僕だけが知っている
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第一話 君だけが話せる
雨の日は嫌いだ。
窓を叩く雨粒の音は一定ではない。
三秒前に左端の窓へ当たった粒は二百十四個。今は二百九個。
教室の時計は午前八時十五分三十七秒。
本当の時刻より二十三秒遅れている。
黒板の左下には昨日なかったチョークの欠片が一つ。
担任の革靴には泥が付着している。登校時に正門ではなく東門から入った証拠だ。
――全部、覚えている。
覚えようとしているわけじゃない。
一度見たものは、勝手に頭へ刻まれる。
そして、二度と消えない。
「おーい、相沢」
隣の席の男子が声をかける。
「昨日の数学、教えてくれよ」
悠真は顔を上げる。
喉が締め付けられる。
返事をしようとしても、声が出ない。
「あ……」
たった一文字が言えない。
「また固まってる」
「相沢って本当にしゃべらないよな」
笑い声。
悪意はない。
それでも胸が苦しくなる。
その時だった。
「おはよー!」
教室の空気を吹き飛ばすような元気な声。
神崎凛が勢いよく教室へ飛び込んできた。
「悠真、おはよう!」
彼女は迷わず悠真の机へ来る。
「また朝ご飯抜いたでしょ?」
コンビニのサンドイッチを机へ置く。
「はい、半分あげる。」
悠真は小さく頷く。
それだけで凛は満足そうに笑う。
「よし!」
周囲の男子が苦笑する。
「神崎しか相沢と話せないよな。」
「まあ昔からだし。」
凛は笑顔のまま振り返る。
「悠真は人見知りなの!」
教室が笑いに包まれる。
その笑い声も、悠真は一生忘れない。
◇
三時間目。
古典の授業が始まるはずだった。
しかし教師は来ない。
「先生、遅いね。」
誰かが呟く。
すると廊下から叫び声が響いた。
「だ、誰か来て!」
教室中がざわつく。
生徒たちは一斉に廊下へ飛び出した。
職員準備室。
扉は閉まっている。
内側から鍵が掛かっていた。
副校長が合鍵を持って駆けつける。
「開けます!」
ガチャ。
扉が開いた。
教師が床へ倒れていた。
動かない。
救急隊が来る頃には死亡が確認された。
事故。
急病。
誰もがそう思った。
悠真だけは部屋へ入った瞬間、足を止めた。
視線が高速で部屋を走る。
時計。
窓。
机。
椅子。
花瓶。
チョーク。
教師の右手。
床の水滴。
空気の匂い。
〇・五秒。
それだけで十分だった。
――違う。
事故じゃない。
殺人だ。
凛が心配そうに近付く。
「悠真?」
悠真は答えない。
代わりに。
そっと。
彼女の制服の裾をつまんだ。
凛の表情が変わる。
それは二人だけの合図。
「真相が見えた。」
◇
人気のない旧校舎裏。
凛が振り返る。
「どうしたの?」
悠真は深呼吸をする。
彼女だけなら話せる。
「……殺人。」
「え?」
「事故じゃ……ない。」
凛の笑顔が消えた。
「根拠は?」
「先生の……腕時計。」
「腕時計?」
「右利きなのに……右手に付けてた。」
「……!」
「昨日までは左だった。」
凛は目を見開く。
「覚えてるの?」
悠真は静かに頷く。
「それだけじゃない。」
「窓の鍵。」
「昨日と向きが違う。」
「机の位置も……三センチ。」
「床の水。」
「雨じゃない。」
言葉は少ない。
それでも凛には伝わる。
「つまり……誰かが現場を動かした?」
悠真は頷く。
「密室を……作った。」
凛は息を呑む。
「警察に言おう!」
悠真は首を横に振った。
「証拠……ない。」
「でも!」
「犯人は……まだ学校にいる。」
その一言で空気が凍った。
◇
同じ頃。
校舎三階。
一人の男子生徒がスマートフォンを見つめていた。
画面にはニュース速報。
【○○高校 教師死亡】
男子生徒は小さく笑う。
「予定通り。」
ポケットへスマホをしまい、窓の外を見る。
そして誰にも聞こえない声で呟いた。
「……気付いたか?」
「完全記憶の少年。」
◇
その瞬間。
悠真の背筋に悪寒が走る。
誰かに見られている。
そんな感覚だった。
凛が不思議そうに顔を覗き込む。
「どうしたの?」
悠真は校舎を見上げる。
雨が窓を叩いていた。
「……犯人も。」
小さく息を吐く。
「僕を……見てる。」




