番外編6)初見。
糺国王が守る『朱石』は、病に臥せていようがなんだろうが、生きている限りは王しか手に触れることができない。
『朱石』をどうするかは、触れることのできる王にしか決めることができない。
「あぁ、趨太子、こちらにいらしたのですね」
背後から声をかけられて、趨ははっと我に返って振り向いた。見れば、臣下のひとりが心配そうにこちらに向かってくるところだった。
「いくらお探ししても見当たらなくて心配したのですよ」
「・・・ちょっと、見たくなってな」
「いずれはあなたのものになるのですよ、趨太子」
「・・・・・・そう、だな」
ふたりはケースの中に収まったそれを見る。
赤く輝く、この絶えることのない争いの根源である、『朱石』を。
早く、欲しいと思う。
王となれば、触れることのできる、この不思議な石を。
それは権力などというためのものではなく。
この不毛な争いを終えるためにも。
けれど、今は触れることすらできない。たとえ、父と同じ王族の血をひいていても。
「『朱石』と『蒼石』か・・・・・・。なんで、そんなにしてまでふたつの石が欲しいんだろうな」
思わず声に出してつぶやけば、隣にいた臣下は驚いた表情を趨に向けていた。
「当たり前ではないですか、趨太子!!我らのもとにふたつの『石』がそろえば、このふたつの大国の支配者となれるのですよ?!」
「支配者、ね・・・・・・」
思わずこぼれるため息が臣下には聞こえなかったようだ。趨太子はもう一度ケースの中に大切そうにしまわれた『朱石』に一瞥を送った後、臣下に尋ねた。
「それで?なにか用か?」
「あ、そうでした。じつは、ちょっとご相談がありまして・・・・・・」
「相談?」
深刻な表情を浮かべる臣下を連れて、彼は父の代わりに座ることが多くなった執務室に足を運んだ。
扉を閉めて彼が椅子に座ると同時に、臣下は困ったように口を開いた。
「実は・・・・・・糺国王宛ての文書が届いたのです」
「糺国王宛ての文書?別に困るようなことでもないだろう?いつも通り、俺が目を通せばいいだけだろう?それとも臥せている父上にそれを読み上げればいいのか?」
父王が病で倒れてから、趨は王の代行の執務をすることが多くなった。王宛ての文書を代わりに読むこともあったし、父の判断が必要なものはそれを読み上げたりした。
だから、この臣下がなにをそんなに困ったように相談にきたのか、趨にはさっぱりわからなかった。
「それが・・・・・・果たして王にお伝えしていいものかどうか・・・・・・」
「・・・いったいどんな文書なんだ?」
ごにょごにょと不安そうに告げる臣下に、趨はイライラしながら尋ねれば、彼は懐に入れていたその文書を取り出した。
手を伸ばした趨にそれを手渡す前に、その臣下はもう一度口を開いた。
「これは、正規のルートではなく、『守人』たちが使うような裏のルートから届けられた文書なのです」
「・・・へぇ、『守人』たちのように、ねぇ・・・」
『朱石』や『蒼石』同様に、存在そのものが伝説になっている糺国の守護組織『守人』。
趨はもちろん、それが幻の組織ではないことは知っている。王の代行任務を行うことになったときに、その『守人』を束ねる長と呼ばれる女に会った。
だが、趨は『石』と王を守るためだけに訓練されたその特殊部隊にもあまりいい気はしていなかった。
結局は、国と国が争うために用意された部隊でしかないのだから。
文書を手渡すことを躊躇う臣下の手から乱暴にそれを奪うと、まずは差出人の名を探した。
ところが、表書きには『糺国王様』と書いてあるだけで、差出人の名はない。
中身を見てみようとそれを広げた瞬間、その文章のまず一行目に、挨拶文と共に差出人の名前があった。
「・・・いかがいたしましょうか、趨太子・・・」
「いい。これは俺が預かる。さがれ」
「・・・・・・かしこまりました」
この臣下は、この文書の差出人が誰かを知っているのだろうか。
だが、中身まで確認した形跡はない。彼があれほどうろたえていたのは、単に正規のルートではないルートでこれが届けられたから、という理由だけであろう。
もしも差出人が誰かまで知っていたら、こんな騒ぎでは済まない。
だから趨は何でもないふりをして、さっさとその臣下を部屋から追い出した。内面では今すぐこの文書を広げて早く読みたいのに。
臣下が部屋から退室すると同時に、趨はそれを広げて、じっくりと読み進めた。
読み進めれば進めるほど、趨の表情は強張っていく。文書を握る手に力が籠る。
・・・ありえない。
読み終えた後、まず最初に彼はそう思った。
ありえない。
この文書はニセモノだろうか。
趨や、糺国王を惑わそうとするためのものだろうか。
・・・わざわざ裏ルートを使って?
