マリーとごはん①
「姫さま、お待たせいたしました。
本日のメニューは、旬野菜のサラダひよこ豆添え、たっぷり根菜の煮込みスープ、野兎のロースト、焼き立てパン、デザートにエッグタルトをご用意いたしております」
「おお、今夜も美味しそうじゃの!」
料理長の説明を聞きつつも、妾はすでにフォークを手にしておる。
「腹が減っておるのじゃ! どんどん持ってきてくれ」
「かしこまりました」
妾の希望通り、矢継ぎ早に料理が出てくる。サラダはしゃきしゃき、スープは熱々で、肉は香ばしいよい香りがした。
「ん~、うまい! おかわり!」
スープと兎肉、パンをおかわりして、エッグタルトも二つ食べた。さらに、夜食用に一つとっておいてもらおうとそばに控えていた給仕係に声をかけたところで、向かいで食べていたフェリクスがため息をついた。
「おまえな……。淑女ってもんは、もっと控えめに食うもんだぞ」
「淑女とて腹は減るのじゃ。食いたいときに食いたいものを食って何が悪い」
「太るぞ」
「妾は今セイチョウキじゃから大丈夫なのじゃ。縦には伸びても、横に広がることはない。フェリクスこそ、たまには体を動かさんと、中年太りまっしぐらじゃぞ」
「ちゅっ……」
ワインを口に運びかけていたフェリクスが、ぶっと吐き出す。白いテーブルクロスが紫色に染まり、妾は顔をしかめた。
「汚いのう」
「誰のせいだ! ってか、誰が中年太りだ!」
「最近下腹が出てきたとか、体が重くなってきたとかぼやいていたそうではないか」
「ううう、うるさい。俺のことは関係ないだろっ
マリー、おまえが食べ過ぎだと言ってるんだ!」
「料理長の料理がうまいのじゃから、仕方ないのじゃ。文句があるなら……、あっ、フェリクス! 何をする!」
文句があるなら料理長に言え、と言おうとしたところで、フェリクスが使用人が夜食用に用意してくれたエッグタルトをかっさらった。しかも、すばやく包みを開け、ぱくっと食べてしもうた。
「妾のエッグタルト!」
「うるひゃい。おまえは食いふぎだ」
悲しや。妾の夜食は、食い意地の張った王の胃袋の中へと消え去ってしまった。
「酷いぞ! 夜中、妾が腹をすかして眠れなくてもよいのか!」
「タルトの一つや二つで何を言うか。あんだけ食ってりゃ大丈夫だ」
「おのれ……食い物の恨みは恐ろしいのじゃぞ……」
フェリクスめ、覚えておれ。
妾は恨み言を言いながら自室に戻った。気を利かせた侍女が焼き菓子を持ってきてくれたが断り、結局その晩は夜食はとらずに寝てしまった。
夢の中で妾は、鳥籠に入ったフェリクスに巨大なエッグタルトを見せびらかした。
くやしがるフェリクスの前で口いっぱいに頬張って食べたエッグタルトは、これまでで一番おいしかった。翌朝目覚めたときは爽快な気分じゃったが、朝食でまた「食べ過ぎ」「大食い」と言われて腹が立った。
「あのな! 気持ちよく食べておるのに、いちいち文句を言わんでくれ!」
「文句じゃない。注意だ。一国の王女ともあろうものが、人前でそんなにがっつくな」
「妾とフェリクスしかおらぬのに、遠慮してどうするのじゃ。部屋に帰って食べるなら、今食べたって同じじゃろ!」
ばんっとテーブルを叩くと、紅茶のカップが倒れ、カトラリーが床に落ちた。幸い、紅茶はほとんど飲み干しておったので、ソーサーにこぼれただけで済んだ。
「マリー。礼儀作法の時間を増やした方がよさそうだな。
王女にふさわしい食事の仕方ができるようになるまで、俺は一緒には食べないぞ」
「~~~! そんなの、妾のほうから願い下げじゃ! フェリクスとなんて、一生一緒に食事をとってやらんわ!」
椅子を蹴倒して駆けだす。自室に戻ると、机に突っ伏して泣きに泣いた。
「なんじゃ……フェリクスの馬鹿……。おいしいものをおいしく食べて何が悪いのじゃ……。礼儀作法とて、ちょっと興奮しただけではないか……。あんなやつ、もう知らぬ……。知らぬのじゃからな……」
無論、フェリクスがよこした家庭教師など追い返した。
何が淑女は歯を見せてはならぬじゃ。そんなおちょぼ口で食ろうて、どこがうまいのじゃ。
どうせコルセットを締めるようになれば、食いたくても食えなくなるのじゃ。今のうちに腹一杯食って何が悪い!
