マリーと王様
短編で投稿した「王様と私」の連載版になります^^
挿絵はあくび様によるものです^^
ロクサーヌ王国が負けたのは、妾が生まれてまもなくだったそうじゃ。
戦勝国となったリーンハルト王国が、唯一の正式な王位継承者だった妾を殺さなかったのは、温情というより、傀儡とするためであったのじゃろう。
そして、それは成功した。
「フェリクス! フェーリクス!」
妾は今日も、好いた男を追いかける。
「んだよ、マリー。俺は忙しいんだ。おまえの相手をしている暇はない」
妾の呼びかけに面倒くさそうに振り向いたのは、深い青色の天鵞絨のマントに豪奢な鎧を身に付けた男――フェリクス・ハンネス・リーンハルト・シャッファー――この国の王である。
「何が忙しいんじゃ! 建国記念の式典は終わったじゃろ! 式典が終わったら遊んでくれるという約束だったではないかっ」
「あー……。そんな約束、したっけかなぁ?」
「フェリクス!」
「はいはい、そう怒るなって。ほらよ」
フェリクスが妾をひょいっと持ち上げる。抱き上げるというより、持ち上げるという言葉のほうがふさわしいのが残念じゃ。
「お。おまえ、ちょっと重くなったんじゃないか」
「なっ、淑女に対して、重くなったとは、なんたる言い草じゃっ」
「ははっ、淑女? なーに、言ってんだよ。おまえまだ六歳だろ」
「六歳でも淑女は淑女じゃ!」
「あぁ、そうかい、悪かったな」
フェリクスがくしゃっと笑う。
あ……。この顔、好きじゃ。
ぽっと頬が赤らむのを隠すように、妾はフェリクスの首に抱きつく。鍛え上げられた太い首は、妾が力一杯締め付けてもびくともせず、かえってくすぐったそうにすくめられてしまった。
「式典の準備で忙しくて、寂しい思いをさせたか?
その分、爺どもがかまってやってただろ?」
「そうじゃが……」
フェリクスが爺と言うのは、この国の大老たちのことじゃ。人質として連れてこられた妾は、しかし赤子だったゆえ、しばらくのあいだ忘れ去られて窓際大臣たちのもとに預けられていた。それでこんなしゃべり方になったわけじゃが、それはそれでいろいろな話が聞けたからよかったと思う。
たぶん、齢六歳にして、この国の歴史に関しては、誰よりも詳しい自信がある。そういう意味でも、妾はこの国の思想にどっぷり浸かっている。逆に自分の元の国のことなど、小指の爪ほどにも知らぬ。
「ま、おまえにとっちゃ、爺どもとずっといるのも退屈か。チェスももう相手にならないんだって?」
「そうなのじゃ。フェリクスも強いんじゃろう? アナンドが言っておったぞ。そうじゃ、今からやろう!」
アナンドは大老の一人である。若い頃はチェスの名手だったそうじゃが、今は半分呆けているせいか、ミスが多く、だいたい勝てる。
「今からなぁ」
ちらりとフェリクスの目が泳ぐ。
あっ、これは!
「……フェリクス。また女子どもと遊ぶ気か」
「うっ。だってよぅ。今日までほんと、忙しくて、ろくに後宮にも行ってないんだぜ? いい加減たまるもんもたまってるって」
「何がたまるんじゃ? ストレスか? ならば妾と遊ぼう! 外で遊べばすっきりするぞい!」
「あはははは! それもそうか!
外でなぁ。健康的でいいな!
だけどよ、俺にもつきあいってもんがあるんだ。悪ぃな。おまえと遊ぶのはまた今度」
あっと思ったときは時すでに遅く、妾は床に下ろされてしまった。
フェリクスが指をぱちんと鳴らすと、側仕えの侍女達がやってきて妾の手をとる。
「マリエッタ様、お作法の授業がありますよ」
「お裁縫もまだでしたわね」
「御髪が乱れてますわ。整えてさしあげますから、先生のところへ行きましょう」
「いやじゃ! いやじゃ! 妾はフェリクスと遊ぶんじゃ! フェリクス! フェーリクス!」
妾の叫びもむなしく、フェリクスの姿は、廊下の奥へと消えてしまった。
なんじゃ……。式典が終わったら遊んでくれると言っておったのに。
嘘つき。
フェリクスの嘘つきめ……。
「ふぉっふぉっふぉっ
そうかそうか。姫様はそれで沈んでおったのか」
「通りで駒運びにもキレがないはずじゃわい。それ、王手」
「わああ! 今のなし! 今のなしじゃ!」
アナンドの一手が妾のキングを追い詰める。うぅ、今日は完敗じゃ。半分呆けてるなんぞと思って悪かった。
「まぁ、そう焦ることはないぞい。後宮にいる女どもはな、王のお手付きという名称を得て、諸侯に払い下げられるためにおるんじゃからな。その点姫様は正……」
「これ、アナンド」
「? 妾が?」
「……と、いかんいかん。最近、下のほうだけではのうて、口までゆるくなってきおったわい」
「きたないのう。さ、姫様、もう一回どうじゃ。次は勝てるて」
大老の一人が、駒を並べ始める。妾もそれを手伝いつつも、アナンドが言いかけたことが気になった。
「妾がなんだと言うのじゃ?」
「いやいや、爺のたわごとじゃ。お気になされるな」
「そうはいっても気になる。妾とフェリクスに関係することなのじゃろう?」
妾はアナンドに食い下がる。大老たちは、「おまえが余計なことを言うから」とか「いっそのこと話してしまえ」とか「いやいやそれは早計」などとお互いを小突き合って、結局だんまりを決め込んだ。
「なんじゃ……。そうか。おまえたちも妾をのけ者にするんじゃな。
もういい。チェスなぞせぬわ。大老室にももう来ん」
「ひ、姫様っ」
「姫様、お待ち下されっ」
しょんぼりとして席を立つ妾を、アナンドたちが追いかけてくる。なんじゃ結構俊敏な動きができるではないか。
「妾とフェリクスのこと、教えてくれるのか?」
「う……。そ、それは王の許可なくして教えられんが、王が女たちと何をしているかは教えてやろうではないか」
「アナンド!?」
「いいではないか。本来は侍女たちが教えることじゃが、わしらが教えたとて、何の問題がある。
ほれ、姫様、耳を貸してくだされ」
「耳……?」
アナンドが手招きするのに、ぽてぽてと近寄る。
ごにょ
ごにょごにょごにょ
「えぇ?」
ごにょ
ごにょごにょごにょごにょ
「そ、そんなことを?」
ごにょごにょごにょごにょごにょごにょごにょ……
「どうじゃ。できますかな?」
「で、できる」
「本当に?」
「やってみる! できれば、フェリクスは妾と遊んでくれるんじゃな?
