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七夕小話:マリーと月の船

お久しぶりです^^;




「姫様ー!」

「姫様ー!」


 侍女たちが呼ぶ声がする。


「姫様ぁ! どちらにいらっしゃるのですかー! お返事をなさってくださいませー!」


 誰が返事なぞするものか。

 見つかったら最後、文法、倫理、修辞学に天文学、算術、音楽、詩作に舞踏まで、寝る間もないくらいに勉強づめじゃ。


「姫様ぁ!」

「姫さ……ぁ!」

「……さ……ぁ」


 だんだんと侍女たちの声が遠ざかっていく。

 よし、行ったな。

 そう思った妾は、隠れていたカーテンの隙間から顔を出した。


「ふむ、誰もおらん。ふっふっふ、これで晴れて自由の身じゃ!」


 ばっとカーテンをめくって飛び出す。さぁ、どこに遊びに行こうか。中庭か、フェリクスの部屋か、と思ったところで、足音がした。


「いかん!」


 ここで見つかっては、これまでの苦労が水の泡じゃ。

 妾は慌てて近くの扉を開けて飛び込んだ。

 カツカツカツ――

 足音が遠ざかっていく。


「ふぅ、危なかったのう。

 ん? ここは……書庫か」


 何も考えずに飛び込んだ先は、書庫じゃった。

 フェリクスが本にあまり興味がないせいか、この城における本の扱いは、非常に適当じゃ。本来なら貴重品であるはずの本が、城の各所にある空き部屋に無造作につっこまれ、山積みになっている。妾が今いる部屋も、書庫というよりはただ本をおいてあるだけの場所であり、薄暗い小部屋で誰にも読まれることなく積まれている本たちは少々かわいそうな気がした。


「うぬぅ、これではまるで本の墓場じゃな」


 妾は、フェリクスと違って本は割と好きじゃ。

 ここに逃げ込んだのは幸いじゃった。ほとぼりが冷めるまで、しばらく書庫ここにいるとしよう。

 そう決めた妾は、カーテンを開け、窓を開けると、ほこりをかぶった本の中から、一冊の本を手にとった。


「何なに? 題名は……かすれていて読めないの。不思議な字体じゃ」


 重ねた紙を紐で綴じた本は、ほかの本のような厚手の表紙はついていない。その代わり、黒髪の男女が手を伸ばし合っている絵が描いてあった。男女の間にあるのは、星でできた川。


「なんの話かの。恋愛ものか」


 妾は、普段はあまり恋愛ものは読まない。それよりも、主人公が大冒険をする、読んでいてどきどきわくわくするような話が好きじゃ。

 けれど今日は、異国風の挿絵に釣られてこの本を読んでみようという気になった。

 壁に寄りかかるようにして座った妾は、本を膝の上においてページをめくる。

 表紙の文字こそかすれていたが、中身はきれいで、文様のようにも見える文字の横にリーンハルトの文字で訳が書いてあった。

 妾は文字を指でなぞりながら、声を出して読んでいく。


「昔むかしあるところに、機織りの上手な美しい娘がおったとな……」


 その娘は天の神様の娘で、機を織って神様たちの着物を作る仕事をしていたという。

 娘はやがて年頃になり、牛飼いの若者と恋仲になる。二人は結婚して、楽しい生活を送るようになったが、仕事を忘れて遊んでばかりいるようになった。

 すると、新しい布が手に入らなくなって神様たちの服はぼろぼろになり、世話をしてもらえない牛たちは、病気になってしまった。

 怒った神様は、「二人はてんの川の、両岸に別れて暮らせ」と言って、別れ別れにしてしまった。


「なんじゃそれは! ひどいのう!」


 ちょっとくらいいいじゃろうに。

 いや、仕事をさぼるのはいかん。しかし、いきなり引き離すのはひどすぎる!


「それで二人はどうなったのじゃ。

 えぇっと……」


 最愛の夫と引き離されたことで、娘は落ち込んで食事も喉を通らない状態になった。神様は、娘があまりにも悲しそうにしているのを見て言った。


「一年に一度だけ、伴侶と会ってもよろしい。その代わり、それ以外の日は仕事に励むように」


 それから、一年に一度会える日を楽しみにして、娘は毎日一生懸命機織りをした。てんの川の向こう岸にいる牛飼いも、牛の世話に精を出した。そして、一年のうちでてんの川が最も輝く夜に、娘は天の川を渡って夫の元へ会いに行くという――


「……不満じゃ」


 なんじゃ、この話は。

 なぜ、好きな男に会うのにほかの者に口出しをされねばならぬのじゃ。

 仕事は大事じゃ。それはきちんとせねばならぬ。しかし、ちゃんと仕事をするのなら、一緒に住んでもよいではないか。

 それを、父親じゃからと言って、一年に一度しか会わせぬなど、横暴もいいところじゃ!

