守れぬ、望み。
「…これは医師に診せないとだめだな」
ぐったりと横たわる蒐を眺めながら、剋は苦々しげにつぶやく。
糺国で蒐は重傷を負った。
なんとか自分で止血はしていたようだが、無茶な動きばかりしたせいで、それの意味もなくなっている。
剋と合流したあと、蒐は意識を手放したまま目を覚まさない。
夜が、明けようとしていた。
「…蒐に、会ったの」
籥は蒐を逃がしてしまってから、慌てて趨と渫の様子を見るために糺国城内に戻った。
そして、ある一室で窓を眺めたまま、茫然と立ち尽くす渫を見つけた。
「オレも、蒐に会った」
「蒐は、自分を『裏切り者』だって言ってた。『殺してくれ』って言われたわ」
足元の銃に視線を落として、渫は消え入りそうな声でつぶやく。
籥も彼女に合わせて静かに告げる。
「オレにも『椎国の使者』だって言いやがった。・・・ただ、おとなしく殺される気配はなかったけどな」
明らかに深い傷を負っていた様子の蒐。
それが渫が負わせたものだというのは、彼女の様子を見れば一目瞭然だった。
「どうして・・・」
静かな部屋に、渫の小さな声が響く。
「どうして、ただ、望んだだけなのに叶わないの・・・?あたしはただ、蒐と籥と、3人で暮らせれば、それでよかったのに・・・」
悲痛な彼女のつぶやきに籥は小さく首を振り、ふと、渫の手に握られているものに気付いた。
「渫、それはなんだ?」
「蒐に渡されたの」
「蒐に?!」
「・・・それは俺に渡してもらおうか」
渫はともかく、籥すら後ろに現われた気配に気付かなかった。
渫に気をとられすぎたか。
籥は振り向き、目を剥いた。渫も彼がここにいることに驚いているようだった。
「趨太子・・・なぜ・・・?」
「渫がなかなか戻ってこないから探してた。それは俺に渡されるものだ」
驚く渫や籥の様子など気にも止めず、趨は渫の持つ巻き物を指差す。
のろのろとそれを持ち上げ、渫は疑問を口にした。
「これは、なんですか?」
籥が渫のもとまで歩み寄り、彼女から巻き物を受け取るとそれを趨に渡した。
趨は、にやり、と笑って答えた。
「椎国の麗姫からの手紙だ」
「・・・おかえり、剋」
「麗姫さま?!」
剋たちが国境を越え、なんとか椎国城まで辿り着くと、城の前に麗が立っていた。
「あ、危ないではないですか、こんな時間に・・・」
「もう夜は明けたわ。だから城の外で待ってたの。いやな予感がしたから」
眉を寄せる麗の瞳が、剋の背中を見つめる。彼に背負われているのは、麗の想像外の人物だった。
「朧?!」
ぎょっとした様子で、麗が剋の背中でぐったりとしている蒐に呼び掛けた。
青白いその顔にさらに驚いてよく見れば、蒐の左側が血で真っ赤なのに気付く。
「剋・・・いったい、どういうことなの・・・?」
「え~っとですね・・・」
「・・・わたしが・・・一緒に連れていってくださいと・・・お願いしたんです」
責める麗に、剋がどう言い訳しようかと言葉を探していると、喘ぐように蒐が小さな小さな声で麗に言う。
「・・・剋さんを・・・責めないでください・・・麗姫さま・・・」
今にも消え入りそうな苦しそうなその声で、麗はなにが今一番優先しなければいけないのかを気付いた。
「剋、はやく朧を医師に診せなくちゃ」
今度は剋も麗の言葉に素直に従い、城内で待機している、剋たちかかりつけの医師のもとへと蒐を背負ってかけつけた。
籥と渫は、かつて蒐と別れた場所にいた。
眼下に広がる崖。この下に、蒐は落下したのだ。
あの夜から何度も何度も、渫も籥もここを訪れた。
蒐を探して。
渫の願いは歪んだ形で叶えられていた。
彼はたしかに生きていたが、なにがあったか敵国である椎国にくだっていたのだ。
『蒼石』を奪うための演技とは、籥には思えなかった。
「・・・椎国の麗姫の手紙を、なんで趨太子が受け取ったんだろう」
