前世で私を殺した旦那様に復讐してみせます!
私には前世の記憶がある。それは幼い頃から存在する記憶で、物心ついた頃から頭の中にあった。幼い時はどれが自分なのか分からず大泣きをし、よく親を困らせたものだ。
私の中で強烈に残っていた記憶、それは自分が殺された時のもの。鮮明な記憶は幼い身には酷だった。
その光景を思い出す度に首を圧迫する熱が蘇る。やめてと手を伸ばしてもびくともしない体と絶対に首から離れない大きな手。恐ろしく血走った瞳は先程まで柔く笑み、私に愛を囁いていたのに。
しかし、それが恐ろしかったのは過去の私。今はただただ憎らしい。
何故なら私は彼を、私を殺した夫を愛していたから。ずっと好きで、念願叶って結婚して三ヶ月の事だ。幸せの絶頂の中、私は愛する夫の手によって18歳という短い生涯を終えた。
恐怖が憎悪に変わった瞬間はよく覚えている。そう、あれは私の婚約が整った日、幼馴染が「これからもよろしく」と微笑んだ日。
「クララ、花壇作りは順調?」
ふつふつと消えない憎しみをシャベルに乗せ、土を耕していた私の元に現れたのは一人の男。幼い頃から頻繁に見ていたので最早見飽きた姿に私は溜息を噛み殺した。
「順調よ、とっても」
にっこりと微笑む私からはそんな感情見えないだろう。よく春の陽気に喩えられる笑みは朗らかで人好きするものだと自覚している。
「それなら良かった」
男は同じく柔らかい笑みを浮かべた。
良い笑顔だ。とても素敵である。幼馴染、婚約者、そして現在夫となった彼は社交界の一部から人気が高い。容姿は一般的だが、上背があるからだろう。ヒールを履いた状態でも見上げる程高い背は女性、いや男性からしても憧れるものなのかもしれない。だが何より一番良いところはその優しさだと私の従姉妹は言っていた。
しかし、私からしたらちゃんちゃらおかしい話だ。確かに彼は子供の頃から優しい。特に私には一段と優しく、私に向ける笑顔はほにゃほにゃだ。それを見れば誰もが彼の特別は私なのだとわかった。
しかし、しかしだ。私からしたらそれはどうでも良い話である。彼がどんなに私を好きでも、愛していても私には空々しく感じてしまうから。
「もう冷えるから一緒に部屋へ帰ろう」
そう言って夫、ジョヴァンニは私に手を差し伸べた。癒されると評判の笑みを浮かべながら。
私は傍らに控えていた庭師にシャベルと手袋を渡す。
「ええ、少し肌寒くなってきたところだったの。部屋に戻ったら一緒にお茶でも飲みません?」
私の提案にジョヴァンニはそれはいいとばかりに弾んだ声を出した。
「いいね。あったかい部屋でのんびりしよう」
まるで犬の千切れんばかりの尾が見えそうだ。
しかしそれが何だと言う。馬鹿らしい。冷めきった心は幾ら熱を注がれても温まらない。
私は前世、夫に殺された。そして今世の夫もまた同じ。
そう、私は私を殺した夫と二度目の結婚をしたのだ。
前述したように私は生まれた時から前世の記憶があった。自分の首を絞める男に何度悲鳴を上げ、泣いたか。もう数えきれない。
幼馴染であるジョヴァンニとは隣の領地という事で仲が良かった。しかし幼い頃は彼がその恐ろしい男だとは気付かなかった。理由はわからない。夢の中の男が怖いと泣きついた事もある。怖いなら一緒に寝ようと手を繋いで寝た事だって。
今思えば、昔は幸せだった。何も知らない私はジョヴァンニの優しさを疑心なく享受出来たのだから。優しいジョヴァンニと共にいれば怖い前世も朧げな過去に出来ると思っていた。
しかしそんな幸せは唐突に終わる。二人が望んだ婚約、そして婚約式の日に私はジョヴァンニが前世の夫だと気付いてしまったのだ。婚約の書類に署名し、これでジョヴァンニと結婚出来ると喜色満面の笑顔でジョヴァンニを見上げた時、唐突に気付いた。
(あ、ディエゴだ)
と。
あの時の衝撃は今も忘れられない。どうして気付かなかったのかと頭の中で何度も叫んだ。面影は無くとも間違えるわけがない。瞳も鼻も口も何もかもが違う。しかし、私には分かった。ジョヴァンニは前世の夫、ディエゴの生まれ変わりだと。
体が震えた。それをジョヴァンニが不思議そうに支える。名を呼び、大丈夫?と労わる声も掛けながら。
正直、その言葉に私が何と答えたのか覚えていない。私が覚えているのは彼に対する深い憎しみと燃えるような怒り。
何故私を殺したの?
