守れぬ、平穏。
趨から国の歴史を聞き、さらに衝撃的な様々な事実を聞かされたあの日から、すでにもうずいぶんと日が過ぎていた。
読み漁った麗から趨への手紙も、なぜか渫と籥のもとにあった。
一度目を通したものは読み返さないからいらない、と言って趨から押しつけてきたせいもある。
それは、疑い深い習性を持つ『守人』に、麗の真意を理解させるためかもしれなかった。
「・・・いや、あの太子がそこまで考えているかな」
渫の部屋で麗の手紙を読み返していた籥は、渫の見解に苦笑しながら首を傾げた。
「置場がなくて邪魔だったのかもしれないぞ?」
「それだったらひどい話ね」
くすっと笑って渫は答える。
蒐と再会したあの夜から、ぱたりと椎国の侵入がなくなった。
城で待機する『守人』は何日も任務もなにもない日々だけが続いていた。もちろん、渫も籥もそうである。
彼女達は、その空いた時間にひたすら麗の手紙を読み返した。
真摯な想い。
強い心。
民を思う、優しい志。
手紙からは麗の印象はそう感じた。この想いが偽りだとは、渫も籥も思えなかった。
そして、偽りではなく、趨もまた賛同しているのであれば、このふたりの会合は国の歴史を大きく揺るがすものに違いなかった。
ふたつの国をひとつに。
そのとき、存在しているふたりの王はどうするのか。
その対策まで隅々まで練られていた。
これを誰にも知られる事無く、趨はずっと水面下で行っていたのだから、閉口してしまう。
こうして今、渫と籥にその全貌を示したのは、彼がよくつぶやく『終幕まであと少し』だからか。
渫と籥を信じていると思っていいのだろうか。
「麗姫もそうだけど、趨太子もこちらが想像できないことを考えているよな」
「・・・間違えなく、反発は大きいでしょうね」
「それでも、安定すれば、今より平和な世界が訪れるはずだ」
平和な世界。
趨もあのとき、たしかにそう言った。
平和な世界がほしいなら、あと少しの間だけ趨を守れ、と渫に言った。
それが現実になる日が近づいているのだろうか。
「・・・今日はやけに城内が静かだな」
ぽつりと籥が洩らす。
たしかに、今日は城内がいつも以上に静かだ。趨も今日は執務室にも自室にもいない。
「・・・静かすぎて不気味だな・・・」
読んでいた麗の手紙を置いて、籥が眉間に皺を寄せる。
静かなのは平和でいいことだが、『守人』としての勘がなにかしらの不穏を感じ取っていた。
だからといって、命令もなしに渫たちは動けない。
いらいらそわそわとただ、時を過ごすだけ。
ここ何日もなかった任務がまた、渫たちを不安にさせるのかもしれなかった。
任務がないということは侵入者がいないということで平和に違いないのに、『束の間の平和』では渫も籥も不安に思うだけだった。
趨と麗がめざす、『永遠の平和』を知ってしまった今は。
「渫、決めたか?あの巻物をどうするか」
趨に託された、麗への最後の手紙。
「・・・決めたよ」
椎国の麗姫に会う。
それは、ひどく複雑な思いだった。
蒐を助けてくれた人。
でも、蒐を奪った人。
けれどなにより、趨と共に『平和な世界』をくれる、『蒼石』の守護者。
会いたい気持ちと会いたくない気持ちが正直混在していた。
それでも、渫の心は決まっていた。
「・・・渫、籥、いるか?」
夜遅く、渫の部屋の扉が叩かれた。それはひどく疲れた声だったが、趨の声だった。
渫の代わりに籥が扉を開き、趨を招き入れる。
彼は、渫と籥を交互に見比べて、言った。
「父上が亡くなられた。今は、俺が『朱石』の所有者だ」
疲れた様子で、けれど少し興奮した声で、趨は渫と籥に受け継いだ『朱石』を見せた。
「蒐には悪いのだけど、しばらく誰も糺国には行ってほしくないの」
蒐が動けるようになるほどの日々が過ぎたある日、麗は蒐にそう言った。
ちょうど彼は、そろそろ傷も癒え始めたから、糺国への任務を任せてほしいと言いに来ていたのだ。
