No,6
文中の『』の中の言葉は、イタリア語です。
それから二週間あまりは、ボルケーゼ美術館やカラカラ浴場などを始めとした様々な旧跡や宮殿、博物館の鑑賞に費やしたのだが。
偶にはローマから出て見ようと、良く晴れた日に少し離れた州のワイナリーを目指す事になった。
「は~、立派な建物ですね~~。フランスならシャトーと言った処ですが、イタリアじゃあ何て言うんでしょう?」
「・・・・・・私に聞かないで、ネットブックで調べて」
「ハハ、済みません」
此処に来たのは、京の希望だ。
ローマでは私の趣味に散々振り回してしまったから、今度は京が自然の中で思いっきり楽しんでくれたら嬉しい。
イタリアに着いてから天候に恵まれているのは、絶対、京のお陰だと思う。
明るい日差しの中、広大なブドウ畑を散歩出来るなんて・・・京に出逢う以前の私からは、とても考えられない・・・・・・
くすんだ東京の空とは全く違う、紺碧に近い蒼い空に輝く太陽よりも眩しい京の笑顔。
その眩い光で、ずっと私を照らしていて―――
畑で作業していた人と話をしていた背の高い東洋人が、フと顔を上げ。
少し驚いた表情をすると、私たちに近付いて来た。
メガネを掛けた、キツイ眼をした人だ。
「・・・失礼。日本の方ですよね?ツーリストですか?」
「・・・ええ、そうですが?」
にこやかに話し掛けられて、京が私を庇うように応えてくれる。
初対面のはずだから、いきなりフレンドリーになれる訳もない。
警戒心を露わにした京の眼差しは、睨む一歩手前だ。
「ああ、失敬。ここはガイドブックにも載っていないので、日本の方がいらっしゃるのは珍しいのです。
もしかして同業者かと思ってしまいまして。
・・・・どうして観光の場に選んだのか、お聞きしてもよろしいですか?」
どうやら同業者出現かと用心させてしまったらしい。
京は観光者の呑気さを装って正直に答えた。
「ワインが好きで色々飲んでるんですが・・・・日本で売られているイタリアの貴腐ワインの中で、伊倉物産のここのワインが一番美味しかったんですよ。
ですから、新婚旅行でイタリアに来たついでに寄ってみたくなりまして」
具体名を上げて敵意はない事と、あくまで新婚旅行中である事を明かすと、途端に強面の彼が破顔する。
「それは重ね重ね失礼致しました。
先ず最初に、おめでとうございますと言わせて頂きます。」
「ありがとうございます。」
「私の方こそ、お礼を言わなくては」
そう言って「折角の観光に無粋な真似を失礼させて頂きます。わたくし、こう云う者です」と、一枚の名刺を差し出した。
京に渡された名刺を覗いてみると、そこには【伊倉物産株式会社 代表取締役社長 秘書室室長 各務 正哉】とあった。
今度は京が破顔した。
「これは、これは。では貴方は、ここのワインを私に飲ませてくれるお手伝いをしてくれた恩人なのですね」
ありがとうございます、と京がおどければ、彼・各務氏は焦ったように、しかし四十五度に腰を折る。
「とんでもありません。顔を上げて下さい!いつも我が社の製品をお買い上げ頂きまして、ありがとうございます。
不審人物扱いをしてしまいまして、大変失礼致しました」
一転して和やかな雰囲気に変わった事にホッとした。
ワインの事について京と談笑していた各務氏の視線が、今度は私の方に向いて来て、
「旦那様は、本当にワインにお詳しい。
奥様はいかがですか?当社のワインの中でお気に召したものはございますか?」
と話し掛けられたのだが、その内容よりも、初めて呼ばれた【奥様】と云う呼称に真っ赤になってしまう。
「・・・・あ、あの・・・京の・・・・・・しゅ、主人の好きな貴腐ワインは私も好きです」
京を【主人】と呼んだ事に二重に照れて、俯く私の肩を京が優しく抱き寄せてくれた。
「おやおや、ご馳走様です」おどける各務氏にイタリア語で声が掛かった。
『マサヤ!こんなところで、なに浮気しているんだ!?』
大柄なイタリア人が、日本人と近付いて来た。
二、三人の黒服を連れているが、もしかしてどこかのVIPなのだろうか?
『馬鹿を言うな』
直ぐにイタリア語で返す各務氏に驚く。まあ、仕事で来ているのだから、イタリア語が出来るのは当たり前か。
ヒュ~♪
口笛が聞こえる。
『これはまた、ミヤビにも劣らないアジアン・ビューティーじゃあないか!