あんなにも愛していたのに!
あなたも私を愛していると言っていたじゃない!
心の奥で息を潜めていた声が爆発するように溢れた。恐怖はその爆発に吹き飛ばされたようで、残ったのはジリジリと沸騰する憎悪のみ。
結婚をやめようとは思わなかった。復讐をしようと思ったからだ。復讐をするには近くにいるに限る。
そうして私はジョヴァンニと結婚をした。
「奥様、今日も精が出ますね」
「そうかしら」
私が毎日毎日薬草を煎じるのを使用人達はどう思っているのだろう。変人或いは旦那想いの妻か。
私がこうして薬草を擦り潰しているのは全てジョヴァンニに飲ませる為だ。本人や使用人達には健康の為と言って飲ませているが実際は違う。ほんの少し体を害するものを混ぜている。
表向きには滋養強壮、しかしそれに小指の爪程の腹下しの薬を入れている。
前世の夫であれば私が本当に飲ませている薬の正体がわかったかもしれない。ディエゴは世界に名の知られた魔術師だった。しかし、今世の彼にそのような才はないだろう。前世を覚えている筈もない。覚えているのは殺された私だけだ。
前世の夫と同じように殺す事も勿論考えた。しかし、それをしては夫と同じところに堕ちてしまう。それは嫌だ。
私が考える復讐は幸せの梯子を外す事。
前世、私がされた事だ。それを彼にしようと思っている。首を絞められる苦しみよりもそちらの方が私には辛かったからだ。死ぬ間際まで「どうして、なんで」と頭の中はそれでごちゃごちゃだった。そして死んでも尚、それに苦しめられている私。
愚か、そう、愚かと言えばそうだろう。過去を引きずって今の何の害もない夫を絶望に堕とそうとしているのだから。しかしそれは裏を返せば前世の私の愛故にである。
私は夫を、ディエゴを愛していた。とてもとても片時も離れたくない程に。彼が仕事に出れば彼の残り香に縋り、数日家を空けるようであれば彼の香水を服に振りかけた。
愛していた、とても。幸せだった。愛する夫に殺されるまでは。
私の復讐は彼の死に間際に『お前を愛した事などない。地獄に堕ちろ、人殺し』と言う事だ。それを効果的にするにはジョヴァンニが私を深く愛する必要がある。愛人など以ての外、私を愛し、私からの愛も信用させなければならない。その為に私はこのふつふつと煮えたぎる憎悪を必死に瞳の奥に隠す。
これを露出させる時は彼の臨終時。三十年後か五十年後か、それとも一年後か。楽しみで仕方がない。
「では朝食に参りましょうか」
調合した薬を持ち、朝食の場へと向かう。今日こそ苦しむジョヴァンニを見られれば良いのだがと思い、ほんの少しだけ口角を引き上げた。
朝食を共にするのは私とジョヴァンニだけだ。彼の両親はジョヴァンニの結婚と共に家督を譲渡し、今は別荘でのんびり暮らしている。
「おはよう、今日も朝からありがとうね」
カップ片手に微笑むジョヴァンニ。愛妻を露とも疑っていない笑みに自然と口角が上がった。
「ジョヴァンニにはずっと健康でいて欲しいから。突然倒れて一人になるのは嫌ですもの」
まさか健康を気遣うどころか害そうとしているとは思ってもいないだろう。
私は心の中で高笑いをしつつ、自身の定位置に腰掛けた。
「今日も美味しそう」
正面にいるジョヴァンニにわざとらしく微笑み掛けた。
「じゃあ、いただこうか」
「ええ」
食事の時間は楽しい。ジョヴァンニの私への愛を確かめる事が出来るから。何よりどう話せばジョヴァンニは喜ぶのか、どういう仕草、思考を好意的に判断するのかを考えるのがまるでゲームのようでとても楽しい。
