61話 トラブルはいつも不意打ちで
チャンピオンが勝利して高々と右手を掲げると、大歓声が上がって会場が揺れた。
直哉も感極まって立ち上がり、歓声を上げながら拍手した。
「いやあ、凄い試合だったね」
「ええ、そうですね。
では試合も終わった事ですので、商談相手の所へ向かいましょうか」
「ちょっと待って。その前にトイレに行ってくる」
「相手を待たせてしまう事になる。我慢できないのか?」
「ゴメン……試合中から我慢していたんでどうしても我慢できない。
トイレはすぐそこだし、すぐに戻って来るからさ……」
「分かったよ……早く戻ってきて欲しいけど、握手するんだからきちんと手を洗うんだよ」
「オレは幼稚園児かっ!」
秘書の過保護さに辟易しながら直哉はトイレへと向かった。
試合が終わったばかりで帰る客や直哉と同じようにトイレへ向かう客だらけで会場の外は混み合っていた。
それでも何とか漏らす前に用を足すことが出来たのだが、すっきりしてきた所で視線を感じた。
隣で用を足している青年がじっとこっちを見ていたのだ。
長い黒髪に黒縁の眼鏡をかけた青い瞳の青年。
たまたま目が合っただけかと思い、一度視線を逸らしてからもう一度青年の方へと顔を向けると、やはり直哉のことを見ていた。
少し不気味だったのだが、どうして見ているのか気になって直哉は青年に話し掛けた。
「あの、何か用ですか?」
「……いや、良い顔をしているなと」
「……それはどうも」
「キミの顔がとても好きになった。見ていられるだけでも幸せだ。ファンになったと言ってもいい。良ければ名前を教えてくれないか?」
「あっ!すいません、人を待たせているので!」
直哉は話し掛けたことを後悔しながら、その場から逃げ出した。
(まさかその手に人間だったなんて、誰彼構わず気軽に話し掛けるもんじゃないな)
味わったことのない恐怖から少しでも離れたくて、直哉は全速力で走った。
「ふぎゃっ!」
「な、なんだっ!?」
しかし、後ろばかり気にして走ったためにトイレに入ろうとした子供と接触してしまった。
体格差と走っていた勢いで子供を突き飛ばして転ばせる。
すぐに気付いた直哉は子供に手を差し伸ばした。
「す、すまん。大丈夫か?」
「ふえっ、びえぇぇぇん!」
「大丈夫ですか、坊ちゃん!」
子供は泣き出し、傍に付いていたであろう黒服の男が駆け寄って来た。
服装などを見るに子供は裕福で、駆け寄って来たのは護衛だ。
「申し訳ない。完全にこちらの不注意だった」
「気を付けろっ!坊ちゃんに何かあったら、貴様タダでは置かんぞ!」
「そ、そんなに怒るほどのケガではないだろ。
ポーションや回復スキルがあるんだし、泣き喚けるんなら命に別状はないよ」
「貴様っ!ぶつかっておいてその態度は何だ!
