マリーと後宮<前編>
「フェリクス! フェーリクス!」
その日も、妾はフェリクスを探して城内を駆け回っておった。
「私室にもいないし執務室にもいない。
訓練場にもおらんかったし……。はては、昼間っから後宮か?」
後宮とは、フェリクスと女どもがにゃんにゃん(とモーフィーが言っておった)するところだそうじゃ。
”にゃんにゃん”がよくわからんが、とにかく子どもは近づいてはならぬ場所で、特に夜はだめと言われておったから、フェリクス捜索の範疇には入れておらんかった。
しかし、ここまで見つからんとなると、あとはそこしかない。
妾はフェリクスを探すべく、北の塔に足を向けた。
後宮の入り口は、金縁の真っ赤な扉じゃ。
柱の影から様子をうかがうと、二人の侍女が扉の前に立っていた。
「あら、姫様、どうなさいました? お部屋にお戻りくださいませ」
妾に気づいた侍女の一人が、声をかけてきた。
「フェリクスは来ておらんかの」
「それはお答えしかねます。どうぞお部屋にお戻りください」
「フェリクスに用があるのじゃ。通してくれ」
「いけません。お部屋にお戻りください」
侍女は、それしか言えないのかというくらい、同じ言葉を繰り返す。
妾は負けじと食い下がったが、ついには抱き上げられて別棟に放り出されてしまった。
「なんじゃ! ちょっとくらいいいではないか!」
「姫様は入れないようにとの王のお達しです」
「やっぱりフェリクスは中におるのじゃな! こら、通せ!」
妾はなんとかフェリクスの元へいこうとするが、侍女が通路を通せんぼしていて通れない。
「わかった。あきらめる」
「おわかりいただけてよかったです。どうぞ、姫様はご自分のお勉強にお励みください」
侍女の余計な一言に腹が立ったが、ここは我慢じゃ。
妾は自分の部屋に向かう振りをして、侍女がいなくなるのを待った。
しばらくして、侍女の足音が遠ざかった頃合いを見計らい、妾は作戦に移ることにした。
赤い扉の前には侍女が二人。
一人が厠か何かで扉の前を離れた隙を狙って、妾は捕まえてきたネズミを放った。
「きゃああああ!」
侍女がネズミに驚いて逃げ出す。妾はその間に扉に飛びつき、細く開けた隙間から中に滑り込んだ。
ポロロンと、不思議な音が聞こえる。
「そこにいるのは、だぁれ?」
誰何の声に、妾は顔をのぞかせた。
薄布を何枚も重ねて垂れ下がらせた通路の先には、たおやかな女性の姿があった。
「あら、かわいいお客さん」
大きな木の実を半分に割って、長い棒と紐をつけたような楽器を持った女の人は、褐色の肌をし、青みがかった長い黒髪を頭の上で縛っていた。衣服はほとんど肌を隠す役割を果たしておらず、腕もへそも出ていて目のやり場に困るほどじゃった。
「新しい子? 後宮に入るにはずいぶん小さいけど」
「妾はマリーじゃ。フェリクスを見なんだか」
「マリー。そう、マリー。
ねぇ、この歌を知ってる? その昔、タタ・マリヤっていう王女がいたのよ。マリヤは一人の兵士に恋をしたの。でもマリヤには許嫁がいたんだわ」
女の人は、不思議な音のする楽器を膝に抱えると、手にした貝殻でポロロンと紐を弾いた。
「ふふ、紐じゃないわ。弦っていうのよ。これは私の国の楽器。シタールっていうの」
ポロロン、ポロロンと弦を弾きながら、女の人は歌を歌い始めた。
それはとても悲しい恋の物語で、マリヤと兵士は、最後には手をとりあって砂漠の泉に身を投げてしもうた。
「なんで死ぬのじゃ。死んでしまってはどうにもならぬじゃろう」
「くすくす……。そうね。現世で結ばれないのなら、来世で一緒になろうとしたんじゃないかしら」
「来世? そんな不確かなものにすがるなど馬鹿馬鹿しい。ともに生きてこそ幸せになれるというものじゃ。
妾は欲しい物は自分の力で手に入れるぞ。
なぁ、そなた、フェリクスを見なかったか? 城のどこにもおらんのじゃ。こうなったら後宮におるのではないかと探しにきたんじゃ」
「後宮に入れる男性は王だけよ。
あぁ、もしかして王様を探しているの? 王様は来てないわ」
「なんじゃ、そうか。」
