表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

晴れゆく霧の果てに〜元現代人の俺は近接戦闘なんて出来ないので持ち前のエイム力で奮闘します〜

作者: スープご飯
掲載日:2026/03/13

前半は説明が多く、読みやすさや面白さの面ではまだ粗さがあるかもしれませんが、後半はかなり手応えのある内容になったと思います。

結末まで読んでいただけたら嬉しいです。

 


 見たことのない地面。見たことのない植物。見たことのない服装。

 気がつけば俺は、空を覆い尽くすほど高く、太い幹を持つ樹々が立ち並ぶ森の中に、ぽつんと立っていた。


 ———訂正しよう。


 全部、見たことがあった。知っていた。

 ゲーム内で何度も見た景色。自分のアバターが身につけていた装備。似ているなんてものじゃない。少なくとも見た目に関しては、完全に一致している。


 黒を基調としたフード付きの外套は、裾が腰の辺りまであり、厚手の布地はいかにも雨風や寒さを防ぐためのものだ。


 その下には、機動力と防御力、耐久力を兼ね備えたモンスターの革製防具。胴はハーネスでしっかり固定され、腰のベルトには短剣が提げられている。


 さらに視線を落とせば、腿を締めるストラップが防具を固定し、その先は黒い革のロングブーツに包まれていた。


 間違いなかった。

 ゲーム内で着ていた、俺の装備そのものだ。


 なのに、画面越しには見慣れていたはずのそれは、目の前で質感と重みを伴って存在しているせいで、一瞬だけまったく別のものに見えてしまっていた。


 しかも、違和感は服装だけには留まらない。


 服の下からは確かな拍動が伝わってくる。指先には生地の感触があり、風に乗って森の匂いが流れ込んでくる。視界に映る木々の肌理きめは、画面では再現しきれないほど細かく、景色にははっきりとした奥行きがある。


 ここに立ち、呼吸し、五感で感じるものすべてが、ここは現実だと訴えてきていた。



(現実だよな?)



 圧倒的な自然の迫力を前にして思考が止まっていたが、落ち着いて考えれば考えるほど状況は理解不能で、意味が分からない。



(なんで俺はこんな所にいる? しかも、ゲームのアバターの姿で。明晰夢ってやつか? 夢だとしたら、あまりにも現実リアルすぎると思うんだが……)



 深い森の中。ここがどこなのかも、どうしてここにいるのかも分からない。



(冷静に。一旦、落ち着こう)



 現実的に考えて、もしここが本当に森の中だとするなら、俺は今“遭難者”であり、無事生還し家に帰る必要が出てくる。


 無理難題。現実でまともに森の探索をしたこともない俺には無事生還するビジョンが浮かばない。


 それでも、必死に思考を巡らせた。



(遭難時に生存率を左右するもの。おそらく、一番大切なのは持ち物だろう)



 水と食料とスマホ。生きるために必要な水と食料に、助けを呼ぶための通信機器。そのどれか一つでも欠けていれば、生還できる確率は大幅に下がるように思える。


 そんな現実逃避じみた思考を巡らせながら、俺はひとまず持ち物の確認を始めることにした。






 ———数分後。


 ゲームのアバターの姿になっていると分かった時点で、期待はしていなかったが。案の定、水も食料も通信機器も持っていなかった。所持していたのは、ゲーム内で愛用していた大型の弓と、腰に差した短剣のみ。


 論理的な思考を取り戻し、この不可思議な現象と向き合い始めた俺は、ある結論に至る。



(ゲーム内と同じ服装に同じ装備。なら、ゲーム内機能も使えるのではないだろうか?)



 もしそうなら、今いちばん必要なのは『インベントリ』だ。大量のアイテムを収納し、取り出せるゲーム内機能。



(馬鹿げてる。現実でそんなものを使えるわけが……)



 頭の中では否定しつつも、胸の奥底では“あり得るんじゃないか”と思えてきている。


 現実的には、あり得ない。

 だが、この状況そのものが非現実で、ファンタジーだ。


 考えずにはいられなかった。漫画や小説で何度も見てきた、あの手の展開。



 それが、自分の身に起こった?



