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マリーと王子<中>




 エウスタキオの王子がやってきたのは、午後も遅くになってからだった。


「あ、あの、お初にお目にかかります。エウスタキオの第一王子、ヴァルト=ヨーナ=エウスタキオです」


 玉座に腰かけふんぞりかえるフェリクスの前で、エウスタキオの王子が膝をついて礼をする。妾はフェリクスの隣に置かれた妾専用の椅子に腰かけ、話し相手をせよと言われた王子を観察した。

 白い肌、くるくるの金髪に、星を散らしたようなすみれ色の瞳。目にも鮮やかな黄色いマントをはおり、肩のところが膨らんだ緑を基調とした服に身を包んだ王子は、いかにも“王子様”という感じだった。


「よく来てくれた、ヴァルト王子。俺はリーンハルトの王、フェリクスだ。こっちは俺の養女のマリエッタ」


 養女ではのうて人質というのが正しいのであろうが、フェリクスは他人ひとに妾を紹介するとき、いつもこういう言い方をする。


「歳も近いようだし、そなたが我が国に滞在するひと月の間、仲良くしてやってくれ」


「は、はい、ありがとうございます。マリエッタ王女、よろしくお願いします」


 王子はもじもじとあいさつをして、用意された部屋に下がって行った。

なんじゃ、あれは。ああいうはっきりしない輩は、妾は嫌いじゃ。あんなのの相手をせねばならんと思うと気が滅入る。そう思って妾が溜息をつきかけると、フェリクスが首を伸ばして、妾の顔に己の顔を近づけてきた。


「なんだよ、マリー。口とんがってんぞ。かわいい顔が台無しだ」


「ほっとけ。この口は生まれつきこういう形なんじゃ」


 ぷいっと横を向いたら、頬をつつかれた。


「王子のこと頼んだぞ。俺も多少は相手をしてやれるが、執務があるからな。カーラと一緒なら街に出てもかまわねぇから、折を見て案内してやってくれ」


「……わかった」


 そうじゃ。王子をめろめろにして、フェリクスに感謝される計画であった。うっかり、気に入らないからと無視をしそうになっておった。あの弱々しい様子では、早速部屋で泣いているかもしれぬ。仕方ない、声をかけてやるか。


「王子の部屋に行ってくる」


「おう」


 椅子からぴょんと飛び降り、襟や髪を指先でちょちょいと整えてから、歩き出す。フェリクスは、そんな妾をにやにやしながら見ていた。






 侍女たちが、ばたばたと荷物を片づけている。


「ふむ、このエウスタキオの香草茶というのは美味いな!」


「あ、ありがとうございます……」


「して、ヴィ、ヴァ、ヴァルト王子。言いにくいな。何か国での愛称などはないのか」


「あの、ヨナと……親しいものにはヨナと呼ばれています」


「ではヨナ」


 妾は今、王子の部屋にいる。王子は、突然現れた妾に驚いていたが、そんなことはかまわない。妾は勝手にテーブルにつき、茶を所望した。すると、気を利かせた侍女が、エウスタキオ産だというお茶を出してくれたのじゃ。


「明日、城下町に遊びに行こうぞ」


「へ?」


「そなたはこの国を見学に来たのじゃろう? 妾が案内してやる。明日、行こう」


「明日って、あの、でも王に訊かないと」


「フェリクスはいいと言っておった。それとも何か。妾と一緒では不満か」


「不満だなんて……! でも、あのまだ城内のこともよくわかってないので、あの、その」


「そなたがいるのはひと月じゃろう? もたもたしていたら、あっという間に帰る日になってしまうぞ」


「そうですけど……」


 王子が、そばを通りがかった侍女にちらっと目線を送る。今片づけをしている侍女たちはエウスタキオからついてきた侍女たちで、片づけが終わったら、早々に国に帰ることになっているそうじゃ。


「王子、ご自分でご判断なさいませ。ご自分の性格を変えたいと、今回のご遊学を望まれたのでしょう?」


「う……。そうだった……」


 侍女に言われ、王子がぎゅっと下唇を噛む。


「で、でも、いきなり明日っていうのは……。もう少し慣れてから……。今日は長旅で疲れたし、明日熱が出るかも……。道だって全然わからないし、もし道に迷ったり暴漢に襲われたりしたら……」


 王子は下を向いてぶつぶつと言っている。妾は初めのうちこそ茶を飲んでじっと黙っておったが、次第に我慢ができなくなった。


「えぇい、女々しいやつめ! うだうだとつまらぬことを言うでない!

