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マリーとごはん⑦



 帰りは水路が使えたので、行きよりもずっと早く着いた。


「ただいま帰ったぞ! フェリクス! フェーリクス!」


「おお、帰ってきたとたん、騒々しいな。カウニッツはどうだった」


 執務室に駆け込むと、フェリクスは羽根ペン片手に書類に向かっておった。


「どうもこうもないわ! 妾を人身御供にして、カウニッツの治水技術と造船技術を貰い受けるつもりだったのじゃな!」


「あー、ばれたか。あそこの国は、なかなか技術者を手放さなくてな。交渉に苦労してたとこだったんだ。

 うまくいったんだろ? 昨日、技術者が到着して、早速キュリッキ川の視察に行ったぞ」


「~~~!」


 キュリッキ川とは、リーンハルトの南西部になる暴れ川じゃ。

 毎年、大雨の時期には増水して近隣の村々に被害が出る。その対策が必要なのはわかっておるが、妾に黙って交渉が進められたことに腹が立った。


「言ってくれればよかったではないか!」


「おまえにそこまで背負わせる気はねぇよ。

 うまいもん食えたか? 初めての国外旅行じゃねぇか。楽しんできたか?」


 ん? とフェリクスが首を傾げる。

 フェリクスは、妾に余分な心労をかけまいとして、黙っておったということか。


「馬鹿者めが……」


「なんだよ、楽しくなかったのか。ほら、こっちこいよ。土産話を聞かせてくれ」


 フェリクスが両手を広げる。妾はとことこと側へ寄っていって、フェリクスの膝に乗った。


「少し日焼けしたか?」


「ん……。船に乗ったのじゃ。水がきらきらしてきれいじゃった」


「王子は? 食えるようになったのか」


「なった。すごいじゃろう。

 で、求婚プロポーズされた」


「は? どういうことだ」


「大人のキスの方法を教えてやったのじゃ。前、フェリクスがしてくれたじゃろ。

 そしたらミハイルが幼女趣味じゃということがわかって、船から落ちそうになったのじゃ。あ、妾も一回落ちた。ミハイルが助けてくれた」


「ちょ、ちょっと待て。順番に話してくれ。あの宰相がなんだって? おまえ、何もされてないか」


「何もとはどういう意味じゃ? ミハイルはよく遊んでくれたぞ。ミハイルは技巧派テクニシャンでの、舵とりがうまいのじゃ」


「なんの舵だ! 遊びって、お医者さんごっことかしてないだろうなっ」


「オイシャサンゴッコ? なんじゃ、それは。かくれんぼならしたぞ」


「どこに隠れたんだ。ドレスの中か。マリー、ちょっと脱げ! 体見せてみろ!」


「はぁ? 風呂に入るにはまだ早いぞ。話も終わっておらぬ」


「いいから、脱げって」


 フェリクスが妾の背中のボタンをはずす。子供用の柔らかい素材のコルセットのひもがほどかれ、肌が露わになりそうになったところで、扉がノックされた。


「王、姫さまはご一緒ですか? カウニッツからお持ち帰りになられたお荷物のことで、少しお聞きしたいことが……」


 フェリクスの返事を待たずに扉が開かれる。入ってきたのはカーラで、フェリクスの膝の上で半裸になりかけている妾を見て、眉を吊り上げた。


「王! 何をなさっておられるのですか! 姫さまにはまだ早いです!」


「ま、待て、カーラ! 誤解だ! ちょっと身体検査を」


「どうして身体検査なんかなさる必要があるんですか!