 期待や疑念、好奇心が積み重なり、やがて“高揚”へと変わっていく。



 心臓の音は次第に大きくなり、鳥肌が立ってきているのが分かった。



 もしこれが本当の、本当に現実リアルなのだとしたら、今ここが、俺の人生の転換点ターニングポイントになる。



 ———そんな予感がした。



 その予感を確かめるように、俺はそっと口を開く。




「———オープン」




 その一言は、俺を縛っていた常識を打ち破る合図のように、静かに大森林へ響き渡った。











 ————————————






 現実と見紛うほどのグラフィック。緻密に作り込まれた世界観。高い自由度と、直感的で洗練された操作性。現実の物理法則を反映させることによって生まれる圧倒的な没入感。さらに、総数二百を超えるスキルが生み出す戦術の幅広さ。


 それらすべてを兼ね備えた、日本最大級のプレイヤー人口を誇るVRMMO。


 齢二十。プレイ歴二年。大学入学と同時期に発売されたそのゲームに、余暇時間のほとんどを注ぎ込んできた。


 そんなゲームのアバターと同じ姿で森に立つ、俺の目の前に、正二十面体が浮かび上がる。



「………マジか。本物じゃん」



 ゲーム内のメニューアイコンと同じ、立体的な図形。


 この正二十面体のメニューアイコンには、一面に一つずつ、計二十個の項目が備わっている。正確には、『設定』という共通項目が一つあり、残りの十九面を『装備変更』や『キャラクターメイク』といったアバター管理、『インベントリ』や『図鑑』、『メモ』などの所持品・記録管理、『フレンドチャット』や『通話』といったソーシャル機能、『カメラ』や『タイマー』、『言語翻訳』や『ライト』などの補助機能の中から、自分に合った項目を選んでカスタマイズができる。要するにショートカット設定だ。


 俺はメニューアイコンをスクロールし、目的の項目を探す。



 ———そして、しばらくして手を止めた。



(え……? うそだろ?)



 思いがけないことに、キャラクター管理やソーシャル機能を含めた半数以上の項目がアクセス不能になっていた。その中には『インベントリ』まで含まれている。


 どうやら、ゲーム内で戦闘区域にいる時と同じようなメニュー表示になっているらしい。


 『インベントリ』に収納してあった二年間分の素材やアイテムが使えないのは残念でならないが、“この”機能が使えるなら、まだやりようはある。


 大きな落胆と少しの希望を抱き、俺は二十個ある項目の中から“アイテムパック”と書かれた面に指を重ねた。





 ———『アイテムパック』。


 メイン機能は、インベントリと同じくアイテムや装備の収納と取り出し。違いを挙げるとするなら、収納できるアイテムの種類と数に限度があること、戦闘区域でも使用できること、装備品の恒常化枠が存在すること、この三点である。


 戦闘区域では使えないインベントリに代わって、アイテムパックには戦闘時に使うアイテムや装備を厳選して入れておくのが一般的だ。加えて、戦利品や探索エリアで採取した素材なども収納するため、あらかじめある程度の容量を空けておくのが定番の使い方でもある。


 ちなみに“装備品の恒常化枠”とは、アイテムパック内に一枠だけ存在し、そこに登録した装備品に限り、登録時の状態のまま常に取り出せる機能を指す。つまり、その装備品に限っては強奪・紛失・破壊・劣化といった状態変化が発生しなくなるわけだ。


 過半数のプレイヤーは、破壊や強奪、あるいは武器を弾き飛ばされた時などに備えて、その枠にメイン武器を登録していた。


 その影響もあってか、俺が装備している短剣のような補助武器を除き、戦闘時に二種類以上のメイン武器を使い分けるプレイヤーは稀だった。


 俺の場合、アイテムパックの中には大量の弓矢と回復アイテムに加え、使い勝手のいいスキルが付与された“装身具”などが入っている。そして恒常化枠には、今装備している大型の弓を登録していた。


 俺のような飛び道具使いのプレイヤーは、基本的に矢や弾丸を携帯せず、アイテムパックから随時取り出して使用している。俺もその例に漏れず弓矢を携帯していなかったため、アイテムパックが開けたのは幸いだった。


 ———が、『水』『食料』問題は依然として解決していない。メニュー項目に表示されていた『時計』もリセットされてしまっており、今の時刻も分からない。だが、陽が沈むまでにできる限りのことはやっておきたい。水源や、食料になりそうな果実や木の実を確保できれば御の字だ。


 そう思い、メニュー項目の一つである『地図』を開いて移動を開始した。幸い『地図』にはコンパス機能も備わっていたため、巨木が立ち並ぶ森の中でも方向感覚を失わずに済んだ。


