抗えぬ、困惑。
渫の心の中でぐるぐると渦巻くなんともいえない感情を、誰か取り除いてほしかった。
「・・・・・・あいつ、嫌い」
「あいつって籥のこと?なんで?」
渫と蒐は今、森の中で木の実を集めていた。今回は罰ではなく、ただの当番だ。籠を抱えて木の実をむしる姉に、軽く首を傾げて蒐は問いかける。
「籥、いい人だよ?なんで嫌いなの?」
「・・・・・・だって・・・・・・。・・・なんでもない」
「あ、ちょっと、姉さん!?」
「付いてこないで」
森の奥へと進んでいく渫を、蒐が追いかけようとすると、渫から拒絶の言葉が飛んでくる。姉の命令には逆らえない蒐は、しょんぼりしながら、その場に立ち尽くしていた。
渫は後ろを振り向かずに歩く。木の実の成っている茂みも無視して進む。
「・・・・・・だって、簡単に、殺す、から」
足を止め、ぽつりとつぶやくのは、先ほどの問いへ答え。
籥は嫌い。
簡単に、森の動物たちを殺すから。修行だから殺した、と言って。
でも、それを渫は蒐には言えなかった。
蒐も、殺すから。
修行のためだけど、蒐もまた、動物を、獣を、殺すから。
守人の里にいる子供たちはみんな、そうだから。
だから、蒐も特に疑問に思わない。自分のしていることに。
でも、渫はそうじゃない。
命を奪うことは、その生き物の生を終わらせること。
あるはずの明日を奪うこと。
それで、いいのか。
神でもないのに、他人が生き物の人生を勝手に終わらせていいのか。
「なぁ、まだ怒ってるのか?」
背後からそう声をかけられても、渫は驚かなかった。
渫だって『修行』している。人の気配くらいは読める。
「別に、怒ってなんか、ない」
ぶちぶちと乱暴に木の実をむしりながら、彼女は答える。
「蒐はあっちよ。早く行けばいいのに」
「ずいぶんだなぁ。今日は蒐じゃなくて渫に会いに来たんだぜ?」
籥は心底傷ついたように渫に言い返した。それでも、彼女は眉ひとつ動かさずに黙って木の実を摘んでいる。
渫や蒐よりも年上の籥は、ふたりよりも一歩進んだ『修行』をしている。
そのうちのひとつが、森を出ての、町での『修行』だった。具体的には知らないが。
ただ、普段は里にいない彼が、ふらりと森に帰ってきては蒐と楽しそうに話している様子を見るのも、渫は嫌いだった。
「渫は、殺すのは怖いか?」
「籥は、殺すのが楽しいの?」
彼女に問いかけた籥に、逆に渫は問い返す。
一瞬、籥は虚をつかれた顔をしたが、すぐににやっと笑みを浮かべた。
「そうだな、獣を倒すのは好きだ。うまく捕らえたときの達成感がたまらん」
「あたしは嫌い。殺すのも、血が流れるのも」
「・・・・・・蒐は、そうでもないようだな?」
弟の名が出されて、渫の動きが止まる。そして、殺気にも似た視線で籥をとらえる。
「だから、なに?」
「い、いや、別に・・・・・・。・・・・・・でもよ、この里で、殺すのが嫌い、とか貫けると思っているのか?」
「・・・・・・わかんない」
それまでずっと虚勢を張っていた彼女の気が、急にしぼんでいくのを籥は感じた。見れば、渫の表情は今にも泣きそうになっている。
詰め込まれる知識。
叩き込まれる身体術。
この里へ来て数年、渫も蒐もここへ来た頃よりずっと賢くなったし、人並み以上の身体能力を身につけることができた。
守人がどういう存在なのか、それを長から聞いたことはない。
でも、渫はなんとなく、わかっていた。
だから、自信がなかった。
これから先もずっと、血を見ずに生きていけるかなんて。
「なんだなんだ、急に元気なくして」
ぽんぽん、と優しく渫の頭をなでながら、籥は苦笑する。
「おまえは、殺すのが嫌なんだろ。それでも、この里にいるんだろ?」
ここにしか、居場所はないから。
「いいか、渫。殺したくない、殺すのはよくない、なんて口で言うのは簡単なんだ。それでも、おまえは殺したくないんだろう。わざわざあちこちに罠をしかけて生け捕りにしてまで」
渫は、視線だけ上げて肯定する。籥は満足そうに渫に笑いかける。
「だったら、それを貫け。殺したくないなら、殺さずに済むやり方を模索し続けろ。渫は渫のやり方で進めばいいんだ」
そこで、いつものようににっと笑う籥の笑顔が、不思議とそのときの渫は嫌いじゃなかった。
嫌いな籥の言葉が、すとん、と自分の心の中に落ちてくる。
「・・・そっか・・・。そうなんだ・・・」
これから先、なにがあるかわからないけど。
でも、それでも自分が納得できる道を、自分なりの方法で歩けばいいのか。
「あ、やっと見つけた姉さん・・・・・・ってあれ、籥?!籥だ~!!こっちに戻ってきてたんだね?!」
渫を追いかけて茂みから現れた蒐が、人懐っこい笑顔で籥に飛びつく。
そんな光景を見ても、渫は前ほど胸がむかむかすることがなかった。
「・・・・・・姉さんと籥で、なにか話してたの?」
いつも会えば喧嘩ばかりのふたりだ。蒐が心配そうにふたりを交互に見る。
先に笑顔を見せたのは、渫だった。
「そうよ。籥に言われたの。あたしの好きなように生きていいって」
「おいおい、なんか語弊があるぞ?!」
すまして答えた渫に慌てる籥。ふたりの中に漂う柔らかな雰囲気に気付いた蒐は、うれしそうに笑った。
「あたしはあたしのやり方で、生きる」
挑戦するように籥に告げた渫に、彼は小さくうなずいた。
「わかった。それじゃぁ、お手並み拝見、だな」