 牛飼いも牛飼いじゃ。惚れた女なら、攫ってでも自分の元に連れてきたらいいじゃろうに。唯々諾々と嫁の親の言うことに従うなぞ、情けないにもほどがある。


 不愉快な本を読んでしまった、と妾は本を置いて立ち上がる。口直しに別の本でも読むか。何かおもしろそうな本はないかの。そう思って本を漁っていると、書庫の扉がそっと開いた。


「姫様。こちらにいらしたのですね」


「カーラ」


 扉の隙間から顔をのぞかせたのは、カーラだった。


「皆、心配して探しております。そろそろお勉強にお戻りください」


「……」


「今日のお夕食は、王もご一緒できるそうです。お勉強が終わらないと、姫様だけ別のお部屋で食べていただくことになってしまいますよ?」


「……それは嫌じゃ。

仕方がない。今の妾の仕事は学ぶことじゃ。仕事をさぼってフェリクスと引き離されてはかなわんからな。一年に一度しか会えぬなど、妾には耐えられん。

 最初はじめの授業はなんじゃったか。算術か、音楽か。詩作はあまり好きではないのだが」


「一年に一度? いえ、そこまでは……。

 まずは語学からですわ。様々な国の言葉を学ぶことで、他国のことを理解できますから。姫様は飲み込みが早いと、先生もおっしゃられていました」


「余計なおだてはいらぬ。語学のほかは? あぁ、やはり詩作も課題があるのじゃな。

 いいじゃろう。妾は妾なりの責務を果たそうではないか。ギムとケンリはヒョウリイッタイなのじゃ。ギムを果たさぬ者に、自由を主張するケンリはない!」


 妾は右手を上げて、おう、と気合を入れる。そしてのっしのっしと廊下を歩んでいく妾の後ろで、カーラの不思議そうな声が聞こえた。


「姫様、どうなさったのかしら。なんだかいつもとご様子が違うのだけれど……」


 語学がなんじゃ。詩作がなんじゃ。

 とっととやっつけて、フェリクスとの夕飯を獲得ゲットするのじゃ!






 逃げ回っていたせいで溜まりに溜まっていた課題は、妾にのんびり夕食をとる時間を与えてはくれなかった。

 これまで遊んでいたツケが回ってきたのじゃ。今日は徹夜の覚悟でやるしかあるまい。


「姫様、もう十分がんばりましたから、今日はここまでになさったらいかがですか」


「いい、やる」


 部屋で簡単な夕食を済ませ、その後も課題に取り組む妾に、侍女たちが声をかける。


「でももうお休みの時刻ですわ」

「また明日になさったらいいじゃありませんか」

「あんまりこんをつめると、体に毒ですわ」


 侍女たちが、代わる代わる言いにくる。

 普段は勉強をしろとしつこく言うくせに、やればやったでもうやるなとはおかしなことじゃ。


「姫様ぁ」


 侍女の声に泣きが入る。

 すまぬ。心配をしてくれているのはわかるが、妾はこの課題を終わらせるまでは眠らぬのじゃ。

 妾は、妾にすがりつく侍女たちを振り払い、語学のノートに向かう。羽ペンにインクをつけ、ガリガリと音がするほどに強く単語を書き綴っていく。

 あと少し。これが終わったら刺繍を一つして、歌の練習をすれば終わりじゃ。あ、歌は刺繍をしながら歌えばよい。素材モチーフすら決まっていない刺繍はたぶん朝までかかるじゃろうから、歌の練習もたくさんできて、イッセキニチョウというやつじゃ。