マサヤが口説きたくなるのも分かるな』
『・・・・だから、人の話を聞け。
第一、彼女は新婚だ。失礼だぞ』
私と京はイタリア語が解らないから(観光は身ぶり手ぶり付きの片言で間に合っている。京はどこへ行っても日本語で通している。表情のニュアンスで会話が出来るのだから大したものだ)、二人の会話は解らなかったが、次の行動には思わず小さな悲鳴を上げてしまった。
『初めまして、美しいスィニョーラ。
私はここのオーナーです。お気に召して頂けましたかな?』
と何事か呟いて、イタリア人男性が私の手の甲にキスしたのだ。
京がその男の手を叩き落とすと、それに反応した黒服の一人が京の腕を捻り上げようとするのと、京がその手の反動を利用して相手を投げ飛ばしたのは、ほぼ同時だった。
一瞬で殺気だった雰囲気になり、他の二人が京に向かっていこうとするのを、京が迎え撃つ構えをした時。
「Lo fermi!」
その場を凍りつかせたのは、各務氏の声だった。
各務氏は先ず、京に向き直って、九十度に腰を折った。
「深水さん、私の友人が大変失礼を致しました。
この男に全く悪気はないのです。
美しい女性に対する礼儀だと、許してやって下さいませ」
そして、そのご友人には私に謝るよう促し、その謝罪を私は快く、京は渋々受け取った。
威圧感のあるSPらしき人も引いてくれて、私は本当に安心した。
「友人がお詫びをしたいと言っています。館の方へどうぞ」
各務さんに紹介されたルチアーノ・アレッサンドリ氏は、何とここのオーナーで、無料のテイスティングを提案し、お詫びの印に好みのワインを好きなだけ譲ってくれると言う。私は何もそこまで・・・と思ったが、京が当然と云った表情をしていたので、私はお言葉に甘える事にした。
「私からもお詫び致しますので、どうか許して差し上げて下さい。
こっちでは当然の挨拶なんですが、日本人がアレをやられたら困ってしまいますよね」
私と京に早速、貴腐ワインのグラスを差し出してくれるのは、各務さんの上司であり伊倉物産の社長である、伊倉雅さんだ。
自分が申し訳なさそうな顔をして微笑む彼に、自分の大袈裟な反応が恥ずかしくなってしまう。しかし、京は、
「俺は許したわけじゃありません。
事を荒立てるのを好まない紫さんのために、退いただけです。」
そして、今は少し離れた場所にアレッサンドリ氏と共にいる各務さんをチラリとみやり、伊倉さんの顔を見るとニヤリと嘲笑った。
「礼儀と云うのなら、彼は日本の礼儀を学ぶべきです。
あんな事を妻にされて、不愉快にならない日本人の夫はいません。
まあ最も礼儀云々と云うより・・・・貴方が同じ事をされたら、各務さんも俺と同じ事をすると思いますが?」
私一人が戸惑っている中、二人はお互い意味深な微笑みを交わしている。
「・・・・・バレてしまいましたか」
「各務さんの貴方を見る瞳を見れば理解ります。
第一、各務さんも全く隠そうとしていない。」
「イタリア(ここ)に来て気が緩んでいるのかも知れません。」
「それは、どうでしょう? 見る者が見れば、理解ってしまうものです」
「ご忠告、痛み入ります」
「いえいえ、どういたしまして」
そうして二人はワインの話をし出したが、
話題が私たちの新婚旅行の事になると私も会話に参加し、楽しいひと時を過ごす事が出来た。
『日本人は、どうしてあんなに固いんだか』
『あれはお前が悪い。
あの程度で済んだ事を、深水さんじゃなくて、紫さんに感謝するんだな』
『・・・・・三人ともやられていたと思うか』
『思うね』
『柔、よく剛を制す・・・か』
『折角の蘊蓄を悪いが、あれは柔道じゃない。我流の合気道だな。』
『アイキドー?』
『ああ。向かって来る相手の力を利用する。
だから、こっちが強ければ強いほど不利だ』
『そんなの反則じゃないか!』
『反則の意味を間違っているぞ、お前。あれは正当な戦法だ。』
苛立たしげにグラスを呷ったルチアーノが、次の瞬間、真面目な顔になる。
『・・・・・それより、あの男、我々と同種の匂いがする』
『ああ、それは俺も感じた』
『そんな奴と親しげにしていたのか!』
『・・・心配するな。彼はOKだ。
―――紫さんにさえ、手を出さなけりゃな―――』
『・・・成程、お前と気が合うわけだ。』
『そう云う事だ。
第一、お前の汚い唇を雅さんの手に触れさせてみろ。
俺なら、その手首を切り落としてやる。』
『・・・日本人は礼節を尊ぶと云う俺の認識は間違っていたようだ。
嗚呼、嘆かわしい。俺の周りに集まって来る日本人は、とんでもない奴ばかりだ』
その言葉を聞いた各務が、心底愉快気な笑い声を立てる。
『クククッ。・・・自分で言っていれば世話がない。
おい、良い言葉を教えてやる。そう云うのは、日本語で【類友】と言うんだ』
『・・・ルイトモ?』
『ああ。今のお前のような奴をあらわす適切な言葉だ。』
『よし、後でトーニオに調べさせよう』
『・・・・ものぐさな当主の所為で、アレッサンドリ家の執事は大変だな』
後に各務は、【ルイトモ】で調べたら、なかなか分からなかった。
教えるなら、【類は友を呼ぶ】だと、略したりせずにキチンと教えろと、海を越えた電話で盛大に文句を言われる事となる。
海を越えて広がる、類友の輪っ!(古っ!/笑)