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マリーと少年<後編>






「「姫様、もう少しゆっくり歩いてくださいませ」」


 今日もカーラは都合がつかず、お供はベッテとビッテじゃ。ベッテが弁当を持ち、ビッテが財布を持っておる。唯一この間と違うのは、妾の手に釣竿があることじゃ。これは、釣りというものに挑戦してみようと思って、途中の露店で買い求めたものじゃ。

 子ども用ということで短くて軽く、赤く色が塗られているところが気に入った。


「ウォルはいるかのぅ」


 妾は、新品の釣竿を持ってぶらぶらと歩く。


「おやめくださいと言ったのに、姫様ったらお弁当をこんなにたくさん……」

「妙な期待や勘違いをされたらどうするんです?」

「「姫様ったらぁ」」


 双子が何やら後ろでわめいているが、気にしない。露店の並ぶ通りのはじっこまで来ると、橋が見えた。

 あの角を曲がれば、下に降りる階段がある。そう思ったら、突然子どもの泣き声が聞こえてきた。


「ふぇ……、ふぁ……、ふあぁぁぁぁぁぁん」


 見れば、栗色の髪をした三歳くらいの幼児が、膝をすりむいて泣いていた。辺りにはその子のものらしい弁当箱や水筒が散乱し、中身が飛び出て子どもの服も汚れていた。


「「あらあら、どうしたの」」

「「転んだの」」


 ベッテとビッテが、驚いて駆け寄る。


「大丈夫よ」「痛くない」「汚れちゃったね」「洗ってあげる」


 二人は手際よく子どもの手当てをすると、汚れた上着を持って川の方へ降りて行った。


「大丈夫か」


「うぅ、うえ……。痛いよ……」


「どこが痛むのじゃ」


「ひざ、と、て」


 膝は今手当てをしたところじゃ。手はどうかしたかと子どもの前にしゃがんでみると、子どもはひくっと喉を引きつらせて驚いた顔をした。


「お……うじょさま?」


「おお、そうじゃ。どれ、手を見せてみぃ。あぁ、こっちも少し擦りむいておるのじゃな」


 右の手の平の皮が、少し剥けておった。妾はハンカチを取り出すと、子どもの手に巻いてやった。


「血は出ていないからの。大丈夫じゃ」


「ありがとう。おうじょさま、きれい」


「ん?」


「ぎんいろ? きんいろ? かみのけ、きれいね。ドレスもすてき」


「ははっ、そうか? 照れるのぅ」


「あおいおめめもきれい。おにいちゃんが言ってたとおり」


「お兄ちゃん?」


 誰のことじゃと首を傾げると、子どもも妾と同じ方向に首を傾げて、にこっと笑った。


「そなた、名前は?」


「エミル」


「エミルか。もう少し待つんじゃぞ。今、ベッテとビッテが上着を」


 洗って持ってくるはずじゃ、と言おうとして、体が凍りついた。


「おうじょさま?」


「しぃっ

 エミル。黙ってな、妾の後ろに隠れるのじゃ」


「なんで?」


「いいから、早く!」


 きょとんとして動かないエミルに、妾は焦る。

 妾の視線の先、エミルの背後に、一頭のよだれを垂らした大きな犬がいた。


「エミル、はよぅ」


 犬は、エミルが落としたパンやハムの匂いを嗅いでいる。

妾はエミルの手をつかみ、そっと引っ張った。エミルは不思議そうにしながらも立ち上がって、妾のほうに来る……かと思いきや、何か気づいたのか、ひょいと後ろを振り向いてしまった。


「うわ、わ、わああああ!」


 突然大きな犬を目にしたエミルは、恐慌状態に陥って叫ぶ。犬は叫ばれた瞬間に身構え、鼻の頭に皺を寄せたかと思うと、ガァッと吠えて飛びかかってきた。


「エミル!」


 妾はエミルを引っ張って、手にした釣竿を犬に向かって振り下ろした。


「キャインッ」


 竿の先が犬の顔に当たり、犬は体をひねって飛びのく。これで引き下がってくれるかと思ったが、犬は妾たちを睨み、するどい歯を剥きだしにして、「グルル」とうなった。


「お、おうじょさま」


「大丈夫じゃ。エミルは妾が守る」


 釣竿を剣のように構え、犬に対峙する。妾は武術の心得などなく、兵士たちの見様見真似じゃったが、小さなエミルが妾の背中にしがみついておる。ひるむわけにはいかなかった。