 ガリガリガリ

 ペンを走らせる。

 侍女たちはようやく諦めたのか、静かになった。

 よし、これで集中できる、と思ったら意外な声がとんできた。


「よぉ。おまえが寝ないって困り果てた侍女たちが、俺のところにきたぞ?」


「……フェリクス」


 ペンを置いて振り向くと、扉に手をついて寄りかかるフェリクスがいた。

 これはずるい。

 せっかくがんばっていたのに、ごぼうびのほうから出向かれてはやる気が続かないではないか。


「ん? どうした。急に疲れた顔をして」


「なんでもない。

 フェリクス。今夜は妾は忙しい。そなたの相手はできぬ。帰ってくれ」


「はぁ? 何言ってんだ。馬鹿なこと言ってないで、もう寝ろ」


「嫌じゃ。妾は勉強をするのじゃ」


 ぷいと前を向いて、再びペンをとる。ガリガリと続きを書き始めた妾の横に、フェリクスが膝をついて目線を合わせてきた。


「マリー。

 何を急にやる気になってんだか知らないけどな。無理しても続かないぞ。きちんと睡眠をとって明日またがんばる。そのほうが効率がいい」


「フェリクスだって夜遅くまで仕事をしていることがあるじゃろう」


「俺は大人だからな。一日二日寝なくたって大丈夫さ。

 おまえはまだ子どもなんだから、たくさん寝なくちゃだめだ。ほら、カーラが口癖みたいに言ってることがあるだろう」


「ネルコは育つ、か?」


「そうそう、それだ」


 早く大きくなりたい、と言った妾に、カーラが教えてくれた格言じゃ。


「ネルコとは誰じゃ。そやつに会えば大きくなれるのか」と聞いたら、爆笑された覚えがある。


「おまえが寝ないからみんな心配してる。今日はここまでにして、もう寝ろ」


「……」


「そら、寝台まで運んでやる。今日は特別に添い寝もしてやろう。おまえが眠るまで髪を撫でてやる」


 そう言ってフェリクスは、妾をひょいと抱き上げた。

 うぅ、添い寝になでなで。

 なんと魅力的なことか。じゃが、しかし。


「だめじゃ。妾はこれを終わらせるのじゃ」


 ぐいっと腕をつっぱって、降ろせと訴える。妾が嫌がるとは思っていなかったのじゃろう。不意をつかれたフェリクスは妾を落としそうになって、慌てて抱え直した。


「なんだよ、危ないだろ」


「降ろしてくれ。妾は課題を終わらせる」


「おまえがそこまで言うなんて……明日は雨か?」


 妾を片手で支えたフェリクスが、もう片方の手でバルコニーのカーテンを開ける。

 さっと広がった夜空には、満天の星が浮かんでいた。


「おっ、見事だな」


 フェリクスは、妾を抱いたままバルコニーに出る。

 無数に輝く星たちは吸い込まれそうなほどに美しく、そよそよと吹く夜風が勉強のしすぎでほてった頬に心地よかった。

 妾はしばし、フェリクスとともに星空を見上げる。すると、南西から北東にかけて淡い光の帯のようなものがあるのに気づいた。


「フェリクス、あれはなんじゃ」


「ん?」


「星の間を通っている、光の帯じゃ。まるでてんの川のような……あっ」


 そうじゃ、あれはてんの川じゃ。まさか本当にあったとは。

 驚いた妾は、怪訝な顔をするフェリクスに、昼間読んだ本の話をした。


「なんだ、それで急に勉強を始めたのか。まぁ、悪いことじゃないがな。侍女たちを困らせるのはやめとけ」


「うむ……」


 それは、悪いとは思っていた。しかし、フェリクスに会えなくなるのは嫌じゃったのじゃ。


「ははっ、おおげさだな。あれは遥か遠い東の国に伝わる物語だ。誰かが持ち込んだんだろうな」


「あんな酷い話、ちっとも面白いと思えなかった」


「一年に一度しか会えないってやつか? ロマンチックじゃないか」


「ろまんちっく?」


「幻想的でいいだろう?」


「全然よくない」


 横暴だ、情けない、と妾はあの本を読んで思ったことを素直に口にした。フェリクスは黙ってそれを聞いていて、妾が話し終わったら、仕方ないなというように苦笑した。


「マリーにはまだわからないか。会えないからこそ燃え上がる恋ってのがあるんだぜ?