 姫さま、こちらへいらっしゃい! あんな野獣のそばにいてはいけません!」


「おまっ、それおかしいだろ! あ、マリー、なんで行くんだよ。こら、マリイィィィ!」


 背後でフェリクスが叫んでおる。

 別にフェリクスに脱がされても何とも思わぬが、カーラは用があるようじゃ。妾はフェリクスの膝の上からぴょんと飛び下りると、カーラに歩み寄った。


「荷物のこととはなんじゃ?」


「小物入れに無造作に入っていたこちらなんですけど、これって棘宝石スピネルですよね? しかも紫色なんて、見たことがありません」


「ステファンにもらったのじゃ。きれいじゃろう」


「きれいですけど、これ一個で地方領主の館一つ買えるくらいの価値がありますよ?」


「何っ」


「おい、見せてみろ。……あぁ、本当だ。館一つは言い過ぎだが、磨けばそれに近いものはあるな。これをもらって求婚プロポーズされたって? 受けたのか? マリー」


 近寄って来たフェリクスの目が、すっとすがめられる。

 怒られる! と思った妾は、慌てて事の次第を話した。


「というわけで、礼としてもらっただけじゃ。求婚とてあいまいなもので、妾は返事はしておらぬ。それに、そんなに貴重な宝石だとは知らなかった。ステファンは城の湖で拾ったと言っておったのじゃから」


「ふぅん、湖でな……。案外、言い伝えは本当なのかもしれないな。ま、いいだろう。技術者は約束通り来ているし、これは儲けたってことで」


 フェリクスは、ステファンにもらった石をするりとポケットに入れた。


「あ! こら、それは妾がもらったのじゃ! 返せ!」


「おまえが持ってたって価値なんてわからないだろ」


「わからなくても、友達がくれたものじゃから大切にしたいのじゃ」


「友達ぃ? そう思ってるのはおまえだけだ。男に貢がれて喜ぶなんて、十年早い」


「なんでそういう言い方をするのじゃ! フェリクスのいじわる!」


「いじわるで結構。だいたい、おまえは……」


 ポケットから石を取ろうとする妾を、フェリクスはひょいひょいと避ける。これではいつまでもらちが明かぬと飛びかかろうとしたところで、カーラが割って入った。


「はいはーい、そこまで~。

 王、男の嫉妬は醜いですわよ」


「嫉妬だと? 誰が」


「姫さま、姫さまが大切なご友人からいただいた紫棘宝石(スピネル)は、このカーラが責任を持って取り返しておきますわ。

 お荷物にたくさんお土産が入っていましたね。いろいろお届けしたい先がおありなのでは?」


「おお、そうじゃった。

 大老たちにな、ハゲに効くといういい薬を見つけたのじゃ。あやつらときたら、髭はもじゃもじゃのくせに、頭はつるつるじゃからの。

 カーラにはブローチを買うてきたぞ。あとで届けるから楽しみにしておれ」


「ありがとうございます」


「フェリクスも欲しいか?」


「土産はないとか言ってなかったか?」


「どうしても欲しいと言うなら、やらぬでもない」


「どうしてもくれたいと言うなら、もらってやってもいいぞ」


「そなたが欲しいならくれてやる!」


「おまえがやりたいならもらってやるさ!」


「お二人とも、意地を張り合うのはやめてください!」


 カーラが呆れた声で言う。


「姫さま、女性は素直が一番ですよ。

 王、姫さまのお帰りを、あんなに待ちわびてらしたではありませんか。いじわるはいけません」


「ほほう。それは本当か、フェリクス」


「別に。仕事がはかどってよかったさ」


「そんなこと言って、姫さまがいらっしゃらないと一日が長く感じるとおっしゃって、ため息ばかりついてらしたのですよ」


「そうか、そうか。フェリクスもようやく妾の必要性に気づいたのじゃな。

 仕方ない、土産を持ってきてやろう。あ、それから、食事も一緒にとってやるぞ。夕食が楽しみじゃな」


 扉を開けながら、ぴっと人差し指を立てる。

 フェリクスはぽりぽりと鼻の頭を掻き、カーラはくすくすと笑っていた。






 新鮮な野菜に果物、焼き立てのパンにスープ。

 テラスに置かれた二人掛けのテーブルに、美味しそうな朝食が並ぶ。

 妾はスープで喉を潤し、パンを小さくちぎって口に運んだ。


「なんだ、あんまりがっつかなくなったな」


「実はな、帰り際、ステファンに聞いてみたのじゃ。妾のどこが気に入ったのかと。そうしたら、なんと答えたと思う? 妾の大食いのところが気に入ったのじゃと!

