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マジックアワーの島  作者: 坂本光陽
フルーツショップの手提げ袋

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2/8


 淡路島の洲本市は古くから政治・経済の中心であり、島の中核を担っている。洲本バスセンターは路線バスの起点でもある。ちなみに淡路島に電車は走っていない。かつては淡路交通鉄道が走っていたが、車社会になったことによって1966年に全線が廃止されている


 私は自転車通学をしているのが、雨の日には路線バスを使う。放課後、本屋に立ち寄ってから、停留所のベンチでバスの到着を待っていた。時間つぶしにスマホを取り出そうとした時、唐突に声をかけられた。


「すいません、お嬢さん。つかぬことをうかがいますが」


 顔を上げると、銀髪の男性が素敵な笑顔をうかべていた。アラフォーの母と同世代に見えるけど、お腹は少しも出ていないし、背筋がピンと伸びている。ストライプの麻のジャケットにスカイブルーのチノパン。足元を見れば、ウイングチップの革靴。首元にさりげなくチーフを巻いている。


 なかなかダンディなおじさまだ。まさかナンパだろうか。わたしは少しだけ警戒する。

「そちらの手提げ袋なのですが……」おじさまは私が傍らに置いた、手提げ袋を指差した。「もしかすると、水乃屋(みずのや)さんの袋ではないでしょうか?」


「ミズノヤさん、ですか?」私は小首を傾げる。

 水車小屋が切り絵風に描かれている手提げ袋だが、店名は印刷されていない。

「はい、高級果実の専門店ですよ。ほら、近くの商店街にも以前、出店していました。淡路島に来たのは久し振りなのですが、今もお店はあるのでしょうか?」


 どうやら、私がそこで買い物をしてきた、と思われたらしい。母の勤務先だったので、水乃屋には小さいころ何度か訪れたことがある。


「ああ、ありましたね。いつも店頭で、パッションフルーツとか、南国風の果物のいい匂いがしていましたっけ。よく覚えています」

「はい、仕事で何度もうかがいましたが、僕はあのお店の香りが大好きでした」


 素敵な笑顔を浮かべたおじさまに、ドキっとしてしまう。

「ですが、すいません」私は少し困った顔になる。「水乃屋さんはお店を畳みました。今は別のお店が入っているみたいです」


「そうですか、残念ですね。でも、そうすると、あなたがお持ちのその手提げ袋は?」

「ああ、これは以前、母がとっておいたものなんです」

「なるほど、そうでしたか。これは僕の早とちりでしたね」おじさまは照れくさそうに頭をかく。「四半世紀ぶりに、懐かしいデザインを見て、つい声をかけてしまいました」


 四半世紀というと、25年ぶりか。私は影も形もなかった頃の話だ。本当なら、ここで会話を打ち切ってもよかった。でも、好奇心が顔をもたげて、私はおじさまに訊ねてしまう。

「あの、懐かしいというのは、何か大事な思い出がおありなんですか?」


 おじさまは照れくさそうに微笑んだ。

「ええ、実はそのグラフィックデザインは、僕が手掛けたものなんですよ。初めて受注して形になった仕事でした。大学を出たばかりで、駆け出しの頃のことです」


「へぇ、そうなんですか」改めて、手提げ袋を見つめる。「素朴でかわいらしいデザインですね」

「ありがとうございます」

「ということは、水乃屋さんとは、何度も打ち合わせをされたわけですね」

「ええ、そうですね。完成形に至るまで、十数回ほどでしょうか。僕が未熟なせいもあって、先方には御迷惑をおかけしました」


 いえいえ、そんなことはありません。私は心の中で呟く。本当にすいません。その担当者は実は、私の母なんです。若かりし頃の母には、こっそり憧れていた片思いの相手がいた。本人の名誉のために言っておくと、今は亡き父と出会う前の話である。


 母は当時、ハンサムなデザイナーさんに会いたいがために、デザインになかなかOKを出さずに、何度も足を運んでもらったのだ。その折りは母が御迷惑をおかけしました。私は心の中で、おじさまに頭を下げる。


 それにしても、母親の片想いの相手と会って、こうして言葉を交わしているなんて、不思議な感じがする。あたりさわりのない話をしながら、このことを母にどう伝えるか、考えていた。そこで、おじさまに訊いてみた。


「あの、水乃屋さんの担当窓口の方を覚えておられますか?」

「ええ、覚えていますよ。顎鬚(あごひげ)を蓄えた年配の店長さんです。デザインにはこだわりがあって、粘り強い方でした」

「あれ、男性の方ですか? 女性の方ではなくて」

「ええ、随分前の話ですが、そうだったと思いますよ」


 ああ、そうなんだ。何度も打ち合わせをした母は、すでに忘却の彼方というわけか。まぁ、片思いの相手というものは、そういうものかもしれない。


 それとも、母が嘘をついたとは思わないが、こうありたいという願望を何度も思い描いていて、それが真実だと思い込んでしまったのか。


 おじさまの記憶違い、という可能性も考えられるけど、それはそれで母にとっては、忘却の彼方と同じくらい気の毒な話だ。


 おじさまは今でも魅力的だし、充分かっこいいと思う。もし、おじさまが現在独身で、私のことを本気で想ってくれるのなら、お付き合いをしてもいいかもしれない。ただ、私と母が同じ好みであるということは、いささか妙な気分だ。


 あの母と三角関係を繰り広げるなんて、出来の悪いコメディとしか思えない。考えただけでゾッとする。おじさまの薬指にリングはないが、くだらない妄想は打ち切ることにしよう。


 おじさまは到着した路線バスに乗り込むようだ。私は次のバスを待っていることを伝えて、おじさまを見送ることにした。

「では、失礼します。お嬢さんとお話ができてよかったですよ」

 おじさまは会釈をして立ち去っていく。その後ろ姿をスマホでこっそり盗み撮りをした。


 私のイケメンフォルダーには、ざっと数えただけでも、50人分が保存されている。街角で見かけた男性も含めて、それぞれに思い出がある。何度も整理しようとしたけれど、結局一つも捨てられず、必然的に溜めこんでしまう。


 ふと、これは母譲りなのかなと思いつく。


 やはり、おじさまのことは母に伝えないでおこう。私は嘘を吐くのが苦手なので、つい口をすべらせるかもしれない。母の思い出を守るためには、何も言わないのが無難である。


 ただ、良心が痛むので、母の好きなスイーツでも買っていこうか。確か、近くの商店街に美味しいケーキ屋があったはずだ。食後のデザートにフルーツケーキはどうだろう。母がスイーツを食べるときの笑顔を思い浮かべながら、私は歩きはじめた。



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