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マリーと嘆きの幽霊<前編>

ちょっと怖いかもしれません。けれど誰も不幸にはならないかと……。




 

「ぬうう、フェリクスの奴め! いつもいつも妾との約束をやぶりおって!」


 寝台の上で、ぼふっとクッションを殴る。今日は遠乗りに連れて行ってくれるはずじゃったのに、急な用事だとかで行けなくなってしまった。


「王のくせに約束を守れぬとは、民の信用を失うぞ!」


 ぼふっぼふっ

 怒りに任せて、クッションを殴る。羽毛のたくさん入ったクッションは、いくら殴ってもすぐ元の形に戻った。


「むぅ、もっと殴りがいのあるものはないのか。いっそフェリクス用のカップの一つでも割ってやるか」


「姫さま、それはおやめください。

 お気を静めて。そろそろお休みの時間ですよ」


 熊のように寝室をうろうろしていたら、侍女に見咎められてしまった。仕方なく寝具にもぐりこみ、寝たふりをする。

 部屋の明かりが落とされ、侍女たちも控えの間へ下がる。城の中はしんと静まり返り、夜も更けてきたがなかなか寝付けなかった。

 くそう、何かいい仕返しはないものか。むしろ、今度妾のほうから約束をやぶってやろうか?

 いやいや、それではせっかくのおでかけがなくなってしまう。痛み分けとは口惜しい。

 どうしたものかとフェリクスへの仕返しを考えておると、しくしくと、誰かがすすり泣く声が聞こえた。

 誰ぞいじめられて泣いておるのか?

 そう思って起き上り、部屋を出て声のする方へ歩いていくと、廊下の隅が淡く光っていた。


『描けない……描けない……しくしくしく』


 青白い光をまとった男が、うずくまって泣いておる。おかしなこともあるものじゃとは思ったが怖くはなかったので、話しかけてみた。


「そなた、何がそんなに悲しいのじゃ」


『ひぃっ』


 びくっと肩を震わせた男が振り返る。

 四十がらみの男は少々古風な服を着ていて、頬がこけており頭髪も心もとなくて、なんとも幸の薄そうな奴じゃった。


「見たことのない顔じゃの。どこの所属じゃ?」


『わ、私はその、王にお仕えする絵師でして……』


「ほぉ。最近召し抱えられたのか?」


『は、はい。元はしがない街の絵描きでした。露店に自分の描いた絵を並べて売っていたところ、たまたま市中の見回りにいらした王の目に留まってお声をかけていただきました』


 なるほどな。

 フェリクスは才能があるとみなせば、出自にかかわらず召し上げておるから、こやつもそれで城に入ったのじゃろう。


「して、なぜ泣いておるのじゃ」


『それは……』


 男がまたしくしくと泣き始める。

 大の男が夜中に廊下の隅で袖を濡らす姿など、あまり気持ちの良いものではない。

 ん? 袖?

 泣き続ける男を注視すると、その手に違和感を覚えた。


「そなた、手はどうした」


 うずくまり、袖で頬をぬぐう男。しかし、その袖の先にはあるべきものがなかった。


『手……、手……。あぁ、私の手……。

 手は……王に切り落とされてしまいました……。私の描きあげた絵が気に入らないと……。

 あぁ、描けない。手がなくては、絵が描けないいいいぃぃぃぃぃ……!』


 青白い光が、ぼわっと広がる。反射的に顔を腕でかばって退くと、一瞬で光はおさまった。


「……?」


 腕を下ろして見ると、男はいなかった。一体今のは何じゃったんじゃ?

 ごしごしと目をこすってみるが、もうあの男はおらず、青白い光もどこにもない。

 首をひねって考えていると、不意に尿意を覚えた。寝る前、かっかと怒っておったために、用を足すのを忘れておった。


「あぶない、あぶない。おねしょをするわけにはいかんのじゃっ」


 十歳とおにもなって、寝具に地図を描いてしまうのは恥ずかしい。

 妾はすばやく用便を済ませ、部屋に戻った。自分の体温が残っていた寝具はまだ温かく、気分転換ができたおかげですぐに眠れた。


 しくしくしく

 しくしくしく


 次の日も、その次の日も夜中の泣き声は続いた。

 あの男のことを侍女たちに聞いてみたが、そのような男は召し上げられていないし泣き声も聞いていないと言われてしまった。


 しくしくしく

 しくしくしく


 今夜もまたあの声が聞こえる。


「えぇい! アンミンボウガイじゃぞ!」


『ひぃっ』


 いきなり怒鳴りつけられた男は、床に転がって慌てていた。


『も、申し訳ございません……! どうか、どうか、命だけは……!』


「あのな、そなた、もう死んでおるのではないか?」


『へっ?』


 妾の言葉に、男はぽかんと口を開ける。


「妾なりに調べてみたのじゃ。どうやら何代か前に非常に気性の荒い王がおって、気に入らぬ奴はばっさばっさと切り捨てておったそうじゃ。

 その服装といい、光っておることといい、おぬしはおばけじゃの」


『おば……け……』


「ついでに言うと、数日前に倉庫の整理をして、古い絵が何枚か出てきたと言っておった。その中におぬしの絵があったのかもしれぬ。じゃから今頃化けて出てきたのじゃろう」


『あ……』


 男のおばけは、戸惑ったように視線をさまよわせる。

右を見て、左を見て、妾を見て、自分の手を見て……、また泣き出した。


『しくしくしく……しくしくしく……』


「ぬああ、うっとおしい! アンミンボウガイじゃと言っておろうが!

