No,1
―――それは、一本の電話から始まった―――
『よ、兄貴。結婚、おめでとう。
【紅い眼の悪魔】も、可愛い小悪魔には勝てなかったみたいだな』
緋龍院京牙は、聞こえて来た声に思わず携帯を耳から離し、マジマジと見つめてしまった。
京牙は、暴力団「紅龍会」の若き組長だ。いくつかのフロント企業を経営し、表向きにはコンサルタント会社社長と云う肩書ももっている。その類まれなる集金力と徹底した容赦のなさと冷酷さ、そして日本人には極めて珍しい生来の赤い眼を持つ事から【紅い眼の悪魔】と呼ばれ恐れられていた。
しかし実は、世界的コングロマリット【緋龍院グループ】の御曹司でもある。やくざの世界に身を投じたため家から勘当された身ではあるが、そんな育ちの良さと、それに甘える事なく己一人の力で成し得て来た力に対する自信から、京牙には他を寄せ付けぬ圧倒的なオーラがある。彼に対する時、誰もが一歩も二歩も引いてしまうのだが、その京牙相手にこんな呑気な口調で話しかけられる相手はごく僅かで、更に“兄貴”などと呼ぶのは一人もいないはずだ。
いや、父親の非嫡子である義弟ならいる事はいる。
だが、携帯に表示された名前を持つ人物は自分を嫌っており、自分を呼ぶ時は“おい”とか“あんた”とか仕方なく指示語で済まそうとする。間違っても【兄貴】などと馴れ馴れしく呼ぶ事はないはずなのだが。
『お~い、兄貴~聞こえてるか~~?』
「・・・・聞こえている」
自分の反応が向こうには理解っているのだろう、それを楽しんでいる様子が忌々しい。
「真昼間から飲んでいるのか?随分ご機嫌なようで気味が悪い」
『それこそ、随分な言いようだな。
俺はただ、兄貴が宿願を果たしたお祝いを言いたかっただけだぜ?
それにしてもあの可愛い翠君に、一服盛ってまで欲しがってもらえるなんて男冥利に尽きるよな』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お前の方こそ、式を挙げるそうじゃないか。あの【紫の上】をおとすとは、さすが俺の弟だ。」
『・・・・・・・誉め言葉ととっておくよ』
「勿論だ」
まるで嫌味の応酬のような義兄弟の会話に一瞬の間が出来る。
「――――――で、本題は?」
『・・・・・・実は、新婚旅行で加納の家を留守にする。約ひと月だ』
一瞬で義弟がわざわざ電話してきた理由を悟る。
「おいおい、俺に頼むのはお門違いじゃないのか?」
『・・・理解っている。
だが、親父(あの男)にだけは、死んでも頼みたくない』
「・・・・・・・・報酬は?」
『サシカイヤーでどうだ?』
「・・・・スカンツォにしてくれ」
『・・・ドルチェ・ワインだぜ?』
「翠が、甘いものの方が好きなんだ」
『おいおい、いいのか?未成年だろう』
「保護者と一緒に飲む時だけならOKだ」
『へいへい、ご馳走様』
「商談成立だ。【緋龍院警備保障】には、滝本から連絡させてフォローさせよう」
『・・・・・・助かるよ』
「なに、お安い御用だ。・・・もっと、甘えてくれてもいいんだぜ?」
母親の事でゴタゴタしてはいるが、京牙は実際のところ、この深水京吾と云う義弟が嫌いではない。
『・・・いや、あんまり甘え過ぎると癖になるからな。遠慮しておこう』
「・・・あの家も、お前くらい遠慮深かったら助かるんだけどな」
『・・・俺相手に嫁さんの実家の愚痴か?』
クスリと愉快気な嘲笑いが聞こえる。
「お前も、まんざら無関係ではあるまい?」
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
途端に無言になってしまう義弟。あの和彦の事でも思い出しているに違いない。
まったく不思議な縁だ。
世が世なら。否せめて、あの一条の大ジジィが生きていたら、自分の許婚者には間違いなく加納紫が選ばれていただろう事をこの義弟に言ったらどうなるだろう?
まあ、この世にifはない。
自分には翠がいたし、加納紫は、深水京吾と出逢い愛し合った。
『・・・・長くなった。そろそろ失礼する』
本来の、他人行儀な物言いに戻るのが面白い。
「ああ、それじゃあな。新婚旅行、楽しんで来い」
『・・・・・・サンキュー』
そうして、数年振りの義弟との会話は終わった。
その晩。十二時近くになってしまった帰宅にも文句は言わずに、可愛い婚約者は
『ちゃんと顔を見て、おやすみなさいって言いたいから』と待っていてくれた。
俺にはナイトキャップを、自分には抹茶ラテを用意して、しばしの会話を楽しむ。
「だからね、京兄には真紅に近い真っ赤な宝石のついたリングをプレゼントしたいんだよ!
ピジョンブラッドのルビーのリングにしたいんだけど・・・七月の誕生石になっちゃうけどいい?」
「俺は誕生石には拘らないからな、翠が俺に贈りたいと思った物をくれ」
ここ最近の翠は、めぼしい宝飾店を巡る事に命をかけている(笑)
勿論、一条家御用達と言える宝飾店は何軒か存在する。宝石や宝飾品を購入する際には必ず、店側を呼ぶのだ。
ただ翠は、両親、特に母親に知られることが嫌で、自分の足で探しているのだ。
閑話休題。
何とか自分の誕生日までに、俺へのエンゲージリングを選ぼうと必死なのだ。
俺の誕生石はペリドットかサードオニキスなのだが、俺は全く気にしていない。それより翠が俺の瞳をイメージして選んでくれるというのだから、そっちの方がよっぽど嬉しい。
「・・・・・リザには相談したか?」
「それが、つかまらないんだ。何か忙しいみたいで・・・・」
「ああ、今やっている店の他に、もう一軒任される事になったみたいだからな。
アンティークショップなんだが、地図でも書いてやるから今度行ってみろ。案外、掘り出し物が見つかるかも知れんぞ」
「え!リザ姉、またお店出したの!?じゃあ、お祝い、贈らなくっちゃ!」
年の割に義理がたい翠が、そんな事を言い出した。
「いや、それには及ばない。ただの雇われ店長になっただけだから」
「じゃあ、店長就任のお祝いを・・・・・」
「お前が店に顔を出すだけでも立派な祝いになる。」
え~、そんなもんかな~~と、マグカップを両手で持ってコクコク飲む可愛い翠の姿を堪能しながら、俺はその店の元の店長の昼間の電話を思い出し・・・・・一つの提案をする事にした。
「なぁ、翠。新婚旅行、行きたくないか?」