 俺は、できるだけ長い距離を移動することを目標に、歩みを進めた。







 —————————







 何時間経っただろう。


 大樹の隙間からオレンジ色の光が差し込み、日の入りを告げている。



「結局、水源は見つけられなかったな」



 最初の頃は、自分の身に起こった非現実的な出来事に胸を躍らせていた。だが、いくら歩いても景色の変わらない大森林を進むうちに、孤独や不安を紛らわすためか、無意識のうちに考えたことを口に出すようになっていた。


 背負っていた大型の弓は嵩張かさばるからとアイテムパックにしまい移動していた道中で、卓球ボールほどの大きさの果実を見つけた。


 その時は、空腹ではなかったという理由と、そもそも食べられるものか分からないという理由から、採れるだけ採ってすべてアイテムパックに入れようと思ったのだが、入れることができなかった。


 手探りで調べてみたところ、どうやらアイテムパックにしまえるのはゲーム由来の装備や、もともとアイテムパックに収納していたものだけで、この大森林から採ったものは例外なく収納できないことが分かった。


 少し不便だが、こればかりは仕方がない。


 果実の量は多くなかったため、服を汚さないように気をつけながらポケットにしまい、ここまで運んできたのだ。




「陽も暮れそうだし、そろそろ休める場所を探したいな」


 俺は休憩所代わりになりそうな、腰を下ろしやすい樹木を見つけ、幹に背を預けながらメニューアイコンを出現させた。続けてメニュー項目から『図鑑』を選択し、テーブルの上でトランプを広げるように、手のひらで弧を描く。


 するとメニューアイコンが平面状に展開され、その上に分類ごとの図鑑が五冊表示された。俺はその中から『植物・植生』と書かれた一冊に手を伸ばし、重厚感のある実体を持った図鑑を取り出す。


 『図鑑』では、ゲーム内に登場するモンスターの名称や生息域、弱点部位といった情報から、薬草や食用植物の効能、生育域、調薬の手法に至るまで、制作陣が作り込んだ細かな設定を閲覧することができる。


「道中で採った果実がここに載ってたらありがたいんだけどな。それにしても、ゲーム内の大森林と景色がよく似ていたから、地理も同じかもって思ってたけど、何時間も歩いてみた感じ、見たことのない植物もあるし、地形も違う。どうやら思い違いだったみたいだな」


 そう結論づけながら、メニュー項目の『ライト』を選択し、図鑑を照らしつつページをぱらぱらとめくっていく。



「これじゃないか?」



 十数分にわたってページをめくっていた手を止め、図鑑の挿絵と手のひらに乗せた果実を見比べる。描かれている見た目はほぼ一致しているし、説明欄を読んでも相違点らしい特徴は見当たらない。



「『完熟すると甘酸っぱく、ビタミンCやビタミンE、食物繊維が豊富で、生食のほか、ジャムや果実酒にも適している』だって? 思った以上に当たりじゃないか」



 森でのサバイバルなんて素人同然の俺にしては、上出来な収穫だ。


 俺は一口サイズのオレンジ色の果実を口の中に放り込み、咀嚼する。すると、果汁がじわりと溢れ、甘酸っぱい風味が口の中に広がった。





「———なんというか、思ったより……普通だな」



 不味いわけでも、嫌いな味というわけでもない。だが、品種改良された現代の果物に舌が慣れているせいか、図鑑に書かれていた印象よりも、ずっと素朴な味わいに感じた。



「まあ、栄養と水分を補給できるなら、それで十分か」



 いくつか果実を口にしているうちに、辺りはすっかり薄暗くなっていた。俺はその頃になってようやく、これから先の行動について考え始める。



(食料と水の問題がネックだな。今日みたいに運よく口にできるものを見つけられたとしても、このままじゃ数日もしないうちに力尽きる。それまでに森を抜けるか、人の生活圏に辿り着きたい。こんな力が使えるってことは、ここは地球じゃないんだろうし、この世界の住人相手に『言語翻訳』機能が使えればいいんだけどな)



 ……まあ、なるようになるだろう。せっかくゲームのアバターで現実を生きていけるんだ。どうせなら全力で楽しまなきゃ損だ。


 不安が消えたわけじゃなかったが、それでも胸の奥には、まだ期待の火が残っていた。


 辺りが暗闇に包まれ始めても、安心して休めそうな場所は見つからなかったため、仕方なく、果実を食べるために腰を下ろしていた樹木に背を預け、そのまま一夜を明かすことに決めた。



