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No.16

五月六日。僕の誕生日。

あと一日早かったら、一生、京兄にからかわれるから、この日に産まれて来る事が出来て良かったと、毎年この日の朝を迎えるのを楽しみにしているのだが。今年ほど、憂鬱な気分になった事はない。




―――結局、京兄へのプレゼントの指環(リング)を探し出せる間もなく、僕はこの日を迎えてしまった―――




尚、余談だが、昨日のフーケでのキス騒ぎは、収拾がつかなくなって、結局逃げ出す事になってしまった。

その際、京兄が嬉しそうに囃し立てる人々ににこやかに手を振ってたのが、僕には妙に印象的だった。





そして、問題の当日の朝。

京兄の腕の中で眼を覚ました、その次の瞬間からガックリと肩を落とし項垂れる僕に、京兄は言ってくれた。






『お前の気持ちは嬉しいし、その想いはちゃんと俺に届いているから心配するな。


お前は、本当に俺に似合うと思うものを探してくれれば、それでいい。


・・・・気の短い俺が、唯一お前相手には“待つ”って事が出来るんだ。


【紅い眼の悪魔】に“待たせる”事を楽しみに思わせる事が出来るのはお前にだけなんだ』






何とか僕の気持ちを浮上させようとする京兄の想いは良く理解ったし、本当に嬉しかったんだけど・・・・・・・・





「それより、今夜のディナーは楽しみにしていろ。

滝本が折角、趣向をこらしてくれたんだ。


急遽、各務たちも招待したから、賑やかになるぞ。

・・・・ほら、折角の十八歳の誕生日なんだ。もっと景気の良い顔をしろ」



さあ、それより朝メシを食いに行くぞ!と言って、京兄はシャワーを浴びに行ってしまった。






とにかく、京兄がシャワーから出て来るまでに気持ちを切り替えよう。

喜ばせたい当人に、あんなに気を使わせてしまっては本末転倒だ。


ディナーまでに、まだ約一日の時間がある。完全に諦めるのは、まだ早い。




今日は、のんびり観光出来る最後の日だ。

今まで、紫さんのために敢えて避けていたルーヴル美術館を、今度こそゆっくり見て周る予定だ。

雅さんたちは何回も見ているし、香月さんたちも見たが、付き合ってくれる事になっている。



さあ、笑って楽しもう♪



僕は、やっと笑えて、京兄の後にシャワーを浴びて着替えるべく準備を始めた。









ガラスのピラミッド下のインフォメーションセンターの前で、僕たち八人は落ち合った。



やっぱり、このルーヴル宮殿と、ピラミッドを実際に見ると元気が出て来る。


前回は紫さんの衝撃的な告白のせいで、イタリア・ルネッサンスの絵画と彫刻ぐらいしかマトモに観てはいない。

今日は、思い残す事のないように、しっかり見よう!!




それから僕たちはカルガモの雛よろしく、雅さんの案内で彼の後をついて周る事となった。





先ずは、総合案内と同じ階にある、中世ルーヴルの城砦遺跡を見た。改修工事が切っ掛けで発見された遺構らしいが、ルーヴルの歴史の一端に触れ、ちょっと吃驚だ。



そして、直ぐに一階に上がって。例の【アモールとプシューケ】の彫刻を観て、古代ローマ・ギリシア美術の彫刻を観た。【ミロのヴィーナス】はここにあるが、今回はチラリと見ただけで通り過ぎた。そして、ファラオ時代のエジプト美術のコーナーへ。僕はここにも興味があった。本当なら実際にエジプトに行って、ルクソール神殿やカルナック神殿、エジプト考古学博物館に行きたいくらいなのだが。生憎、僕はめっぽう暑さに弱いのだ(苦笑)。・・・・ここで我慢する事にする。


東方美術・古代イラン美術を経て、メソポタミア美術のアッシリアの【有翼人面雄牛像】を見た時はその大きさに圧倒された。雅さんの説明によると、高さが四メートル以上もあり、アッシリアの宮殿を守護していたものらしい。こんな巨大な建造物が収蔵されているのだから、なるほど、ルーヴルは世界一の美術館だと心から思う。



二階に上がれば、そこは僕と紫さんにとってのパラダイス。だが、大好きなものは最後のお楽しみにとっておく事にして、先ずはフランス絵画の大作を鑑賞した。有名な【ナポレオン一世の戴冠式】や、ドラクロワの【自由の女神】はここにある。凱旋門と云い、ナポレオンって人は本当に自己顕示欲が強かったんだなと改めて感心してしまった。