よし、今日のお風呂からじゃ!
大老たち、いいことを教えてくれて感謝する!」
この頃一緒に入ってくれなくなったお風呂だけれど、遊ぶ約束を破った罰じゃ。今日は無理矢理にでも一緒に入ってもらう。
そう決めた妾は、フェリクスの元へと走った。
獅子の形をした像の口から、じゃばじゃばとお湯があふれる。
リーンハルト王国は火山の国でもあり、温泉が豊富に湧き出ていた。
「フェリクス! ほれ、背中を流してやるぞい」
「はいはい。ったく、ようやくゆっくりできると思ったら、おまえが先に入ってるんだもんなぁ」
「何か言ったか?」
「んにゃ、なんでもねぇよ」
フェリクスの手を引き、洗い場の椅子に座らせる。妾は石鹸をよく泡立てると、妾の背丈以上にある大きな背中に取りついた。
「んしょ、っと。こうかの」
「あん? おまえ、何やってんだ」
「大老がの、こうやれというから」
「はぁ!?」
妾は、自分の真っ平な胸に泡を付けると、よいしょよいしょとフェリクスの背中に押し当てた。
「こうすると、フェリクスは嬉しいのじゃろう?」
「あいつら……。なんてことを教えやがる……」
「腕も洗ってやるぞい。ほれ」
妾は、股に泡をつけると、フェリクスの腕をはさんで前後に腰を振った。
「やめっ、やめろって、マリー!」
「なぜじゃ。嬉しくはないのか? ここも洗わねばだめか?」
「これで喜んだら、俺、変態……って、ああああ! マリエッタ!」
両手に泡をつけ、フェリクスの股間の一物を握る。
なんじゃ、これは。妾にはないものじゃ。こんなものが股の間にぶら下がっておるなど、邪魔ではないのか?
「お、形が変わったぞ。なんで固くなるのじゃ? おもしろいのぅ」
「うわっ、やめっ、マリー、マリエッタ! やめてくれ、うあああああ!」
フェリクスの叫び声が浴室にこだまする。
大老たちに教わった風呂の入り方は、フェリクスには不評だった。それからしばらく妾は、フェリクスと一緒に風呂に入ることを禁じられてしまった。
「ちぇっ、つまらんのぅ。チェックメイト」
「くあああ、やられてしもうた!」
今日もまた妾は大老たちの部屋でチェスをする。
フェリクスは客が来ているとかなんとかいって、遊んでくれなかったからじゃ。
「なんとかフェリクスに遊んでもらう方法はないものか」
「じゃぁ、姫様。こういうのは、どうじゃ?
ごにょごにょ。ごにょごにょ……」
「なるほど、それはいい! よし、早速明日やってみよう!」
「ふぉっふぉっふぉっ
ご報告、お待ちしておりますぞ」
*****
そのころ、フェリクスは――
「ぶえぇぇっくしょん!」
「王? 大丈夫ですか?」
客人を前に、盛大なくしゃみをしていた。
「いや、すまん。ん、なんだ。急に寒気がしてきた」
「お風邪ですか? 大事な御身、無理はなさらぬよう」
「そうだな。今日の謁見はここまでとさせてもらう。あぁ、王子の留学の件はわかった。都合のいいときに来てくれてかまわない」
「ありがとうございます」
頭を垂れる客――隣国の使者である――より先に席を立ち、フェリクスは自室に戻る。
「ぶぇっくしょん! ふぁ、本当に風邪かぁ? ここ何年も風邪なんて引いてなかったのにな……。
こんな時は早く寝るに限るぜ」
早々に寝台に潜り込んだフェリクスは、体を丸めて眠りにつく。
そのくしゃみと寒気が、マリーたちの作戦によるものだとは、知る由もないのだった。