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降り続く雨音が気に障る。
母を不快にさせてしまったこともあり、このままリビングに留まる気も失せてしまう。
部屋にこのまま戻ろうと腰を上げた、と同時に、片づけていない食器が目に入った。
——洗っておくか......。
小皿とマグカップを手に、キッチンへ向かう。
洗剤をたっぷり泡立てて、シンクにある食器を洗い始めた。
わたしが使った食器以外に、母が使ったものも一緒に洗う。
いつもなら母が洗い物もせずに外出することはない。余程焦って出掛けたのだろう。
アルバムが目立つ所にあったのもそのせいかもしれない。
母はフルーツを食べたようだ。果物ナイフがシンクに置いたままだ。
シンクの中が泡にまみれ、レバーを倒して水を出す。
蛇口から流れる水音と、外の雨音が重なって、ますます心がささくれ立つ。
つっ!
流れる水に、鮮やかな赤が混ざる。
泡で隠れて、果物ナイフの刃に気づかなかった。
指先の怪我は大したことがなくても妙に痛むし、血が止まりづらい。
慌てて洗い物を済ませ、指先の手当てをする。
絆創膏から、じんわりと血が滲み出す。
背中の痣も、もし傷だったら、こんな風に血が滲み続けるのだろうか......。
何を考えているのだ、自分は。あの本を手に取ってから、ずっと頭の中がおかしい。あれが、わたしをこんな思考へと追い込んでいるのだ。
はぁ、まったく今日はついていない......。
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部屋に戻り、ベッドに向かう。
ごろりと仰向けに寝転がり、両手を広げた。
痛っ!
先程切った指先が壁に当たってしまった。
本当に、自分は何をしているのだろう。
手元にカバンを引き寄せ、例の本を手に取る。
最後まで読む気も起らず、昨夜はそのまま寝てしまった。
結局、返すことも出来ず手元にあるのだが、どうしたものか。
触ると何故か冷やりとする臙脂色の表紙。
指先から滲む色と同じだ。
あっ、いけない......。絆創膏から少し血が。
本についてしまったのではと焦ったが、表紙の色が色である。
薄暗い部屋の中では、はっきりしない。
——まぁ、いいだろう。返す時に謝ることにしよう。
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雨音がする。
さっきより大きい。これは土砂降りか? 遠くで雷鳴も轟いている。
って、ここはどこだ。
わたしはさっきまで自室のベッドにいたはず。
何故、わたしは外にいる?
目の前に広がるのは森なのか。随分と木々が鬱蒼と茂っている。
水に濡れた草木の匂い。生臭く、そして土の何とも言えない腐臭も合わさり、かなり不快だ。
木々の間から、上から水が落ちてくる。肌に張り付くような重い水滴が、容赦なく体を濡らしていく。
鬱蒼と茂る葉を伝うように落ちる水は、雨とはまた異なる不思議な落ち方をしていた。
何故かわたしはこの森の中を傘もささずに歩いている。
濡れた草を踏むたびに、ぬるりと滑るような感触がある。
激しく降る雨音の割に、葉陰から落ちる不規則な雨音は不協和音のように響く。
こんな天候の中、わたしは何処へ向かっているのだろう。
森を抜けた先に灯りが見える。
ロッジといえばいいのか。避暑地や人気のキャンプ場にありそうな丸太造りの建物だ。
建物を目にし、わたしは足早になっていた。
どうやらわたしはそこを目指しているらしい。
森を抜けて、ふと気づいた。
ああ、傘をさしていないのではない。させないのだ。
片手にずっしりと重い大きなカバン。もう片方には小さな子供の手が。
その手を決して離すまいと、固く握りしめているから、傘をさすことなどできやしない。
雷鳴が近い。
森の中も暗かったが、森を抜けても雨と雨雲で夜闇と変わらない。
ロッジの灯りが目立つ分、闇が強調されてしまう。
雷鳴と雷光が交互に繰り返される。
その瞬間の光で周りが一瞬だけ見渡せる。
繋ぐ手の先——子供を見れば、それはわたしだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
ホラーと呼ぶべきか迷いますが、もしこのような不穏な話に興味がおありでしたら、下記の作品もぜひご覧ください。
『あるかなの戯言』ep.4 恐怖と安堵の狭間 https://ncode.syosetu.com/n3238kb/4/