けれど、蒐が麗にそう言うより前に、彼女が先にそう言ってきた。
「・・・それは、わたしが『守人』だから糺国へ行かせたくないのですか?」
「蒐のことは信じているわ。それに、そんなことが理由ならもっと前からあなたを監視していたはずよ」
「では・・・?」
「趨太子からのお願いなの」
麗はじっと蒐を見上げた。蒐も何も言わずに、麗が続きを語ってくれるのを待つ。
「・・・実はね、糺国王のご容体がとてもよくないらしいの。趨太子は、糺国王がお亡くなりになって『朱石』がご自分のものになるまで待っていてほしい、と言っていたの」
「糺国王が・・・」
戦を好み、なによりも『守人』の育成に力を入れた王が。
『朱石』を守ること、『蒼石』を奪うことを狂ったように唱えていた主が。
「・・・でも、趨太子が手紙でそう言ってきてからもうずいぶんと経ったわね」
おそらく、趨太子の手紙が最後に麗のもとに届けられたのは、蒐が渫と会った夜。
剋が趨の手紙を麗に手渡したのだろう。
「・・・そういえば、今日は剋さんは?」
「ちょっと見回りに出ているの」
いつも麗をすぐ後ろで守っている剋がいないことが、蒐には不自然で不思議だった。
「見回り、ですか?」
「そうよ。・・・それよりも蒐はもう出歩いたりして平気なの?傷は痛まない?」
明らかに話題を逸らされたが、心配そうに問い掛けてくる麗をないがしろにすることもできず、蒐は苦笑して答えた。
「大丈夫ですよ、これくらいなら」
もともと怪我や痛みには強い『守人』だ。動けるようになってしまえば、むしろじっとしていることのほうが、苦痛だった。
「じゃぁ、また蒐の回復パーティーをしなくちゃいけないわね」
「え~・・・っと・・・」
「今度は『朧』ではなく『蒐』のパーティーよ」
椎国に滞在して、麗と生活をしていて気付いたが、どうやら麗は無類の祭り好きらしい。派手なお祭り騒ぎをしたいわけではないが、「みんなでわいわいと楽しむ」ことがどうやらお好きらしい。
けれど、そんなことよりも、麗の最後の一言が蒐の心を捉えてしまった。
偽りの『朧』ではなく、真実の『蒐』を迎えるためにも、パーティーをするというのか。
「・・・でしたら、麗姫さま。そのパーティーは、『平和な世界』を築くことができたときの楽しみにしておきましょう」
それは、未来のために。
蒐のその想いを察したのか、麗もおとなしく首を縦に振った。
ふたりの間に穏やかな空気が流れる中、突然部屋の扉がノックもなしに開いた。
「麗姫・・・・・・来ました・・・!!」
それは、『見回り中』の剋だった。
血相を変えて、麗にそれだけ言うと、彼女の指示を仰ぐようにして直立している。
麗はすぐに『女王』の顔立ちになり、剋に言い渡す。
「応接間でお会いするわ。お通しして」
「・・・かしこまりました」
硬い表情でうなずくと、剋はすぐにその場からいなくなってしまう。
わけがわからない蒐は、麗に助けを求めるように尋ねた。
「なにが、来たのですか?」
「それは、応接間に行けば分かるわ。蒐もそこへ行ってみて。わたくしはあとから行くから。用意するものがあるの」
麗はそれだけ言うと、さっさと部屋を出てしまう。取り残された蒐は、仕方なく、彼女に言われたとおりに、応接間に向かうことにした。
歴代の王たちの肖像画が飾られているあの部屋。
そこに、「何か」もしくは「誰か」がいるということか。
「・・・失礼します」
遠慮がちに蒐は応接間に足を踏み入れる。
本来はその場に蒐がいるのもおかしな話のはずだ。
麗の護衛の剋ならいざ知らず、蒐は糺国の『守人』だ。麗が『女王』として立つその場に、蒐が居合わせるのも不思議な感じだ。
「・・・蒐・・・」
それは、聞き覚えのある、声。
「・・・姉さん、籥・・・・・・」
その応接間には、渫と籥がいた。その傍らに、剋が立っている。
「これはいったい・・・?」
渫と籥が厳粛な表情で佇む中、蒐はひとり、困惑した表情を浮かべるしかなかった。