 ほら、あっちを見てみろ」


 フェリクスの指差す南西の空には、細い月が出ていた。丸い月の下側だけお椀のように光る月を、“上弦の月”というのだとフェリクスが教えてくれた。


「横にした弓のようだろう? あの月が、一年に一度だけあのてんの川を西から東へ渡るんだ」


「一年に一度だけ? 月は毎日西から東へ動いておると、天文学の先生が言っておったぞ」


「あぁ。毎日動くんだが、あの形で横切るのは一年に一度……まさしく今日だけなんだ」


 ちょうど、今日。

 フェリクスと空をながめた日に一年に一度の出来事があるとは、なんたる偶然じゃ。

 珍しいこともあるものじゃと月を見ていると、フェリクスはくすりと笑った。


「だから一年に一度の逢瀬なのさ」


「?」


「よく見てみろよ。弓の形にも見えるが、違うものにも見えるだろう?」


 上弦の月は、天の川にさしかかったところじゃ。光る川を渡る、弓なりの月。それはまるで……。


「そうか! 船じゃ!」


「当たりだ」


 なるほど。そういう由来があったのじゃな。

 それならば、一年に一度というのも納得できる。天の運行にあわせた物語じゃから、不条理な条件がついていたのじゃ。


「まぁ、そうだけどよ。おまえ、もうちょっと空想の世界を楽しむっていうのをな」


「空想でメシは食えぬと、アナンドが言っておったわ。

 しかし、いつもは本を読まぬフェリクスが、そんな話を知っておるとは意外じゃった」


「ははっ

 女はこういう話が好きだからな。寝物語にちょうどいい……って、てっ、てててて!」


 フェリクスの頬を、思いっきりひっぱる。精悍な顔が醜く歪み、間抜けな顔になった。


「こら、マリー! 何をする!」


「うるさい! 妾を抱きながら他の女の話をするとは何事じゃ!」


「おまっ……ちょっと待て、その言い方、声だけ聞かれたら、どんな誤解をされるか……」


「誤解? 誤解ではなかろう。

 そもそもフェリクスはな、妾ともあろうものがありながら、取っ替え引っ替え女をはべらせおって! この節操なしが!」


「うるさいっ

 俺には俺の事情ってもんがあるんだよ!」


「ああん? それは男の事情というものか。それくらい、妾にもわかるぞ。男には、どうしようもなく女が欲しくなるときがあるそうじゃな。そういうときは妾を呼ぶがよい。膝枕でもなでなででもいくらでもしてやる! 存分に甘えるがよい!」


「おーまーえーなー」


 がっくりとフェリクスがうなだれる。

 妾は、どうだ、まいったかと胸を張り、フェリクスの頭をぽんぽんと叩いた。


「男はいつまでも甘えんぼうじゃというからな。

 よし、仕方ない。今日は一緒に寝てやろう」


「それは俺の台詞セリフだ……。いや、まぁ、いいか。寝る気になったなら。

 ふあぁ、なんだか俺も疲れた。とっとと寝ちまおう」


 フェリクスが言うと、どこからか侍女たちがやってきて、あっという間に寝る支度を整えた。


「あ、それは開けておいてくれ」


 侍女がカーテンを閉めようとするのに言う。

 寝台にもぐりこむと、明かりを落とした部屋の大きな窓から星空が見えて、星の中で眠るかのようだった。


「おやすみ、マリー」


「うむ。おやすみなのじゃ」


 フェリクスの懐に鼻先をこすりつける。こうすると、胸いっぱいにフェリクスの匂いがして、とても安心する。

 フェリクスは初めに言ったとおり、ずっと妾の髪をなでていてくれて、妾はあまりの心地よさにすぐに眠りに落ちた。


 夢の中で。

 妾は金色の船に乗って、輝く川を渡っていた。

 対岸で手を振っているのはフェリクス。


『マリー!』


『フェリクス!』


 ん?

 振り返す妾の手が、何やらおかしい。

 どうやら、見慣れた自分の手ではなく、成長した女性の手であった。ということは。


『会いたかった!』


 対岸に着いた妾を、フェリクスが抱き寄せる。

 そしてフェリクスに似合う歳に成長した妾を、フェリクスは愛しげに見つめて――


「わっ、つめてっ

 なんだ、このよだれは! こら、マリー、起きろ!」


「うぅん、むにゃむにゃ……。フェリクス……くすぐったいぞ……服を脱がすでない……」


「おまえ、どんな夢見てんだよ……。

 おぉい、誰かあるか。布をくれ」


 いつしか、妾はフェリクスとともに星の海に漕ぎ出ていた。

 きらきらと輝く海で二人きり。


 ふむ、ろまんちっく、というのはこういうことか。

 これも悪くない。いや、むしろすばらしい。




 ゆらゆらと、月の船が星の海を渡る。



 待っててくれ、フェリクス。



 妾も……がんばって早く大きくなるからの……。








※“上弦の月”の姿で天の川を横切るのは、旧暦の7月7日だけだそうです。

 今年は8月13日だとか。Wiki、国立天文台等のHPを参考にさせていただきました。

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