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マリーと嘆きの幽霊<後編>




 ミケロにつきあうこと数日。

 だんだんと絵ができてきた。

 さて、また夜のために昼寝をするか。そう思ったら、侍女たちに「話がある」と言われた。


「姫さま。この頃夜中にどこかへ行かれてらっしゃいますよね?」


「う、うむ」


「私たちに気づかれないとでも思いましたか? 供もつけずに出歩かれるのは危険です。せめて誰かお連れください」


「だめじゃ。絵が完成するまでは誰にも見せられぬのじゃ」


「絵?」


 ぽろりと言ってしまって、慌てて口をつぐむがもう遅い。


「絵を描いてらっしゃるのですか? それを誰にも見られたくないと?」


「そ、そうじゃ。恥ずかしいじゃろう」


「そんな……。そりゃ姫さまは絵がお上手とは言えませんが、別に隠さなくても……」


「おぬし、何気なにげに失礼な奴じゃの」


「あっ、申し訳ありません」


 先頭に立っておるのは、最近入った若い侍女じゃ。使命感に燃えておるのか、はっきり物を言う。


「ははっ、変に遠慮されるよりも気持ちがよいわ。妾が絵が下手なのは本当じゃからな。

 じゃが、今回はいい絵が描けそうな気がするのじゃ。完成までしばらく好きにさせてくれぬか」


「でも姫さま。そんなにおやつれになって、根を詰めすぎです」


 侍女が手鏡を渡す。妾は自分の顔をのぞきこんでみたが、寝不足で少々顔色が悪いものの、やつれているというほどではなかった。


「これくらい大丈夫じゃ。心配をかけてすまぬな。

 昼寝をするから、一刻ほどしたら起こしてくれ」


「……はい」


 妾の意志が固いとみてか、侍女たちはしぶしぶと引き下がった。





 それからさらに数日たち、ようやく絵は完成に近づいた。


「もういいのではないか?」


『(まだです。まだこの美しさを表現しきれていません……!)』


 ミケロは、月の色をちょっと塗ったかと思うと、壁の色を塗る。周りの草花をちょちょっと描いて、また月を塗る、ということを繰り返していた。


『(あぁ、まだだ……。天の深みが足りない……)』


 今度は黒と紫の絵の具を混ぜて、背景に重ねていく。そこに緑も入れているところが不思議じゃ。


「なんで違う色を入れるのじゃ?」


『(色というものは、お互いに響き合うものなのです。近くに緑があれば、その周りにも緑が移って見えます。人の目の特徴といえばそれまでですが、関わり合い混ざり合ってこそ美しい世界になるのです)』


「ほぉ」


 言われてみれば、塔の白壁にもミケロは月の黄色や暗闇の色をわずかに重ねている。隣り合ったものが影響し合い、調和のとれた一枚の絵になるというのは、目からうろこの話じゃった。


「妾は白なら白、黒なら黒でしか塗ったことがなかったのぅ」


『(ふふ。普通はそうです。私は曲がりなりにも絵師ですので)』


 話しながらも、ミケロの筆は止まらない。元は数色しかない絵の具が、皿の中で、絵の上で、混ざりあい響き合っていく。


「まるで人の世のようじゃの……」


 男と女。大人と子ども。言葉で分けるのは簡単じゃが、中身はそう単純ではない。

 いろいろな性格の者がおり、互いに関わり合い、愛し合ったりいがみあったりしながら一つの国を作っておる。それらがうまく組み合い、よい国になるかどうかは為政者にかかっておるのじゃ。


「夜明けじゃな。今日はここまでか」


『はい。明日で完成しそうです』


「うむ、よかった」


 ミケロは、泣きべそをかいていたのが嘘のようなほがらかな笑顔を見せる。

 妾も絵の完成が待ち遠しく、明日の夜が楽しみじゃった。






 深夜。

 これまで毎日そうしてきたように、そっと部屋を出て驚いた。


「よぉ。こんな夜更けにどこ行くんだ?」


「フェリクス!

 え、えっと……。か、厠じゃ。寝る前にお茶を飲みすぎてのぅ」


「そんな大きな荷物を持ってか?」


 絵の具と布でくるんだ画布カンバスを見咎められて、「うっ」と言葉に詰まる。

 くぅ、フェリクスのやつめ。普段は忙しいと言ってちっとも構ってくれぬくせに、なぜこんなときに出てくるのじゃ!