自分でもとても性格が悪いと思う。しかし、殺された記憶がある人間に性格の良さを求めないで欲しい。無理だ、無理無理。
「ガーデンパーティーの招待状を貰ってね。勿論僕とクララ宛て。シャルディ伯爵家の末の娘さんの10歳の誕生日祝いらしいんだけど出席で良い?」
主菜の白身魚をナイフで切りながらジョヴァンニが私に尋ねる。音もなくスーッと一口大に切られた身が上品に開かれた口の中へ消えた。
「是非。楽しみだわ、最近夜会ばかりだったから。ガーデンパーティーだったら先日ジョヴァンニが仕立ててくれたドレスが着られるかしら」
「良かった、僕もそう思って出席したいと思ったんだ。試着で見たとはいえ、試着は試着だからね。楽しみだ」
嬉しそうなジョヴァンニを見て、笑みが溢れる。うまくいっている。計画は順調だ。
「アクセサリーは足りる?」
「ドレスと一緒に贈ってくれたでしょう。大丈夫ですわ」
「いや、でも今見たらもっと合うやつがあるかもしれないよ。それに最近何もプレゼントしていない気がする」
「あら、昨日のお花は?」
「花は良いんだよ。毎日あげるのが普通でしょ」
ジョヴァンニは咀嚼しながら思案すると飲み込んだタイミングで私の名を呼んだ。
「クララ、楽しみにしてて。今の君を一番美しく彩るアクセサリーを見つけてみせるから」
「あら、まあ。ふふふ」
自信満々な言葉にやわりと微笑む。
もう楽しいったらない。こんなにも計画通りで良いのだろうか。
私の好みを知り尽くしたプレゼントは見る度に胸がすく。私はジョヴァンニの好みなんて知らないから余計だ。
(ああ楽しい)
そう、楽しい。楽しいのだが、何処かすっきりしないのは他の部分が上手くいっていないからなのかもしれない。
それは腹下しの薬だ。結婚してからほぼ毎日盛っているのに苦しんでいるジョヴァンニを見た事がない。実にケロリとしているのだ。
今もこれから出されるゼリーには沢山の薬が振ってある。毎回毎回完食するのにどうしてか。
今日も食後はジョヴァンニの執務室でのんびりする予定である。今日こそは脂汗が見たい。苦しむジョヴァンニが見たい。それを心の中で高笑いをしながら世話をしたい。
そんな悪い感情を笑みで隠し、そっと副菜を口に入れた。
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
「どうして」
ランチも終わり、本来なら幸せなシエスタ時間。私室のソファーに座り込んだ私は一人頭を抱えていた。
朝食後、ジョヴァンニの異変をまだかまだかと心待ちにしていたのだが、なんと今日も駄目だったのだ。
駄目どころか元気にランチも完食していた。まるで私の顔がメインと言わんばかりの笑みを浮かべて。
バレないようにやっているから上手くいかないのか。でもバレるようにやるのは馬鹿だ。ではどうするか。何をしたら。
「量を増やせば……」
一人部屋で考え込んでいた私に浮かんだのは倍量の薬。在庫もある、作ろうと思えば作れるが。
「漏らされるのは嫌ね」
浮かぶ最悪の光景をそっと頭の奥に押し込んだ。苦しむ姿は見たいが、漏らす光景は見たくない。私も大ダメージを負う。五感的に忘れられない出来事になる。
「あ、」
倍量ではなく、半量増やすのはどうだろうか。
それだったら漏らす程の効力はないだろう。今だって基準量少し多めで盛っているのにこんなにも効かないのだ、ジョヴァンニにとって半量増やしてちょうど良いに違いない。
「よし、やるわよ」
