No,9
視点が、頻繁に変わります。
ご注意下さいませ。
「え?・・・・もしかして・・・・・京・・・お兄ちゃん・・・・・?」
遠い記憶を呼び起こすような懐かしげな呟きに、深水が単純に驚く。
「・・・驚いたな・・・・覚えていてくれたんだ、翠君」
「覚えてるよ!
だって何人か京兄の義兄弟の人たちと遭ったけど、京兄が一番嬉しそうな表情で紹介してくれたのは、京吾さんだけだもん!」
大好きな京兄と和やかにティータイムを楽しんでいた時、本家の当主である京兄のお父さんが急に帰宅して京兄の機嫌が一気に下降した。
そこに急に怒鳴りこんで来た人。やたらと怒っていて驚いたけど、京兄のまとう雰囲気がたちまち柔らかくなったから怖い人だとは思わなかった。
後で、『あの人、誰?』って聞いたら、『俺の義弟の京吾だ』と聞いて二度びっくり。
ついでに言えば、他の義兄弟さんは、やたらと京兄におもねるような言動をし、その被害は僕にまで及ぶ。
京兄に媚びる事のない唯一の義兄弟なんだ、京吾さんは。
僕の言葉に、二人の兄弟は全く逆の反応をした。
京兄は、満足そうな顔をし。
京吾さんは、すごく複雑そうな表情をした。迷惑そうな、それでいて、嬉しそうな・・・・?
う~~ん・・・・僕、お子様だから、複雑そうなオトナの事情は、理解りませ~~んっ!
「・・・・じゃあ・・・な」
紫さんの肩を抱いた京お兄ちゃんがその場を離れようとして。
「・・・ああ」
直ぐに納得した京兄と。
「え~~、一緒にまわんないんですか~~?」
普通に疑問に思う僕の声。
四人の視線が絡み合い・・・・・・軍配は、無邪気な天然のお子様に上がった。
『え~、一緒にまわんないんですか~?』
―――参ったな―――
全くの邪気のなさは、一種の武器だ。
視線の先では、誰より愛しい人が義兄の婚約者と仲良く手を繋ぎながら、あちこち見ては絵画談議に花を咲かせている。
とてもじゃないが、割って入れる雰囲気ではない。何より―――
「悪いな、翠の奴が我儘言って」律儀に一応謝ってくる義兄に苦笑で答える。
「別に構わない。何より、紫さんが楽しそうだ。」
そう、それが彼らに同行を許した最大の理由だ。二回り年の違う少年に懐かれ、紫さんもまんざらではないようだ。
それに何故か翠君は、俺の事も慕ってくれている。出会いは最悪だったと思っていたのに不思議なもんだ。
「・・・・しかし、正直助かった」
「何の事だ?」
「・・・・あの絵を見ていた紫さんの表情を見たか?」
「・・・・ああ・・・・・」
「紫さんは、あの絵にとり憑かれている。
・・・・ここに通い出して、もう五日目になるが、一日一回は必ず見に来るし、放っておけば何時間でもあの絵の前から動かない」
「・・・・・・・・・・・・・」
「翠君のお陰で良い気分転換が出来た」
「・・・・せいぜい利用してやってくれ」
「ああ、そうさせてもらうよ」
皮肉のきいた励ましを素直に受け取る事が出来るのも、翠君の笑顔の効力だろう。
【サモトラケのニケ】に圧倒され、【アルテミス】に感嘆し、【ミロのヴィーナス】をながめ。
今は一体の彫刻の前で、二人は立ち止っている。
「あれ~~、この彫刻、女かな~、男かな~~?」無邪気な声にギョッとする。
良く見れば、豊満な乳房をもちながらも顔は少年の表情。うつ伏せに寝そべったポーズなので股間は見えない。
「多分、【ヘルマプロディトス】だよ」
心なしか哀しげな声に、俺は紫さんの元に急いだ。眼の端に翠君に駆け寄る兄貴の姿を捉えながら。
「この美少年は、アフロディーテとヘルメスの子供でね。
・・・・・・・・・・・・・完全な両性具有体なんだよ」
「あ、聞いた事あります、その神話!
ニンフのせいなんでしょう?