 何が望みじゃ! どうすれば成仏する?」


『描けない……描けない……。

 死んでしまったなんて……もう絵が描けない……』


 しくしくしく

 しくしくしく


「絵が描きたいのじゃな? 待っておれ!」


 妾は部屋から紙とペンを持ってきた。そして男に渡してやろうと思ったが、手がなくて持てなかった。


『手がぁ、手がなくて描けないいぃぃ』


「はぁ……。そうじゃった……」


 男はしくしくと泣き続けている。

 妾は困ったものじゃと思いながらも、眠気に勝てず、男のすすり泣く声を聞きながら寝台に戻った。





「マリー。おまえ、なんか夜中に大騒ぎしてたって侍女が言ってたが、どうしたんだ?」


 睡眠不足でぼぉっとしたまま朝食をとっていると、フェリクスに聞かれた。


「おばけがおったのじゃ。絵が描きたいんじゃと。でも手がないから描けなかったのじゃ。どうしたらいいと思う?」


「はぁ? なんだ、寝ぼけてたのか」


「寝ぼけてなどおらぬ。

 毎夜毎夜しくしくと泣いて、うっとおしいことこの上ない。はよぅ成仏させてやりたいのじゃが」


「はいはい。そういう夢を見たんだな」


「夢ではない! のう、フェリクス。手のない者に絵を描かせてやるにはどうしたらよいんじゃ?」


「あー、まぁ、筆を口に咥えるとか? おまえが代わりに描いてやるとか?」


「おお、そうか! その手があったか!

 さすがフェリクスじゃの! 今晩、早速試してみるぞ」


「ははっ、がんばれー。ってか、ちゃんと寝ろ」


 む。何やら応援に力が入っていないような感じがするのは気のせいじゃろうか。

 適当にあしらいおってからに。遠乗りの約束もまだ履行されておらぬぞ。

 じゃが、よしとしよう。いい方法を教えてくれたからの!

 妾は朝食を食べ終わると、筆と絵の具、画布カンバスを用意した。

 そして、夜に備えてたっぷりと昼寝をしておくことにした。




 しくしくしく

 しくしくしく


 今夜もあの声が聞こえてきた。

 妾は待ってましたとばかりに、用意しておいた道具を持って部屋を飛び出した。


「おい、男! そんなに描きたいなら口に咥えてでも描いてみぃ!」


『口に……?』


 妾は画布カンバスを壁に立てかけると、男の口元に絵筆の手元を向けてやった。あぐっと咥えようとする男。しかし何度やっても絵筆は男の体を通り抜けてしまい、咥えることはできなかった。


『あああああ。やっぱり描けないいいぃぃぃ』


「く……。おばけというのは物を持てぬのか……」


 そういえば、男の体は少し透けている。実体がなくては物を持てないのも道理じゃ。


「仕方ない。かくなる上は、妾の体を使うがよいぞ」


『あなたさまの……?』


「そうじゃ。おぬし、おばけなのじゃろ。ならば妾に乗り移って体を操るくらいのことをしてみぃ。

 それで描きたいだけ描けばよい」


 妾は、腰に手を当ててふんぞり返る。

 男はびっくりした顔をしていたが、やがて手のない腕を床について、深々と頭を下げた。


『ありがとうございます……!』


「よい。毎晩毎晩泣かれてはゆっくり眠れぬのでな。それに、民の悩みを解決してやるのが王族の務めじゃ。さぁ、来い」


 妾が手を広げると、男はおずおずと近づいて来た。


『あの……。私、ミケロと申します』


「うむ。妾はマリエッタという。この国の王女じゃ」


『マリエッタさま……。

 申し訳ございません。しばらくお体をお借りいたします……』


 ミケロの腕が、妾の腹にずぶっと沈み込む。その瞬間、冷たい塊が、ずんっと腹に落ちたような感じがした。


『(マリエッタさま、大丈夫でございますか……?)』


「う、うむ」


 ミケロの姿が消え、妾の中から声がした。


『(あの、私、お城を描きたいのです。月の明かりに照らされた、美しいリーンハルト城を……。

 マリエッタさま、外に連れて行ってはいただけませんか?)』


「そ、外か。わかった」


 実体はないはずなのに、体が重く感じる。

 妾は道具を持つと、よろよろと中庭に向かった。






 しゃっしゃっしゃっと軽快に筆が走る。

 昔の王の目に留まったというだけあって、ミケロの腕はなかなかのものじゃった。

 普段、犬を描いても猫かと聞かれるほど絵が下手な妾は、勝手に動く腕が迷いのない線を描くのが面白くなってきた。


「さすがじゃの! いい調子じゃ」


『(おほめにあずかり、光栄でございます)』


 ミケロも、めそめそ泣いておったのが嘘のように、自信に満ちた声で答える。

 本当に描くことが好きなのじゃなぁ。

 望みを叶えてやってよかった。そう思って、できあがっていく絵をながめておった。


『(マリエッタさま、そろそろ夜が明けます。今日はここまでということで)』


「うむ。また明日の夜続きをしよう」


『(ありがとうございます。それで、あの、一つお願いが)』


「ん?」


 ミケロは、できあがるまでこの絵を誰にも見せないでほしいといった。もしまた自分の絵を否定されるようなことがあったら、今度こそ立ち直れないだろうからと。


「わかった。布をかぶせて妾の部屋に隠しておこう。それでよいな?」


『(はい!)』


 せっかく元気になったのに、まためそめそされては困る。妾は自分の右手と左手で指切りげんまんをして、絶対に誰にも見せないと約束した。

 朝日がのぼり、ミケロが妾の体から出ていく。冷たい塊が溶けていく感じがして、体温が戻った。

 ううむ、これは結構重労働じゃな。たくさん食べて、たくさん昼寝をしておこう。

 そう決めた妾は、侍女が起こしにくるまで一眠りすることにした。





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