 一応、夜中に何が起きても対処できるよう、アイテムパックから【暗視】のスキルが付与された装身具――指輪を取り出し、左手の親指にはめた。さらに、手に短剣を握る。


 これでも不用心だとは思ったが、この時の俺はゲーム内の力を手にしているというだけで、大抵のことには対処できるとどこかで慢心していたため、深く警戒することもないまま、俺はそのまま眠りに落ちた。















 ————————————










「寒いな……」


 凍えるような冷気に無理やり意識を引き上げられ、俺は目を覚ました。


 夜明け前で、周囲はまだ暗い。


 それでも、【暗視】のスキルを付与した指輪を身につけたまま眠っていたおかげで、周辺の様子は辛うじて視認できた。


 そして、森の様子が、眠る前とはまるで違っていることに気づく。


 濃い霧が立ちこめ、十数メートル先すら見通せない。空気は痛いほどに冷たく、吸い込むだけで肺の奥まで冷えそうだった。


 寝起きの鈍い頭を無理やり働かせ、俺はまず何を優先するべきかを考える。安全確認———それから状況把握をするべきだろう。


 昨夜、眠る前には霧なんてなく、気温も森を歩くにはちょうどよかったはずだ。それが今では、氷点下に迫る勢いで冷え込んでいる。


 森は昼間、樹冠が日差しを遮るぶん冷えやすく、夜は樹木や地面が熱を保つせいで、急激には冷え込みにくい。


 少なくとも、ただ夜明け前だからというだけでは説明のつかない温度差が起きているのは確かだった。


 原因はこの世界特有の気候か。それとも……。


 そう推論を立てていたのも束の間、不意に周辺一帯を包み込んでいた霧がダイヤモンドダストへと変わり、周囲の植物や地表が白霜しもに覆われた。それと同時に、ダイヤモンドダストの向こうにモンスターの輪郭がうっすらと浮かび上がる。


 俺は咄嗟に近くの樹木の陰へ身を滑り込ませ、息を殺した。



(なんで、コイツがこんなところに!?)





 『霜麟そうりん』。鹿の胴体に龍の頭、牛の尾、馬の蹄を持つとされる、中国神話に登場する伝説上の動物“麒麟きりん”をモチーフにしたゲーム内モンスター。


 個体には〈冷属性〉を有する『霜麟』と、〈雷属性〉を有する『雷麒らいき』が存在し、両者は総称して『霜麟雷麒そうりんらいき』と呼ばれていた。


 ゲーム内の討伐難易度では十段階中八と、指折りの強さを誇る相手だ。


 とはいえ、ゲーム内に限って言えば倒し慣れた相手であり、普段通りならまず負けない。


 しかし、ここは現実だ。敗北ゲームオーバーは死を意味し、戦闘時のミスは致命傷に直結する。


 ゲーム内と違い、モンスターはAIで動く情報体ではなく、知性と感情、肉体を兼ね備えた生命体だ。加えて、ゲームには存在しなかった“痛み”や“疲労”、“体調”といった変数がここにはある。前日に十分な食事も休息も取れていない今の俺は、ベストコンディションからはほど遠い。


 そのため、勝率が高いとは断言できない。


 この世界に持ち込めた弓矢や回復アイテムの数にも限りがあり、消耗品はできるだけ温存したいため、戦うのは得策じゃない。


 理路整然と理屈を並べ立てたが、本音を言えば

 ———戦うのが怖かった。


 現実で、周囲の環境を変化させてしまうほどの力を持つモンスターを前にして、俺は怖気づいていた。



(逃げよう)



 そう結論づけるより早く、身体が動いていた。


 短剣をしまい、自衛のためにアイテムパックから大型の弓を引き出して矢をつがえる。いつでも反撃できる態勢を保ったまま、霜麟そうりんの進行方向を避けるように、ゆっくり———音を立てないよう後退した。



 緊張で心臓が早鐘を打ち、背中に冷や汗が滲む。



 森の地面は枯葉、折れ枝、隆起した根で埋め尽くされており、完全に無音で動くなんてほぼ不可能だ。



「カサッ」



 案の定、足元で小さく葉が鳴り、暗闇の中にある“一対の光”が俺を捉えるのを感じた。



(やばい)



