No,19
「・・・・・・京兄・・・・・・・・」
僕の真剣な様子に、京兄だけでなく、その場にいる皆が僕がこれからしようとしている事を悟っている事を知る。
僕は静かに、袋からその箱を取り出し丁寧なラッピングを解き。現れた指環を手に、京兄に左手を出してくれるようお願いした。
心得たように差し出された京兄の大きな手の薬指に、そっとそのリングを嵌めた。
「・・・・京兄。僕は十八歳になったよ。結婚出来る年齢になったんだ。
でも、日本の法律がそれを許してくれない。
正式な結婚が出来ない代わりに、僕を養子にしてくれるって言ってくれてリングもくれた。だからこれは、僕のけじめ。
―――どうか・・・緋龍院京牙さん!僕の一生のパートナーになって下さいっ、お願いします!!―――」
そして、テーブルにランデヴーさせるかってくらい、頭を下げた。京兄の答えは理解ってるけれど、何だか今更のように緊張してきて怖くて頭を上げられない。そんな僕に「お前は、やっぱり男前だな」って云う京兄の呟きが聞こえた。
やっと顔を上げられた僕の眼に、珍しくも京兄の照れたような微笑みが映る。
良かった、喜んでくれた・・・と改めて安心していたら、京兄が何やら上着の内ポケットから封筒を取り出した。
「最高にハンサムな翠に、俺からのプレゼントだ。
おっと、ロハに近いから安心しろ」
そう言って取り出したのは、何と養子縁組届だった。養親の欄には京兄のサインと印が押してある。
そして、証人の署名欄には、【深水京吾】と【加納紫】のサインがあった。
「こっちで急遽、深水たちにサインしてもらった。判子は帰国してからもらう。
後は、翠、お前のサインだけだ。
これは、お前を俺に縛りつける契約書だ。
これで正式に、お前は俺のもので、俺は・・・お前のものだ―――」
プロポーズをした心算だったのに、プロポーズされ返されてしまった。
それも最高に心に響く台詞で・・・・・・・・
さあ、とっととサインしろと、やくざに脅されて(笑)、有耶無耶のうちに握らされたのは万年筆。それが一本ン十万もする【ウォーターマン】の万年筆で、結局僕への誕生日プレゼントだったのだけれど、あまりの事に呆けている僕にはそんな事気付く余裕はまるでなくて。
「流石、騙し打ちはお手のものだな」との深水ンの軽口に、
「そんなに誉めても、何にも出んぞ」とは京兄の応酬。
そんな遣り取りを上の空で聴きながら、僕は夢の中にいるような心地で震えそうになる指先を叱咤する羽目に陥った。真新しい万年筆で、ゆっくり間違えないように自分の名前を書き入れて、「・・・・京兄・・・・これでいい?」と差し出すと、
「・・・・・・よし。これで今日から、お前は【緋龍院 翠】だな」
との満足げな台詞に、不覚にも鼻がツーンとして来た。
そんな感慨に浸る僕に、怖ず怖ずと声を掛けてくれたのは、紫さんだ。
「・・・・・あの、翠君。ちょっと、いいかな?
プレゼントはなしてにして欲しいって言われてたけど、緋龍院さんからサインを求められて、皆で相談したの。
そうしたら、誕生日だけでなく、結婚のお祝いも兼ねて、やっぱり何か贈りたいって話になって・・・・・・・・・・」
そう言って、ハンドバックの中から小さな箱を取り出す。
「・・・・これ・・・・・ムーンストーンのイヤリングなんだ。
なるべくカジュアルなものを選んだから。
あのね、月長石って、“永遠の愛”って云う意味があるんだよ?