そうと決まればまた温室だ。部屋の外に控えて貰っている侍女や護衛に声を掛け、口角が上がったまま温室へと向かう。その途中、ジョヴァンニの執務室にも忘れず寄った。嬉しそうに微笑むという作業をしに。
そして翌朝、いつもより多く薬を盛ったゼリーをジョヴァンニに出した。いつもは最後の仕上げもシェフが行っているが、今日は私が手ずから最後の仕上げをする。きっと少し多くなっても可愛い愛嬌ですむ筈だ。
私はジョヴァンニの前に出されたゼリーにパラパラとスプーンで粉を振りかける。落ちていく粉末は見るからに多い。不安に思っているのはシェフと給仕係くらいか。ハラハラとした顔を視界の端に捉えながらわざとらしくハッとした顔を作った。
「大変! かけ過ぎてしまったわ!」
どうしましょうと大袈裟に不安な顔を作る。顎を引き、上目遣いでうるうるとした瞳を見せた。
山とまでは言わないが、ピンクのゼリーの可愛さが霞むくらいにはかけられただろう。
「やっぱり私じゃなくていつも通り出して貰えば良かった」
胸の前で手をぎゅっと握り締め、しゅんとする。さすればジョヴァンニは私の求める行動をする筈だ。
落ち込んだ風を装った私の手にジョヴァンニが触れる。ぽんぽんと手を軽く撫でた。
「これから毎回こうやってかけてくれるかい?」
「でも」
「クララがかけてくれただけでいつもより美味しそうなのに?」
そう言ってジョヴァンニはスプーンでぷるぷる震えるゼリーを掬った。当然粉も大量にかかっている。
――パクリ
大きな一口でゼリーはジョヴァンニの中へと消えた。
(食べた! 食べたわね!)
目に力を入れ、わざと潤ませながら器と口を往復するスプーンを見る。
「ジョヴァンニ」
「やっぱり今日のは格別だ」
成人男性から見たら小さいゼリーはあっという間にジョヴァンニの口の中に消えていった。これで腹痛にのた打ち回る事間違いなし。ほほほ、と高笑いが出そうな気持ちを抑え、感動している妻を演じ続けた。
あとはジョヴァンニの執務室に入り浸れば良いだけだ。それだけで苦しむ夫を見る事が出来る。
(ふふふ、やったわ)
殺された溜飲は下がらないが、これでだいぶスッとするだろう。
しかし、この考えは甘かったと知るのは数時間後である。
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
(おかしい)
もう朝食から二時間は経った。しかしジョヴァンニは平然としている。脂汗なんてない、脂汗どころか汗ひとつかいていない。それどころか嬉々として私に新しいアクセサリーを当てている。
「どう? これ長いけれど、ついている石は小ぶりだからそんなに耳は痛くならないと思うんだよね。あと、ほら、揺れるとこんなに輝いて」
そう言ってジョヴァンニは私の耳元に当てたピアスを揺らした。
「ジョヴァンニ、私の耳元で揺らしても私には見えないわ」
「ああ、そうだった。……どう?」
目の前で揺れるピアスは確かに綺麗で可愛らしい。私好みだ。だが、私の心は目の前にあるアクセサリー達には無い。
「とても可愛い」
「あのドレスにも合うよね」
「そうね、絶対合うわ」
上手く笑みが作れているか不安だ。しかし此処で気を抜くわけにはいかない。ここで台無しにするわけには。
落ち込む気持ちを隠し、無駄に感嘆した声を出す。
「本当に嬉しい、ジョヴァンニありがとう。あなたは最高の夫よ」
得意げに微笑む夫がとても憎らしかった。
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
