抗えぬ、敵意。
守人の里の『修行』は、実技が多い。
最低限の知識も得るが、それ以上に身体を酷使した実技の訓練が多かった。
長がそれを取り仕切り、蒐たちのような子供が長の言うように修行する。長のようにできるようになるまで。
それは獲物をとることだったり、小道具を使いこなすことだったり、瞬発力を鍛えるものだったりと様々だった。
その日の修行は、「対戦」だった。
「勝敗を判する者と、対決する者の3人で組め」
長はそれだけ言い残して、祠に帰っていった。
残された子供たちは、長の言うように3人組をつくり、それぞれのペースで対戦を始めた。
無論、蒐は渫と、そして町からたまたま帰ってきていた籥と組んだ。
「オレ、おもしろいところに帰ってきたな。まさか今日がそんな修行だったとは」
イタズラっ子のように笑いながら、籥は当然のように蒐と渫のもとに来た。彼らも当然籥と一緒に対戦する気でいる。
「ねぇねぇ、籥!!どこで対戦する?!森の中がいいかな?!」
すでにわくわくしたようすで蒐は籥に尋ねる。蒐は籥と対戦するのが好きだった。
いつもはふらふらとしている籥だが、いざ戦闘モードに入ると、空気が変わる。
つかみどころのない空気は鋭利なものになり、蒐にぞくぞくとした高揚感を与える。
それは籥も同じなようで、彼らは修行であろうとなんであろうと、出会えば刃を交えることが多かった。
だから、今回も蒐は籥とどこでどう戦うか、楽しみにしていた。
本気で戦うふたりは、いつだって一歩間違えば死ぬかもしれない戦い方をしていた。加減を間違えれば、きっとその先に待つのは死。
そんな危険な「おふざけ」すら、蒐はぞくぞくして楽しむだけだ。
「だめだ」
「え?」
けれど、その日の籥はきっぱりとそう言った。
「だめって・・・なにが?」
「今日は、蒐とは戦わないってこと」
イジワルそうに、にやっと籥は笑った。こういうときの籥は、なにかを企んでいる。
「え~なんで?!じゃぁ、俺と姉さんで戦うの?」
あまり気乗りしない様子で言った蒐の頭を、籥は小突いた。
「なんで蒐は戦うこと前提なんだよ。ちがうよ、オレと渫で戦うんだ」
「えぇ?!」
驚いた声をあげたのは渫だ。てっきり籥と蒐で戦って、渫は審判役だろうと思いこんでいたので、思わぬ籥の申し出にいち早く驚きの声をあげていた。
「だって、蒐とは修行の場じゃなくても戦うしな。せっかくの機会だから、渫とも手合わせしたいんだよな。どうよ、渫?」
見返してくる優しい大らかな籥の瞳に、思わず渫も警戒なく首を縦に振ってしまう。
「・・・・・・まぁ、いいけど」
「え~ずるーい!!俺も戦いたい~!!」
「今日は蒐が審判。ちゃんとどっちに勝敗あがるか見ておけよ?」
駄々をこねる蒐を一蹴して、籥は小刀を手に構える。
すでに戦闘に向けて構え始めた籥の様子に、とうとうあきらめた蒐が、これだけは、とつぶやいて籥に言い放った。
「籥、くれぐれも姉さんを殺さないでよ?怪我もなるべくはさせないでね?」
「・・・・・・おまえ、どんだけシスコンだよ・・・」
「ん?なに?」
「・・・なんでもない。・・・ま、それは渫次第だな」
そう言って、籥は渫に視線をよこす。
「渫、オレを殺すつもりでかかってこいよ?じゃなきゃ、渫がやられるぜ?」
そう忠告する籥の瞳には、すでに火がつき始めている。渫もそれに怯むことなく見返した。
「おあいにく様。あたしは殺すつもりはないわ。でも、大事な利き腕が使い物にならないように気をつけてね」
程よく互いの視線に火花が散ったところで、対戦が始まった。
審判をまかされた蒐は、動き回る籥と渫の動きを絶え間なく目で追っていた。
籥は、蒐や渫よりも年上で、重ねた修行の頻度も異なることもあり、やはり強い。
だが、渫も弱いわけじゃない。