「夜中におまえが出歩いてると、侍女たちに聞いた。自分たちじゃ止められないってな。

 中庭で絵を描いてんだって? なんで急にそんなこと始めたんだ」


「いや……」


「みんな心配してる。おかしなことしてないで、夜は寝ろ」


「うるさいっ

 フェリクスこそ、仕事で疲れておるのじゃから早く寝ろっ」


「マリーが寝たら寝る。絵は昼間描け」


「そういうわけにはいかん。前におばけの話をしたじゃろ。実はあやつの手伝いをしておるのじゃ。

 それも今日で最後じゃ。行かせてくれ!」


「はいはい。我がまま言うな。一緒に寝てやるから、部屋に戻れ」


 フェリクスは、妾の話を夢でも見たんだろと一蹴して抱き上げようとする。

 妾は扉につかまり、手足をばたつかせて抵抗した。


「一緒に寝てやるなど、妾をいつまで子どもじゃと思っておるのじゃ。そんなことでつられる年ではないわ!」


「なにい? まだまだ子どもだろ」


十歳とおにもなれば立派な淑女レディじゃ! 変なところを触るでない!」


 腋の下を抱えていた手をつねる。フェリクスが痛がって離したすきに、手の届かないところまで逃げた。


「変なところって……。なんだよ、反抗期ってやつか?」


「知らぬわ。とにかく、女性の部屋にこんな夜中に訪ねてくるなど非常識じゃ。とっとと帰れ」


「非常識? 夜中だろうとなんだろうと、俺がマリーの部屋に来て何が悪い!」


「頼む、フェリクス。今日で終わりなのじゃ。明日からはちゃんと寝る。ミケロが待っておる。行かせてくれ」


「ミケロって誰だよ!」


「あぁ、もう……」


 急がねば、夜が明けてしまうではないか。どうしたらよいのじゃ。


「だいだいおまえは勝手すぎる! 淑女を名乗るなら、夜中に一人で出歩くなんてするな。中庭とはいえ、いつ賊が侵入するかわからねぇ。何かあってからじゃ遅いんだ。人に心配かけるようなことばっかりしやがって……うっ」