 そう思った瞬間、俺はすぐ脇の木の幹を蹴り、体を宙へ投げ出した。宙返りの姿勢を取り、視線を霜麟そうりんに固定したまま身体をひねる。



 自分でも驚くほど、身体は迷いなく動いた。






 ———スキル【集中】

 飛び道具の命中精度や回避性能、カウンターや薬の調合の成功率を上昇させるなどの効果がある他、他スキルとの相乗効果も有する、使い勝手のいいスキルだ。


 もしかすると、この状況で反射的に身体が動いたのも、この身体をゲーム内と同じ感覚で使いこなせるのも、【集中】のスキルが関係しているのかもしれない。






 ———元いた場所は凍っていた。


 地表も草も白く染まり、そこだけ空気が削り取られたみたいに、冷気の通り道が一本残っている。回避行動を取っていなければ、今頃、身体を凍りつかされて身動きが取れなくなっていただろう。


 ついさっきまでモンスターを前に怯んでいたはずなのに、この一連の動作をきっかけに、俺の中にほどよい緊張感と高揚感、そして“勝てる”というわずかな自信が芽生え始めていた。




 空中で身をひねる中———感覚が、研ぎ澄まされていくのを感じた。








「スゥー」



 弦を引き絞りながら中空で吐いた息が白く凍りつき、軌跡を描いて流れていく。



 上下の感覚が反転したまま、俺は暗闇の中で光る一対の目を見据えた。



 次の瞬間、ダイヤモンドダストの向こうに霜麟の馬のような体躯が浮かび上がる。




 ———そこだ。




 姿を捉えると同時に、俺は矢を放った。


 空中では踏ん張りが利かない。矢の速度も威力も落ちたのだろう。霜麟は身をひねり、致命傷を避けた。


 それでも完全には避けきれなかったらしい。首元の鱗が裂け、赤い筋が走るのが見えた。


 だが、俺の意識を奪ったのは傷そのものじゃなかった。


 霜麟そうりんの背後———木に突き立った矢が、そのまま残っている。


 その光景を見た瞬間、俺は“ゲーム内の仕様”との違いに気づいた。


 ゲームでは、弓矢や弾丸のような飛び道具は命中した瞬間にダメージへ変換され、実体を失う。だから回収は不可能だった。


 だが、この世界では違う。


 放った矢が、ちゃんとそこに残っている。



(回収できる……なら、使い捨てにする必要はない)



 俺が使う矢は、現実の矢とは似ても似つかず、どちらかと言えば、槍やバリスタの射出弾に近い代物だ。


 全長は一メートル半ほど。先端の金属製の矢尻だけで全体の三分の一近くを占め、残る部分には弾力と強度を兼ね備えた軽量木材が使われている。さらに、飛行モンスターの羽から作られた矢羽根やばねが、威力と命中精度を底上げしていた。


 要するに、一本一本が重く、頑丈で、そう簡単に替えの利く代物じゃない。こんなものを、この世界で簡単に補充できるとは思えない。


 なら、再利用できるならするべきだ。



 俺は霜麟の背後、木に深く突き立った矢へ意識を向けた。距離はある。だが、試す価値は十分にあった。


 俺はアイテムパックの収納を発動させる。


 すると、瞬く間に木に刺さっていた矢がふっと掻き消えた。



(よし……!)



 ちゃんと届いた。効果範囲内か不安はあったが、問題なく収納できたらしい。


 俺は回収した矢を即座に取り出し、もう一度番つがえる。


 時を同じくして、霜麟そうりんの額から伸びる角に白い霜がまとわりつき、みるみるうちに厚みを増していった。


 直後、周囲へ放たれる冷気が著しく強まった。


 それだけじゃない。さっき裂いたはずの首元の傷が、もう塞がりかけている。出血は止まり、裂け目も目に見えて小さくなっていた。


 驚異的な回復力だ。


 ゲーム内では、斬撃も打撃もただダメージとして処理されるだけで、モンスターの肉が裂けたり、骨が折れたりすることはなかった。だが、この世界では違う。傷は残る。なら削った分だけ確実に蓄積する———そう思っていたんだが、どうやら話はそう単純でもないらしい。


 それでも、まだ勝ち筋はある。


 どれだけ身体能力や回復力が高かろうと、現実のモンスターは生き物だ。首を落とせば死ぬし、深手を負えば動きは鈍る。


 霜麟の角の先に冷気が集束した。



(来る)



 次の刹那、白い奔流が一直線に走った。


 俺はそれを反射的に身をひねってかわしながら、霜麟との間合いをとる。





 通常、弓道やアーチェリーで使われる矢の重さは二十グラムから三十グラム程度だ。それでも十分すぎる殺傷力を持つのだが、俺が今番つがえている矢は違う。数キログラムという、矢としては異常な重量があった。