フェリクスは来ていなかったのか。ならばもう一度始めからから探し直そう。
そう思ったが、妾はシタールという楽器を奏でるこの女の人と、なんだかもう少し一緒にいたい気がした。
「そなた、名前は?」
「わたし? そうね……。故郷では黄金と呼ばれていたわ。
黄金の王女と……」
ポロロンとシタールが鳴らされる。
次にソナリが奏でた曲も、恋人同士の別れを歌う、悲しい歌だった。
ソナリの指はきれいじゃ。
長く伸ばされた爪の先は丸く整えられ、表面はつるつるに磨かれて光っていた。その指が、妖しくうごめく。
「あっ、あぁ、ソナリ、そこはっ」
「くすくす、マリー、嫌がっても無駄よ。ほら、貴女のここ、こんなに広がってる」
「んんっ、ソナリ、待ってくれ。あっ、だめじゃ……!」
「マリー! 何をしている!」
ばっと勢いよく薄布が取り払われる。
チャトランガというソナリの国のチェスのような盤ゲームをしていた妾は、突然現れたフェリクスに驚いた。
「何って、チャトランガじゃ。これはの、女王はおらぬのじゃ。僧正もおらぬ。代わりに象がおっての。船というのもあるんじゃ」
「マリー……」
フェリクスががっくりと膝をつく。
妾がどうしたのかと思って近づくと、横っ腹を抱えて持ち上げられた。
「こんのおてんば姫がっ
心配かけやがって、尻たたきの刑だ!」
「はぁ!? なんでじゃ!
妾はただゲームをしておっただけじゃぞ!」
盤上には、チェスとは少し違った駒が並んでおる。ソナリに習ったばかりのゲームはなかなか駒の動きが覚えきれず、妾の歩兵が展開しきったところに、ソナリの馬が切り込んできたところじゃった。
「もうちょっと! もうちょっとがんばれば挽回できるかもしれんのじゃ」
「ちょっとも何もあるか。ソナリ、邪魔したな。もしも今度来たら叩き出してくれ」
フェリクスの肩に乗せられ、運ばれる。妾は必死に手足をばたつかせたが、抵抗むなしく後宮を出たところで尻を叩かれるはめになった。
「痛たっ
カーラ、痛いぞ」
「お勉強をさぼって後宮などに行っていた罰ですわ」
フェリクスに叩かれて赤く腫れた尻に、カーラが冷たい手巾をぴしゃりと乗せる。
優しく乗せてくれればいいものを、力任せに乗せるものだから結構痛かった。
「まったく、みんながどれほど心配したと……。どこを探してもいらっしゃらなくて、まさか後宮に入りこんでるなんて……」
「妾はフェリクスを探してたのじゃ。
フェリクスがすぐ見つからないのが悪い。それに後宮はそんなに悪いところではなかったぞ」
「王は西の詰所に視察に行かれていたそうです。
後宮は子どもの遊び場ではないのですから、二度といってはいけませんよ」
「子どもだって行ってもいいではないか。
ソナリにいつもフェリクスと何をしているのかと聞いたら、チャトランガを教えてくれたぞ」
「ソナリ……。南の国から連れてこられた方ですね。
あの方が常識的な方でよかったですわ。王が後宮で何をしているかなんて、まだ姫様のお耳には入れたくありませんもの」
カーラが言う。
後宮にいる女性たちは、ソナリのように優しい女性ばかりではないのだと。中には王女たる妾に焼きもちを妬いて、危害を加えようとする者もおるのだそうじゃ。
「そういえば、以前フェリクスの寝室に入り込んでおった女がおったの」
「あの方はすぐに街に来ていた商隊に払い下げられましたよ。
お金が何よりもお好きな方でしたから、お似合いでしょう」
普段上品な物腰のカーラが吐き捨てるように言ったので、妾は少し驚いた。
妾は後宮にはおいしいものや楽しいものがたくさんあって、夜な夜なフェリクスが女の人に囲まれてでれでれ鼻の下を伸ばして遊んでいると思っていた。しかしどうやら、いいことばかりのところでもないらしい。
「とにかく、もう行ってはいけませんよ。
もしも今度後宮の周りをうろつくようなことがあったら、このお部屋に鍵をかけて、一歩も出られないようにしてしまいますからね!」
カーラが手巾をぬらすのに使った桶を片づけに行く。妾は寝台にうつ伏せになって、ぷぅっと頬をふくらませた。