 犬は、じりじりと間合いを詰めてくる。

 妾は負けじと犬を睨みつけ、やみくもに釣竿を振った。


「グ、グル……。ウォオオオォォォォン!」


 犬が、喉を反らして高く吠えた。すると、どこにいたのか、ざざっとさらに数頭の犬が駆けてきた。黒い犬、茶色い犬、薄汚れた白い犬……。そのどれもが妾より大きく、するどい牙を剥きだしにしていた。


「くそっ、ベッテとビッテはどうしたんじゃ」


 五頭ほどの犬に囲まれ、妾は焦る。このまま飛びかかられたら、二人とも大怪我をする。

 ベッテ、ビッテ、早く来てくれ!

 そう思ったところで、川べりから双子の侍女が上がってきた。


「「きゃあああ、姫様!」」


 二人の悲鳴に、犬たちが振り返る。ベッテとビッテはびくりとたじろぎ、手をつないで身を寄せ合った。


「ベ、ベッテ、どうしよう」

「どうしようって、ビッテ、どうしよう」


「ベッテ! ビッテ! 弁当を投げるんじゃ!

 犬たちが弁当に気をとられておる間に、そっちに行くから!」


「「は、はいぃ」」


 ベッテとビッテが、弁当の入った籠を頭上高く持ち上げる。えいっと勢いよく投げられた籠は、犬たちの真ん中に落ち、サンドイッチやデザートの果物、飲み物などが散らばった。


「エミル、こっちじゃ!」


 犬たちが飛び出した食材の匂いを嗅いでいる間に、妾はエミルの手を引いて双子たちのほうへ行こうとする。

 しかし、途中まで走ったところで、初めにいた犬に回り込まれてしまった。


「くっ」


「ウォゥッ」


 短く吠えた犬が、後ろ足で地面を蹴った。

 いかん! 噛まれる!


「「姫様!」」


 ベッテとビッテが叫ぶ。妾はとっさに地面にうずくまり、エミルを抱きしめた。


「「きゃあぁ!」」「エミル!」「キャイン!」「おにいちゃん!」


「……何?」


 一瞬のうちにいろいろなことが起こったので、妾は何が何やらわからなかった。

 じゃが、顔を上げてみれば、鼻を前足で押さえた犬が転げまわっていて、ウォルとベッテとビッテが妾たちの元へ駆けてくるところじゃった。


「おにいちゃん!」


 妾の腕の中から抜け出たエミルが、ウォルに抱きつく。ウォルはエミルを受け止めると、よしよしと頭を撫でた。

 なんじゃ、エミルはウォルの妹じゃったのか。


「弁当届けようとしてくれたのか? 悪かったな。いつもより上流に行ってたんだ」


「ううん、へいき。おうじょさまがたすけてくれた」


 エミルに言われ、ウォルが顔を上げる。ウォルは妾を見て笑いかけ――


「危ない!」


 ウォルの釣竿がしなる。針が飛び、妾に襲い掛かろうとしていた犬の鼻先を引っかけた。


「キャインっ」


「「姫様っ」」


 犬が飛びのき、ビッテが妾を抱き上げる。仲間がやられたことに興奮してか、今度は他の犬も次々と襲い掛かってきた。


「ビ、ビッテ、私、助けを呼んでくるっ」

「お願い、ベッテ! こら、あっちへ行きなさい! この馬鹿犬っ」


 ビッテが、妾のほうに来ようとした犬を蹴飛ばす。蹴飛ばされた犬は「ウゥッ」と短く唸り、頭を返してウォルに向かった。


「ウォル!」


 三頭になった犬が、仲間のかたきと言わんばかりに、ウォルめがけて駆けて行く。エミルを背中にかばったウォルは釣竿を振り回すが、多勢に無勢、一頭の犬に針が引っかかったままになり、そのまま竿を引きずられて奪われてしまった。


「くそっ」


 ウォルは武器になりそうなものを探して、辺りを見回す。その間に犬たちは、ウォルとエミルをぐるりと取り囲んだ。


「ウォル!