 がくっとフェリクスが膝をつく。慌てて駆け寄ると、妾の方に倒れこんできた。


「お、おい、フェリクス! どうした!」


『あ……。頭に触ったら突然……。

 す、すみません。気を失っているだけだとは思うのですが』


「ミケロ!?」


 フェリクスの後ろには、ミケロがぷかぷかと浮いていた。身を縮こませて震えているあたり、何か害を加えようとしたわけではなさそうじゃ。


『あ、あの、どうしましょう。この方、ここに置いていってしまってもいいのでしょうか』


「誰かに見られでもしたら面倒じゃ。妾の部屋に寝かせておこう。ミケロ、手伝ってくれ」


 妾一人では運べない。ミケロが妾に入り込み、フェリクスを背負って寝台まで運んだ。


「力までおぬしと同じになるようじゃの。さて急がねば。邪魔が入ったせいで、無駄な時間を使ってしもうた」


『(はい! がんばります!)』


 中庭に出て、画布カンバスに向かう。昼間たっぷり寝たはずなのに、連日の疲れが出たのか体が重く感じる。じゃが、もうひと踏ん張りじゃ。がんばろう。


『(本当にあと少しなんですよ。塔の先に光を入れて……夜風に舞う薔薇の花びらを強調して……)』


 もう完成じゃろうと思っていた絵が、ミケロの渾身の筆さばきでさらに高まっていく。

 興奮気味に『(あと少しだ)』と叫ぶミケロに体を貸しながら、妾は全身を襲う寒気に耐えていた。


「く……っ」


 腕が震える。足に力が入らず、立っているのもつらい。けれどミケロは止まらない。

 体中の生気が吸い取られるような感覚がする。これはまずいかもしれぬと思い始めたとき、ふわっと背中が温かくなった。


「まったく……言い出したら聞かねぇよな……」


 後ろから、フェリクスがぎゅっと抱っこをしてくれていた。妾の部屋から走ってきたのか、フェリクスは軽く汗ばみ、息を切らしておった。


「この絵を仕上げたいんだな?」


「う、うむ」


「きれいな絵だな。がんばれ」


 フェリクスはそれ以上何も言わず、あぐらをかいて後ろから妾を支え続けてくれた。フェリクスに寄りかかることで、妾はずいぶんと楽になった。


『(完成です!)』


「できたか!」


 しばらくして、ミケロが叫んだ。内なる声はフェリクスには聞こえないらしく、急に飛び上がった妾に驚いていた。


『(すばらしい! すばらしい! これぞ私の最高傑作です! マリエッタさま、ありがとうございました!)』


 ミケロが妾の体から抜け出る。青白い光が中庭に浮かぶ。ミケロがすぅっと空に浮き、そのまま月に吸い込まれるようにして消えてしまった。


「ははっ、なんじゃ、じめじめと泣いておったくせに、最後はあっさりじゃな」


「あいつが、ミケロ?」


「フェリクスにも見えたのか?

 そうじゃ。いつか話したじゃろう。廊下で泣いておったおばけじゃ」


「あの話、本当だったのか!」


 ようやくフェリクスはわかったらしく、ぽんと手を打った。


「おっさんじゃねぇか」


「おっさんじゃの」


 だからなんじゃというのじゃ。


「おまえがあんまり夢中になってる様子だったから、俺はてっきり……。

 いや、なんでもない。どうせ化けてでるなら、もっと美人ならよかったのによ」


「阿呆」


 ぽかりとフェリクスの頭を叩く。「いてぇ」と顔をしかめつつも、ほっとしたような表情をしておるのはなぜじゃ?


「しかし、この絵はどうしたものかの」


「吹き抜けになってる渡り廊下の突当りに飾ったらどうだ?

 リーンハルト城はこの角度が一番きれいに見えるな。月明かりに照らされた塔の感じもいい。見上げればなお美しいだろう」


「おお、それはよい! そうしよう!」


「ただし、明日な」


 フェリクスは、有無を言わせず妾を抱え上げ、寝室に連れていく。

 寝台に降ろされると、あっという間に毛布でぐるぐる巻きにされた。さらに、隣に横になったフェリクスにがっちりと押さえられてしまった。


「これでは寝返りも打てぬではないか!」


 ぷんぷんと怒って抗議をする。フェリクスは妾の頭を抱え込み、髪に鼻先を押し付けた。


「気づいたらおまえがいなくて焦った」


「む……」


「みんな心配してるって言っただろ。俺だって心配してたんだ。勝手なことするな」


「すまぬ……」


 低い静かな声に、それ以上は何も言えなかった。黙ってじっとしていると、妾はいつの間にか眠ってしまった。






 翌朝、鏡を見て驚いた。

 頬はこけ、目の下には隈ができていたのじゃ。


「なんじゃ、これは!」


「ずっと前からですわっ」

「でも私たちがお止めして止まる姫さまじゃありませんから、王にお願いしたのです」

「日々やつれていかれる姫さまに、どれほど己の無力を嘆いたか!」


 妾の支度を手伝っていた侍女たちが、一斉にわめく。

 こんな顔をしておっては、普段忙しいといって構ってくれぬフェリクスも、心配して様子を見に来るはずじゃ。


「すまなかった」


「わかってくださればいいのです。」

「凝り性もたいがいにしてくださいませね」

「王から滋養のある食事を用意せよとのお達しです。ご朝食を兼ねた昼食は、こちらをすべて食べていただきます」


 侍女が運んできたのは、具沢山のスープにパン、野菜たっぷりのキッシュに山盛りのフルーツ。飲み物はなぜかどろどろしていて、薬草ハーブを尻から詰めた鳥の丸焼きまであった。


「こんなに食えるか!」


「すべて召し上がるまで、寝室ここから出られませんので」


「全部じゃと? 日が暮れてしまうわっ」


「今まで心配かけた罰だ。全部食え」


 妾がごねておると、茶器を手にしたフェリクスがやってきた。目覚めたらいなかったので、もう仕事に行ったのかと思ったが、違ったらしい。


「俺も一緒に食うから」


「なんじゃ、妾の部屋(ここ)でか」


「たまにはいいだろ。あと、今日は仕事はしない。何かしたいことがあれば言え」


「本当か!」


 テーブルに身を乗り出した妾に、フェリクスが苦笑する。


「ただし、これを全部食ってからだ」


「わかった!」


 そうとあらば、早く平らげねば!