むしろ、「殺さず」を貫き続けているがゆえに、強い方かもしれなかった。
こうして今、籥が俊敏に攻撃を繰り出していても、危なげなく渫は交わす。
加え、日々改良を続けている怪しい薬を惜しみなく攻撃として振りまいている。それは眠り薬だったり、しびれ薬だったり。
かろうじて籥は交わすが、籥がかぶらなかった薬はもれなく傍を通りがかっていた哀れな獣たちに降りかかり、その薬の効果を見せていた。
「・・・あんなに薬をつくって、渫はいったい、将来なにになりたいんだ?!」
鋭く刀を突き出しながら、呆れた声で籥は彼女に尋ねる。
「あら、ここは『守人』を育てる里よね?」
籥の刀を、渫の小柄な刀が受ける。攻防は一向に進まないかと思われた。
だが。
「そうだ、ここは『守人の里』。・・・・・・だから、こうなることも、あるんだぜ?」
瞬時に、籥の気配がぞっとするほどの殺意に変わり、懐から飛び道具が渫に向かって投げられた。
とっさのことに、渫はかろうじて避けるが、気付けば自分の間合いに籥が飛び込んでいた。
「ひとつのことにしか集中できないのは、命取りになるぞ?」
忠告と共に、殺気を帯びた籥が手に握っている刀を振り上げる。
――――――――――殺される。
そんなわけないのに、渫はそう思った。
そう思えるほど、籥の殺気は本気だった。
悪あがきに両腕を顔の前に構え、両目を閉じたそのとき―――――・・・・・・。
「・・・?!」
渫の背後から、籥の殺気よりもさらに強い殺気が感じられた。
まるで、猛獣のような、殺気。
「・・・・・・っ!!」
籥もそれを感じ取り、すぐに渫の間合いから離れる。
「・・・・・・蒐!!なに考えてるんだ!!」
「・・・姉さんを傷つけるやつは、許さない」
渫の背後から、低い声で蒐がそう言うのが聞こえた。渫はあまりの殺気に身動きすらとれない。
これが、蒐の声?!蒐の気配だというのか?!
「・・・・・・わかったわかった。今日はこれでおしまいでいい」
ふっと籥は気配を戻して、両手を挙げた。
籥の気配が戻ると同時に、蒐の気配も戻った。穏やかな、気配に。
「だってさ、籥。俺、言ったよ?姉さんに怪我させないでね、って」
「それとこれは違うだろ・・・・・・」
いつもと変わらぬ、太陽のように明るい笑顔で、甘えてくるようにやってきた蒐に、籥も呆れ顔で答えた。
だが、内心はそんな場合ではなかった。
対峙した、あの気配、殺気。
いつものおふざけの対戦では、見たこともないほど激しいもの。
視線で殺すことさえできるのはないかと思うほどのその気配と視線に、思わず籥は身を退けるしかなかった。
あのとき感じたのは、間違えなく命の危険。
背筋が凍る、とはまさにあのことだった。
瞬時に変貌した蒐の気配に、籥は気付かなかった。むしろ、渫のうしろにまわっていることすら。
恐怖。
そう、まさに恐怖だった。
まだ手が震えている。
「どうしたの、籥、怪我した?」
黙り込んだまま立ち尽くす籥を心配するように、蒐が見上げてくる。
今の蒐からはあの気配は微塵も感じられない。想像もできない。
にこにこと笑うその笑顔は、いつもと変わらず、優しいのに。
「・・・・・・いや、なんでもないさ」
それだけ返すと、渫と目が合う。渫もまた、少し顔を青くしてその場に立ち尽くしている。
「・・・渫」
「・・・・・・籥、あたし、蒐の気配が・・・・・・」
「わかってる。・・・・・・あいつは、もしかしたら『本物』かもな・・・」
意気揚々と祠に帰っていく蒐の背中を見送りながら、籥はつぶやく。
あの敵意と殺意。向けられた相手はきっと死ぬまで忘れることはできまい。
籥は、まだ震える自分の手を嘲笑して眺めた。
自分よりも年下の少年の、敵意に、恐れる日がくるなんて。
垣間見た蒐のその能力に、籥も渫も、今はただ、言いようのない不安と恐怖を抱くしかできなかった。