 ビッテ、離してくれ! ウォルを助けるのじゃ!」


「だめです! 姫様がお怪我をなさったら大変です!」


「ウォルだって怪我をしたら大変じゃ! せめて釣竿を渡させてくれ!」


 妾の足元には、妾が持ってきた赤い釣竿があった。これを渡せれば、多少の武器になる。


「だめですっ。今ベッテが助けを呼びに行っていますから、姫様は安全なところに移動しましょう」


「安全なところってどこじゃ! ウォルたちを置いてなど行けん!」


 妾はじたばたと暴れ、ビッテの腕がゆるんだ隙に地面に飛び降りると、釣竿を持ってウォルの元へ駆けた。一瞬飛びのいた犬の間を通って、ウォルの側へ行く。


「おまえっ、何で来た!」


竿これを渡しに」


「馬鹿野郎! 王女様がわざわざ危ないところに来るなよ!」


「なぜじゃ? このままでは、ウォルもエミルも怪我をしてしまうじゃろう。下手したら死ぬかもしれん。そんなのは嫌じゃ。一人よりも二人、二人よりも三人じゃ。みんなで協力すれば、百匹の猫だって救えるのじゃ」


「猫? なんでここで猫の話なんだよ。目の前にいるのは野犬だろ。

 こいつら、最近増えてんだよ。噂じゃ、城壁の増築で西の岩山を切り出しはじめたから、こいつらの住処すみかがなくなって街に下りてきたんじゃないかって話だ。街をでっかくすんのはいいけどよ、王様もあとのことまで考えてやることやってほしいぜ」


「……すまん」


「あ、いや、別におまえの悪口言ったんじゃないんだ。俺のほうこそ、ごめん」


 妾とウォルは、背中でエミルを挟むように立つ。ウォルにやられて鼻から血を出した二頭もこちらに来ようとしていたが、それはビッテがなんとか追い払っていた


「グルル……」


 犬たちは次第に輪をせばめてくる。ウォルは釣竿を振り回し、妾は足元の小石を投げた。


「ウォゥッ」


 小石をけた犬が、突如飛びかかってきた。ウォルはそれを竿で薙ぎ払い、次に向かってきた犬も鼻頭を叩いて追い払った。しかし、三頭目の犬は釣竿に噛みつき、どうやっても振り払えなかった。ウォルは竿を引っ張る。妾もウォルに加勢すべく、ウォルの腰をつかんで引っ張った。


「おにいちゃん!」


 もう少しで釣竿を取り戻せそうだというとき、エミルの悲鳴が聞こえた。見れば、エミルのスカートに一頭の犬が噛みついていた。


「エミル!」


 ウォルが釣竿から手を離して、エミルに駆け寄る。犬はエミルの服を離すと、向かってきたウォルに飛びかかった。


「ウォウッ」


犬の鋭い牙はウォルの肩を引き裂き、ぱっと血が飛んだ。


「ウォルっ」「おにいちゃんっ」


 ウォルが地面にうずくまる。エミルはウォルにしがみつき、妾は二人の前に立って両手を広げ、犬たちを牽制した。


「王女様……逃げろ……。ここは俺が……」


「馬鹿者! 怪我をしておるくせに何を言う! 大丈夫、もうすぐ助けが来るはずじゃ」


「助け……なんて……。

 うぅ、おまえ、なんでそこまで俺たちのことかばうんだよ……」


「エミルもウォルもリーンハルト(わがくに)の大事な民じゃ。

 王女たる妾がそなたらを守るのは当然じゃろう」


「おまえ……」


 三頭の犬が、妾を睨みつけてくる。妾はここでひるんでなるものかと、歯を食いしばり気迫を込めて睨み返した。


「グルルルルルルルル……」

「ウゥ……ウォゥ……」

「グゥ……」


 犬たちは低く唸る。ある者は前脚で地面をかき、ある者は前傾姿勢になって、今にもとびかからんばかりじゃ。

 じり……。

 犬と妾の間に、万にも感じるときが流れる。

 つぅっと、額に汗が流れた。妾がそれを拭こうと手を上げた瞬間。


「バゥッ」「ウォゥ!」「ウォゥウォゥウォゥッ」


 犬たちが一斉に襲い掛かってきた。


「姫様ッ」

「おうじょさま」

「王女様!」


 犬の、爪が、牙が迫る。

 怖い。逃げたい。じゃが、妾が今逃げたら、エミルとウォルが。

 ベッテ、早く助けを。

 誰か、来てくれ。

 誰か……フェリクス――!