 疲れているなら、もう寝ろ! 一生寝台の上にいるがよい!」


 妾はがちゃんと音を立てて乱暴にカップを置くと、大股で部屋を出て行った。


「あっ、お待ちください、マリエッタ王女! マリエッタ王女―!」


 後ろから王子の声が追いかけてきたが、妾は知らんぷりをした。




「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。それでわしらのところに来たんじゃな。姫様も短気よのぉ」

「ほんに。それでは王子を籠絡するなど、夢のまた夢じゃ」

「エウスタキオの王子も可哀想にのぅ」


 王子の部屋に行くと言った手前、あまり早くフェリクスの元へは行けないと思った妾は、他に行くところもなくて、結局大老たちの部屋にいた。


「あやつがうじうじしているから悪いのじゃ」


「そうは言うてもな、着いていきなり外に出ようとは、なかなか思えんものじゃて」

「まして、姫様の話によれば、過保護に育てられた気弱な王子のようじゃ」

「姫様のことじゃ、どうせ城下町と聞いて、ご自分が行きたくなったのじゃろう?」


「うっ」


 ガルリがするどい一言を言う。

 そうじゃ、城下町なぞ、めったなことでは行けぬ。人々の喧騒、いい匂いのする屋台、露店に並ぶ珍しい品々、広場でおもしろい芸を見せる大道芸人たち。

 フェリクスに『街に出てもかまわない』と言われたときに、妾の頭には以前行ったことのある街の情景が一気に蘇った。


「そう急がんでも、まずは城内を案内してさしあげなされ」


 アナンドが茶をすすりながらゆったりと言う。


「そうじゃ。ついでにわしらのところにも連れてきてくだされ。先々代のエウスタキオ王は見たことがあるぞい。金髪の、それはそれは美しい若者じゃった」


 モーフィーは、昔を懐かしむように目を細める。


「そのエウスタキオの香草茶というのも、飲んでみたいのぅ」


 ガルリも背中を丸めてのんきに言った。


「はぁ……。わかった。

 妾が悪かったのじゃ。ヨナが城に慣れてから外に誘うことにする。

 ヨナは迷子になることを恐れておった。城下町の地図などあれば安心するかもしれん。地図はあるか?」


 妾は、何気なく言ったつもりじゃった。けれど、言った瞬間、アナンドの目が鋭く光った。


「姫様。地図というのはの、おいそれと他国の者に渡すものではないのじゃぞ」


「なぜじゃ?」


「今は友好関係にある国とて、いつ敵対するかわからんからの。正確な地図が敵の手にあっては、我が国は簡単に攻め入られてしまうじゃろう?」


「同じく、城内を案内するときも気を付けてくだされよ。主要な場所はかまわんが、あまり奥まったところまでは見せないようにしてくだされ」


「なるほど、そういうものか。うむ、わかった」


 観光用の略図ならば、城下町に行けばあるだろうとのことだった。ほどよく時間を潰した妾は、フェリクスと夕食をとろうと、自室に戻った。


「姫様、ヴァルト王子からお手紙がきていますよ」


 部屋に着くと、カーラが透かし模様の入った封筒を差し出してきた。


「なぜ同じ城内にいて、わざわざ手紙なのじゃ」


「さぁ、なんでしょうね」


 カーラはくすくすと笑っている。妾は首をひねりながら封を開けると、小さな花の押し花とともに、一枚の手紙が滑り出た。


『親愛なるマリエッタ王女へ

 先ほどは失礼な態度をとってしまい、申し訳ありませんでした。

 マリエッタ王女様からのお申し出、たいへんうれしく思います。

 僕は、心配性で引っ込み思案な性格を変えたくて、リーンハルトに来ました。

 マリエッタ王女様のように、なんでもはっきり言えるようになりたいです。

 これからひと月がんばるので、どうぞよろしくお願いします。

 貴女の友だち ヴァルト=ヨーナ=エウスタキオ』


「……友だちになった覚えはないが」


「手紙の慣用句ですよ」


「そうか。返事は必要かの」


「そうですねぇ。このあとお夕食でお会いになると思いますので、そこでお話なさればいいんじゃないですか」


「うむ」


 手紙を書くのは苦手なので、カーラがそう言ってくれて助かった。

 妾は、夕餉の席で、疲れているところを急かして悪かったこと、明日は城内を案内することを話した。王子は相変わらずもじもじしながら返事をし、フェリクスや周りの者たちは、妾たちのやりとりを微笑ましそうに見守っていた。




 翌日は城内を案内し、翌々日は庭を案内した。


「また手紙か」


照れ屋(シャイ)な王子のようですね」


 カーラの手には、二通の手紙があった。一通は王子からのもので、庭が素晴らしかったことや、一緒にいなかった時間にやったことなどが書いてあった。初日に手紙をもらって以来、王子ヨナからは毎日手紙が届いてこれで三通目になる。