 当然、そんなものを撃てば飛距離も初速も落ちる。いかにモンスター由来の強靭な弦を使っていようと、その欠点までは消せないため、必然的に近距離運用になってしまう。


 なら、その短所をどう補うのか。



 ———現代科学とファンタジーの力でだ。



 この武器には、討伐難易度が十段階評価の外にある“究極の雷属性モンスター”の発電器官が組み込まれている。


 そして、ゲーム内アバターの体内には特殊なエネルギー回路が存在し、その回路を流れる力を武器へ同調させることで、内蔵された発電器官を起動することができる。


 発生するのは、強烈な電磁力。


 ただでさえ強靭な弦が生み出す初速に、電磁加速を上乗せすることで、数キログラムの矢を常識外れの速度で撃ち出す。



 『重弦電磁弓ヘビィレールボウ』。



 近距離なら、電磁加速なしでも十分すぎる威力を持つこの武器が本当の意味で牙を剥くのは、今この瞬間だ。



 俺は霜麟そうりんの首筋へ狙いを定める。



 弦を引き絞ると、武器の内側で発電器官が唸り、エネルギーが漲みなぎる。



 矢の周囲の空気が震え、閃光が走った。




 撃ち出された矢は亜音速で空間を裂き、一直線に霜麟そうりんへ到達する。



 衝撃と同時に霜麟の首が弾けた。



 鱗が砕け、肉が裂け、骨ごと首の大半が吹き飛ぶ。



 霜麟はその場で大きく傾き、地面へと崩れ落ちた。



 もはや回復が追いつくはずもなく、痙攣するように四肢を震わせ、それきり動かなくなった。











 ————————————










 ダイヤモンドダストが朝日を反射し、辺り一面に眩く幻想的な光景が広がっていた。



「綺麗だな……。にしても、腹減った……」



 先ほど討伐した霜麟そうりんの肉を食べるという選択肢も、なくはなかった。だが、捌く術も調理器具もない。何より、首を大きく破壊された死体を前にして、そんな気にはとてもなれなかった。


 霜麟との戦闘は、正直かなり相性がよかった。あのモンスターは常に周囲へ冷気を撒き散らしているため、剣やハンマーのような近距離武器で挑めば、身体能力の低下や凍傷などによる継続的なダメージを受けながら、俊敏な動きを追わなければならない。


 だが、弓のような後衛武器なら話は別だ。冷気の影響をほとんど受けずに戦えるうえ、霜麟の遠距離攻撃にはどれも分かりやすい“溜め”がある。遭遇直後の一撃には肝を冷やしたが、全体としては比較的優位に立ち回れた。


 とはいえ、戦果がなかったわけではない。霜麟はゲーム内にもいたモンスターだが、その素材もやはりアイテムパックに収納できなかった。仕方なく、希少部位かつ持ち運びやすそうな額の角だけをくり抜いて回収し、俺は朝食と水を求めて再び森の中を歩き始めていた。


 重弦電磁弓ヘビィレールボウをアイテムパックにしまい、霜麟と対峙した場所から離れるにつれ、辺りを覆っていた霧は少しずつ薄れていった。視界も開け始め、森の輪郭がゆっくりと姿を現していく。



(そういえば、もう明るいし、【暗視】の指輪は外しておくか)



 俺は【暗視】が付与された指輪をしまい、代わりに【回復】が付与された指輪を取り出した。


 スキル【回復】。

 回復アイテムの効果上昇、自然治癒力の向上、体力回復量やMP回復量の増加など、回復に関するあらゆる性能を底上げするスキルだ。



 その指輪を左手の人差し指にはめ、俺は霧の薄い方へ足を向ける。



 腹の鳴る音をごまかすように、少しだけ歩調を速めた。



 歩くたび、森を覆っていた霧は少しずつ薄れていく。



 白く曖昧だった景色の向こうに、まだ見ぬ世界が輪郭を帯びていくのが分かる。



 この先に何が待っているのかは分からない。けれど、不安より先に胸に灯っていたのは期待だった。





 晴れゆく霧の向こうへ。



 俺は軽い足取りで、新たな世界へと歩き出した。






今作がデビュー作です。至らない点もあるかと思いますが、少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。評価や感想をいただけると、今後の創作の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