「マリー!」


 もうだめじゃ。そう思ってきつく目を閉じたとき、ここにおるはずのない者の声が聞こえた。大きな影が妾と犬たちの間に立ちはだかり、馬のひづめと剣の鞘で払われた犬が、次々と情けない声を上げて倒れて行った。


「フ、フェリクス。なぜここに……」


 おそるおそる顔を上げると、馬の足が見えて、あぶみが見えて、そのずぅっと上に、怒った顔のフェリクスがいた。


「“なぜ”じゃねぇっ、おまえ、何してんだ!」


「何って……おっ」


「「姫様っ、ご無事でよかった! 申し訳ありませんでしたああああ!」」


 ベッテとビッテが妾に抱きついてくる。犬たちはフェリクスの後についてきた兵士たちに鞭で打たれ、縄をつけられて捕えられた。




「城壁の視察に行く途中で侍女がふっとんできたんだ。聞けば、おまえが野犬に襲われてるっていうじゃねぇか。

ったく、何だってこんな街はずれまで来てるんだ。詳しい話は後で聞くけどな、きついおしおきを覚悟しろよ。

 それから、そこの双子にも処分が必要だ。あとおまえたち……」


 フェリクスは地面に倒れているウォルと、ウォルにしがみついているエミルを睨みつける。


「王女を盾にするとはどういうことだ」


「待ってくれ、フェリクス!

 ベッテもビッテも、何も悪いことはしておらぬ。ウォルたちだって妾が」


「うるさい。おまえを危険にさらしたんだ。よくて解雇、事と次第によっては絞首刑だ。

 子どもとて、王女を巻き込んでの騒動とは、相当の罰が必要だ」


「フェリクス!」


 何を言い出すのじゃと、妾はフェリクスに足にとりつく。フェリクスは体をかがめて妾の脇の下に手を入れると、片手で軽々と持ち上げた。


「マリー、怪我はないか。いくら気の強いおまえだって、自分より大きな野犬に立ち向かうなんて無理だ。

 あぁ、髪がからまってドレスも破れてるじゃないか。顔にも泥がついてる。城に帰って風呂に入ろう」


 フェリクスは足だけで馬を操り、馬首を返す。


「待てといっておるじゃろう! ベッテたちは悪くない! 妾よりもウォルの手当てをしてくれ!

 誰にも処罰を与えぬと約束してくれなければ、妾は城には帰らん!」


「「姫様……」」

「王女様……」


 妾はぐっと腕をつっぱって、フェリクスの腕の中から逃れようとする。

 フェリクスは不機嫌そうに眉間に皺を寄せると、ちらりとウォルたちのほうを見た。


「そんな約束はできない。しかし、怪我の治療はしよう。ただし、城の牢屋でな」


「なっ、ひどいぞ、フェリクス!

 おぬしは、誰もが安心して暮らせる国を目指しておるのではなかったのか!? 危険な目に遭ったのは、妾だけではない。ウォルたちだって被害者じゃ。それもこれもおぬしのせいだというではないか!」


「俺のせい? なんで俺のせいなんだ」


「野犬が増えたのは、おぬしが城壁の増築のために西の山を削ったからじゃと聞いたぞ。犬たちの住処を奪ったから、食べ物を求めて犬たちは街にやってきたんじゃ。このままにしておけば、もっと被害がでるぞ」


「それは……」


「犬だって、この国に住んでおるからには、おぬしの守るべきものじゃろう。現状だけ見て安易に対処するのではなく、根本を変えるべきじゃ」


「言ってくれるじゃねぇか。じゃぁ、何か。おまえは人間ヒトの暮らしと犬の暮らしだったら、犬の暮らしを優先するってのか。犬をのびのび暮らさせるために、人間ヒトは狭い街で我慢しろと?」


「そうは言っておらん! 人間ヒトの暮らしと安全を確保したうえで、犬のことも考えてやれと言うておる」


「簡単に言うなよ。物事には優先順位ってもんがあるんだ。どっちも一度になんてできねえんだよ」


「それをやるのが王じゃろうが」


「おまえなぁっ」


「なんじゃっ」


 妾とフェリクスは、馬上で睨みあう。ベッテとビッテはおろおろと身を寄せ合い、ウォルはエミルを抱いて、傷口を押さえていた。

 フェリクスが眉間の皺を深くする。これは相当怒っておるようじゃが、ここで引き下がるわけにはいかんのじゃ。


「フェリクス、あのなッ」


 妾はフェリクスの服をつかみ、何か言ってやろうと口を開く。するとそこに、ガラガラと一台の馬車が近づいてきた。開けられた窓から顔を出したのは、アナンドじゃった。


「ふぉっ、ふぉっ。王よ、ここは引き下がっておいたほうが賢明じゃぞい。古来より、女性のほうが口が達者と決まっておる。天下の往来で姫様に言いくるめられたとあっては、王の威厳が保てんわい。

