守れぬ、絆。
会いたかった。
話したかった。
知らせたかった。
渫に、籥に。
蒐は生きているのだと。
だから、それができた今、蒐にはもう心残りはないはずだった。
だけど、渫に会えば麗を思い出し、籥に会えば剋を思い出した。
ふたつの国にいる大事な人たちが、同じ平和な世界に存在することはできないと思っていた。
でもきっと、麗姫はそれを叶えてくれる。
趨太子と。
「・・・朧?」
重たい目蓋を無理矢理持ち上げると、麗の心配そうな顔と、彼女の遠慮がちな声が降ってきた。
「麗姫・・・さま・・・」
喋ると左の脇腹が痛む。渫に撃たれた場所だ。
「目を覚ましてくれてよかったわ。お水、いる?なにかほしいものあるかしら?」
麗姫がほっとした様子でいるその後ろで、剋が水を用意したりと忙しなく動いている。
思わず、蒐はくすりと笑いをこぼした。
「朧?」
「最初にここで目が覚めた日も、そうして麗姫さまが色々と気遣ってくださって、剋さんが後ろで動いてくださっていたな、と思い出しまして」
くすくすと笑う蒐に、麗もつられてくすりと笑う。
「そういえばそうだったかもしれないわね」
あの頃の蒐は、自分が今いる場所が椎国城であること、目の前にいる少女が椎国の女王であることに驚き、動揺したものだった。
そして、強引に蒐を椎国に留めた麗に呆気にとられ、むっと黙ったままの剋に警戒した。
あの頃は、麗を利用し、裏切るつもりだった。
『蒼石』のありかを探り、手に入れたら糺国に帰るつもりでいた。
なのに、今はこうして麗姫のそばで彼女の望みを叶えたくてここにいる。
「初めて会ったときよりも、今の朧のほうがいい眼をしているわ」
優しく、麗がそう言う。
目を閉じて、麗のその優しさに浸りながらも、蒐は渫たちのことも考えていた。
渫や籥にも、こんなに平和で穏やかな時間を持ってほしい。
だから、知りたかった。
「・・・麗姫さま」
「なに?」
「教えていただきたいことがあるんです」
「なにかしら?」
ゆっくりとした動作で、蒐は麗の瞳をとらえた。
綺麗な翡翠の瞳が、朧夜の瞳とぶつかる。
その瞳に秘められたものを互いに探るように。
「教えていただきたいのです。なぜ、糺国と椎国、かつてはひとつの国であったものがふたつとなってしまったのか」
糺国に残した大切な人たちのために。
椎国で守りたい大事な人たちのために。
蒐はこの戦の根底にある、歴史の真実を知りたかった。
「そうね、国の正しい歴史は、知っておくべきだと思うわ」
「・・・ありがとうございます」
そして、麗は昔話を語り聞かせるように、糺国と椎国の話を始めた。
渫と籥は仮眠をとると、意を決して趨の自室の扉をたたいた。
いつも彼がいる執務室には姿がなかったためだった。
「趨太子?渫と籥です」
「・・・入れ」
渫が遠慮がちに言えば、部屋の中からすぐに趨からの返答が返ってきた。
渫と籥は顔を見合わせたあと、趨の部屋に足を踏み入れた。
「す、趨太子?!なにをされているのですか?!」
部屋に入った途端、渫の口からは悲鳴のような声が飛び出た。
趨の広々とした部屋の床一面に様々な書物や巻き物が広がっていたのだ。
「なにって見て分からないか?」
にやにやと趨がまたからかうような視線を渫と籥に送る。
籥は床に広がった巻き物のひとつを手にとって、軽く流れ読んでみる。
「これって・・・椎国の姫からの手紙ですか?!」
「あぁ、そこからそこまで転がっている巻き物はすべて麗姫からの手紙だ」
何気なく趨が指差した範囲を目で追ってみると、それがとてつもなく多い量であることがすぐにわかった。
「こんなに・・・?!」
「いつのまにか、こんな量になったって感じだな」
「そんなに前から、趨太子は麗姫と通じていたのですか?!」
「まるで俺が糺国を裏切っているかのような物言いだな」
自嘲するように趨は笑い、それに否定も肯定もしないふたりをちらりとだけ見て、窓の外に視線を動かした。
「ま、おまえたち『守人』にとっては、俺は裏切り者に見えるだろうな」
裏切り者。
その言葉に、渫は蒐を思い出す。
彼は無事だろうか。渫が負わせた傷は、彼の命までも奪わなかっただろうか。
「『朱石』と王を守り、椎国にある『蒼石』を奪うための部隊、『守人』。おまえたちの役目ももうすぐ終わる。終わらせる、この長い戦を」
「椎国の姫もそれを望んでいるのですか?」
「もともと言いだしたのは麗姫のほうだ。あれは強い姫だ。両親を『守人』に殺されたのに、復讐に溺れず、未来の平和のために前を向いている」
「椎国の前王夫妻が『守人』に・・・。なのになぜ、趨太子は麗姫の言い分が罠ではないと思われないのですか?!」