かのベートーベンが【エロイカ】を作曲して、ナポレオンに贈ろうとしたところ、彼が皇帝になると聞き怒って止めたと云うのは有名な話だけど・・・・・・この戴冠式の絵の前でうっとり陶酔したナルシストさんだから、ベートーベンが怒るのも無理はないと思う。


【サモトラケのニケ】は何度観ても素晴らしい。顔や腕がなくて、尚、完璧に見えるのは、ある意味、奇跡だ。


そしてギリシア時代の陶器やブロンズ、貴金属の工芸品を見て。再び、古代エジプト美術に触れて。


ドン詰まりには、リシュリュー翼を建造したと云う、ナポレオン三世の居室が遺されていた。ナポレオン三世と言えば、あの【オペラ・ガルニエ】の建造を命令した人だ。よっぽど芸術に造詣が深かったのだろう。やはり金と赤が基調とされていて、その豪華さは一見の価値がある。



そして、いよいよ最上階。三階には割と近代に近い、フェルメールやレンブラント、ルーベンスの絵画があった。ブーシェの【オダリスク】もあった。ロココの典型的な画家だが、輝くような女性の肌色と背景の蒼の対比が見事だ。

最後の最後に観たフランドル派の絵画【ジプシー女】は、その人間の瞬間的な表情をよくとらえていて、生きる逞しさみたいなものを絵から感じた。




・・・・・以上、ほぼ全体を駆け足で観て周ったのだが、昼食もとらずにいたので流石にお腹が空いた。

三階にある【カフェ・リシュリュー】で僕たちは、中庭を望むテラスでルーヴル宮全体を感慨深く見渡しながら、お茶と軽い食事を摂ったのだった。









そて、いよいよ、本当に最後の最期。

あの場所へ、僕らは向かった。




二階へと降りて、その場所に着いた時。

何と紫さんは走り出した。今まで抑えていた激情を解き放つように。

・・・・・・・・愛しい恋人に、逢いにいくように・・・・・・・・・


云う間でもなく深水ンは、直ぐにその後を追って。そして、苦々しそうな表情(かお)をして、一心に小さな絵画を見つめる紫さんを少し離れた処から見守っている。




「・・・・・・京兄・・・・・・・・」思わず頼りになる人を見上げてしまうと、

「・・・高見沢・・・・どう、視る・・・・?」京兄は、振り返った。



そうだ!スペシャリストがいたんだったっ!!



「簡単にお話しを聞いただけですから、無責任に一概には申し上げられません。

ただ、一見しただけで判断すると、紫さんの態度は“依存”に近い。

深水さんへの依存にも似た執着を感じます。

失礼ですが、紫さんには依存の対象を必要とする、精神の脆弱さを感じます。

異常に思えるほどの・・・・・・・・・」


・・・・流石は、お医者さんだ。見てないようで、良く理解ってるんだ・・・・・・・


「とにかく、時間の経過を見る必要があります。

帰国して、『ああ、良い絵画に出逢えた』と、単なる思い出になるなら、それが一番良い。

ただ・・・・禁断症状のようなものが表面化してしまうと問題です。

万が一そうなった場合は、一度正式な受診をお薦め致します」



高見沢さんは、京兄の紅い瞳を真っ直ぐに見詰めながら真剣に、そして誠実に答えてくれた。



「・・・・・理解った。後で深水にも言っておく。迷惑を掛けたな、礼を言う。」


「迷惑などとは思っていません。大事な香月の、ご友人の事ですからね。」

香月さんの肩を抱けば、素直に高見沢さんの胸に顔を寄せた香月さんが囁いた。

「・・・・私からもお願い・・・・紫さんを診てあげて・・・・・」

「気持ちは理解りますけれど、先走ってはいけません。紫さんは、まだ診療が必要かどうか分かりません。

大丈夫。私で良ければ、いくらでも力になります。初めて【香月】に出来た、大事な友人なんですから」



二人の会話を漏れ聞いて驚いた。

香月さんに出来た、初めての友人?

じゃあ、もしかして・・・・僕たちが、初めての・・・・・?


