ダリウスの1日
ダリウスの1日は常に多忙であった。
1日の大半を仕事に忙殺され、積み上がる書類や視察、会議、そして妻となった女と会う作業に追われる。
若い身体を埋め尽くす欲を晴らすためにも、後継者を残すためにも妻との時間は必要な作業である。
しかしかながら、ハンターと過ごす時間は非常に削られているのが口惜しいことであった。
「ハンター、ハンター、ハンター……」
ダリウスが建て、ダリウスが用意した調度品に囲まれ、ダリウスが用意した衣服に身を包んだハンターが椅子に腰掛けている。
その足元、地べたに足をついてハンターに縋るようにして腹に顔を埋めたダリウスに、ハンターは困ったように眉を下げた。頭を撫でては宥めるハンターは慈愛に満ちており、その声すら聖歌に聴こえて来る。
「大丈夫かい、ダリウス」
「ハンター……」
心配そうにするハンターを見上げて、うっとりと目を蕩けさせる。
ほんの僅かな隙間時間を見つけてはこうしてハンターの元に訪れるだけとなったダリウスは、ハンターからしても異様なほどピッタリと身体をくっつけるようになっていた。
よほど疲れているのだろうと思っているが、ハンターはそれでもこうして顔を出してくれることや、夜は必ず共に寝てくれる事を嬉しくも思っていた。憚る想いだというのに、ハンターもまたダリウスに執着してしまっていた。
忠誠的であるものの無口な使用人たちは人情味に欠け、家族とはもう何年も言葉を交わすどころか会うこともなく、友人の一人も居ない寂しい人生において、ダリウスはハンターにとって唯一の関わりであることには間違いなかった。
脆弱で目も見えないハンターの身の回りの世話をする使用人はもちろん、食事や衣服、本や音楽などの娯楽まで、すべてダリウスに頼りきっている。言葉で伝えられた事こそなかったがダリウスが居なくなればハンターは即座に打ち捨てられるだろう事は間違いなかった。
そんな存在に、ダリウスが傾倒し、こうして縋りついては甘える様はハンターに安堵と毒気を帯びた優越感をもたらしていた。
口にせずとも徐々に依存の縄が強くなっていき、身動ぎすれば自身にもトゲが刺さるほど気付けば深みにハマっていた。底なし沼のように足が動かなくなり、溺れていると気づいた時にはもはやどうしようもなくなっていた。
そんなハンターの心根を悟ったのか、それとも情けなのか、どうしても時折反応してしまう男の性を見つけてはダリウスは熱心にその熱を晴らしてくれた。申し訳なさそうに縮こまり、後ろめたい気持ちになるハンターに低く深い声で大丈夫と囁きながら何度も何度も繰り返した。
決して踏み越えてはいけない兄弟という枠組みを越えておきながら、ハンターは恐ろしい事をしているような心地になってしまっては泣き出した。ダリウスに申し訳なくて、何度も泣きながら謝罪したが、ダリウスは恍惚と微笑み、そしてやはり大丈夫だと囁くのだった。
そんな濡れた華のように美しいハンターを見つめながら、いっそ世界に二人だけだったら良かったのに、とダリウスは何度も思った。
妻となった女はハンターのように眩い金髪を持っていた。
婚約者候補は何人もいたが、それがこの女にした決め手だった。
薄暗い閨で、後ろを向かせて眩い金髪を睨みながら何度も何度もハンターを夢想した。か細い身体と穏やかな声、柔らかな手、オパールの瞳。その瞳が潤み、頬が紅潮するのを想像し、閨を済ませた。
妻が孕むまで二年かかった。
一人目が男児であったため、後は気楽なもので、ダリウスはハンターへのどうしようもない熱が溜まった時だけ妻と閨を過ごした。
そのせいか、第二子には三年を要した。
二人の男子をもうけ、ダリウスは両者のどちらを後継者とするにしても必要な教育を授けた。著名な教育者を何人も雇い、妻と幼い我が子を隣国に留学もさせた。
もちろん学業という目的であったが、ハンターと過ごすためでもあった。
その頃になるとダリウスに躊躇いや困惑があったハンターもすっかりダリウスに頼りきっていて、部屋を訪れるたびに酷く柔らかく微笑むようになっていた。手を握っても、肌に触れても当然とばかりに受け入れるハンターに、ダリウスは目眩がするほど陶酔した。
穏やかなハンターとの日々は非常に温かく柔らかなものであり、甘美であった。
ダリウスが人の道を外れた行為をしても拒むことも無くなり、それどころかまた来ておくれと寂しげにねだるハンターに、ダリウスは脳髄が焼けるような興奮を抱いた。
堪えきれずその清らかな足を舐めしゃぶったせいで触れもしないのに欲望が弾けた日も、ハンターは頬を染めて恥じ入りながら、それでも一言の否定もせず、拒絶もしなかった。
熱に浮かされるようにして、それでも恐る恐ると抱き締めても、恐々とうなじに唇を押し当てても、ハンターはダリウスを拒まない。
いつだってハンターはダリウスを受け入れ、甘受した。それがダリウスを余計におかしくさせていた。
欲と憎悪に満ち溢れた穢らわしい人間でしかないダリウスが触れるたびに、美しいハンターが穢されるような気すらするのに、止められない。止めるべきだ、何様のつもりだと叫ぶのに、警戒音がけたたましく鳴り響きながらもハンターへ手を伸ばしてしまう。
ダリウスは自らの献身が欲望の裏返しであることを良くわかっていた。それでもハンターに触れてしまうのだ。