渫が問えば、趨は黙って指を差した。麗の手紙の山を。
「読んでみればいいだろう。あの姫がどれだけ真剣か」
蒐は、知っているのだろうか。椎国の前王が『守人』に殺されていること。
それを知ってもなお、彼は椎国にいることを決めたのだろうか。
「だけど、その手紙を読み出す前に」
趨は屈んで、一冊のぼろぼろの書物を床から拾い上げた。
「この国の歴史を知りたくないか?」
「国史なら、学舎に通っていたころに・・・」
「それは、糺国だけの歴史だろ」
渫が戸惑ったように言えば、趨がばっさりと切り捨てた。
籥も不思議そうに首を傾げる。
「では、趨太子はどこの国の歴史を教えてくださるのですか?」
「糺国と椎国、ふたつの国がひとつだったころの話だ」
静かに告げられた趨の言葉に、渫も籥も目を見開く。
「え・・・ふたつの国がひとつだった・・・・・・?」
「そう。これはただの兄弟喧嘩が発展してこうなっただけなんだよ、実は」
それ以上は自分で読めとばかりに、趨は渫と籥にそのぼろぼろの史書を手渡した。
彼女たちは頭をくっつけながら、その本のページをめくった。
かつて、糺国や椎国などど呼ばれるより前の頃。
大きな領土はひとつの国のものであった。
広大な国をひとりの王が治めていたその時代に終わりが来る頃、亀裂が走った。
王には、ふたりの太子がいた。
糺太子と椎太子。
それは、王位継承の順位のつけることのできない、妾妃の太子たちだった。
奇しくも、そのふたりの太子は同じ年頃だった。
互いに立場の危うい妾妃の太子ということもあり、ふたりは争いあって育った。
王が病に臥せたときも、ふたりは競って王の興味を自分に向かせようとした。
王位の継承権を手に入れるために。
王位の継承を意味づけるのは、その国に代々伝わる『宝石』と呼ばれるふたつの『石』を継承すること。
それはどこにでもありそうな朱い石と蒼い石だが、光の具合によっては妖しいほどの美しさを放つ神秘性もあった。
そしてその妖しいまでの神秘の石は、ふたりの太子の理性を狂わせた。
王が危篤状態となり、いよいよ次期王を定めなければならなくなったとき、糺太子は厳重に閉じられた宝庫へ行き、『宝石』を手に取ろうとした。
これさえあれば、王になれると思って。
そして、そこには同じ考えを持った同じ立場の太子がいた。
椎太子である。
ふたりは奪い合うように『宝石』に手を伸ばした。
どちらが先にそれに触れたのかわからない。
しかし、ふたりはその『宝石』に拒絶されるように、弾かれた。
驚愕するふたりの太子の脳裏に、病に臥せる父王の言葉が蘇る。
「『朱石』と『蒼石』は、『玉座を守る者』にのみ触れることが許された神の石。
たとえ王族であろうと太子であろうと、玉座に座る者でなければ、石に触れることすら叶わない」
その父王の言葉が今、証明されたのだ。
ふたりの太子は顔を見合わせ、考えを巡らせる。
体が焼かれ裂かれようとも、『宝石』を手にするか。
それとも、父王が死ぬそのときまで待ち、『宝石』を奪うか。
けれど、運命は無常にも破滅の扉を開く。
城内に、嘆きにも似た叫びがこだました。
それは、宝庫にいたふたりの太子にも聞こえた。
「現王陛下、御隠れになりました・・・・・・!!!」
ふたりが『宝石』に手を伸ばしたのは同時。
現王、現在の『玉座』を守る者が亡くなった今、糺太子か椎太子にその権利は移った。
奪いあいの末、糺太子は『朱石』を椎太子は『蒼石』を手に取った。
驚いたことに、どちらも、『宝石』に弾かれることはなかった。
「・・・その石をこちらによこせ」
この現象に戸惑いながらも、糺太子は椎太子にそう言った。しかし、対する椎太子も同じように空いた手を伸ばし、糺太子に言う。
「おまえこそ、その石をわたしによこせ」
『朱石』を手に持つ糺太子は『蒼石』を求める。
『蒼石』を手に持つ椎太子は『朱石』を求める。
決して譲ろうとしないふたりが辿った道は、破滅と破壊への道だった。
広大な国を互いにいがみ合うようにふたつに分断し、巨大な隔てをつくった。
しかし、ふたつの『宝石』の力のせいか、それぞれの居城はまるで寄り添うように国境から離れることはできなかった。
そして、それぞれの太子はそれぞれの国を築き、『玉座』を築き、『石』の守護者となった。
けれど、残りの『石』を手にできれば、ふたつの国を再びひとりの王が治めることができる、というその欲望を捨て去ることはできずにいた。
それはそれぞれの国の臣下にも伝わり、拡大していく。
そうして、『朱石』と『蒼石』を奪い合う、長い長い、戦が始まった。