Veritas
構成練るの楽しくて思ってた5倍かかっちゃった
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母さん!見て、星がいーっぱいっ!
ねえ、母さん?
……なんで、泣いてるの?
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第1話:Veritas ―真実―
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「今日もバイト疲れたなぁ〜」
いつも通りの駅前のロータリー。
学生、サラリーマン、買い物帰りの主婦たちが行き交う。
オレンジ色の夕陽が、ガラスのビルに反射して、静かに沈んでいく。
誰もが黙って歩いている。
それぞれが、それぞれの日常に帰っていく──この“空気”が、僕は好きだった。
久遠 真価、17歳。
中学卒業後すぐ、親に勧められてアメリカに留学した。
正直、期待なんてしていなかった。むしろ、断るのが面倒だっただけ。
でも、行ってみて分かったことがある。
僕は、日本が好きだったんだってこと。
ニューヨークは自由で、派手で、刺激的で、どこか“全部がぶっ壊れてる”感じがした。
電車はしょっちゅう遅れる。3時間待ったバスが結局来なかったこともあった。
日本のようなコンビニもなければ、ラーメンは一杯3000円。
最初は「これが海外か」と思った。
でも慣れるどころか、どんどん心が擦り減っていった。
そして、日本の音、日本の味、日本の優しさが恋しくなった。
帰国の日。飛行機の窓から見た東京の街は、
僕にとって“世界でいちばん安心できる景色”だった。
あまりにも懐かしくて、あまりにも綺麗で、
気づいたら涙が止まらなかった。
「ああ、帰ってこられたんだ」
そう思った瞬間、何かが弾けた。
──でも、現実はそんなに甘くない。
僕はいま、高卒認定のための塾に通っている。
正直、もう学ぶべきことなんてほとんどない。
じゃあ、なんで通ってるのかって?
親が、安心するからだ。
うちは、父親がかなり厳格。
「筋を通せ」「恥ずかしいことをするな」「周りに迷惑をかけるな」
正しいけど、正しすぎて、どこか人間味がない。
母は優しい。
でも、その優しさがたまに重くなる。
「心配だから」「何かあったらすぐ帰ってきてね」「危ないことはしないで」
僕は“自由”がほしかった。
その反発心だけで、学校を勝手に辞めて帰ってきた。
今思えば、親不孝だと思う。
でも、そうするしかなかった。
そして今、僕はその“贖罪”として塾に通ってる。
勉強は簡単すぎる。
退屈だけど──僕は行く。
「家族のため」
その理由だけで、今の僕は動いている。
でも、本当はそれだけじゃない。
僕は、ずっと考えてる。
「この国は、このままでいいのか?」
日本は、世界の中で見れば、奇跡みたいに整った国だ。
物価が安くて、人が親切で、安全で、勤勉で──
でも、だからこそ“変わる必要がない”と思われてしまっている。
その空気が、怖い。
最近はずっと、政治のことを考えてる。
僕の考え方は──周囲とは少し違うかもしれない。
小学生のとき、父に買ってもらった本があった。
《国家主義とリーダー論》
そのときから、僕は“個より国家”という考えに惹かれていた。
国家という大きな存在が、個人を導く。
リーダーの存在が、国民を一つにする。
日本のような議会制民主主義では、誰も本気で責任を取らない。
全員が「空気」を読みながら、少しずつ流されていく。
それが、怖かった。
でも、こんな話を友達にしたら──たぶん、引かれる。
だから僕は、友達とは政治の話をしない。
バイト先の仲間や、昔の同級生たち。
「最近どう?」「ラーメンまた行こうぜ」「バイト先変えた?」
そんな話をしてると、自然と笑える。
その時間は、心から楽しいと思える。
でも、そこには“本当の自分”はいない。
一方で、ネットには僕と似たような思想を持つ人たちがいる。
SNSで繋がった、政治志向の強い友人たち。
オンラインでは、政治の話がいくらでもできる。
でも、誰も“現実”を動かそうとはしない。
「今の日本は終わってる」
「このままだと若者の未来はない」
「やっぱり国が悪い」
言葉は多い。でも、行動はゼロ。
そんな人たちと話していると、
「自分も何もしてないな」と気づかされる。
いや、してないどころか、逃げてるんじゃないか?