崖下を見つめる籥に、渫がひとりごとのように言う。
「さぁな。もしかしたら、『朱石』を椎国にくれてやるつもりかもな」
冗談のつもりで、籥は笑いながらそう言った。
趨は、渫が蒐から渡された巻き物を手にすると、それ以上は話すことはないとばかりにその場を去った。
籥も渫も、趨に聞きたいことは山のようにあったのに、肩透かしをくらった気分だった。
だから、籥は趨への嫌味半分、冗談半分にそんなことを言ったのだが、渫は思い詰めた様子で籥を見返している。
「もしかしたら・・・本当に趨太子は『朱石』を椎国に渡すつもりかも・・・」
「渫?」
「だって、趨太子、言っていたもの。『朱石』とか『蒼石』とかに興味がないって・・・」
「たしかに言ったが、だからといって、『朱石』を簡単に椎国に渡すつもりはない」
今度は籥は気付いていた。
ふたりのいる場に、趨が近づいてきていることは。
しかし、渫の発言と応対した趨の発言に、結局籥は驚きに瞠目した。
「趨太子、その意味はいったい・・・」
「ふぅん?俺がここに来たことは気配で察して気付いていたか?さすが『守人』。『朱石』と王の番人だな」
けらけらと軽く笑う趨に、籥も渫も顔を見合わせる。
「おまえたちにおもしろい話を聞かせてやる。ゆっくり休んだら、俺の執務室に来ればいい」
夜も明けて明るくなった森の中を、趨はそう言い残して立ち去った。
趨はふたりを探して、ここまでそれだけを言いに来たのだろうか。
謎な彼の行動に、籥も頭を抱えたくなっていた。
「・・・剋、わたくしの望んだことは、そんなにも困難なものだったのかしら・・・」
治療を終えた蒐が横たわるベッドの脇で、麗が静かに剋に尋ねる。
「大切な人たちを守りたい。それだけだったのに。・・・それさえも、こうして今にも手から零れ落ちそうになってしまうのね・・・」
「朧はちゃんと生きて戻ってきましたよ。それに、麗姫さまの『努力』が実れば、望みは叶えられますよ」
剋も静かに答えたが、麗から返ってきたのはため息だけだった。
治療を終え、今は傷が癒えるまでは安静、といわれた蒐だが、その傷跡を見た剋は眉をひそめた。
これは、銃創、といわれるものだ。
椎国の使者も、何人もこの銃という武器によって殺されてきた。
・・・そして、麗の両親、先代国王夫妻も。
あれだけ攻撃力、守備力に長けていた蒐が、正面からあっさりと銃の攻撃を受けるなんて。
よほど油断していたか、または、『避ける気がなかった』ということか。
「趨太子の手紙によれば、『終幕』はもうすぐ、らしいわ」
「・・・あと少し、ですね」
「えぇ」
麗が王位を継いでから、何度も剋は麗の手紙を持って、糺国に行った。
なんとかして、麗の理想に賛同してくれる、糺国の協力者を見つけるために。
それが何の偶然か、糺国の太子、趨が麗の意見に賛同したのだ。
糺国の王族と椎国の王族。
このふたりが、『戦の終わり』に手を取り合っている。
それも、ふたつの『宝石』を奪い合うこともなく。
ふたりの王族は、それぞれが糺国、椎国が建国されることになった『歴史』について首を横に振っている。
『朱石』や『蒼石』などにいつまでも振り回され、両国の民の命が奪われていくのはよくないと。
だから、ふたりは互いの打開策を練った。
そのための、手紙のやり取り。
剋がその伝言役を買って出た。
それが、もうすぐ終わるのだ。
「・・・きっと、『望み』は叶います」
蒐の手を握り締めたままの麗の背中に、剋は優しく、けれど断言する。
麗は顔だけ剋に振り向いて、そっと笑った。
「わかっているわ、そのために、わたくしも趨太子もがんばっているのですもの」
何人もの人間を騙してでも。
未来にあるべき平和のために。
剋は、麗の背中に向かって、礼儀正しく礼をとった。