「こっちは……。あ、裁縫の先生からじゃ」


 ペーパーナイフで封を開けると、きれいな女文字で、来週からまた教えに来てくれると書いてあった。


「よかったですね」


「おう。カーラのおかげじゃ! もう蛙の話はせんぞ」


「くすくす。そうしてください」


 裁縫の先生が来るとなれば、宿題をやっておかねばならぬ。妾は針と糸をとりだすと、長椅子に腰かけて苦手な刺繍にとりかかった。


「あっ、っ」


 案の定、一針目で指を刺してしまう。ぷくっと赤い血がふくらんだ指先を口に含んでいると、コンコンと部屋の扉がノックされた。


「はい。あら、ヴァルト王子様」


 カーラの声に振り向く。そこには、大輪の薔薇を抱えたヨナがいた。


「っと、あのっ、庭を案内してもらっときに、きれいだと話していたら、庭師が届けてくれて……。

 それで、あの、姫にも、と」


「そうですか。ありがとうございます。」


 カーラが薔薇を受け取って花瓶に生ける。ヨナは部屋に入るでもなく戻るでもなく、入口のところでもじもじとしていた。


「ヨナ」


 仕方なく、妾は王子に手招きをする。すると、ヨナはぱっと嬉しそうな顔をして近寄ってきた。


「刺繍ですか?」


「そうじゃ。来週お裁縫の先生が来るのじゃが、これが苦手での……」


 以前先生から出されていた宿題は、ハンカチに自分の名前を刺繍するというものじゃった。妾は、ハンカチに薄く書かれた自分の名前をなぞろうと、針を握る。一針目はいい。次は、初めと同じ穴から針の先を出せねばならぬ。そうなるととたんに難易度が上がり、指を刺すことになる。


「あっ、姫、そこは」


たっ」


 また刺してしまった。この調子では、刺繍が終わることには血染めのハンカチになっていそうじゃ。


「ち、ちょっと貸してください」


「ん?」


 妾が涙目で指を舐めていると、ヨナが刺繍枠ごとハンカチを取り上げた。そして妾の隣に座ると、針を持って信じられない速さで刺繍を仕上げていった。


「できました!」


「おぉ、見事なものじゃのう」


 妾が素直に感嘆の声を上げると、ヨナはハッと我に返ったような顔をして、ハンカチを返してきた。


「す、すすす、すみません! 僕、余計なことを……!」


「何が余計なことか。助かったぞ。ヨナは刺繍が得意なんじゃな」


「得意というか……」


 ヨナが顔を赤らめて下を向く。そして指をせわしなくこすりあわせ、小さい頃から好きなのだとか、男らしくない趣味なので国では怒られるのだとか、ぼそぼそと独り言のように言った。


「好きなことをして何が悪いんじゃ。男らしいとか女らしいとか、勝手に決められたくはないの」


「……姫っ

 そ、そうですよね!」


「そうじゃ。どれ、ヨナ。ついでに名前の隣に花でも刺繍してみぃ」


「はい!」


 裁縫道具ごとヨナに渡すと、ヨナは楽しそうに糸を選び、これまたあっという間にミニバラと葉っぱ、リボンを妾の名前の隣に刺し描いた。


「すごい! すごいな、ヨナ!」


「あは、よ、喜んでいただけて嬉しいです」


 ヨナが満面の笑顔を見せる。こんな笑顔を見るのは、ヨナに会ってから初めてのことじゃ。


「ヨナ、もう一枚、これとおそろいで作りたい。よかったら教えてくれぬか」


「えぇ、もちろんです」


 妾はカーラに頼んでもう一枚ハンカチを用意してもらい、枠に固定してろうで下書きをした。


「F、e、l、i……。フェリクス王のお名前ですか」


「そうじゃ」


義父上ちちうえにプレゼントなさるのですね。いいお考えです」


 フェリクスが義父ちち

 あまりにそぐわない呼び名に妾は吹き出しかけたが、そういえば妾はフェリクスの養女と紹介されていたのを思い出して、なんとかこらえた。


 一刻ほどかかったであろうか。

 なんとかできあがったフェリクスの名入りハンカチは、ヨナが刺繍してくれたものとは比べ物にならないほどひどい出来じゃったが、最初から最後まで妾一人で作った。


「まぁ、姫様、がんばりましたね」


「おう。フェリクスは喜んでくれるじゃろうか」


「きっと喜んでくれますよ」


 カーラに力強く言われ、妾は「ふふっ」と笑う。


「カーラ、今から渡しに行ってもいいか」


「そのままですか? せっかくなら、きれいにリボンなどをかけたらいかがでしょう」


「そうか、それもそうじゃな。

 リボンも自分で選びたいの。ヨナ、城下町に行く件、そろそろどうじゃ?」


「あ、えっと」


「ヴァルト王子様。我が国の特産に、北側にある寺院の修道女シスターたちが作る“白糸刺繍”というものがあります。白い布に白い糸で刺繍を施すのですが、中に芯を入れるため、立体的になるのです。もしお国にないようでしたら、いいお土産になると思いますわ」


「白糸刺繍? そんなものがあるのですか。それはぜひ見てみたいです」


「それでは、王にお伺いを立てて、よろしいようでしたら明日でかけましょう。私ともう一人侍女がつきますので、ご安心ください」


 普段まともにしゃべれずおどおどとしたヨナも、刺繍のこととなると別人のようじゃ。

 フェリクスはあっさりと許可を出し、妾とヨナは、翌日、城下町へと買い物に行くことになった。





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