月とマンホール
遊園地の隅のメリーゴーラウンドの前に設置されたベンチに、少年と少女が座っていた。
元から浅黒い肌をさらに日焼けさせた少年は、精巧なマネキン人形のように整った顔立ちの少女の、素肌の白さに見惚れていた。
「美味しいわ」
「美味しいね」
格別に美味しくもない三百円のアイスクリームを、二人はぺろぺろと犬のように舐める。
少年は少女の器用に動く舌に見とれ、何かを考えているようだったが、やがて溶けたアイスが手に付いてしまった。
夏の日和の下である。心なしか、少年は常になく腋下に汗を感じた。
「バカね。他人の食べるところにばっかり夢中になっちゃって」
「器用に食べるもんだなと思ってさ」
「そうよ。女は器用でなくちゃ生きていけないの、そういうものなの」
そうやって嘯く少女の横顔にはまだあどけなさが残っている。少年はそんなあどけなさの残滓を愛した。
「どうして遊園地でアイスクリームなんて食べてるのかしら」
「君も僕も、絶叫マシーンは苦手だからね。観覧車もお化け屋敷もダメで、そんな人間が楽しめるところなんて少ないから――」
「暇つぶしにアイスクリーム、ね。暇つぶしも度が過ぎるとお腹が冷えちゃうわ」
口では怒ったふりをしながらも、熱心にアイスクリームを攻略しているおかげか、どこか楽しげな表情をしているように見える。
ああ、この子は食べることが大好きなんだ、と少年は何となくそう思った。心の奥でちらりと、遠くに見える観覧車に二人で乗れたとしたなら、と考えないでもなかった。
「ふう、ごちそうさま。ところであそこ、マンホールの蓋があるわね」
と、指差した方向には、たしかにマンホールの蓋。蓋の表には遊園地のマスコットキャラクターの模様が彫られている。
「それがどうしたの?」
「不快だわ、現実を思い出してしまうようで。遊園地って非現実的な時間を楽しむところでしょ?」
「それはそうだけど。必要悪ってやつだよ」
「覚えたての言葉を無理に使わなくてもいいわ。……それなら、コペルニクス的転回って言葉、知ってる?」
「コペルニクスは聞いたことあるかも」
はあ、と少女がため息を吐く。少年は嫌われたのではないかと、少女の顔を恐る恐る覗きこむ。
「素敵な話をしてあげるわ。あのマンホールの蓋はね、非現実的な世界にはいられない、いつか現実の世界に戻らなければならないってこと、つまり外に別の世界があることを教えてくれているの。例えば、太陽や月も同じ役割を果たしているの。夜空に浮かぶ星々は、全て外の世界のあることを教えてくれる。こうして考えてみるとね、マンホールの蓋と月とは同じ役割を果たしているもの同士、つまりマンホールの蓋は月なの」
「はあ」
「だからね、私があの蓋を踏めば、私は月面に到達したことになるの。素敵でしょ? 物事の見方がひっくり返っちゃったでしょ」
「よく分かんないけど、君は月に行きたいのかい」
「まあ、そうね、一度だけでも行ってみたいかな」
はい、と手を差し出した少年。少女が怪訝な表情で手を握る。その手の小さく儚い様ときたら。
「二人で乗るの、あのマンホールの蓋に?」
「そう。さあ、月面旅行へ出発だ」
少年は何かの行進曲を口ずさみながら、少女をぐいぐいと引っ張って行く。そうしてたどり着いたマンホールの蓋に、二人が乗った。
「君のことが好きだ」
「……バカ。そんなの分かりきってることじゃない」
太陽のように光り輝くメリーゴーラウンドがくるくると回転するその横、二人だけの月面で、初めてのキスは交わされた。
最早、転回はあり得ない。二人はお互いを愛し合い、そうして百年の恋を実らせるだろう。
この作品は熟雛様の「【作品募集】お題掲示板~三題囃で書きましょう~」より、
『遊園地でアイスクリーム』
『マンホールの蓋』
『三人称・登場人物少女一名、少年一名のみ』
以上のお題に従って執筆したものです。