本当に高価いものじゃないから安心して・・・・・・・何より、私たちの気持ちを受け取ってもらえないかな?」
―――私と京のリングも、実は、ムーンストーンなんだ。おそろいだね。私たち兄弟になるんだもんね―――
そう言って微笑んでくれた紫さんに、僕は今度こそ溢れてくる涙を抑え切れずに、京兄の胸を借りて泣いてしまった。
「ホント、安くて申し訳ないくらいなんだけど」
「まあ、そこが翠君の良い処ですから」
「結婚十周年くらいになったら、盛大なプレゼントをするから覚悟しておいてね」
「そうそう」
僕たちを暖かく包み込む皆の会話は、この異国で結ばれた縁がこれっきりのものではないのだと・・・・・・
【親友】と呼んでも構わないほどの絆を、お互いが感じている事を僕に教えてくれて、僕の涙腺を見事に破壊してくれた。
「泣きやまないと、キスするぞ」
との京兄の台詞は、今の僕にとっては全然脅しの効力がなくって。
僕は自ら顔を上げて、眼を閉じた。
一瞬の驚きの後に、僕の意図を理解してくれた京兄の軽く唇をはむバードキスは、それからどんどん深くなっていき・・・・
新しく出来た、でもきっと誰よりも信じられるであろう、その人たちの前で交わす結婚の誓いの接吻は、ショコラとデザートワインの醸し出す甘さと、飲んでたエスプレッソのちょっぴりほろ苦い、僕にはまだ少し早いオトナの味がした―――
僕の中の常識だとコースディナーの締めは珈琲だけど、大人たちには食後酒なるものがある。
めいめいが好みのウィスキーやブランデーなどアルコール分の高いお酒を要求する。
折角だからと、僕もソムリエさんに、ノンアルコールのカクテルを作ってもらった。
実は、もうこれで、みんなとはお別れだ。
九日の出勤日に間に合うようにと各自が用意していたチケットは、当然の如く日にちも時間もバラバラだった。
そんな当たり前の事がすごく哀しくて・・・・・寂しい。
言葉少なにお酒を口にする京兄たちも、心の中では名残り惜しく思っているに違いない――――――
「何か、このままお別れなんて寂しいね~~」
最初に言葉にしてくれたのは雅さん。ここ、パリでは本当にお世話になった。
ルーヴルや、イル・ド・フランスを巡った事は忘れられない。
「・・・・本当に・・・・・私には、初めて出来たお友達なので、余計にそう思います。」
その身体の秘密故に、引きこもっていた紫さんの感慨もひとしおだろう。
「・・・実は、私もなんです。【桜木太一郎】としての会社の友人はいますが、【香月】としての友人は初めてで―――」
【香月】と云う名は親しい友人たちの間での愛称のはずだった。言葉の矛盾に気付いているのか、いないのか。
紫さんと同じくらいに真剣に寂しそうな瞳の色に、余計な突っ込みなんかとても出来ない。
「帰国しても連絡しますよ!メールしても良いですか?」
漂い始めた湿っぽさを吹き飛ばすように、わざと大声を出す。こんな空元気は、お子様の特権だ。
「ホント?本当にメールくれる?」
「勿論!僕なんか、きっと日に何度もしちゃいますよ。
うっとうしがらないで下さいね?」
「ならない、ならない」
「じゃあ、遠慮なく。うんと長いメールうっちゃお」
「楽しみにしてるよ」
「あ、よろしかったら、舞台ご一緒したりしませんか!?」
「あ、行く行く!喜んで!」
「・・・・あの・・・私も行っても良いですか・・・・?」
「紫さん・・・!是非、一緒に行きましょう!!
・・・あ、でも、そーすると、絶対深水ンがついて来ますね」
「当然だ」
「・・・・私は、今まで俊の趣味に合わせて来たんだけど、翠君が一緒なら楽しくて嬉しいかも」
「香月さん・・・っ、じゃあ僕が、五月蠅いくらいにしゃべってあげますよ。」
「翠君、今度、バレエだけじゃなくフラメンコにもご一緒して下さい」
「おい、翠を連れ出すなら俺を通してくれ」
「京兄、横暴っ」
そして、メアド交換会をしての僕たちのおしゃべりはいつ果てるともなく続いてしまい、気がついたら十一時半を過ぎていた。
もう、他のお客は誰も残っていない。
『ここには、正確な閉店時間はありません。
最後のお客様が帰られた時がレストランの閉まる時間なのです』
京兄が訳してくれた支配人さんの言葉にプロ意識を感じて感心してしまった僕は、後から本当は、十時までの営業なのだと知って吃驚した。「伊倉たちとの付き合いもあるが、ンな事より、めでたい日を迎えたお前への祝いの気持ちもあったんだろう」との京兄の言葉を嬉しく大事に受け取る事にした僕だった。
そうして・・・・必ず日本で再会する事を約束して、僕たちは別れの途に着いた。
「・・・・・・・寂しいよ~~~」
「・・・・俺が、いるのにか?」
帰りの車の中、泣きごとを言う僕を、京兄はこれ以上ないほど甘やかす。
今、車は夜のパリの街を走っている。最後だからと、わざと遠回りしてくれているのだ。
しばらくすると、ライトアップされた、凱旋門とシャンゼリゼ通りが見えて来た。
「・・・・・・・綺麗・・・・・・っ!!ここって夜は、こんなに綺麗だったんだね」
「・・・・翠。二十歳になったら、きっとまた連れて来てやる。
昼とは全く違う、夜のパリをお前に見せてやりたい。」
「・・・・アルコールもOKだね?」
「勿論だ。シャンソニエにも連れて行ってやる」
「・・・・・絶対だよ?」
「ああ。このリングにかけて誓ってやる」
そして僕たちは、翡翠とルビーの瞳で見つめあって・・・・・そっと触れあうだけの口付けを交わした。
【ル・トラン・ブルー】は、ホントにお薦めです♡