マリーとごはん②
二頭立ての馬車は、軽快に走る。
深い森を抜けると、そこにはきらきらと輝く湖面が見えた。
「おお! きれいじゃのう!」
「カウニッツは水の都と呼ばれておりますからね。国の中に多くの川や湖があり、交通の便は馬車よりも船のほうが良いくらいです」
窓から顔をのぞかせる妾に、ミハイルが言う。
ステファン王子の食事嫌い(と言っていいのかはわからぬが、ミハイルはそう言っていた)を治すため、妾はカウニッツに向かっておる。出発したのは今日の早朝。さすがに城下町から戻ってすぐには出られなかった。
妾が王子のためにカウニッツに行きたいと言うと、フェリクスは大反対した。安全面が心配であるというのが主な理由じゃったが、ミハイルが二言三言耳元で囁いたら、ころっと手のひらを返しおった。
『マリーならできる! がんばれよ!』
『……。
ミハイル殿。何を言ったのじゃ』
『マリエッタさまの御身は、私の命に代えてもお守りいたしますとお話しました』
ぜええったいに嘘じゃと思ったが、フェリクスの気が変わっては困るので、それ以上は突っ込まなかった。
「船とは面白そうじゃ! 妾も乗ってみたいぞ」
「えぇ、ぜひ。王室専用の湖がありますから、後ほどご一緒しましょう」
「すごいな! 楽しみじゃ!」
馬車は軽快に走る。
湖を渡る風が心地よい。
視界の先に橋が見えた。その橋がたどり着く先。そこには、湖上に浮かぶ優美な城があった。
しずしずと、侍女たちが皿を運ぶ。
青を基調とした装飾品で整えられた晩餐室には、ぴりぴりとした緊張感が漂っておった。
「お口に合うかわからぬが……」
おそるおそる料理を勧めてくれるのは、先ほどていねいな挨拶をしてくれたカウニッツ王じゃ。
目の下には隈ができ、頬はこけて、顎髭は貧相に縮れておる。ステファン王子は妾の二つ年上と聞いておったから若い王を想像していたが、実際に会ってみたカウニッツ王は、老人のようじゃった。その隣に座る王妃もやつれていて、高く結い上げた髪には艶がなかった。王子の姿はまだ一度も見ておらぬ。
「美味そうじゃの! もう食べてもよいのか? 王子は?」
「申し訳ない。ステファンは体調がすぐれないとのことでな。
ふがいない息子だ」
「調子が悪いのでは仕方ない。いただくとしよう!」
目の前には、豪華絢爛な品々が並んでいた。
川や湖に囲まれた土地らしく魚料理が多く、魚のすり身で作った団子が入ったスープ、白身魚のパテ、小魚の酢漬け、雷魚というらしい大きな魚の蒸し焼きに、羽根のある不思議な魚の姿揚げなど味も見た目も多彩で、どれも美味かった。肉料理ももちろんあったが、妾は香草の効いたソーセージに添えられていた、黄色い塊が特に気に入った。
「これはなんじゃ? 妙に美味いが」
フォークでひとすくい取って、ぱくりと口に運ぶ。優しい甘みとほどよい塩加減が、料理の合間に口にするのに、ちょうどよかった。
「ポレンタと言って、このあたりで昔から食べられているものですわ。とうもろこしの粉を煮て、塩やオリーブオイルで味を調えてあります」
「おお、マッシュポテトのとうもろこし版のようなものじゃな。
じゃがいもよりも甘みがあって、妾は好きじゃ!」
とうもろこしはよく食べておるが、この調理法は知らなんだ。
美味い、美味いと食べておると、それまで暗い顔をしていた王妃の頬がほころんだ。
「チーズをかけても美味しいんですの。
私が子供のころは、次の日、冷めて固まったポレンタを薄く切って焼いて食べるのが楽しみでした」
「なるほど! 妾もやってみたいぞ!」
「まぁ、マリエッタ姫ったら……。そんなもので喜んでいただけるのなら、いくらでもお作りしますわ」
王妃が、口元に手を当ててころころと笑う。
王も頬をゆるめ、びりびりしておった空気が和らいだ。
「ふぅ、腹いっぱいじゃ。もう食えぬ」
「くすくす。ミハイルの言う通り、本当に美味しそうに召し上がりますね。
あの子もマリエッタ姫くらい食べてくれたら……」
王妃が、ハンカチを取り出して目元を押さえる。王がその肩を抱き、うつむく王妃を慰めた。
「マリエッタ姫。長旅でお疲れだろう。今日はゆっくり休んで、明日にでもステファンに会ってくれぬか」
「よろしくお願いしますわ。もう、私たちにはどうしたらいいか……」
王子を想う王妃の涙に、胸がつきりと痛む。
ん? なんじゃろう。この痛みは。
王妃がかわいそうじゃからか? それにしては、おかしな感じがする。かといって、具合が悪いわけでもない。食べ過ぎじゃろうか。
「王子の体調さえ許せば、いつでも会うぞ」
「ありがとうございます」
王妃が弱弱しい笑みを見せる。
妾は原因不明の胸の痛みに内心首を傾げながら、用意された部屋で休むことにした。
カウニッツの食事は美味い。
こんなに美味いものを、なぜ王子は食べないのか。
この国にやってきて三日、妾は毎食提供される手の込んだ献立に、うれしい悲鳴をあげていた。
「困った。このままでは持ってきたドレスが着られなくなってしまう」
「くすくす。姫のおかげで、うちの料理人たちも自信を取り戻しました」
昼食後、薔薇の花びらが浮いたピンク色のお茶を飲んでおると、ミハイルが顔を出した。
「なんじゃ、仕事はいいのか?」
「はい、もう済みました。
今日はかねてよりご所望でした、船遊びのお誘いにまいりました」
「おお! そうか!」
ステファン王子は体調がすぐれないらしく、未だ会えておらぬ。
毎日することもなく、正直暇を持て余しておった妾は、嬉々としてミハイルの誘いに乗った。