 美味そうに飯を食うと言われるならまだしも、淑女レディに対して大食いとはひどいと思わぬか。そんなところを好かれてもうれしくないわ」


「だから言っただろ、食いすぎだって。なんで俺が言っても直さないで、隣国の王子ガキに言われて直すんだ」


「身内に言われるのと他人に言われるのとでは大違いじゃ。

 美味いものをたくさん食べたいことにかわりはないが、大食いと言われない程度に食うことにした」


 ちょこちょこと、小鳥がついばむように食べる。デザートのいちごも、いつもなら一個丸ごと口に放り込んでいたが、ナイフで切って少しずつ食べた。


「そんな食い方しても美味くないだろう」


「仕方ないじゃろ。頬がふくらまないように食べるのが、淑女のたしなみじゃ」


「好きなように食えよ」


「なんじゃ。この間までと言っておることが違うではないか。ちゃんと行儀よく食べておるのじゃから、いいじゃろう」


「うーん、まぁな……。でも、おまえが大人しく食ってると調子が狂う。

 マリーのおかげで、その王子は食事が摂れるようになったんだろ。そんなに我慢することないじゃないか。少なくとも、俺の前では好きなように食えばいい」


 ナイフとフォークを置き、妾を正面から見つめてフェリクスが言う。本気なのか?


「ほら」


 フェリクスが、自分の分のいちごを一つ、指先でつまんで妾のほうに突き出す。皿に乗せてもらおうと持ち上げたら、「そうじゃない」と首を振られた。


「口開けろ」


 あーんと素直に口を開けたら、いちごを放り込まれた。甘酸っぱい果汁が、口の中いっぱいに広がった。


「美味いか?」


「うむ」


「もっと食うか?」


「うむ」


 いちごは好きじゃ。二個、三個と続けて食べさせてもらい、四個目は大きかったので、がぶりと噛みついた。果汁がフェリクスの指を濡らす。残りを口に含むついでに指を吸うように舐めると、フェリクスが複雑そうな顔をした。


「……そこまでしろとは言ってない」


「む? なんひゃ(なんじゃ)?」


 咀嚼しながら問うが、フェリクスは「なんでもない」と首を振って、手を拭いた。


「今日は遠乗りでも行くか」


「仕事はよいのか?」


「マリーがいない間、すごくはかどったからな。一日くらい休暇をとってもいいだろ」


「それではまるで妾がいつも邪魔ばかりしておるようではないか」


「してないって言うのか?

 行きたくないなら別にいいぞ。俺は俺で好きに……」


「行く! 行くぞ!」


 食事を切り上げ、急いで仕度をする。

 フェリクスの気が変わる前に、出発しなければ!


 動きやすい服装に着替え、厩舎に行くと、すでにフェリクスやお供の騎士たちがそろっていた。


「あ」


 白馬にまたがったフェリクスの青いマントの下、きちっと締められた首元から、少しだけ水色の生地が見えておる。


襟巻それ、軽くて暖かいじゃろう」


「あぁ。ありがとな。

 ……よっと」


 フェリクスが、妾の手を引いて自分の前に乗せてくれる。横乗りになってフェリクスにしがみつくと、軽い足取りで馬が駆け出した。

 朝の風が、少し肌寒く感じる。

 首を竦めたら、フェリクスが妾をマントの中に入れてくれた。マントから顔だけ出した恰好は少々まぬけだが、とても暖かいし、なによりフェリクスの体温が心地よい。


「どこまで行くのじゃ?」


「キュリッキ川の下流までかな」


「なんじゃ、結局仕事ではないか」


「ははっ、それっ」


 フェリクスが馬の腹を蹴り、馬速が上がる。

 妾たちに気づいた道行く人々が、「王さま、こんにちは~!」「姫さま、どちらへー?」と手を振りながら声をかけてくる。

 水の都(カウニッツ)もよかったが、やはり妾はリーンハルトが好きじゃ。

 それはきっと、妾が育った国であり、フェリクスが治める国であるから……。




 城下町を抜けると、目の前に平原が広がる。

 山は青く、鳥が空を舞う。




 澄んだ空に白い雲が一筋、妾たちが行く方向を示すかのように、浮かんで消えた。





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