この御方はDSF運営役員アレクサンドル・マッコー様のご子息レイノルド・マッコー様だ。
傷や後遺症が残ればどうなるか分かっているだろうな!」
「ううっ……」
護衛の剣幕に少し押されたが、直哉にとってこれくらい問題ない。
体力を取られるがレッドに頼めばアイテムを生成することが出来る。
ポーションくらいならいくらでも生み出せるのだ。
「分かった。こちらの非を認めて回復薬を差し出す。それでいいだろ?」
「回復薬だと?まさかポーションを出すわけじゃないだろうな?」
「たんこぶくらいならポーションで充分だろ。他に何を出せって言うんだ?」
「それは勿論エクスポーションだ」
「ふざけるなっ!」
流石に直哉も護衛の傲慢な言い様に怒りを露わにした。
レイノルドを怪我させて泣かせた責任は確かに直哉にある。
しかしそれで一財産ほどの価値があるエクスポーションを用意しろとは、恫喝もいいとこだ。
直哉なら用意するのは簡単だが、こういった手合いに少しでも弱みを見せれば骨までしゃぶり尽くされる。
それを直哉は、警察と日本ギルドに不当とも言える契約書を書かされかけた経験から学んでいる。
そもそもこの子供が本当に役員の子供かも怪しく見えて来た。
だが、泣いている子供を前に大人げない真似は直哉に出来ない。
(レッド、頼む)
(あまり甘やかすのはどうかと思います、マスター)
(そうは言うが目の前で子供が泣いていて、しかも観客の目がある所だ。
これを無視してこの場を去るわけにはいかないだろ)
(人間は面倒ですね)
憎まれ口とため息を吐きながらも、レッドは直哉のお願いを聞いてポーションを作り出した。
主人に似て甘いのはレッドも同じであった。
「レイノルド君、痛い思いをさせてごめんな。
でも、このポーションを使えば治るから許してくれよな」
護衛がまだ強い口調で何か言っているのを無視して、直哉はレイノルドに駆け寄りポーションを差し出す。
レイノルド少年はポーションを見て泣き止み、直哉の顔を見た。
「お兄ちゃん、これくれるの?」
「ああ、これを使ったら痛いのなんてすぐに治まるからな」
レイノルド少年はもう既に泣き止んで、ポーションなんて必要ないほど笑顔で元気だった。
やはり回復薬なんて必要無い程度のケガだったが、結果的に泣き止んだのだからこれが正解だ。
これで解決……するかと思いきや、主人に似ているのはレッドだけではなかった。
「じゃあ、その腕輪も一緒に頂戴。悪いと思っているならくれるよね?」
「えっ?」
「それをくれるなら許してあげるよ」
レイノルド少年が指差したのは直哉が付けているファイアリングの腕輪。
魔法を使えるようになる腕輪で、値段を付けるならエクスポーションなど優に超える。
がめついのは護衛だけでなくこの小さな少年もそうだったのだ。
むしろこの強欲な少年に比べれば、護衛の方がまだ可愛げがあった。
「いや、これは魔法のアイテムだからあげられないんだ」
本当はダンジョン外でも使えるのが渡せない一番の理由だが、そんな事を話せば力尽くでも奪いに来るかもしれない。
傷ついた健気な少年ならばともかく、強欲でわがままな少年にこれ以上付き合う理由はない。
(笑顔を見せているんだから、この場を離れても良さそうだな)
レイノルド少年にポーションを押し付けて立ち去ろうとする直哉の前に、護衛が立ちはだかる。
いつの間にか護衛の数が4人に増えて、直哉を囲むように陣取っていた。
「……どいてくれないか?そこに立たれると席に戻れないんだ」
「ふざけるなよ。ポーション一つで行かせる訳が無いだろ。
坊ちゃんが言った様にその腕輪を渡すんだ。そうすれば行っても良い」
「そっちこそふざけるな!
魔法のアイテムはエクスポーションよりも価値があるんだ。渡せる訳が無い!」
一色触発、すぐにでも戦闘が始まってもおかしくない状況。
直哉はショックウェーブの腕輪を付けた片手に意識を集中する。
レイノルドの護衛が動けば、直哉はすぐにでも魔法を発動するつもりだった。
その状況を打開したのは一人の青年。トイレで直哉を凝視していた変態青年だ。
青年が現れて直哉の横に並ぶと護衛の4人は驚いて一歩下がり、一色触発だった雰囲気は霧散した。
「ヌル、あんたがどうしてそいつに肩入れするんだ?」
「この子のファンになった。手出しは無しだよ……いいね?」
「ぐっ……」
ヌルと呼ばれた青年が軽く言葉を発すると護衛達は苦虫を噛み潰したような苦しい顔をして、レイノルド少年を連れて去って行った。
レイノルド少年は大声を出して暴れていたが、護衛はそれを宥めるだけで少年のワガママに聞く耳を持つ気はなかった。
「ありがとう……でいいのかな?」
「どういたしまして、お気になさらず」
「礼をしたい気持ちはあるけど、これから大事な用があるんだ。
申し訳ないけど先を急いでいいか?」
「ええ、お気になさらずに……」
「すまん、ありがとう」
ヌル青年に頭を下げて麗華達の元へと急ぐ直哉。
先を急ぐあまり直哉は気付いていなかった。
ヌル青年の目は常に直哉を捉えて不敵に笑っていることを。