香月さんの表情を見て、もしかしたら、この人にも何かしらの事情があるのかも知れないと思った。




ぼんやりしていたら、ポンと肩を叩かれた。

「ほら、翠。ぼやぼやするな。加納の心配は、とりあえず深水に任せて、お前はお前でしっかり楽しめ」


「・・・・っ!ありがと、京兄!あのね、僕も【岩窟の聖母】や、ラファエロの【聖母子】をもう一回観てみたかったの!!」

京兄の励ましに嬉しくなって、京兄の手を引けば、「ああ、どこでも付き合ってやる」と僕の手を握り返してくれる。



「では、三十分後にここのソファーで集合と云う事にして、一時解散としますか」



雅さんの提案に頷いて、カップル同士でそれぞれに散って行った。








そして、三十分後。ソファーに集まった僕たちが見たのは、微動だにしない紫さんと、それを心配気に見守る深水ンの姿だった。



京兄が動いた。真っ直ぐ深水ンへと向かって行き、声を掛ける。

「おい、タイムアウトだ。下で土産物も見なきゃならん。」


「・・・・・・・ああ、もう、そんな時間か・・・・・・・・・・」

疲れたような顔をして深水ンは呟くと、紫さんに近付いて行った。




深水ンが紫さんに静かに近付いて行き、声をかけた。

振り返った紫さんは一瞬驚くが、満足げに微笑んで、大人しく深水ンに肩を抱かれてこっちへやって来る。、



「・・・・これは・・・・・」呟いたのは、高見沢さんだ。そして、京兄の耳元で囁いた声が、近くにいた僕にも聞こえた。

「これは案外、心配するほどの事ではないかも知れませんよ」そう言って、高見沢さんが微かに微笑む。




・・・・・・・・そうだといいんだけど・・・・・やっぱり、心配だ。




そして、充分にルーヴルを堪能した僕らが向かったのは、地下のミュージアムショップだった。めいめいに散って行く中、僕が京兄を引き連れて向かったのは画集のコーナーだ。これなら、フランス語が読めなくたって関係ない。勿論、日本語訳のものもあったんだけど、僕は中身をじっくり見て、より好みの絵画が掲載しているものを選ぶ事にした。

その次は、アクセサリーコーナーだ。ルーヴルに因んだものになるけれど、ルビーのリングがあればと思って探してみたんだけど、そうは問屋が卸さなかったみたいだ。





その騒ぎに気付いたのは、やっぱり京兄が一番最初だった。見れば、深水ンと紫さんが何やら揉めている。・・・複製画のコーナーだ。まさか・・・・っ!

慌てて近付くと、二人の会話が聞こえて来る。


「・・・・・どうして、買っちゃいけないの・・・・?」

「どこに飾る心算なんですか?毎日、この絵を見ながら暮らすなんて俺はごめんですよ」

「・・・・・っ!!・・・・・・この絵・・・・・気に入らないかい・・・・?」

「・・・・・気に入るわけがないでしょう!貴方を夢中にさせるものを我が家に持ち込むのを許すほど、俺は寛大ではありません」

深水ンの言葉に真っ赤になった紫さんは、深水ンの胸に手を付いて、まるで言い聞かせるように囁いた。





「・・・・・・だって・・・・この聖ヨハネは、京なんだよ・・・?


・・・・京は、絶望の暗闇の中を彷徨っていた私を、天国に導いてくれた・・・


・・・・パライソを指し示すヨハネに、私は京を重ねて視ていたんだ・・・・」





そうして、聞いてるこっちまで恥ずかしくなってくるような事を言った紫さんは、深水ンの胸にすがりついて更に言い放った。




「・・・・・ルーヴルの・・・・・二人のハニームーンの思い出に、この絵が欲しかったんだけど・・・・・・・京を不愉快にさせるなら諦める」




それを聞いた深水ンの顔は、もう見られたもんじゃなかった。

昨日の逆ナン女たちも、こんな顔を見ていたら、決して声なんか掛けて来なかっただろう。



ポンと肩を叩かれ、ハッと顔を上げると、そこには高見沢さんが立っていて、僕に向かってウィンクをした。

『ね?心配するような事じゃ、なかったでしょう?』とばかりに。


「・・・・・・おい、痴話喧嘩にもならない、こんな騒動は何て言うんだ?」

心底バカバカしいと思っているような呆れた声音は京兄。



・・・・・でも、僕には理解るよ、京兄?深水ンと紫さんの事を本当に心配していて、今、心底ホッとしているって事が。



香月さんも雅さんも、各務さんまで顔を見合わせて、微笑んでくれている。







結局、紫さんは、【聖ヨハネ】の複製画を無事に手に入れて。

深水ンに肩を抱かれながら、包みを抱えて幸せそうに笑っている。








「おい、翠は、あの絵はいらないのか?」

「いいよ。この画集に載ってるもん」

「そうか。俺もお前をパライソに連れて行ってやってるからな。毎晩、ベッドの中で」

「・・・・っ!頭の沸騰したエロエロ大魔神は、少しセーヌの岸で水浴びでもしておいでっ!!」






僕たちのルーヴル美術館探訪は、僕と京兄の痴話喧嘩で幕を閉じたのだった。






このくらいゆったりと、ルーブルを周ってみたいデス。

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