それからというもの、妾は三食自分の部屋でとることにした。
ふんっ
一人で食べるほうがよほど気楽でよいわ。
フェリクスなんぞ、フェリクスなんぞ、絶っっっ対に許してやらぬからの!
そうして、食事を別にとるようになって十日ほどが過ぎた。
フェリクスとの冷戦状態は続いておったが、隣国からの来客があると聞いて、仕方なく顔を出した。
「こちら、カウニッツ王国のミハイル・トルエバ卿だ」
紹介されたのは、隣国の宰相であるという、二十代後半くらいの男じゃった。肩口ほどの長さの髪は,くせっ毛の白っぽい金髪じゃ。丸い眼鏡を右目にだけしておったので、妾はどうやって留めてあるのじゃろうと不思議だった。
「お初にお目にかかります。マリエッタ王女さまにおかれましては、ご清祥のこととお慶び申し上げます」
「うむ。毎日元気に楽しく暮らしておる。最近は誰かさんのせいで、少々つまらない思いをしておるがな」
ちらっとフェリクスを見ると、フェリクスはそ知らぬ顔でミハイルに向けて愛想笑いを振りまいた。
「ミハイル殿は、珍しくて美味い物を探しておられるそうだ。
マリー、おまえ、城下町に詳しいし、食い意地がはってるから何か知ってるんじゃないのか?
二、三日滞在されるそうだから、一緒に探してやってくれ」
「食い意地がはっておるとは、どういう意味じゃ」
「そのまんまの意味だ。城下町の美味いものなら、なんでも知ってるだろ」
「ぐぬぬ……」
確かに、暇を見つけては食べ歩きをしておる妾は、今ではフェリクスよりも城下町に詳しい。
料理長の料理も美味いが、小麦粉を水で溶いて鉄板で焼き、ぱりぱりのせんべいのようにしたものや、なんの肉だかよくわからないものを串に刺して焼いて甘辛いタレをつけたもの、砂糖に色を付けて作った飴細工など、城では食べられないものがたくさんある。
「ってことで、頼んだ。これも大事な外交だから」
「……わかった」
外交と言われては仕方ない。働かざる者食うべからずじゃ。
「ミハイル殿。リーンハルトの美味いもの珍しいものをたっぷり紹介してやるからの。貴国の土産にするがよい」
「ありがとうございます」
律儀に頭を垂れるミハイルは、真面目な男のようじゃ。宰相というからには、頭も切れるのじゃろう。
上品な身のこなしといい、整った顔立ちといい、自国では相当モテルに違いない。
「フェリクスへの土産はないからの」
「はいはい。ミハイル殿、うるさいやつだがよろしくな」
「光栄に存じます。マリエッタさま、よろしくお願いいたします」
「うむ」
こうして妾は、ミハイルと共に城下町にくりだすことになった。
「あの店はな、りんごを十個買うと一個おまけしてくれるのじゃ。あっちの店はな、手絞りの飲み物が美味いぞ。目の前で選んだ果物をジュースにしてくれるのじゃ」
「ほおお。さすがリーンハルトは、にぎわっていますね」
翌日、兵士やら侍女やらをぞろぞろと連れて城下町に出た妾は、ミハイルに一軒一軒案内してやった。
どの店も混みあっていたが、妾が通ると、店の主人らが声をかけてきた。
「姫さま! 今日はどうなさったんで?」
「お仕事ですかい? お疲れさんです!」
「いいのが入りましたよ! 見てってください!」
試食を勧められたり、髪飾りを見せられたりしながら、商店街のはじまで歩く。さすがに疲れて木の下で休憩することになると、侍女たちがすばやく敷物や飲み物を用意した。