どうして上手くいかないのか。
プレゼントのお披露目会も無事終わり、ジョヴァンニも侍女もはけた私室で一人考える。
そもそも薬草が違う?自室に隠した本を取り出し、使用している薬草の欄を見る。どう見ても便通を良くするとしか書いていない。便秘の人以外に使用するのは禁忌だとも。
「わからないわ」
ソファーの肘置きにくったりと寄り掛かり、天井を仰ぐ。これは死ぬ間際以外には何もするなという事なのだろうか。でもこのふつふつと湧く怒りは小出しにしないとその内、暴発をしそう。
ジョヴァンニを巻き込んで階段から落ちてもジョヴァンニは怪我一つしなかった。勿論私も。そして新妻は浮かれていてそそっかしいからと護衛を増やされた。
執務室でもそうだ、ほんのり苦しくなれば良いと仕事をしているジョヴァンニの後ろから腕で頸部を圧迫するように抱き着けば、苦しむ素振りは微塵も無くあっという間に膝に乗せられ愛でられた。何故か私のジョヴァンニ休憩なるものが作られてしまった。
上手く行かない。何もかも。全てが裏目に出る。
「苦しんで欲しいのに」
「へえ、クララは誰を苦しめたいんだい?」
いる筈のない声が聞こえ、びくりと体が跳ねる。
私は声がした方は見ず、時計を見た。先程執務室へ帰り、もう夕食まで休憩なしと言っていたのに。
「ねえ、誰を? 僕がクララの代わりに苦しめてあげる」
徐々に近付いてくる気配に私は降参し、ゆるりと視線を動かした。居たのは当然ジョヴァンニだ。
にこりと笑んだ顔には不気味な迫力がある。優しいと言われる彼から出たとは思えない重いオーラに体が強張る。
私は知らず知らずの内に溜まった唾液をごくりと飲み込んだ。
ジョヴァンニには笑顔を、と習慣化させた表情筋がぴくりと口角をあげる。どう誤魔化そうか脳内を駆け巡る伝令が忙しなく叫ぶ。此処を乗り切らないと最終目標も失敗するぞ!と。しかし、ほの暗い笑みを浮かべたジョヴァンニを見て私の心がシンと静まった。
近付くジョヴァンニの瞳の奥にディエゴの影が見えた気がしたのだ。全く二人の共通点はない。似ているところなんて一つもない。のにも関わらず、びくりと体が固まったのは脳裏に焼き付いた狂気に満ちた瞳の奥の色が同じだったから。遠くから見ても分かる感情はすぐ側に立たれたら発狂するかと思う程の恐ろしさだった。
冷たい氷で隠した醜悪な炎がちらつく。喉が詰まる息苦しさに、自己防衛の為か自然と手が喉へ向かう。その時、自分の手が酷く冷たい事に気付いた。
「あなたよ」
はくり、と開いた口から隠していた感情が漏れる。言ってしまったとは思った。でも不思議と後悔はなかった。
「ジョヴァンニ、私はあなたを苦しめたいの。あなたが嫌いだから」
自身の喉を守りながら私は笑った。口元は自然と上がったが、目元には上手く力が入らない。長年の苦しみから解放される喜びとまた殺されるのではないかという恐怖が胸の中に渦巻いている。どちらもどろどろに混ざり合えば良いのに、どちらの主張も激しく表情が一定を保てない。震える目元に固定される弧を描いた唇。その割にはっきりと出た声はジョヴァンニを突き刺した筈だ。筈でない、そうでなければならない。
ジョヴァンニに愛されている自覚がある。私の好みを理解し、感情を揺らしたものを共有したがる癖があるから。だから私は今世の彼に愛されていると思う。
そう思うのにどうしてだろう、ジョヴァンニは私の言葉に瞠目した後、ゆるりと笑った。それはそれはとても嬉しそうに。
「どうして?」