ネットで主張だけして、現実は何も変えていない。
口ばっかりで、何ひとつ行動していない。
「このままじゃ、俺も同じになる」
その恐怖が、最近はずっと心に居座ってる。
何かを変えたい。でも、何をどうしたらいいのか分からない。
……でも、何かは絶対に、おかしい。
駅のホームに着く。
電車が静かに入ってきて、僕を塾へと運ぶ。
窓の外、日が暮れていく。
夕焼けと街灯が混ざるこの時間帯が、僕は好きだ。
何もかもがリセットされる気がするから。
だけど、心の中に沈殿した無力感は、消えてくれなかった。
電車が滑るように駅に到着した。
僕は人の流れに逆らわないようにホームを歩き、改札を抜ける。
この時間帯の塾周辺は、どこか静かで、少しだけ寂しい。
同世代の高校生たちは、部活を終えて友達と遊びに行く頃だろう。
制服の学生がはしゃぎながら駅前を通り過ぎていくのを、横目で見て通り過ぎる。
彼らの会話に混ざることは、もうない。
塾までは歩いて5分。
コンビニを曲がり、薄暗い裏通りを抜けた先の小さなビル。
その4階にあるのが、僕が通っている高卒認定の塾だ。
エレベーターはない。階段を登るたびに、靴音がやけに響く。
ドアを開けると、誰も声を出さない静かな教室が広がっていた。
個別ブースの机と、数人の講師。
それぞれが黙々とプリントに目を通し、誰にも干渉しない。
この雰囲気は、少しだけ好きだ。
話さなくていいし、誰かに合わせなくてもいい。
「真価くん、今日は社会だね。模擬テスト、昨日配ったやつやってもらえる?」
「はい」
渡されたプリントを手に取り、空いているブースに座る。
問題を開いた瞬間、数秒で分かった。
簡単すぎる。
思考を巡らせるまでもない。選択肢を見た時点で答えが浮かぶ。
「──こういうの、もう必要ないよな」
心の中でつぶやく。
じゃあ、なぜここにいるのか?
答えはひとつしかない。
親に、安心してほしいから。
家を出るとき、母は必ず「いってらっしゃい」と声をかける。
今日も朝食を作ってくれて、駅までの交通費を財布に入れてくれていた。
父は会話こそ少ないが、「勉強、手を抜くなよ」とだけ言って背を押してくれる。
本当に、ありがたいと思ってる。
でも、その“普通”がどこか苦しかった。
「大丈夫だよ」と言い返せない。
「僕は僕のやりたいことがある」とも言えない。
今の僕は、ただの“親に従ってる子ども”だ。
そしてそれが、たまらなく情けなかった。
30分で、プリントを解き終えた。
見直しをして、誤答を探そうとしても、そもそも間違っていない。
ペンを置いてから、ぼーっと天井を見つめる。
「このまま、普通に大人になるのかな」
思った瞬間、胸の奥がざわついた。
普通って、なんだ?
大学に行って、就職して、結婚して、家を持って──
そういうのが“普通の幸せ”だって、誰が決めた?
この国の“普通”は、空気を読むことで成り立っている。
誰も波風を立てないことが“正義”で、出る杭は徹底的に叩かれる。
それで本当に、国がよくなるのか?
さっきの電車の中でも、ふと思った。
もし今、日本に「本物のリーダー」が現れたとして、
果たしてこの国はその人物を受け入れられるのか。
──たぶん、無理だ。
議会制の仕組みがそれを拒み、
国民の“空気”がそれを封じ、
メディアがその熱意を笑いに変えてしまう。
変わらないことが、この国の“安定”ならば、
変えようとする意志は“異物”になるしかない。
僕は、異物になりたかった。
でも、それができるほど強くはない。
そうやって、またペンを握るだけの日々を繰り返している。
「終わった?」
講師が声をかけてきた。
「はい。たぶん全問正解です」
「だろうな〜。君、どこかで勉強してた?」
「アメリカにいました。高校を途中で辞めて、日本に戻ってきたんです」
「あぁ……そっか。で、日本の“退屈な勉強”に苦しんでる、と」
「まあ、はい……正直、そうですね」
「でも偉いよ。戻ってきて、ちゃんとやろうとしてる。俺だったら逃げてるかも」
講師のその言葉に、真価は苦笑した。
「僕も逃げてますよ。いろんなものから」
講師は「そうか」とだけ言って去っていった。
その背中を見ながら、心の中でまた何かが揺れる。
「何かを変えたい」──その思いがあるのに、動けない。
動けないまま、日常に溶けていく。
このまま、僕は埋もれていくんだろうか。
ふと、スマホの通知が震えた。
“Discord:投票をしたいと思わせない政府が悪いわ笑”
通知を見ただけで、吐き気がした。
そこにいる人たちは、僕と同じことを語る。
でも、誰も外に出ようとしない。
どれだけ言葉を並べても、誰も社会を動かせない。
「なら、俺は何のためにここにいるんだ?」
自分でも分からなかった。
静かな教室の空気が、やけに重たく感じた。
そろそろ塾が終わる時間だ。
僕はプリントを提出し、荷物をまとめた。
階段を下りていく途中、ふと窓の外に目をやる。
夜の街が、ぼんやりと静かに光っていた。
この街のどこかで、誰かが泣いていて、誰かが笑っていて、
誰かが怒っていて、誰かが誰かを守ろうとしている。
なのに、僕は──何もしていない。
塾を出た瞬間、空気が変わったように感じた。
微かに湿気を帯びた夜風が、肌を撫でる。
目を閉じた。
何かが、胸の奥でうずいている。
このままでは終われない──
でも、どうすればいい?