 子どもたちは、手当てをして家に帰してやるがよいさ。侍女たちの処分はカーラに一任じゃ」


「……この侍女をつけたカーラにも責任がある」


「そうじゃの。じゃから、今どうこうしようとせんで、落ち着いて話をするがよかろう。視察はわしがおれば十分じゃ。

 あぁ、姫様。姫様の言いたいこともわかるがの、侍女に関してはお咎めなしというわけにはいかん。あやつらの仕事は、姫様を守ることじゃったんじゃからな」


 カーラの話が出たところで口をはさもうとしたら、アナンドに先回りされた。妾は渋々とうなずき、おとなしくフェリクスに抱かれて帰ることにした。最後にもう一度ウォルたちと話しをしたかったが、彼らはすでに兵士に抱かれて移動し始めており、声をかけることは叶わなかった。




 結局、ベッテとビッテは妾付きをはずされ、カーラもしばらく他の仕事をすることになった。

 妾に襲い掛かってきた野犬たちと、街をうろついていた野良犬たちは、西の山とは別の山に放されることになった。




 一か月後。

 フェリクスに謹慎を言い渡されていた妾は、ようやく外出許可をもらって川べりに来た。しかし、完全に自由なわけではない。侍女ではなく兵士を五人も連れて、寄り道・買い食いは一切なしと言われていた。


「ウォルー!」


 橋の下に濃褐色ブラウンの髪の少年を見つけた妾は、大きく手を振って駆け寄る。


「ウォル! 元気じゃったか!」


「王女様……、また来たのか」


「へへ。本当はもっと早く来たかったのじゃがな。

 あのあと、大丈夫じゃったか」


「あぁ。王女様のおかげでたいした怪我じゃなかった。

 兵士の人が家まで送ってくれて、王様からだって薬代までくれたんだ」


「そうか。それはよかったの。

 あのな、ウォル。よかったら、そのうち妾もここで釣りをさせてくれぬか」


 本当はあの日、ウォルの隣で釣りをするつもりじゃった。教わろうというのではない。ただ、おもしろそうだったから、やってみたかったのじゃ。


「ははっ。ほんと変わった王女様だな。うん、いいよ。俺でよかったら、釣り教えてやるよ」


「本当か! 感謝する!」


「へへ。エミルもまた会いたがってたから、喜ぶよ。

 ……あのさ」


 ウォルは、腰かけていた石から立ち上がり、鼻の頭をぽりぽりと掻いた。


「ずっと前のことになるけど、冷たくして悪かったよ。国の偉い人ってのは、いばってばっかの嫌な奴かと思ってたんだ。

 けど、あんたは違うのな。

 俺たちのこと一生懸命守ろうとしてくれたし、サンドイッチも最高に美味うまかった」


 ウォルは照れくさそうに笑って、さらに言葉を紡いだ。


「俺、漁師になるつもりだったけどやめる。

 大きくなったら、兵士になるんだ。そんで、おまえを守ってやるからな」


「ウォル……」


「あっ、えっと、もちろん王様も守ってやるよ。俺、強くなるから。待ってろよ」


「わかった。よろしく頼む」


「おう」


 ウォルともっと話したがったが、兵士に時間だと言われ、妾は城に戻ることにした。


「王女様」


「ん?」


 別れ際、ウォルがポケットから見覚えのあるハンカチを取り出した。


「これ、エミルの手に巻いてくれたやつ。俺も王女様に会えるかもしれないと思って、ずっと持ち歩いてたんだ。

 本当は返さなきゃいけないんだけどさ、持っててもいいか?

 立派な兵士になれるまで、お守りにしたいんだ」


「いいぞ。ウォルにやる。

 妾も立派な釣り人になるために、がんばるからな」


「そこは“立派な王女様”って言ってほしいとこだぜ」


「はははっ、そうか!」


 ウォルに別れを告げ、露店の立ち並ぶ通りを歩く。

 城壁の増築で人の出入りが増えた街はさらに活気を増し、人々の明るい笑顔があふれていた。


リーンハルト(ここ)は良い国じゃのう」


「王のおかげです」


 後ろを歩く兵士は、どこか誇らしげに返事をする。

 ウォルも大きくなったら、この兵士のようになるのじゃろうか。




 兵士になったウォルに会える日を楽しみにしつつ、まずは釣りを教わるのじゃと、妾は釣り道具屋へ足を向けるのじゃった。









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