穢れのない義兄が底なしに甘やかすようになってから、ダリウスはとうとう体面を維持するために作った妻と子すら煩わしく思えてきた。
留学から帰ってきた子を寄宿舎に預け、領地を任せると理由づけして妻を領地に追いやり、若く見目の良い楽士や絵師を妻の元に通わせて不義の事実を作らせた。
数年がかりの計画は実を結び、妻は不義の子を宿したとして殆どの権限を取り上げられて幽閉された。寄宿舎でかけがえのない友を得た息子たちには、この中にダリウスの命令を受けた使用人が混ざっていることもも知らずに青春を謳歌している。その結果、ますますハンターと共に過ごせる時間が増えた。
身体の弱いハンターはたびたび酷く体調を崩したが、お陰で治療の際にもそばにいることが出来た。
国に不穏な空気が流れ、戦火の香りが鼻腔を擽るようになってからも不動産に若くして手を出していたお陰でなんとか無事に過ごすことが出来た。
ダリウスたちが住まう首都のタウンハウス周辺は順調に買い広げられ、その殆どをダリウスの名義にされて借家として半数以上を貸し出している。
貴族社会から資本主義へと移行し始めた世界の流行は凄まじく、貴族たちの殆どは現金を持たずに身を持ち崩す者が増え、ダリウスはその多くを雇い教養ある使用人へと変貌させていた。複数の貴族が領地民から謀反を受け、馬車が取り囲まれて襲撃される事件が起きたが、ダリウスの治世が落ち着いたものであり、不動のものであったために領地も首都のタウンハウスも静かなものであった。
むしろ馬車を留めてわざわざ感謝されることすらあったのだから、ダリウスの経営能力の高さと信用の厚さは凄まじいものであった。
王家すらダリウスの機嫌を伺っていたものの、致命的なまでに警戒せずにいるのは、ダリウスが更なる権力を目指すことはなかったためであった。
絶妙な匙加減で貴族社会を生き、資本主義において確かな実績を積み上げたダリウスは、ハンターの住まう屋敷をさらに豪華に、更に堅牢に仕立てることに腐心した。
タウンハウスの周辺に警備会社を建て、武器の保管庫を用意し、民衆に嫌われぬように孤児院や浮浪者たちを保護する教会を建て、それでいて流行の最前線を先導する芸術家や職人を多く抱えた。
歴史に刻まれたダリウスの名声はとどまることを知らなかったが、その実、表舞台や人付き合いは非常に少なく、ごく僅かな交流も文でのやり取りが多かった。
その理由を愛妻家だからだと思われていたが、妻とその実家は気まずげに笑い、沈黙を選んでいたためにその不義が広く知られることはなかった。
晩年は島を買い、親しいとされた義兄と僅かな使用人を連れてそこで生涯を過ごした。
ダリウスの二人の子はそのどちらも父は無口で、殆ど交流したことがないと語った。教育は厳しく、逆らうことを許さななかったが、代わりに成果を出すと時折褒めるように抱き締められたことがあった。幼い頃のわずかなやりとりから愛情だと思い込んでいた。
義兄が昔そうして抱き締めてくれたのだと語った父の顔は穏やかで、二人の息子は年老いた抱きダリウスが島を買い、義兄と余生を過ごすと言ったのを止めなかった理由の一つとなった。
二人の息子のうち、長男は学者への道を行き、後継者は次男となった。
その後継者である次男が四十を過ぎた頃、ダリウスが亡くなり、五十を越えた頃に次男も亡くなった。
後継者であった次男の息子が成人するまであと一年であったため、中継ぎとして長男があらゆる作業を請け負った。
そして、その中に父ダリウスの島があった。
没後の葬儀は本家で行われたが、墓は島にある。
様々な手続きが必要であろうと島に訪れた長男は、島に建てられた屋敷に滞在している間、少しずつその違和感に気付き始めた。
屋敷の外観と内部構造の齟齬、道を迷わせるような作り、設計図すらないこと。そして、父の私室からしか行けない伯父の部屋を見つけた時、その違和感は天啓のように長男の脳裏に屋敷の存在理由を閃かせた。総毛立つというのはこういうことを言うのだろう。
国家の長でさえ躊躇うような豪奢なシャンデリアと異国から輸入されたファブリック、色とりどりのステンドグラスに、粋を集めた調度品の数々。暖かな日差しが差し込む豪華な部屋で、長男は口元を覆った。
父ダリウスの義兄でありながら病弱で目も見えない伯父は生涯独身であった。
そんな伯父を慈しむためだけの部屋は、父ダリウスの私室からしか出入り出来ず、たとえ出られたとしても孤島であるため逃げようもない。そんな執着と依存がべったりとこびりついた鳥籠であった。
おぞましい想像が背筋を駆け巡り、吐き気を催しながら墓へ向かった。
先に亡くなったという義兄と共に埋葬してほしいと願った父を、思う。
女神の像の下で美しい墓石に護られた父と伯父は、今も使用人によって整然と整えられた庭に眠っている。
逃げるように島から離れ、翌年には後継者に引き継いだが、あの島についてはついぞ語らなかった。
父ダリウスを偲ぶためにあるがままにしてほしいと願ったためか、後継者となった弟の息子は今でも手付かずのまま島を放置してくれている。
出来ることなら、父ダリウスのおぞましい執着が世に出ることなく、年若い後継者が目にすることはなく、このまま朽ちるに任せられるように祈った。あのおぞましい鳥籠に、誰も気付かぬよう。
せめて、自分が死ぬまでは、そう思いながら、長男は老いて皺の増えた目蓋を閉じた。
義兄の鳥籠ー完ー