どうしてそんな浮ついた声で訊ねるのか。今にも笑いだしそうなジョヴァンニに興奮と恐怖半々だった気持ちが恐怖九割となる。僅かに残った興奮も今にも吹き飛びそうだが。
「ねえ、どうしてだい?」
一歩距離を詰め、ジョヴァンニが見下ろすように私を見た。答えを早く早くと急かすような表情に違和感を覚える。その顔はプレゼントを前に興奮する子供のそれに似ていた。
恐ろしい、でもそれはそうか。前世、私を殺した殺人者だ。恐ろしい人物に決まっている。
私は彼から距離を取ろうと足を後ろに動かした。しかし、その離れる私の腕をジョヴァンニが掴む。彼の手が恐ろしく、腕を上下に激しく動かし外そうとしたが、指一本離れる事はなかった。逃げるなという事なのだろう。腕は痛く、前世の苦しみが思い出され、息が浅くなる。だが此処で倒れたり、泣いたりは出来ない。いや、したくない。今、ジョヴァンニに対して弱さを見せるのはどうしても嫌だ。
私は一度瞼を閉じてから目にこれ以上ない力を入れ、睨み付けた。
「私を殺したからよ!」
「クララ、君は生きているじゃないか」
ジョヴァンニは驚きもせず、笑った。そして言葉と共に私を抱き寄せる。
「死んでない、生きている」
ゼロ距離から聞こえる声に私はもがいた。ジョヴァンニもそこまで強く抱きしめていなかったからか拘束は簡単に外れ、勢いのまま私は距離を取った。掴まれていた腕を見ればほんの少し色が赤い。殺された私の首はもっと酷い色をしていただろうに。
「そうね、確かに今の私は生きている。でも、でも私は確かに殺されたのよ!」
そう、殺された。私は前世の自分の一生を覚えている。あれは夢の中の私ではない、勿論妄想でもない。紛れもなくあれは私の前世だ。
「前世よ! 私は前世! あなたに首を絞められて殺された!」
これまで苦しみを爆発させるように声を荒げる。外に護衛や侍女がいるかもしれないが、もうどうでも良かった。
「生まれ変わっても消えないの! あなたに殺された時の事が!」
顔が、目が、感情が、食い込む手が今も生々しく思い出せる。しかし、一番私を苦しめるのはそれではない。
「愛してる夫に理由も分からず殺された苦しみがずっと消えない!」
消えない、ずっと。どうして?という疑問と無念が。死んでから今までもずっと消えない。
だって死ぬ直前まで本当に幸せだったのだ。二人で食後のゆったりとした時間をただただ過ごしていた。他愛もない会話をし、笑い合っていた筈なのに。
なのに私は唐突に殺されてしまった。
笑っていた夫から笑みは消え、綺麗で大好きだった瞳は焦点が合わないガラス玉のようになった。でもその瞳の奥には向られた事がない荒々しく禍々しい感情が見え、恐ろしくてたまらなかった。
出した事がない大声を出したからか、肩が上下する。瞬きすらせず、睨み付けているとジョヴァンニの表情がスンと抜けた。
「理由?」
小首を傾げ、ジョヴァンニが表情を無くしたまま近付いてくる。
私も一歩、一歩と下がるがジョヴァンニの大きい歩幅に直ぐに追いつかれた。
壁際に追いやられ、顎に彼の指がかけられる。くい、と上げられる顔。私の瞳にはあの時と同じ顔が見えた。
「君のファーストキスが僕じゃなかったからだよ」
背筋が凍る。吐く筈の息が喉に詰まった。
「あなたも、覚えているの……?」
私の声は震えていた。動揺しているのか焦点が上手く定められない。
ジョヴァンニは小さく笑った。
「覚えているに決まってるだろう、大事な記憶だよ」
「だったら」