でも、変なの~~~」
“普通”の反応に身体を固くする紫さんの肩を抱き寄せ、ギュっと力を入れた瞬間。
「―――おや、そうですか?―――」
俺たちの後ろから、全くの第三者の声が聞こえた。
「どこも変だとは思いませんが?
却って、これこそ完璧な美の具現です」
彼の涼しげな声が響く。
俺も兄貴も、そこそこ整った容姿をしてはいるが、眼の前の男も彫りの深い秀麗な美貌をしていた。
小柄な日本人男性の肩を抱いているその姿は、あの各務氏と伊倉氏を思い出させる。
「人間は元来、両性なのですよ。それが胎児の段階で二極化する。
そして成長していく。男性は、より男性らしく。 女性は女性らしく。
ですが、女性性の中に男性性は厳然として存在するし、男性はその中に女性性を抱き締めている。
それがどのくらい表面化するか。違いはたった、それだけなのです。
ただ、その表われ方が顕著な場合、普通の人は悩んでしまう。自分は普通じゃないのではないかと?
しかし、この“普通”と云う意識自体が実はあやふやなのです。
私の普通が貴方の普通と必ずしも合致するわけではない。逆もまた、しかりです。
どこからどこまでをもって【普通】とするか、その線引きは完全ではなく、完全な境界線などあり得ないのが実情です。
ですが、悩める人々にそんな事は言えない。我々、精神科医は自信満々に見せて、患者さんにこう言うのです。
―――ご安心下さい。あなたは【普通】ですよ、と―――」
立て板に水の滑らかさで紡がれる言葉に、思わず静聴してしまった事の種明かしをされる。
なるほど、彼は優秀な精神科医なのだろう。彼の患者は、さぞかし彼の言葉を心地好く受け取るに違いない。
「初対面の方に、いきなりベラベラと失礼致しました。どうにも職業病で、つい演説をぶってしまうのです」
そう謝罪されるが、不愉快さは微塵も感じない。見事な話術だ。
・・・・そう思える事が、既に彼の術中なのだろう。
「何かにお悩みの際は是非、当メンタルクリニックに・・・と言いたいところですが・・・
みなさま、お互いに頼りになるパートナーをお持ちのようですね。」
兄貴と翠君のリングに気付いても蔑みの色はない。おそらく彼自身も、そうなのだろう。
「私の出番は必要なさそうですね。安心致しました。
それでは、良いご旅行を―――」
引き際を弁えた男は、「行きましょうか、香月」と一緒の男性をこれみよがしに抱き寄せると去って行った。
―――それぞれの胸に、鮮やかな印象を残して―――
「・・・・役者、退場。幕間・・・・って感じだね」
芝居好きだと云う翠君が、なかなか上手い表現をする。
一気に気が抜けて・・・毒気を抜かれた心地だ。
「上手い事、言うじゃねえか、翠」
こいつも同意見らしい。
「からかわないでよ、京兄。僕、少し反省しちゃったんだから」
俺は素直に誉め言葉と受け取ったが、翠君は、そうは思えなかったらしい。
「反省って、何を反省しなきゃなんねぇんだ?」
「・・・うん。
・・・・僕たちの結婚て、京お兄ちゃんたちの【普通】の結婚とは違うよね?
でも、この形が一番自然で、僕たちにとってはこれが【普通】なんだ。
・・・差別って、しちゃあいけないよなぁ~って。
あの精神科医さんのカップルを見て思った。」
大きな手がクシャクシャと翠君の頭をかき回して撫でる。
「良い子だ、翠」
「だから、子供扱いしないでよ~~///」
義兄たちの痴話喧嘩を聞きながら、正直、翠君に後ろめたくなってしまった。
・・・・・違うんだ、翠君。
・・・・・俺たちこそが、【普通】じゃないんだよ・・・・・・・
次の瞬間、自分の中の疾しい気持ちが声になってしまったかと焦り、現実を認識すると、俺の中で時間がとまった。
「・・・違うよ、翠君。・・・・私たちの結婚こそが異質で・・・・・・
――――――【普通】じゃないのは、私自身なんだ――――――」
いよいよ御大、高見沢たちも登場。
これで本当にオールスター総出演です(笑)