まだ分からないまま、僕はゆっくりと帰り道を歩き出した。
塾の自動ドアが閉まる音が背後に消えていく。
駅までの道は来たときよりも暗く、ひっそりと静まり返っていた。
街灯の明かりは弱く、地面に映る自分の影がゆっくりと揺れている。
空には星ひとつ見えない。
けれどその静寂のなかに、妙な緊張があった。
真価はゆっくりと歩きながら、スマホを取り出す。
通知は3件。全部、Discordの政治サーバーからだ。
『選挙制度を変えるにはどうすればいいのか』
『最近の首相発言まとめ』
『国民に何ができるか』
指先が止まる。
何も変わらない。
言葉だけじゃ、何も届かない。
みんな主張してる。でも誰も動かない。
画面の向こうで拳を振り上げても、社会は一歩も動かない。
そして──僕自身も、動いていない。
「このまま何もできずに終わるのか?」
誰にも聞こえないように、吐き出すようにつぶやく。
そう思ったときだった。
路地の向こうから、叫び声が聞こえた。
「やめてくださいっ!」
反射的に顔を上げた。
狭い裏通り。
コンビニの裏手のような、車も通らない静かな道。
その先に、2人の男と、1人の女性。
女性は道端に追い詰められ、背を壁につけていた。
男のひとりが彼女の腕を掴み、もうひとりは笑いながら口を開く。
「なあ、ちょっとだけ話聞くだけでもいいからさ〜」
「俺ら暇つぶししたいだけだから。ね?」
女性は震えていた。
声を出しても、誰も助けに来ない場所だった。
真価の足が止まった。
心臓が、脈打ちを早める。
助けなきゃ。
──でも、無理だ。
自分には、そんな勇気はない。
怖い。
きっと殴られる。
下手すれば、刺されるかもしれない。
助ける理由なんて、僕にはない。
だけど。
そのまま目を逸らして通り過ぎたら──
僕は、「意見も行動もできない日本人」と何が違う?
いつも政治を語って、国家を語って、「変えなきゃいけない」って言ってた自分。
何もできず、見ないふりして通り過ぎるなら──
そんな自分こそが、一番ダサい。
足が勝手に動いていた。
「やめた方が、いいと思います」
震える声だった。
でも、確かに言った。
男たちが振り向く。
ひとりが露骨に苛立った表情で睨んでくる。
「あ?なんだてめぇ」
「は?正義マン?お前に関係ねーだろ」
ぐいっと肩を押された。
心臓が跳ねた。
恐怖が喉を塞ぐ。
「す、すみません……」
声がかすれる。
踵を返して立ち去ろうとした瞬間──背中を強く突き飛ばされた。
地面に膝をつく。
顔を上げたその瞬間、頬に衝撃。
すぐに腹を蹴られる。
「ヒーロー気取りが、マジでウゼぇんだよ」
「無力のくせに、出しゃばんなや」
彼らの言葉が、心に突き刺さった。
──悔しかった。
情けなかった。
そして、何より……自分自身が、許せなかった。
後悔するくらいなら、最初から動くな。
でも、動いた以上は、信じろ。
その正義は──間違っていない。
怒りじゃなかった。
憎しみでもなかった。
ただひとつ。
「自分の正しさを貫くために、誰かを消す」
その思いが、胸の奥で形を持った。
その瞬間だった。
視界が、真っ白に染まった。
耳が、破裂するような音を聞いた。
空気が圧縮されたように、すべてが沈黙した。
次の瞬間──男たちの上半身が、霧のように吹き飛んだ。
彼らの腰から下だけが地面に崩れ落ちる。
瞬時に、血の匂いが辺りに満ちる。
後ろにいた女性と、その背後のコンクリート壁も……なかった。
そこには、蒸発した跡だけが残っていた。
真価の瞳は、全身の震えとともに現実を見つめていた。
これは──夢じゃない。
自分が、やった?
そんな馬鹿な。
何もしてない。
声を出しただけで、あとは……蹴られただけ。
でも、目の前の光景は、何もかもを物語っていた。
自分の中に、何かがいるのか?
本能が、叫んだ。
逃げろ、と。
ここにいたら、誰かに見つかる。
辺りを見渡す。誰もいない。
防犯カメラの赤い点も、近くにはない。
咄嗟にパーカーのフードを深く被り、スマホを手にして平然を装う。
それでも歩幅は自然と速くなる。
早歩き。
できるだけ普通に、だけど確実にその場を離れる。
背後で何も動いていないことを確認して、曲がり角を2回。
玄関に着いたとき、ようやく呼吸が少し落ち着いた。
ドアを開けて、閉めた瞬間──膝から崩れた。
背中に汗が滲んでいる。
鼓動がうるさい。
手のひらが、少し焼けるように熱い。
でも、どこも傷ついていない。
ただひとつ──何かが、いた。
「俺は、人を……殺した」
その言葉を、声に出すことはできなかった。
けれど、脳裏にはっきりと刻まれていた。
あの感覚。あの瞬間。あの“力”。
間違いなく、それは──自分の中から出ていた。
玄関の隅に、母のスリッパが揃えられていた。
優しい匂いがした。
自分を育ててくれた家。
何度も喧嘩して、それでも守ってくれた両親。
ここに帰ってきたかった。
だから、戻ってきた。
──なのに。
(俺は……どうなってしまうんだ)
何も分からないまま、
ただ静かに夜が降りていく。