彼は気を落ち着かせるために宙を仰いだ後、早鐘のように鳴り続ける鼓動をおさえるために深呼吸をする。
ありえない内容の文書。
動揺のあまり、取り乱してしまった。
落ち着いた頃、彼はもう一度、努めて冷静にそれを読み返した。
二度読んでも信じられず、彼は何度も何度も目を通した。
一体何度読み返したかわからなくなった頃、彼は差出人の名を口に出した。
「・・・椎国の女王、麗・・・・・・」
確か数年前、父王がまだ病で倒れる前に起きた『事件』。
父王は『守人』に椎国城に潜入することを命令し、チャンスがあれば国王を殺してくるように言った。
『石』を守り、触れることができる王族が途絶えれば、その国は滅びるしかない。そして、主のいなくなった『石』はもうひとりの王、つまり糺国王の手に渡るはずだった。
椎国城に潜入した『守人』は、見事にその任務を遂行し、当時の椎国王夫妻を暗殺することに成功した。
しかし、彼らは王族を根絶やしにすることはできなかった。
暗殺された椎国王夫妻にはたったひとりの王女がいたのだ。
それが、麗姫だった。
その麗姫が王位を継ぎ、女王となり、そしてこの文書を糺国王宛てに送ってきたのである。
内容は、両親を殺されたことによる宣戦布告かと思いきや、そうではなかった。
むしろ、その逆であったのである。
糺国と椎国の和平を望む文書だったのだ。
さすがの趨もにわかには信じられなかった。
彼もまた、周りの者たちとは違い、和平を望んではいる。だが、麗とは立場が違う。
趨は肉親であり王である父は健在である。対して、麗姫はその糺国に両親を殺されている。
加害者と被害者。
被害者である麗が糺国を恨んでも当然であるというのに、その麗が加害者である糺国王に和平を望んでいるのだ。
これ以上の無意味な争いを続けるべきではない、と。
両親を殺されたことは遺憾であること。
だが、そこに恨みを持ち、恨みと憎しみの連鎖を続けることは今までとなにも変わらないこと。
ふたつの『石』に振り回されて両国が手を取り合えないのは愚かしいことだということ。
まだ幼さの残る字体でそのような内容が淡々と綴られていた。
似たようなことを趨も常に思っていた。
『朱石』を見るたびに、これに振り回されている自分たちの愚かさを嘆いた。
これによって失われている自国と敵国の民の命が惜しいと思った。
けれど、太子という立場である趨ひとりではなにもすることができなかった。
王でもない、権力もない。
たったひとりで、協力者もなしに、想いを貫くことは難しかった。
・・・これは、チャンスなのだろうか。
麗からの文書をさらにもう一度目を通しながら趨は思う。
この文書が偽りかもしれない。
だが、何度読み返してもこの文書からは麗の真摯な想いしか伝わってこない。
こちらをだますための偽りには思えない。
・・・・・・しばらく、様子をみてみようか。
趨はそっと筆を執った。
麗に返事を送ってみよう。彼女の意図を、真意をもっと知りたい。
もしかしたら、歴史を塗り替えることができるかもしれない。
ふたつの『石』の伝説をひっくり返すことができるかも。
・・・コトは慎重に。
決して、まだ悟られるわけにはいかない。
湧き上がる興奮と、不安と、期待。
趨は、麗からの初めての手紙を握り、自らの想いを伝えるべく筆を走らせた。
この返事が未来をどう変えていくかはわからない。
けれど、趨はなにかを確信していた。
何かが変わる、その変革の兆しを。
こうして、糺国王に届けられるはずの麗姫の文書は、同じ想いを抱えた若き太子、趨のもとに届けられ、ふたりの国の未来を賭けた内密な手紙のやりとりが始まったのだった。
趨と麗の手紙のやりとりが始まる、最初の最初。
麗が理想者であるように、趨も理想者だったけど、彼には『朱石』に触れる資格がなかった。だから、麗よりもずっともどかしい想いはしていたんです。
ただ、麗は麗で、両親を殺されるという悲劇的な体験をしているので、たとえ『石』の後継者であったとしても、それなりの葛藤があったと思います。
そんなふたりが初めてまじりあい、協力をしていこうとする最初の機会。
その話を書きたくて番外にしてみました!!