 食事が済んだら、まずは遠乗りじゃ。城下町で買い物もしたい。あ、その前に、ミケロの絵を飾らねば!


「そうだな、吹き抜けに飾るんだったか。あいつも喜ぶだろ」


「フェリクス……。ミケロのこと、信じてくれるのか?」


「信じるも信じないも、この目で見ちまったからな。ま、そういうこともあるんだろ。

 けど、もうそんなわけわかんねぇのに体貸すなんてこと、絶対にするな」


「うむ……。

 妾も、ミケロが妾の体内に入ってきたときには少し後悔したぞ。じゃが、指が迷いなく動いていくと、次第に気持ちよくなってしまっての。妾一人では絶対にできぬことゆえ。ちょっとくせになる快感じゃった」


 思うままに絵を描けるというのは、すばらしい才能ことじゃな! と言うと、フェリクスがうなった。


「マリー……。

 体内に入るだの指が動いて気持ちがいいだの、なんか表現が卑猥じゃないか」


「ん?

どういう意味じゃ。妾は感じたことを素直に表現しただけじゃぞ」


「“感じたこと”だと? おまえには早すぎる。だいたい深夜にこそこそ出かけて、おかしな噂でも立ったらどうする気だ」


「おかしいのはフェリクスじゃ。おばけは夜しか出られないのじゃから、仕方ないじゃろう」


「だからって、いちいちおまえが相手してやる必要はなかっただろ」


「部屋の前で毎晩しくしく泣かれてみぃ。気になって眠れぬわ!」


 ばんっとテーブルを叩く。フェリクスは一瞬黙ったが、鳥を切り分けながらぶつぶつと何か言い続けた。


「そもそも、侍女たちがマリーが密会してるとかなんとか言ってきてだな……」

「おまえに手ぇ出そうなんて勇気のあるやつもいたもんだと思ったが、あんなおっさんとは……」

「そうだ、おっさんが体に入ってきてとかどういうことなんだよ。あのおっさん、まさかロリ……」


「フェリクス。まだごちゃごちゃと言うなら、もう一緒に寝てやらぬぞ」


「はぁ? 一緒に寝たいのはマリーのほうだろ」


「妾は一人で寝られる。昨夜妾を離さなかったのはフェリクスじゃ」


「それは心配してだな」


「約束をさんざんやぶっておいてよく言うわ」


「だからそれは」


 仕事なんだからしょうがないだろ、とフェリクスが言ったところで、部屋の扉がノックされた。


「王。お食事中申し訳ありません。至急確認していただきたい事項があるのですが」


「あん? 俺は今日は休みだ」


「国境の橋の件で少々問題がおきまして……。早急に手を打ちませんと、道が分断されて近隣の住人が孤立してしまいます」


 フェリクスが厳しい顔をして立ち上がる。

 今日のおでかけはなしじゃな。

 妾がこっそりため息をつくと、フェリクスが慌てて振り返った。


「あっ、マリー。その」


「わかっておる。とっとと行け。民の悩みを解決してやるのが王族の務めじゃ」


「すまん。次は必ずつきあう」


 知らせをもってきた者と共に、フェリクスは部屋を飛び出していく。

 妾の前には、大量に残った朝食兼昼食の品々。

 妾は時間をかけてそれらを平らげ、侍女たちと絵を飾った。

 吹き抜けになっている廊下の突当りには小窓があり、夜には月明かりが差し込む。昼間は影になってよく見えないが、満月の夜にはさぞかし映えるじゃろう。

 あれを描いているとき、ずっとフェリクスが妾を支えていてくれて、ずっと背中が温かくて、気持ちよかった。

 寝台では、ぐるぐる巻きにされて苦しかったが、腕の重みが心地よかった。

 昼食も一緒でうれしくて。

 おでかけもできると聞いてうれしくて。

 民のためでは仕方がないのじゃが……。





「ふんっ

 もう一生一緒に寝てやらぬ」





 べぇっと、フェリクスが居るであろう執務室の方へ舌を出す。







 壁に飾られた絵の中では、フェリクスと共に描いた花びらが、美しく舞っていたーー







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