No,18
文中の『』の中の言葉は、フランス語です。
――――――やられた――――――
あの京兄が、僕を“驚かす”と公言していた事をすっかり忘れてた。
第一、記念すべき夜に、そんじょそこらの店に連れて来られる訳がなかったのだ。
【ル・トラン・ブルー】
バリ・リヨン駅構内にある、その店は、とにかく中が凄かった。
一歩、中に足を踏み入れた瞬間、駅の構内からどこの宮殿にワープしてしまったのかとマジで思った。
それぐらい凄かったんだ。
あのルーヴルや、オペラ・ガルニエにも全く引けを取らない。
壁や天井は数々の風景画や人物画などの重厚な油絵で覆い尽くされ、金色の彫刻装飾やアール・ヌーヴォー調のシャンデリアが
眩く輝いている。
僕が呆然としていると、ギャルソンが近付いて来て、先頭にいる京兄に話し掛けた。
『ご予約の方でしょうか?』
『ああ。緋龍院の名で予約している』
『少々、お待ち下さいませ』
ギャルソンが奥に向かって目配せすると、黒服のマネージャーみたいな人がやって来た。
『お待ち申しあげておりました、緋龍院様。
ようこそ【トラン・ブルー】へ。お席にご案内致します。』
丁寧に挨拶されて案内された、その席は、入り口から一番遠い席だった。
でも、窓からリヨン駅構内が見渡せるのが面白い。本当に此処が駅の中なのだと実感し、行き交う人々を見つめていると不思議な感覚を覚える。まるで、ヴェルサイユから庶民の生活を覗いている、そんな気分だ。
「フフ。驚いた?“京兄”の面目躍如だね。」
「はい。すごく驚きました!」
料理やワインのオーダーは、その京兄に任せて、僕は雅さんとの会話を楽しんだ。
「ここはね、昔、あのオリエント急行の出発点で、豪華列車の乗客たちの社交場だったんだ。
店名の【トラン・ブルー】とは、英語で言えばブルートレイン、“青い列車”と云う意味なんだ。」
そして、店内を見回して悪戯っぽく笑う。
「翠君は、今、あの豪華列車で旅をした人たちと、全く同じものを見ているんだよ?」
「そう考えると、何か優雅な気分になりますね~~♪」
「ここはパリ万博に合わせて建てられて、パリ市から歴史的建造物の指定も受けている」
「じゃあ、エッフェル塔と同い年?」
「兄弟かも知れないね」
やっと全てのオーダーを終わらせた京兄が会話に参加してくる。
「どうだ、翠。驚いたか?」
「うん!滝本さんにお礼を言っておいてね☆」
「おいおい、俺への礼は?」
「これで、勘弁して?」
そう言うと僕は素早く京兄の頬にキスをした。僕の珍しい行動に、逆に驚かされたのは京兄のはずだ。
「おいおい、サーヴィス満点だな。どうした?」
「誕生日だからね、特別だよ★」そして軽く舌を出す。
そんな事をやってると、食前酒がやって来た。ソムリエが京兄にラベルを示す。京兄が頷いて、優雅な仕草で栓を抜くと、ポンッ!と軽やかな音がした。ティスティングの後、人数分注がれていく酒に、僕は思わず期待に満ちた眼を京兄に向けた。
「お前の祝いの席だ。最初の乾杯のシャンパンだけ許してやる。今夜は特別だぞ」
「やったーー!!大好き、京兄♡」
「調子良い奴」
皆のクスクス笑いが響く中、僕のグラスに注がれていくシャンパンに眼を輝かせた。
シャンパンの立ち昇る泡にうっとりだ。
皆にいき渡ると、京兄はグラスを掲げ、皆がそれにならってくれる。
「今日は、翠の誕生日だ。わざわざ、こいつの為に集まってくれた事に礼を言う。
そして、この特別な日に縁を持てた事を感謝している。
それじゃあ、翠。誕生日、おめでとう!」
「「「「「「翠君、お誕生日、おめでとう!!」」」」」」
「皆さん、ありがとうございます!!!」
一口含んでの、湧き上がる拍手に胸がジ~ンと熱くなる。
本当なら、ここでプレゼントの贈呈となる処だろうけど、今回、それは遠慮した。だって、京兄からのプレゼントだって断っているのに