なら何故ジョヴァンニは平然としていられる。普通に私に接せられる?前世だとて私を殺したのに。
ジョヴァンニは笑みを残したまま、私の長い髪に指を通した。
「クララ……いやエレナは覚えてる? ファーストキスの相手を」
毛先を唇に当て、瞬きもせずに私を見る。
本当にジョヴァンニは前世を覚えている。エレナという一度も出した事がない前世の名を口にした事で確信した。しかしそれなら尚更彼の行動がわからない。彼はどんな思いで私と顔を合わせていたのか。
そして彼の言うファーストキスの相手だが、それは間違いなくディエゴだ。結婚式の誓いのキスがそれにあたる。
「何を言ってるの? あなた以外いないじゃない」
「違う」
即答され、私は眉根を寄せた。
「いいえ、ディエゴよ。結婚式のキスが私の初めてだった」
「それだったらどんなに良かったか」
ジョヴァンニは冷たく言い捨てると「わからない?」と私の毛先を撫でた。
「わからないわ」
はは、とジョヴァンニが短く笑う。声に感情は篭っておらず、だからかそれが余計に恐ろしく感じた。
私はもう下がれない壁にぴたりと張り付く。じとりと優しいと評判の瞳が人形の眼球のように私を見ていた。長い指が遊ぶように私の毛先を撫でる。
「ジョンだよ」
「ジョン……?」
私はただジョヴァンニが告げた名を繰り返した。覚えのある名だ。しかし、その名は。
「ジョンて、子供の頃に飼っていた犬?」
そう、犬なのだ。人ではない犬の名前だ。
確かに甘えん坊な子だったので顔をべろべろと舐められた記憶はある。その話を彼にしたかは定かでは無いが、きっと話したのだ。でないと知るわけがない。
でもそれが殺人動機となるか?いや普通ならないだろう。
ファーストキスがジョン?
何度でも言うがジョンは犬だ、犬なのだ。
「犬よ?」
「犬でもだよ」
ジョヴァンニの目は真剣で冗談を言っているようには見えなかった。
つまり私は幼い頃の愛犬との戯れ合いを理由に殺された?
理解しようにも理解出来ず、頭の中は疑問符だらけだ。私の浮気を疑った故の犯行と言われた方が納得出来た。まあ、ディエゴしか見えていなかったのでそんな事するわけないが。
「だから私は殺されたの?」
ジョヴァンニは迷いなく頷いた。
「僕は君を愛していたから許せなかったんだよ」
甘い声で囁く声は前世、いや今もよく聞く声色だ。前世の私が好きだった声色。優しく、包むような柔い声。しかし、今の私には狂気染みた声に思える。
私は心を落ち着かせる為に息を吸い込んだ。
「もう一度言うけども、犬よ?」
ジョヴァンニは再度頷く。そして歪に笑った。
「僕が君の初めての相手だと思っていたのに。なのに、初めて会った時にはもう犬に唇を許していたと知った僕の絶望が分かる?」
分かる筈がない。だって犬だ。
指摘したかったが寸でで止めた。それは何故か、とても驚いたからだ。
「君を殺してしまったのは衝動だった」
ぽろりとジョヴァンニの瞳から涙が溢れる。一筋から始まった涙はすぐにぼろぼろと大きい筋となり頬を濡らしていた。
前も今も彼が泣いたところを見た事がない。呆気に取られているとジョヴァンニが両手で顔を覆った。
「もう気付いたら君はぐったりしていた」
声はか細く、震えていた。それはそうか、泣いているのだから。
もしかしたら彼の脳裏には当時の私が横たわっているのかもしれない。しかし、震える肩を見ても支えようとは思わなかった。
「殺すつもりなんてなかった。でも僕は君を嫉妬から殺してしまった」
頭を抱えるように俯いたジョヴァンニは覚束ない足取りで後退した。
