだった。彼女は、朦朧とした意識でベランダに続くガラスのドアの前に座っていた。


 どうして、僕はこんなことを……?


必死に抵抗する。が、自分の身体はぴくりとも動かない。強風に煽られてガラスのドアがびゅうびゅうと鳴るだけだった。


「無駄よ、悟知君。」


後方から響く、低く掠れた女性の声。その声は、とても普通の人間が放ったとは思えない狂気を含んでいるようだった。後ろを振り返ろうとするが、頭はやはり動かない。


「あなたの魂はもうほとんど残っていないわよ。もともと意志が弱かったからね。まあ素人の腕じゃ完全に消すことはできなかったけどね。あなたも見たでしょう、あなたのカバンに忍ばせておいたリングを。」


カバンに隠されていた赤色のリング。そんな馬鹿な。あれは志月が自分を……


「ふふっ、見事に噂に騙されたみたいね。その恋愛成就がどうとかいう噂は私が流した嘘よ。一緒に脳内麻薬が云々なんていう変な噂も流れてたみたいだけど、それでもリングを捨てないなんて、あなた最高だわ。あっははははは!!」


後方の声が狂気に満ちた笑い声を上げる。


捨てられる訳がなかった。それを捨てることが彼女とのつながりを完全に断ち切るような気がして。


「くく、ごめんなさい。ちょうどいいわ、悪いけどついでにあなたに仕事を手伝って欲しいの。」


その声をさらに一段と低くし、平気で続ける。


「その目の前のクズ女を殺しなさい。」


悟知の身体は乗っ取られたかのように一歩、また一歩と志月に歩み寄る。


 僕が、彼女を殺す?


 嫌だ。絶対に嫌だ。


 止めろ!止めてくれ!!


悟知の悲鳴も、唸り声として口から漏れ出るだけだった。泣くことさえ出来ない。ぐったりとしている彼女の首元に、その無慈悲な手が添えられようとした、その時。志月の深い茶色の目は見開かれた。


「悟知君を返せ!!!」


悟知の身体は志月の気迫に退け反る。瞬間、身体の感覚が帰ってくる。


 いける。


後ろに退路は無い。目の前には雨雲を映したガラスのドア。やるしかない。悟知は志月を両腕に抱き上げ、背中から勢いよくベランダに飛び込もうとした。


視野に飛び込む狂人の姿。その右手から何かが振り下ろされる。宙を斬る金色の閃光。突如、悟知の脚は石のように固まった。


「くっ……!」


悟知の身体はそのままガラスのドアへと倒れ込む。志月の質量を得た悟知の身体は、そのガラスをゆっくりと破った。彼女の身体は勢いよく、激しく雨の降り込むベランダへと投げ出される。悟知は彼女に叫ぶ。


「大丈夫か!?」


不鮮明な意識で悟知を見た志月は引きつった表情で答える。


「うん……それより、悟知君、脚……」


悟知は自分の脚を見る。大きなガラスの破片に抉られた右太腿が、勢いよく血を噴き出している。しかし、感覚の全てを奪われたそこに痛みは無い。


ガンッ、と部屋の中から響く衝撃音。右手の針をこちらに向けたまま、狂人が棚を蹴ったようだ。小物入れが棚から落ち、日用品が床にばら撒かれる。


「ふん、最後まで気に入らない真似をしてくれるわね。気が変わったわ。このクズ女は後でゆっくりとなぶり殺すことにするわ。」


床に落ちていたティッシュ箱と物術の薬品の瓶を拾い上げ、志月の前に立つ。狂人の顔を確認した志月は、気化する薬品を吸わされながら言う。


「そんな、どうして…あなたが……。」




出血と術のせいで身体はほとんど動かない。あの狂人を打ち倒すのは無理だ。電話で助けを呼ぼう。悟知は意識を手放しそうになるのをなんとか堪え、廊下を這う。しかし、電話の遥か手前で足音を聞く。それは、後方から聞こえる、志月を気絶させ終わった狂人のものだった。


「ふふん、彼女を見捨ててどこに行くつもりかしら?」


一歩、また一歩と近づく足音。その左手は、玄関にあっははずの金属バットを引きずっていた。悟知の右側には、自宅の見慣れたドアがあった。


 彼女を助けたい。


その熱意が悟知に与えたものは、無慈悲な選択だった。

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