(今回の旅行はあくまで【新婚旅行】だからって、京兄は一条の家に一銭も出させなかったんだ)・・・・・とにかく急だったし。
何より僕らは、まだ出逢ったばかりなのだ。
まるで、もう何年もお付き合いしている親友みたいに振る舞ってしまうけれど、馴れ馴れしくなってしまわないように、常に自戒している。
ただ、親戚になる紫さんは勿論、雅さんも、香月さんも一緒にいると心地好くて、ついつい甘えてしまうんだ。そして彼らも、その僕の甘えを喜んでくれていると思うのは決して自惚れではないはずだ。だからこそ、守るべき一線は踏み込まないように用心してる。
和やかな雰囲気の中で、食事は進んでいき。オードヴルから始まって、メインディッシュに魚を選ぶ人、肉料理を選ぶ人に分かれて、それに合わせて、またワインを追加して行く。それを横目で見ながら、僕はシャンパンをゆっくり飲んで、ひたすら我慢の子だ。こんな時、未成年は本当につまらない。早く大人になりたい。京兄の横に立てる、立派な大人に。
そして、最後のデセール。一体、どんな可愛いものが出て来るのかとワクワクしていたら、給仕のギャルソンではなく、最初のマネージャー自らが押して来たワゴンに乗っていたのは、ただのデザートではなかった。金色の蓋を開けると、中から現れたのは。
「わぁ~~、綺麗~~~♡♡♡」
僕の大好きなショコラのケーキ。色とりどりに飾られたペリーがまるで宝石みたいに輝いて見えた。そして十八本のローソクと、真ん中にはわざわざ英語で書かれた【Happy Birthday SUI】とのホワイトチョコのプレートが乗っかっていた。
『当店のパティシエが心を込めて、作らせて頂きました。デザートワインには、イクラ・カンパニーの貴腐ワインをご用意致しました。
これは、わたくしからの、ささやかなプレゼントです』
フランス語で何事か説明していたその人は、僕の方を向いてにっこりと、目じりの皺を柔らかく和ませ微笑んだ。そして。
「オメデト、ゴザイマス」と、片言の日本語で言ってくれたので、
「メ、Merci Beaucoup!!」僕も慌てて返した。これくらいなら、僕にも言える。
『それでは、どうぞごゆっくりお過ごし下さいませ』とお辞儀をして立ち去ったのだが、その時、雅さんと各務さんと目配せしあった事には僕は気付かなかった。
「翠。このデザートワイン、あの支配人のサーヴィスだってよ。
しかも、そこの社長さんちの酒らしいぜ?」
あの人が、ただのマネージャーじゃなくて、ここの支配人だった事にも驚いたけど。
「え!伊倉物産の!?」僕が叫んでしまうと、
「あの支配人とは、商売上だけでなく個人的にも付き合いがありますので」雅さんが答えれば、
「翠君、このワインは本当に美味いんだぜ。俺の折り紙つき」深水ンのウィンクに、
「お前の折り紙なんぞ、あてにはならんな」憎らしい京兄の声。
深水ンへの憎まれ口なんて毎度の事だけど、雅さんたちに悪いと思って僕は京兄に肘鉄を喰らわした。でも、そんなの軽くいなされて、
「折角のワインだからな、今夜の特別、パートツーだ」との太っ腹な京兄の声に、僕は慌てて肘鉄を喰らわした処をナデナデ。
そして、皆でハッピーバースデーの歌を唄ってくれて。僕がローソクを吹き消すと、拍手が起こり改めて祝福の言葉をもらい、支配人さんの心遣いを有り難く頂戴し、切り分けるのが勿体ないほどのケーキを美味しく頂いた。
食後の珈琲は、今夜ばかりは僕もカフェ・オ・レではなくエスプレッソを頼んだ。ショコラの甘味と相まって、苦いはずの珈琲がとても美味しく感じる。・・・・・そして、僕はそろそろだと、胸の中で拳を握りしめた。小さなLANCELの袋を、決意を持って引き寄せる。
『デザートワイン』とは、本来、食後酒などに供されるものですが、
ストーリー上、あえてこのような展開にさせて頂きました(苦笑)