「いやはや、もうおなかいっぱいです」
「さっき買ったお焼きがまだあるぞ。ほれ、食うがいい」
「くすくす。もう十分です。姫は健啖家であらせられる」
「ケンタンカ? とはどういう意味じゃ?」
「よく召し上がる方のことです。姫は本当に気持ちよく美味しそうに召し上がりますね。それに比べてうちの王子は……」
ミハイルがため息をつく。どうやらミハイルが美味いものを探しておるのは、個人的な道楽ではなかったらしい。
「何か困りごとか? 妾でよければ力になるぞ」
「ありがとうございます。しかしこれは我が国の問題ですから……」
「水臭いことを言うでない。困ったときはお互いさまじゃ」
「マリエッタさま、なんとお優しい……。実はですね」
ミハイルが言うには、カウニッツの王子・ステファンは、病弱で食が細く、何を出してもほとんど手を付けないらしい。国王夫妻は、あの手この手で大陸中の珍しい食べ物や美味しいとされる食べ物を探し、手に入れ、王子に食べさせようとした。それでも、王子が喜んで食べるものはなかった。
「私も各国をまわりながら探しているのですが、なかなか王子の口に合うものが見つけられず……。
お世継ぎがあんなに弱弱しくては、王も安心して執務に専念することができません」
「なるほどのう……。
そうじゃ! よいことを思いついたぞ!」
妾は、ぽんと手のひらを叩く。
「妾がそなたの国へ行って、王子に食べることの楽しさを教えてやろうではないか!
世の中にはこんなに美味いものがあるのに、それを知らぬとはかわいそうなことじゃ!」
「は? いえ、しかし……」
「そなたの話ぶりからすると、王子の周りは大人ばかりなのではないか?
子供には子供の嗜好というものがある。案外、妾が勧めるものなら食うかもしれぬぞ」
「おお、それは一理ありますね。
それに、同年代のマリエッタさまが目の前で美味しそうにお食事なされば、王子の食欲もわくかもしれません」
そう言ったミハイルに、妾は大いにうなずいた。
隣国の王子の少食を治すことができれば、ミハイルも助かるしフェリクスも妾を見直すに違いない。一石二鳥というやつじゃ。
「善は急げと申します。マリエッタさま。早速フェリクス王に許可をいただいて、カウニッツに向かいましょう!」
「うむ。じゃが、しばし待たれぃ。まずはお焼きを食べてから……」
これは、温かいうちに食べねば皮が固くなってしまう。今にも飛び出しそうなミハイルを制し、妾はあぐっとお焼きにかぶりついた。もちもちの皮の中から、肉汁があふれでた。
「この店のお焼きは、野菜もたっぷり入っておるからちっともしつこくないのじゃ。汁がしみこんだ皮がまた美味くての。ミハイル殿も食え……っと、わわわ!」
「マリエッタさま、それはあとでいただきます! 今から出れば明日の昼にはカウニッツに着きますから! 昼食に間に合います」
ミハイルが妾の手をぐいっと引く。その拍子に、お焼きが喉に詰まりそうになった。
「うっ、ごほっ、ちょっ、待っ、ミハイル殿っ」
「さぁ、お早く! マリエッタさま!」
「わかった! わかったから引っ張るのはやめぃっ、お焼きが落ちる……、ぬおおおおっ」
落とさないようにとぎゅうっと握ってしまったお焼きから、具が零れ落ちる。
ドレスをべたべたにしてしまった妾は、その晩侍女にこってりしぼられることとなった。