これは距離を取るチャンスかもしれない。壁につけた体を離し、逃げる場所を探す。
しかし冷静に考えれば無理な話だ。彼がそれを許す筈もない。バッと勢いよく顔を上げたジョヴァンニと目が合う。にこりと笑むジョヴァンニ。反対に私の口端は引き攣った。
「でも僕は同時に気付いたんだ。来世、つまり今だね。来世まっさらな君とまた結婚しようって。僕しか知らない君を作ろうって」
何を言っているのか半分も理解が出来ない。困惑する私を尻目にジョヴァンニは恍惚な表情で話し続けた。
「だから禁忌とされている魔術を使って、来世も君と出会えるようにしたんだ」
抱き締められる程の距離まで近付くジョヴァンニ。三日月型の瞳に私の顔が映っている。彼に私はどう見えているのだろう。少なくともジョヴァンニの瞳に映る自分は引き攣っていた。
ずっと恨みから殺されたのだと思っていた。そうでなければ人なんて殺さないと思っていたから。
だが実際は私のファーストキスが自分でないから殺した彼は言う。
意味がわからない。全く分からない。途端にジョヴァンニという男が分からなくなった。
復讐の相手だったから憎しみを持っていた。しかし今は憎悪よりも恐怖の方が強い。それは理解不能による恐怖だ。
引き攣った喉がキュルルと気の抜けた音を出す。くすりと笑ったジョヴァンニが私の後頭部に手を伸ばし、抱き締めた。
「幸せだよ。また一緒に暮らせて。今度はお互い皺くちゃになっても一緒にいよう。あ、でももう薬はやめてほしいかな。お腹痛いのは辛いから」
全て、全てジョヴァンニは知っていた。それなのにずっと私に愛を囁いていたのは……
(私を愛していたから……でもこれが愛? こんな恐ろしいものが? いや、違う! こんな狂ったもの愛じゃない!)
ジョヴァンニが触れている場所から鳥肌が立っていく。それと同時に呼吸が浅くなる。
初めて彼の愛が怖いと感じた。
ずっと何故私を殺したのだろうと疑問に思っていた。知ればこの復讐心も落ち着くのではないかと思っていた。
確かに復讐心や憎悪は無くなった。もうこれっぽっちもない。
代わりに芽生えたのは確かな恐怖。私への歪な愛と執着が彼への感情全てを塗り潰した。
「離縁してください」
だからだろう、するりと抵抗なく言葉が出てきた。
私の願いにジョヴァンニは抱き締めていた体を少し離す。理解出来ないというように小首を傾げた。
「嫌だよ」
「私も嫌です。もう一緒に暮らすなんて」
私は力一杯ジョヴァンニを突き飛ばす。
そんな狂気を孕んだ人ともう暮らしていける気がしない。寧ろ今までよく暮らしていたと思える。
距離を取る私を見ながら、ジョヴァンニは溜息を吐いた。
「仮にだよ、離縁しよう。でも、どうせ来世も夫婦になるんだよ?」
「は?」
意味が分からず、間抜けな声が出る。
来世も一緒とはどういう意味か。意味が分からない。分かりたくない。
ぐらり。
まるで幼子に言い聞かせるような声が鼓膜を揺すった。
「僕の魂と君の魂を対にしたんだ。だから来世でも近くに生まれるし、結婚もする。離縁なんて意味ないよ」
ジョヴァンニの言葉に気が遠くなる。
一体どういう事だ。そんな事が出来るのか、いや今世を考えると出来るのだろう。じゃあ、本当に私はジョヴァンニから逃げられない?
ふっ、と体から力が抜ける。白くなった視界でも倒れた体を支えたのが誰なのか嫌でも分かった。
「ずっと一緒だよ、ずっとね」
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